アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat 第一 その四、内的生活が、どれほど知られていないか をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。
L'Ame de Tout Apostolat par Dom Jean-Baptiste Chautard
四、内的生活が、どれほど知られていないか
大聖グレゴリオ教皇は、人も知るごとく、すぐれた教会統治者であり、熱烈な使徒、偉大な観想家だが、聖ベネディクトの内的生活を一言で集約して、Secum vivebat「かれは、自分自身とともに生きていた」といっている。
聖ベネディクトは、スビヤコの修道院で、かれの有名な『聖戒律』の土台をきずいたが、この聖戒律こそは、天主がこの世でお使いになった、使徒職の最も強力な道具の一つである。
現代において、使徒職にたずさわっている人びとの大部分にかんして、「かれらは自分自身とともに生きている」と言い切れないのは、まことに残念である。聖ベネディクトは、自分自身とともに生きていた。
現代の人々はこれと全く反対の生き方をしていると言わねばならない。
自分自身とともに自分において生きる、自分自身を統治する、外部からのことによって支配されるがままにしない、想像を抑制し、あまりに敏感で傷つきやすいことや知性と記憶さえをも意志の忠実な下僕の地位に戻す、人々がますます受け入れないプログラムを受け入れる。この落ち着きのない時代には一つの新しい理想が生まれた。それは「活動ための活動への愛」である。
じっさい、感覚にうずもれて生活することを、余儀なくされている現代人にとって、内的生活の修業は、そうとうつらい。つらいから、これをふりすてるために、いろんな口実を、まことしやかに、ならべたてる。
――勤め先の仕事が、あんまりいそがしいので、内的生活なんかやっているひまがない。自分は、家族のことを、心配しなければならぬ。制欲や苦業をすれば、からだをこわす。せっかくの養生が無駄になる。信心を鼻にかける、といって人に笑われる。自分の名声が台なしになる。愛国心がうすらぐ。自分が加入している何々会の顔にかかる。信心家は、天主のいっそう大いなる光栄のために、と口先ではりっぱなことをいっておるが、そのじつ、自分自身の光栄をさがしている。――
このような申しわけが、次から次へと出てきて、自分自身の内部に沈静して生きる内的生活を、不可能にしている。
いっそうなげかわしいことは、自分自身から完全に脱けでた浮世の生活 ―― 一種の精神錯乱ともいうべきこの空虚な生活にたいして、われわれは抵抗できないほど強烈な魅惑を感じていることだ。内的生活が、人びとに知られず、なおざりにされているゆえんが、よくわかろうというもの。
内的生活の価値は、人びとに知られていない。いや、知られていないというだけでは、なんとなくいい足りないのだ。内的生活は、軽べつされている。しばしば、物笑いのタネとなっている。わけても、内的生活の価値を、だれよりも高く評価し、その必要を、だれよりも痛切に感じていなければならぬはずの人びと――司祭、修道者からさえも……。
われわれは、このなげかわしい事態に直面して、いまさらながら、レオ十三世教皇が、北米合衆国のバルチモアのギボンス枢機卿におくられた、あの有名な書簡のおしえを想起する必要がある。そこには、事業一点ばりの使徒職が、いかに危険な結果を招致するかが示されてい、したがって事業や活動だけを礼賛して、内的生活をなおざりにする人びとに、痛烈な一撃が加えられている。
内的生活は、前にも一言したように、かなりつらい修業である。つらいから、その労苦をさけるために、聖職者までが、「イエズスとともに、イエズスにおいて、イエズスによって」いとなまれる、この超自然的生活の優越性を、いっこうにさとらなくなってきた。救世事業の天主的計画においては、いっさいが、ペトロの岩(教会統治権)よりむしろ、聖体を中心とする内的生活に、土台がすえらえ、重点がおかれていることを、かれらは忘れてしまった。使徒的事業をいとなむにあたり、“本質的”なものをあとまわしにして、第二義的なものを第一位におく――こういう人たちは、しらずしらずのうちに、アメリカニズムという流線形霊生の味方となって働いているようなものだ。
かれらにとって、聖堂はまだ、プロテスタントの会堂のようには、淋しくなっていない。聖櫃もまだ、からにはなっていない。だが、かれらにいわせると、聖体を中心とする内的生活は、こんにちの文化生活には合わないのだそうだ。それはまた、文化生活の要求も満たしてもくれない、したがって、聖体の信心から必然的にでてくる内的生活は、すでに過去のもの、中世紀の残骸(ざんがい)だそうだ。
このような考えにとらわれている人たち――しかも、かれらの数はひじょうに多い――にとって、聖体拝領は、本来の意味をうしなった。初代協会の熱烈な信者たちがいだいていた、聖体拝領のほんとうの意味は、もはやかれらのうちに見いだせない。かれらは、聖体がなんであるかぐらいは、知っている。そこに、キリストが臨在することは、読んで知っている。だが、聖体こそは、自分たちの霊魂にとっても、自分たちの使徒的事業にとっても、絶対に欠くことのできない生命源である、ということを、すこしも理解していない。だからして、聖体のイエズスと「顔と顔をつきあわせて」語りあう、いたって親密な内心の一致も、ほとんどできないところから、内的生命は中世紀の残骸にすぎない、と信じこむようになったのだ。なにも驚くには当らぬ。
じじつ、かれらはよく大げさな言葉を連発して、自分たちのした使徒的事業の手柄ばなしをする。そばできいていると、じつにコッケイだ。――天地万物を、ただの一言で、お作りになった天主が、そして広大無辺の宇宙も、みまえにあっては、ただひとかたまりのちり、ただの虚無にすぎない、それほど偉大な天主が、自分らの手をかりないでは、なにもおできにならない、かのような話ぶりである。
あなたは、これを他人事のようにおもってはならない。いかに多くの熱心な信者たちが、いや、司祭、修道者たちまでが、使徒的事業を、過大に評価・礼賛するのあまり、しらずしらずのうちに、このような考えを、一種の永遠不易なドグマ(信条)でもあるかのように信じこんでいることか。そして、このまちがった信念から、かれらの態度や行動をふきこまれた結果は、とうとう自分自身から脱けでた空虚な生活に、おのれを際限なくゆだねてしまっていることか。――教会も、教区も、小教区も、修道会も、事業も、みんな、この“私”を必要としている。私がいなければ始まらぬのだ。……天主にとって、私はためになる存在、いや、なくてはならぬ存在なのだ!
なるほど、口にだしては、そういわないだろう。だが、この愚かな考えは、かれらの心の奥ふかく、どこかに潜伏しており、そこから、ウヌぼれはますます強くなり、反対に、信仰はますます弱くなっていく。
神経衰弱にかかれば、頭を使う仕事は、いっさい禁物である。しかも長い間、そのままでいなければならぬ。そのわけは、この病気の特徴が、病人を、ちょうど熱に浮かされたような興奮の谷底へ投げこみ、この異常状態が、いわば第二の天性となり、たえまなく病人をしげきして、さらに新しいエネルギーの発散へ、さらに強い興奮の獲得へと、しゃにむに追いまくり、その結果、前よりもいっそう病勢をつのらせるからである。
これと同じような現象が、事業一点ばりの人びとのあいだに、見受けられる。
内的生活こそは、いらだったかれらの神経にとって、唯一の鎮静剤であるのに、かれらはこれを不愉快に思うのみか、なおそのうえ、これにたいしてはげしい嫌気さえ感じている。あきれた話だ。内的生活を、まじめに実行してこそ、かれらの霊魂の神経衰弱は、いやされるのではないか。
そればかりではない。かれらは事業を、どんどん、ふやしていく。血気にはやって、向こう見ずの冒険をやる。ますます事業に熱中する。いそがしい業務に、おしつぶされる。――こうなったら最後、どんな療治でも、テンでききめがない。自分からそれをいやがって、受けつけないのだから。
大海原を、全速力で航行している、一隻の汽船がここにある。船長は、速力のすばらしいのを、たいそう自慢している。だが、舵取りが、ぼんくらだ。めくら滅法に、船をあやつっている。いつなんどき、なにかにぶつかって、海底のもくずと消えないとも限らぬ。それを知っているのは、ただ天主だけだ。
「霊とまことをもって、天主を礼拝する」――この一事をこそ、キリストはいっさいに先だって、人びとに要求されるのだ。
アメリカ主義の信奉者たちは、ただ自分らがやってのけた外的事業だけを数え立てて、自分たちこそは、天主に大いなる光栄を帰したのだ、と盛んに自慢している。
使徒職にたずさわっている人びとの精神が、こんなに嘆かわしい状態であればこそ、当世のカトリック系の学校や病院、養護施設や教会が、どんなにりっぱな建物で、またどんなに評判がよくても、これと正反対に、苦業や祈りによる内面的に深みのある信心生活が、ますます閑却され、ますます衰退していく一方であるゆえんが、よくわかるのである。
当世の人びとは、人目にかくれ、ただ天主だけがごらんになる、秘めたる犠牲や苦業の価値を、もはや信じなくなってきた。だから、修道院の奥ふかく、弧寂の独房にひきこもって、かくれた犠牲と祈りに身をゆだねる観想修道者を、やれ怠け者だ、やれ空想家だ、といって盛んにけなす。
だが、この人たちこそは、どんなに熱心で、どんなにいそがしく走りまわっている宣教師たちよりも、はるかに多く、救霊の熱情をもっているのだ。はるかに多く、霊魂を救ってもいるのだ。こういう人たちをけなすだけでも、すでに大きな過ちなのに、かれらはなおも腹の虫がおさまらぬとみえて、こんどは活動に従事する人びとの信心行為をやりだまにあげる。この人たちが、そのいたって大切な、いたって繁忙な仕事の真ッ最中に、わずかな時間をさいて、聖堂に走る。聖櫃のそばで、自分たちの冷えかかった奮発心を、再び暖めていただく。浮き世のちりでよごれた自分たちの意向を、再びきよらかにしていただく。自分たちの仕事に、りっぱな実りを与えてくださるようにと、ご聖体のイエズスにお願いする。そうでもしなければ、とうていやっていけない、と心からさとっている。――こういうけなげな活動家を、かれらはまた、盛んにくさすのである。
愛する兄弟姉妹の皆様、
ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat 第一 その四、内的生活が、どれほど知られていないか をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。
L'Ame de Tout Apostolat par Dom Jean-Baptiste Chautard
四、内的生活が、どれほど知られていないか
大聖グレゴリオ教皇は、人も知るごとく、すぐれた教会統治者であり、熱烈な使徒、偉大な観想家だが、聖ベネディクトの内的生活を一言で集約して、Secum vivebat「かれは、自分自身とともに生きていた」といっている。
聖ベネディクトは、スビヤコの修道院で、かれの有名な『聖戒律』の土台をきずいたが、この聖戒律こそは、天主がこの世でお使いになった、使徒職の最も強力な道具の一つである。
現代において、使徒職にたずさわっている人びとの大部分にかんして、「かれらは自分自身とともに生きている」と言い切れないのは、まことに残念である。聖ベネディクトは、自分自身とともに生きていた。
現代の人々はこれと全く反対の生き方をしていると言わねばならない。
自分自身とともに自分において生きる、自分自身を統治する、外部からのことによって支配されるがままにしない、想像を抑制し、あまりに敏感で傷つきやすいことや知性と記憶さえをも意志の忠実な下僕の地位に戻す、人々がますます受け入れないプログラムを受け入れる。この落ち着きのない時代には一つの新しい理想が生まれた。それは「活動ための活動への愛」である。
じっさい、感覚にうずもれて生活することを、余儀なくされている現代人にとって、内的生活の修業は、そうとうつらい。つらいから、これをふりすてるために、いろんな口実を、まことしやかに、ならべたてる。
――勤め先の仕事が、あんまりいそがしいので、内的生活なんかやっているひまがない。自分は、家族のことを、心配しなければならぬ。制欲や苦業をすれば、からだをこわす。せっかくの養生が無駄になる。信心を鼻にかける、といって人に笑われる。自分の名声が台なしになる。愛国心がうすらぐ。自分が加入している何々会の顔にかかる。信心家は、天主のいっそう大いなる光栄のために、と口先ではりっぱなことをいっておるが、そのじつ、自分自身の光栄をさがしている。――
このような申しわけが、次から次へと出てきて、自分自身の内部に沈静して生きる内的生活を、不可能にしている。
いっそうなげかわしいことは、自分自身から完全に脱けでた浮世の生活 ―― 一種の精神錯乱ともいうべきこの空虚な生活にたいして、われわれは抵抗できないほど強烈な魅惑を感じていることだ。内的生活が、人びとに知られず、なおざりにされているゆえんが、よくわかろうというもの。
内的生活の価値は、人びとに知られていない。いや、知られていないというだけでは、なんとなくいい足りないのだ。内的生活は、軽べつされている。しばしば、物笑いのタネとなっている。わけても、内的生活の価値を、だれよりも高く評価し、その必要を、だれよりも痛切に感じていなければならぬはずの人びと――司祭、修道者からさえも……。
われわれは、このなげかわしい事態に直面して、いまさらながら、レオ十三世教皇が、北米合衆国のバルチモアのギボンス枢機卿におくられた、あの有名な書簡のおしえを想起する必要がある。そこには、事業一点ばりの使徒職が、いかに危険な結果を招致するかが示されてい、したがって事業や活動だけを礼賛して、内的生活をなおざりにする人びとに、痛烈な一撃が加えられている。
内的生活は、前にも一言したように、かなりつらい修業である。つらいから、その労苦をさけるために、聖職者までが、「イエズスとともに、イエズスにおいて、イエズスによって」いとなまれる、この超自然的生活の優越性を、いっこうにさとらなくなってきた。救世事業の天主的計画においては、いっさいが、ペトロの岩(教会統治権)よりむしろ、聖体を中心とする内的生活に、土台がすえらえ、重点がおかれていることを、かれらは忘れてしまった。使徒的事業をいとなむにあたり、“本質的”なものをあとまわしにして、第二義的なものを第一位におく――こういう人たちは、しらずしらずのうちに、アメリカニズムという流線形霊生の味方となって働いているようなものだ。
かれらにとって、聖堂はまだ、プロテスタントの会堂のようには、淋しくなっていない。聖櫃もまだ、からにはなっていない。だが、かれらにいわせると、聖体を中心とする内的生活は、こんにちの文化生活には合わないのだそうだ。それはまた、文化生活の要求も満たしてもくれない、したがって、聖体の信心から必然的にでてくる内的生活は、すでに過去のもの、中世紀の残骸(ざんがい)だそうだ。
このような考えにとらわれている人たち――しかも、かれらの数はひじょうに多い――にとって、聖体拝領は、本来の意味をうしなった。初代協会の熱烈な信者たちがいだいていた、聖体拝領のほんとうの意味は、もはやかれらのうちに見いだせない。かれらは、聖体がなんであるかぐらいは、知っている。そこに、キリストが臨在することは、読んで知っている。だが、聖体こそは、自分たちの霊魂にとっても、自分たちの使徒的事業にとっても、絶対に欠くことのできない生命源である、ということを、すこしも理解していない。だからして、聖体のイエズスと「顔と顔をつきあわせて」語りあう、いたって親密な内心の一致も、ほとんどできないところから、内的生命は中世紀の残骸にすぎない、と信じこむようになったのだ。なにも驚くには当らぬ。
じじつ、かれらはよく大げさな言葉を連発して、自分たちのした使徒的事業の手柄ばなしをする。そばできいていると、じつにコッケイだ。――天地万物を、ただの一言で、お作りになった天主が、そして広大無辺の宇宙も、みまえにあっては、ただひとかたまりのちり、ただの虚無にすぎない、それほど偉大な天主が、自分らの手をかりないでは、なにもおできにならない、かのような話ぶりである。
あなたは、これを他人事のようにおもってはならない。いかに多くの熱心な信者たちが、いや、司祭、修道者たちまでが、使徒的事業を、過大に評価・礼賛するのあまり、しらずしらずのうちに、このような考えを、一種の永遠不易なドグマ(信条)でもあるかのように信じこんでいることか。そして、このまちがった信念から、かれらの態度や行動をふきこまれた結果は、とうとう自分自身から脱けでた空虚な生活に、おのれを際限なくゆだねてしまっていることか。――教会も、教区も、小教区も、修道会も、事業も、みんな、この“私”を必要としている。私がいなければ始まらぬのだ。……天主にとって、私はためになる存在、いや、なくてはならぬ存在なのだ!
なるほど、口にだしては、そういわないだろう。だが、この愚かな考えは、かれらの心の奥ふかく、どこかに潜伏しており、そこから、ウヌぼれはますます強くなり、反対に、信仰はますます弱くなっていく。
神経衰弱にかかれば、頭を使う仕事は、いっさい禁物である。しかも長い間、そのままでいなければならぬ。そのわけは、この病気の特徴が、病人を、ちょうど熱に浮かされたような興奮の谷底へ投げこみ、この異常状態が、いわば第二の天性となり、たえまなく病人をしげきして、さらに新しいエネルギーの発散へ、さらに強い興奮の獲得へと、しゃにむに追いまくり、その結果、前よりもいっそう病勢をつのらせるからである。
これと同じような現象が、事業一点ばりの人びとのあいだに、見受けられる。
内的生活こそは、いらだったかれらの神経にとって、唯一の鎮静剤であるのに、かれらはこれを不愉快に思うのみか、なおそのうえ、これにたいしてはげしい嫌気さえ感じている。あきれた話だ。内的生活を、まじめに実行してこそ、かれらの霊魂の神経衰弱は、いやされるのではないか。
そればかりではない。かれらは事業を、どんどん、ふやしていく。血気にはやって、向こう見ずの冒険をやる。ますます事業に熱中する。いそがしい業務に、おしつぶされる。――こうなったら最後、どんな療治でも、テンでききめがない。自分からそれをいやがって、受けつけないのだから。
大海原を、全速力で航行している、一隻の汽船がここにある。船長は、速力のすばらしいのを、たいそう自慢している。だが、舵取りが、ぼんくらだ。めくら滅法に、船をあやつっている。いつなんどき、なにかにぶつかって、海底のもくずと消えないとも限らぬ。それを知っているのは、ただ天主だけだ。
「霊とまことをもって、天主を礼拝する」――この一事をこそ、キリストはいっさいに先だって、人びとに要求されるのだ。
アメリカ主義の信奉者たちは、ただ自分らがやってのけた外的事業だけを数え立てて、自分たちこそは、天主に大いなる光栄を帰したのだ、と盛んに自慢している。
使徒職にたずさわっている人びとの精神が、こんなに嘆かわしい状態であればこそ、当世のカトリック系の学校や病院、養護施設や教会が、どんなにりっぱな建物で、またどんなに評判がよくても、これと正反対に、苦業や祈りによる内面的に深みのある信心生活が、ますます閑却され、ますます衰退していく一方であるゆえんが、よくわかるのである。
当世の人びとは、人目にかくれ、ただ天主だけがごらんになる、秘めたる犠牲や苦業の価値を、もはや信じなくなってきた。だから、修道院の奥ふかく、弧寂の独房にひきこもって、かくれた犠牲と祈りに身をゆだねる観想修道者を、やれ怠け者だ、やれ空想家だ、といって盛んにけなす。
だが、この人たちこそは、どんなに熱心で、どんなにいそがしく走りまわっている宣教師たちよりも、はるかに多く、救霊の熱情をもっているのだ。はるかに多く、霊魂を救ってもいるのだ。こういう人たちをけなすだけでも、すでに大きな過ちなのに、かれらはなおも腹の虫がおさまらぬとみえて、こんどは活動に従事する人びとの信心行為をやりだまにあげる。この人たちが、そのいたって大切な、いたって繁忙な仕事の真ッ最中に、わずかな時間をさいて、聖堂に走る。聖櫃のそばで、自分たちの冷えかかった奮発心を、再び暖めていただく。浮き世のちりでよごれた自分たちの意向を、再びきよらかにしていただく。自分たちの仕事に、りっぱな実りを与えてくださるようにと、ご聖体のイエズスにお願いする。そうでもしなければ、とうていやっていけない、と心からさとっている。――こういうけなげな活動家を、かれらはまた、盛んにくさすのである。