2017年9月29日(金)大天使聖ミカエルのミサ
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年9月29日、大天使聖ミカエルの大祝日を祝っています。
特に大天使聖ミカエルは聖フランシスコ・ザヴェリオによって日本の守護の天使として定められました。ですから大天使聖ミカエルは日本にとって、とても大切な天使です。
私たちは今日この祝日を、特別な敬虔の念を以て捧げたいと思っています。
そこでこの大天使聖ミカエルの祝日、また初金曜日に私たちが聖時間をする事ができないので、今日は特別にミサの後に、初金曜日ではないのですけれども、短い御聖体降福式を捧げます。
今日は大天使聖ミカエルの大祝日にあたって、3つの点を簡単に黙想する事を提案します。
1つは、大天使聖ミカエルとは一体そのどういう御方なのか、皆さんぜひ知って下さい。
そして、大天使聖ミカエルは私たちに一体何を教えているのでしょうか?まずその名前が、また大天使聖ミカエルはつい最近、100年前ファチマで子供たちに私たちに、何をしなければならないかという事を教えてくれました。
最後にその教えてくれた事を、私たちは遷善の決心として立てる事に致しましょう。
大天使聖ミカエルという方は一体どんな方なのでしょうか?
皆さんよくご存知の通り、大天使聖ミカエルは目に見えない純粋の霊であり、被造物であって、聖書においては「天使」といわれている特別の被造物に属しています。この天使は詳しく言うと、聖パウロと旧約聖書によれば、9つの階級があります。
大天使聖ミカエルはある日、創造を受けました、他の天使たちと共に創造されました。これはどういう事かというと、人間やこの目に見える動植物や、この目に見える三次元の大宇宙の世界と全く異なり、私たちが一般に、聖書で一般に「天使」と言われている純粋の霊は、物体も肉体も持たない存在です。それなので天主様から直接に創造されます。
また動物や人間のように感覚、目で見たり、耳で聞いたり、手で触ったりする事なく、天使たちは全て直接に、生まれながら知識を持って生まれてきました。人間よりも更に優れた知性を持っています。
天使たちの意思は人間よりもはるかに強く、もしも天使が「これだ!」と決めれば、もうその意志は固く、何も誰もそれを覆す事ができません。
天使の力は私たちりもはるかに超えて、移動する事もその力も、人間の想像を全く超える大きなものになっています。
天使たちは、天主の御旨を果たす為に創られました。天主と天使の違いは何かというと、ただ天使には始まりがあり、天主様には永遠の、始まりもなく、永遠の昔から永遠の未来まで無限にいつも常に存在してるのですけれども、天使は被造物であるが故に、限界があり、限りがあり、始めがあって、終わりがない存在です。もちろん天使はその事をよく知っていて、その永遠の威光の天主の御稜威の前に、いつも讃美と感謝と礼拝を捧げています。
天使たちの数は人間の、私たちがアダムとエヴァとその中の人間の最後の数をはるかに超えるほどいます。人間の数の何十倍何百倍かは私たちはその数を言う事はできませんが、それをはるかに超えるほどの数があります。
そして天使の一位一位は、天使の存在1つ1つは全て、全く異なった存在なのです。これはどのような事になっているかというと、例えば人間は同じ、何億の人間がいたとしても1つの種として、「人間」という種の中に1つです。人間と、犬とか、猫とか、猿とか、ロバとか、馬とかは別の種で、1つ1つが違いますが、天使たちは一位一位が、馬と、猫と、猿と、鳩が違うほど、種が違っています。
天主の全能は、その天使たちの一位一位をそれぞれ別の全く違う種として創るほどの無限の存在ですから、そのようなバラエティーに富んだ色々な種類の種の天使たちを創る事ができました。
その9つの階級に従って天主を愛しているのですけれども、ある日その天使の一部が反乱を起こしました、「天主の御旨には従わない、私は従わない!“Non serviam!”」
その反乱の時に、9つの下から2番目だった階級の大天使聖ミカエルは、「誰が一体、天主と等しいものがあるだろうか!」
私たちは天主から創られた身である。私たちは天主に従わなければならない。一体どのような事があっても、天主の御旨に従わなければならない。私たちは従う、反乱しない。どのような屈辱があったとしても、どのような辛い事があろうと、どのような何があろうと、私たちは従う。天主こそ私たちの主である。「誰が天主に等しいだろうか!」
大天使聖ミカエルは、その反乱軍の天使たちに対して他の天使たちと共に戦って、遂に彼らを地獄に突き落とすのです。そこで大天使聖ミカエルは、その天主への忠実の為に、反乱軍に代わる天使の長となりました。
ではこの大天使聖ミカエルは私たちに、何を教えているでしょうか?
「謙遜」を教えています、「一体誰が、天主に如(し)く者があるだろうか。」その名前の通りです。大天使聖ミカエルはファチマにおいて100年前に、3回子供たちに現われました。その時に大天使聖ミカエルが言った事をぜひ私たちも考察致しましょう。
まず大天使聖ミカエルは、第1の現われた時に、「私はポルトガルの平和の天使である。守護の天使である」と言って、そしてこの祈りをしました、「我が天主よ、」大天使聖ミカエルにとって、その自分の、あるいは最も被造物にとって大切なのは、この一語に尽きます、「我が天主よ。」
ファチマのメッセージはここから始まらなければなりませんでした。そして私たちの人生も、私たちにとって最も中心になる考えも、ここから始まらなければなりません。「我が天主よ、」謙遜とは何かというと、まさにここにあります。私たちが被造物であるという事を認めて、天主が在すという事を認識する事です。「我が天主よ、」大天使聖ミカエルは子供たちに、自分の態度をもって教えました。
子供たちによるとシスタールチアによると、「15、6歳の若い、とても美しい青年でした。体はクリスタルのように透き通っていて、太陽の光が通ると非常に輝く、美しく輝いていました。そしてそれと同時に、畏怖の念を起こさせるもので、力強さと、その尊厳と威厳に満ちていました。」
皆さんも、大自然のものすごい山の頂きの中から上から崖を見たり、あるいはきれいに咲く花々を見たり、あるいは恐ろしい雷や大地震や、大自然の力を目の当たりにした時に、その自然界の恐ろしいその力に、偉大な力の前に、畏怖の念を感じるかもしれませんが、子供たちも大天使聖ミカエルを見て非常に、その力強さに畏怖を感じました、恐れおののきました。
その大天使聖ミカエルは自分の体を屈めて、膝を屈めて額突いて、額を地面に付けて、「我が天主よ、我信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る」と子供たちに教えました。「さぁ、このように祈れ。」
私たちはまさに謙遜でなければなりければなりません。聖フランシスコ・ザヴェリオがなぜ日本の守護の天使に大天使聖ミカエルを選んだかというと、「日本は謙遜でなければならないから」と言っています。まさに私たちも、真の天主を信じ、礼拝し、希望し、愛さなければなりません。
「信ずる」という事は、「天主が仰った事は確かに正しい」という事です。科学者が何を言おうと、あるいはどこかの大学の先生が何を言おうと、あるいは何とか新聞が何とか言おうと、ツイッターが何を言おうと、イギリスのエコノミストが雑誌が何を言おうと、「天主がこう仰ったという事は、絶対の真理だ」と信じる事です。天主は真理そのものにて在して、自分が間違える事も、私たちも騙す事もない。その権威がゆえに、そのそれに私たちの知性を従えさせる事です。
「礼拝する」という事は、私たちが天主から創られたという事で、「天主が創造主である」という事を認識する事です、「全て天主のもとに私たちを従わせる」事です。それが礼拝という事です。その事はもちろん態度で、跪いたり、額突いたり、あるいは香を焚いたり、あるいはいけにえを捧げたりする事で表明できます。また私たちの意思を全く主の意思に従わせる事によって、礼拝を示す事ができます。
「主を希望する」という事は、「主は私たちの善を願っている」という事を認めて、「主は決して私たちに約束を違える事がない。私たちに必ず永遠の命と、それに必要な全ての手段を、助けを下さる、約束を守られる」という事を希望する事です。それを信頼する事です。
「主を愛する」という事は、「主がこの地上の全ての目に見える善に勝って、全てのありとあらゆる有限の存在それらに勝って、この森羅万象の全てのものに勝って、全てに超えて、全てに超える善である」という事を認めて、私たちはそれを愛する事です。それを望んで、それだけを、それをも自分自身よりも更にそれを求めて愛する事です。そして遂にそれを永遠に享受するという事です、楽しむという事です。
ここにこそ私たちの本当の創造の目的があって、ここにこそ本当の幸せがあって、ここにこそ本当の私たちの憩いがあります。それを大天使聖ミカエルは私たちに教えようとしています。
しかし残念ながら、残念ながら世界の人々は、特に日本では、この本当の幸せを、本当の真理を信じる人も、礼拝する人も、希望する人も、愛する人もほとんどいません。主が私たちを、特に日本の国の人々をこれほど愛しておられるにもかかわらず、それは無関心と、あるいは無知の為に、冒瀆やあるいは侮辱によって、その主の愛は返されています。
そこで大天使聖ミカエルは私たちに、彼らに代わって赦しを願うように、「信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々に代わって、御赦しを乞い願い奉る」と祈るように教えています。また「恐ろしくも冒瀆されている、屈辱を受けている、犯されているイエズス・キリストをお慰めする為に、私たちが愛をこめて、償いの為に聖体拝領をするように」と子供たちに教えました。聖母の汚れなき御心の教会の中に招かれている私たちは、その真理を知っています。そして私たちは、大天使聖ミカエルが何を求めているかを知っています。
ですから今日、遷善の決心を立てましょう。
ぜひ大天使聖ミカエルの名前の通りに、私たちもこの雄叫びを心に響かす事ができますように、「誰が一体、天主に等しい者があるだろうか!」私は一体誰か?被造物であり、罪人であり、贖いを、赦された、贖いの恵みを受けた者である。大天使聖ミカエル、我らの為に祈り給え。私たちの為に取り次いで下さい。私たちがいつも主の御旨だけを果たす事ができますように、もしも主の御旨に背くような事が、私の心がそれに逆らうように誘われても、「一体誰が天主に等しい者があるだろうか!いや、私は主に従わなければならない。イエズス・キリストの望みを果たさなければならない!」と聖ミカエルに付いて行く事ができますように、そして大天使聖ミカエルのように、どのような誘惑があっても、「いや、No!私は従う!」と言う事ができますように、主に背く全てのものを排除するできますように、大天使聖ミカエルの御旗の元に従う事ができますように、付いて行く事ができますように、それを求めましょう。
そして大天使聖ミカエルが教えて下さった祈りを私たちがいつも唱えますように、心の中で、「あぁ我が天主よ、我信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る」といつも祈り続けている事ができますように、何をしている時もこの祈りを射祷で唱える事ができますように、そしてミサの時には、あるいは霊的な聖体拝領としてイエズス様を、恐ろしくも侮辱されているイエズス様をお慰めする、償いの聖体拝領ができますように、特にマリア様の汚れなき御心を通して、その聖体拝領をする事ができますように、特別のお恵みを乞い求めましょう。
「大天使聖ミカエル、我らの為に祈り給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年9月29日、大天使聖ミカエルの大祝日を祝っています。
特に大天使聖ミカエルは聖フランシスコ・ザヴェリオによって日本の守護の天使として定められました。ですから大天使聖ミカエルは日本にとって、とても大切な天使です。
私たちは今日この祝日を、特別な敬虔の念を以て捧げたいと思っています。
そこでこの大天使聖ミカエルの祝日、また初金曜日に私たちが聖時間をする事ができないので、今日は特別にミサの後に、初金曜日ではないのですけれども、短い御聖体降福式を捧げます。
今日は大天使聖ミカエルの大祝日にあたって、3つの点を簡単に黙想する事を提案します。
1つは、大天使聖ミカエルとは一体そのどういう御方なのか、皆さんぜひ知って下さい。
そして、大天使聖ミカエルは私たちに一体何を教えているのでしょうか?まずその名前が、また大天使聖ミカエルはつい最近、100年前ファチマで子供たちに私たちに、何をしなければならないかという事を教えてくれました。
最後にその教えてくれた事を、私たちは遷善の決心として立てる事に致しましょう。
大天使聖ミカエルという方は一体どんな方なのでしょうか?
皆さんよくご存知の通り、大天使聖ミカエルは目に見えない純粋の霊であり、被造物であって、聖書においては「天使」といわれている特別の被造物に属しています。この天使は詳しく言うと、聖パウロと旧約聖書によれば、9つの階級があります。
大天使聖ミカエルはある日、創造を受けました、他の天使たちと共に創造されました。これはどういう事かというと、人間やこの目に見える動植物や、この目に見える三次元の大宇宙の世界と全く異なり、私たちが一般に、聖書で一般に「天使」と言われている純粋の霊は、物体も肉体も持たない存在です。それなので天主様から直接に創造されます。
また動物や人間のように感覚、目で見たり、耳で聞いたり、手で触ったりする事なく、天使たちは全て直接に、生まれながら知識を持って生まれてきました。人間よりも更に優れた知性を持っています。
天使たちの意思は人間よりもはるかに強く、もしも天使が「これだ!」と決めれば、もうその意志は固く、何も誰もそれを覆す事ができません。
天使の力は私たちりもはるかに超えて、移動する事もその力も、人間の想像を全く超える大きなものになっています。
天使たちは、天主の御旨を果たす為に創られました。天主と天使の違いは何かというと、ただ天使には始まりがあり、天主様には永遠の、始まりもなく、永遠の昔から永遠の未来まで無限にいつも常に存在してるのですけれども、天使は被造物であるが故に、限界があり、限りがあり、始めがあって、終わりがない存在です。もちろん天使はその事をよく知っていて、その永遠の威光の天主の御稜威の前に、いつも讃美と感謝と礼拝を捧げています。
天使たちの数は人間の、私たちがアダムとエヴァとその中の人間の最後の数をはるかに超えるほどいます。人間の数の何十倍何百倍かは私たちはその数を言う事はできませんが、それをはるかに超えるほどの数があります。
そして天使の一位一位は、天使の存在1つ1つは全て、全く異なった存在なのです。これはどのような事になっているかというと、例えば人間は同じ、何億の人間がいたとしても1つの種として、「人間」という種の中に1つです。人間と、犬とか、猫とか、猿とか、ロバとか、馬とかは別の種で、1つ1つが違いますが、天使たちは一位一位が、馬と、猫と、猿と、鳩が違うほど、種が違っています。
天主の全能は、その天使たちの一位一位をそれぞれ別の全く違う種として創るほどの無限の存在ですから、そのようなバラエティーに富んだ色々な種類の種の天使たちを創る事ができました。
その9つの階級に従って天主を愛しているのですけれども、ある日その天使の一部が反乱を起こしました、「天主の御旨には従わない、私は従わない!“Non serviam!”」
その反乱の時に、9つの下から2番目だった階級の大天使聖ミカエルは、「誰が一体、天主と等しいものがあるだろうか!」
私たちは天主から創られた身である。私たちは天主に従わなければならない。一体どのような事があっても、天主の御旨に従わなければならない。私たちは従う、反乱しない。どのような屈辱があったとしても、どのような辛い事があろうと、どのような何があろうと、私たちは従う。天主こそ私たちの主である。「誰が天主に等しいだろうか!」
大天使聖ミカエルは、その反乱軍の天使たちに対して他の天使たちと共に戦って、遂に彼らを地獄に突き落とすのです。そこで大天使聖ミカエルは、その天主への忠実の為に、反乱軍に代わる天使の長となりました。
ではこの大天使聖ミカエルは私たちに、何を教えているでしょうか?
「謙遜」を教えています、「一体誰が、天主に如(し)く者があるだろうか。」その名前の通りです。大天使聖ミカエルはファチマにおいて100年前に、3回子供たちに現われました。その時に大天使聖ミカエルが言った事をぜひ私たちも考察致しましょう。
まず大天使聖ミカエルは、第1の現われた時に、「私はポルトガルの平和の天使である。守護の天使である」と言って、そしてこの祈りをしました、「我が天主よ、」大天使聖ミカエルにとって、その自分の、あるいは最も被造物にとって大切なのは、この一語に尽きます、「我が天主よ。」
ファチマのメッセージはここから始まらなければなりませんでした。そして私たちの人生も、私たちにとって最も中心になる考えも、ここから始まらなければなりません。「我が天主よ、」謙遜とは何かというと、まさにここにあります。私たちが被造物であるという事を認めて、天主が在すという事を認識する事です。「我が天主よ、」大天使聖ミカエルは子供たちに、自分の態度をもって教えました。
子供たちによるとシスタールチアによると、「15、6歳の若い、とても美しい青年でした。体はクリスタルのように透き通っていて、太陽の光が通ると非常に輝く、美しく輝いていました。そしてそれと同時に、畏怖の念を起こさせるもので、力強さと、その尊厳と威厳に満ちていました。」
皆さんも、大自然のものすごい山の頂きの中から上から崖を見たり、あるいはきれいに咲く花々を見たり、あるいは恐ろしい雷や大地震や、大自然の力を目の当たりにした時に、その自然界の恐ろしいその力に、偉大な力の前に、畏怖の念を感じるかもしれませんが、子供たちも大天使聖ミカエルを見て非常に、その力強さに畏怖を感じました、恐れおののきました。
その大天使聖ミカエルは自分の体を屈めて、膝を屈めて額突いて、額を地面に付けて、「我が天主よ、我信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る」と子供たちに教えました。「さぁ、このように祈れ。」
私たちはまさに謙遜でなければなりければなりません。聖フランシスコ・ザヴェリオがなぜ日本の守護の天使に大天使聖ミカエルを選んだかというと、「日本は謙遜でなければならないから」と言っています。まさに私たちも、真の天主を信じ、礼拝し、希望し、愛さなければなりません。
「信ずる」という事は、「天主が仰った事は確かに正しい」という事です。科学者が何を言おうと、あるいはどこかの大学の先生が何を言おうと、あるいは何とか新聞が何とか言おうと、ツイッターが何を言おうと、イギリスのエコノミストが雑誌が何を言おうと、「天主がこう仰ったという事は、絶対の真理だ」と信じる事です。天主は真理そのものにて在して、自分が間違える事も、私たちも騙す事もない。その権威がゆえに、そのそれに私たちの知性を従えさせる事です。
「礼拝する」という事は、私たちが天主から創られたという事で、「天主が創造主である」という事を認識する事です、「全て天主のもとに私たちを従わせる」事です。それが礼拝という事です。その事はもちろん態度で、跪いたり、額突いたり、あるいは香を焚いたり、あるいはいけにえを捧げたりする事で表明できます。また私たちの意思を全く主の意思に従わせる事によって、礼拝を示す事ができます。
「主を希望する」という事は、「主は私たちの善を願っている」という事を認めて、「主は決して私たちに約束を違える事がない。私たちに必ず永遠の命と、それに必要な全ての手段を、助けを下さる、約束を守られる」という事を希望する事です。それを信頼する事です。
「主を愛する」という事は、「主がこの地上の全ての目に見える善に勝って、全てのありとあらゆる有限の存在それらに勝って、この森羅万象の全てのものに勝って、全てに超えて、全てに超える善である」という事を認めて、私たちはそれを愛する事です。それを望んで、それだけを、それをも自分自身よりも更にそれを求めて愛する事です。そして遂にそれを永遠に享受するという事です、楽しむという事です。
ここにこそ私たちの本当の創造の目的があって、ここにこそ本当の幸せがあって、ここにこそ本当の私たちの憩いがあります。それを大天使聖ミカエルは私たちに教えようとしています。
しかし残念ながら、残念ながら世界の人々は、特に日本では、この本当の幸せを、本当の真理を信じる人も、礼拝する人も、希望する人も、愛する人もほとんどいません。主が私たちを、特に日本の国の人々をこれほど愛しておられるにもかかわらず、それは無関心と、あるいは無知の為に、冒瀆やあるいは侮辱によって、その主の愛は返されています。
そこで大天使聖ミカエルは私たちに、彼らに代わって赦しを願うように、「信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々に代わって、御赦しを乞い願い奉る」と祈るように教えています。また「恐ろしくも冒瀆されている、屈辱を受けている、犯されているイエズス・キリストをお慰めする為に、私たちが愛をこめて、償いの為に聖体拝領をするように」と子供たちに教えました。聖母の汚れなき御心の教会の中に招かれている私たちは、その真理を知っています。そして私たちは、大天使聖ミカエルが何を求めているかを知っています。
ですから今日、遷善の決心を立てましょう。
ぜひ大天使聖ミカエルの名前の通りに、私たちもこの雄叫びを心に響かす事ができますように、「誰が一体、天主に等しい者があるだろうか!」私は一体誰か?被造物であり、罪人であり、贖いを、赦された、贖いの恵みを受けた者である。大天使聖ミカエル、我らの為に祈り給え。私たちの為に取り次いで下さい。私たちがいつも主の御旨だけを果たす事ができますように、もしも主の御旨に背くような事が、私の心がそれに逆らうように誘われても、「一体誰が天主に等しい者があるだろうか!いや、私は主に従わなければならない。イエズス・キリストの望みを果たさなければならない!」と聖ミカエルに付いて行く事ができますように、そして大天使聖ミカエルのように、どのような誘惑があっても、「いや、No!私は従う!」と言う事ができますように、主に背く全てのものを排除するできますように、大天使聖ミカエルの御旗の元に従う事ができますように、付いて行く事ができますように、それを求めましょう。
そして大天使聖ミカエルが教えて下さった祈りを私たちがいつも唱えますように、心の中で、「あぁ我が天主よ、我信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る」といつも祈り続けている事ができますように、何をしている時もこの祈りを射祷で唱える事ができますように、そしてミサの時には、あるいは霊的な聖体拝領としてイエズス様を、恐ろしくも侮辱されているイエズス様をお慰めする、償いの聖体拝領ができますように、特にマリア様の汚れなき御心を通して、その聖体拝領をする事ができますように、特別のお恵みを乞い求めましょう。
「大天使聖ミカエル、我らの為に祈り給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。