アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
十字架の道行きの十四留の中にはありませんが、ロザリオの苦しみの玄義 第三玄義、イエズス・キリスト、茨の冠を被らせたもうを黙想をすることを提案します。
特に、茨の冠は、上からの正式な命令なしに、部下らが勝手に課した拷問でした。(マテオ27:27−30)
天主の計画としては、ユダヤ人たちがイエズスをキリストであり自分たちの王であると宣言することでした。ユダヤ教の存在の目的がまさに真のメシアを宣言することでした。しかしユダヤ人たちはこれに値しませんでした。
しかし真のメシアの王国はこの世からのものではありませんが、イエズス・キリストには真の天主として、王として、最高の司祭として、戴冠式が行われるべきでした。
イエズス・キリストは、大司祭カイファの前で天主の聖子であることを宣誓しました。真の天主は戴冠されるべきでした。また、ピラトの前で自分が王であると宣言しました。王である主の頭には王冠があるべきでした。旧約の大司祭はいけにえを捧げるときに三重冠(ティアラ)を頭に戴きます。十字架上で新約のいけにえを捧げる大司祭イエズス・キリストも王冠を戴かなければなりませんでした。主は言います。「私はこの世に勝った」と(ヨハネ16:33)。凱旋将軍であるイエズス・キリストは王冠を被る権利がありました。ユダヤ人の習慣では花婿は婚姻の式である種の冠を被りました。イエズス・キリストは、真のソロモンとして、自分の聖なる血で、自分の花嫁である教会をあがない、清め、霊的な婚姻のちぎりを結びます。
私たちの主イエズス・キリストは、もっとも純粋な黄金と銀とで出来た、高価な真珠と美しい宝石とダイアモンドとがちりばめられた王冠を被るべきでした。しかし、罪を犯したアダムとエワとのためにこの地が受けた「茨とあざみが生え出る」呪いを取り除くために、この真の王かつ救い主は、この呪いの印を持つことを天主は計画されました。
アブラハムによって屠られるべきだったイサアクの代わりのいけにえは、その角が茨に刺さって動きが取れなくなっていた雄羊でした。あたかもこの雄羊は、頭に茨の冠を被って、もがいているかのようでした。
ローマ軍人たちは、イエズス・キリストに対してあざ笑いながらこう言ったことでしょう。「頭をまっすぐにして動くな、おまえが長い間待ち望んだものを与えよう」と。確かにイエズス・キリストは、この茨の冠をかぶせられる時を待ち焦がれていました。人類が頭で犯す罪を償うことができるために、この時を待っていました。傲慢の罪、虚栄の罪、愛徳に反する考え、世俗的な考え、不潔な不純な考えや想像の罪を償うために。
もしも頭が苦しむのなら、体全体も苦しみます。もしもキリストの神秘体のかしらであるイエズス・キリストが苦しむのにもかかわらず、苦しむことを拒むのなら、快楽の生活と、罪の喜びを望むのなら、頭と一致していることはできません。
ローマ軍人は、私たちの主イエズス・キリストに茨の冠を押し被らせます。あざけりと軽蔑を込めて。茨はイエズス・キリストの頭に突き刺さり、血潮は流れ、顔は赤の血に染まります。聖伝によると茨は私たちの主の目にも刺さったと言われています。イエズス・キリストは全てを私たちの罪の償いのために堪え忍んでいます。
Popule meus, quid feci tibi? Aut in quo contristavi te?
我が民よ、私がおまえにいったい何をしたのか? いったい何においておまえを悲しませたことがあるというのか?
Ego propter te Chananaeorum reges percussi: et tu percussisti arundine caput meum.
私は、おまえのためにカナアンの王たちを打ちやった。しかしおまえは私の頭を葦で打った。
Ego dedi tibi sceptrum regale: et tu dedisti capiti meo spineam coronam.
私はおまえに王の笏を与えた。しかしおまえは私の頭に茨の冠を与えた。
Responde mihi.
私に答えよ。
私たちは時に、間違いを犯して注意されることがあり、叱られることがあります。私たちは頻繁にその間違いを指摘されても、偽りの弁解や、言い訳をしたりするのではないでしょうか。アダムとエワも言い訳をしました。「私の責任ではなかった、エワのせいだ」「蛇のせいだ」と。私たちはどうでしょうか?「病気だったので」?「天気のせいだ」?
私たちは、人から悪口や侮辱を言われたりすることもあります。しかし私たちの主は、どれほどの侮辱を受けたことでしょうか。
主の茨の冠を黙想し、いつも心の平和を保ち、イエズス・キリストともに苦しみを捧げる恩寵を願い求めましょう。悲しみの聖母よ、我らのために祈り給え!
さて、すでに報告しましたが、11月10日の主日にはフィリピンの台風被災者のために22020円の特別献金が自発的に集まりました。12月には東京で JPY48,350 (approx. USD462)が集められました。感謝します。さらに、12月のボーナスミサの時に、大阪で5万円の特別献金が集まりました。
それ以外にも、フィリピン台風募金として、ある方が11月26日に1万円、11月29日には5万円、入金がございました。総計で日本からは、180370円が集まりました。
韓国からも、現金として172万ウォンと200米ドルが集まりました。
これらの合計をフィリピンのペソに換算した161,212ペソが、レイテ島の被災者の復旧作業をしているダニエルス神父様の元に届けられました。
天主様に感謝します!ありがとうございます。
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA
聖ピオ十世会日本は、毎年恒例の公式秋田巡礼を5月2日から6日まで行います。特に今年の巡礼に、多くの兄弟姉妹の皆様を巡礼にご招待いたします。
今年で8回目になる巡礼ですが、ご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。
愛する兄弟姉妹の皆様、
十字架の道行きの十四留の中にはありませんが、ロザリオの苦しみの玄義 第三玄義、イエズス・キリスト、茨の冠を被らせたもうを黙想をすることを提案します。
特に、茨の冠は、上からの正式な命令なしに、部下らが勝手に課した拷問でした。(マテオ27:27−30)
天主の計画としては、ユダヤ人たちがイエズスをキリストであり自分たちの王であると宣言することでした。ユダヤ教の存在の目的がまさに真のメシアを宣言することでした。しかしユダヤ人たちはこれに値しませんでした。
しかし真のメシアの王国はこの世からのものではありませんが、イエズス・キリストには真の天主として、王として、最高の司祭として、戴冠式が行われるべきでした。
イエズス・キリストは、大司祭カイファの前で天主の聖子であることを宣誓しました。真の天主は戴冠されるべきでした。また、ピラトの前で自分が王であると宣言しました。王である主の頭には王冠があるべきでした。旧約の大司祭はいけにえを捧げるときに三重冠(ティアラ)を頭に戴きます。十字架上で新約のいけにえを捧げる大司祭イエズス・キリストも王冠を戴かなければなりませんでした。主は言います。「私はこの世に勝った」と(ヨハネ16:33)。凱旋将軍であるイエズス・キリストは王冠を被る権利がありました。ユダヤ人の習慣では花婿は婚姻の式である種の冠を被りました。イエズス・キリストは、真のソロモンとして、自分の聖なる血で、自分の花嫁である教会をあがない、清め、霊的な婚姻のちぎりを結びます。
私たちの主イエズス・キリストは、もっとも純粋な黄金と銀とで出来た、高価な真珠と美しい宝石とダイアモンドとがちりばめられた王冠を被るべきでした。しかし、罪を犯したアダムとエワとのためにこの地が受けた「茨とあざみが生え出る」呪いを取り除くために、この真の王かつ救い主は、この呪いの印を持つことを天主は計画されました。
アブラハムによって屠られるべきだったイサアクの代わりのいけにえは、その角が茨に刺さって動きが取れなくなっていた雄羊でした。あたかもこの雄羊は、頭に茨の冠を被って、もがいているかのようでした。
ローマ軍人たちは、イエズス・キリストに対してあざ笑いながらこう言ったことでしょう。「頭をまっすぐにして動くな、おまえが長い間待ち望んだものを与えよう」と。確かにイエズス・キリストは、この茨の冠をかぶせられる時を待ち焦がれていました。人類が頭で犯す罪を償うことができるために、この時を待っていました。傲慢の罪、虚栄の罪、愛徳に反する考え、世俗的な考え、不潔な不純な考えや想像の罪を償うために。
もしも頭が苦しむのなら、体全体も苦しみます。もしもキリストの神秘体のかしらであるイエズス・キリストが苦しむのにもかかわらず、苦しむことを拒むのなら、快楽の生活と、罪の喜びを望むのなら、頭と一致していることはできません。
ローマ軍人は、私たちの主イエズス・キリストに茨の冠を押し被らせます。あざけりと軽蔑を込めて。茨はイエズス・キリストの頭に突き刺さり、血潮は流れ、顔は赤の血に染まります。聖伝によると茨は私たちの主の目にも刺さったと言われています。イエズス・キリストは全てを私たちの罪の償いのために堪え忍んでいます。
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我が民よ、私がおまえにいったい何をしたのか? いったい何においておまえを悲しませたことがあるというのか?
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私は、おまえのためにカナアンの王たちを打ちやった。しかしおまえは私の頭を葦で打った。
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私はおまえに王の笏を与えた。しかしおまえは私の頭に茨の冠を与えた。
Responde mihi.
私に答えよ。
私たちは時に、間違いを犯して注意されることがあり、叱られることがあります。私たちは頻繁にその間違いを指摘されても、偽りの弁解や、言い訳をしたりするのではないでしょうか。アダムとエワも言い訳をしました。「私の責任ではなかった、エワのせいだ」「蛇のせいだ」と。私たちはどうでしょうか?「病気だったので」?「天気のせいだ」?
私たちは、人から悪口や侮辱を言われたりすることもあります。しかし私たちの主は、どれほどの侮辱を受けたことでしょうか。
主の茨の冠を黙想し、いつも心の平和を保ち、イエズス・キリストともに苦しみを捧げる恩寵を願い求めましょう。悲しみの聖母よ、我らのために祈り給え!
さて、すでに報告しましたが、11月10日の主日にはフィリピンの台風被災者のために22020円の特別献金が自発的に集まりました。12月には東京で JPY48,350 (approx. USD462)が集められました。感謝します。さらに、12月のボーナスミサの時に、大阪で5万円の特別献金が集まりました。
それ以外にも、フィリピン台風募金として、ある方が11月26日に1万円、11月29日には5万円、入金がございました。総計で日本からは、180370円が集まりました。
韓国からも、現金として172万ウォンと200米ドルが集まりました。
これらの合計をフィリピンのペソに換算した161,212ペソが、レイテ島の被災者の復旧作業をしているダニエルス神父様の元に届けられました。
天主様に感謝します!ありがとうございます。
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