2017年11月18日(土)聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の奉献のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年11月18日、聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の献堂式の祝日を祝っています。今日このミサの後に、いつものように公教要理がありますが、今回は初土の信心をよく黙想する為に、特にロザリオの玄義をよく黙想する事ができるように、視覚教材を準備して、マリア様の御告げと御訪問の中世の絵画を見ながら、黙想の提案をしたいと思っています。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日入祭誦ではこう歌いました。
“Quam dilecta tabernacula tua, Domine virtutum! Concupiscit, et deficit anima mea in atria Domini.”
「主の幕屋は何と美しい事か。私の霊魂はそれを望み、それに待ち焦がれる。そしてそのあまりにも聖なる場所であるので、この場所はどれほど畏怖すべき所であるか。」
あるいは昇階誦では、「この場所は主によって作られたものであって、とても聖なる場所である」という言葉も歌いました。
そこで今日は、2つの聖なる大聖堂である聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂、このローマの2つの聖堂について少しその歴史を垣間見た後に、この2つの聖堂はどうしても、その本質を最も実現させた御方にどうしても辿り着かざるを得ません。それはもちろん、イエズス様をご自分の胎内に宿してそれを、そして一緒に御生活されたマリア様です。
そこで、この生ける幕屋であり生ける聖堂であるマリア様について少し黙想した後に、
その結果、私たちは来たる初土に向けてどのような遷善の決心を立てなければならないかを提案したいと思っています。
第1の点は、今日の祝日の2つの聖堂です。すでにこの献堂式については11世紀に記録が残っています。11月18日に聖ペトロ大聖堂、このバチカンの聖ペトロ大聖堂の献堂式を祝う。ところでこれはどのように始まったのかというと、元々カトリック教会は迫害の時代から始まりました。残念ながらネロ皇帝は、キリスト教徒を迫害し出しました。しかし300年の後、ローマ皇帝コンスタンティノ大帝は、そのお母様の影響もあり、洗礼の恵みを受けるようになりました。
そして洗礼を受けた8日の後に、その感謝を込めて、聖ぺトロが殉教したそのバチカンの丘に行きました。そして聖ペトロの御墓のもとに行って、そこに跪いて祈りをしました。次に、皇帝の被っていた王冠を地面に置いて、涙を流してその洗礼のお恵みを感謝しました。祈りにふけっていたと思うや、いきなり「この聖ペトロにこの回心のお恵みを感謝したい」との意を表して、「袋を持ってくるように、籠を持ってくるように」と命じ、12の籠を持たせて、そして土を12の籠にいっぱいにして、「ここの所に聖ペトロの大聖堂を建てるのだ」と命じました。そしてそのそこから聖ペトロ大聖堂の建築が始まりました。
教皇聖シルヴェストロの時代がこの時に、この聖堂の完成を見て、そしてこの聖堂を聖別して天主に奉献式を献堂式をしました。その時に、今まであった聖ペトロが使ったといわれる木造のテーブルを、これからは石の祭壇にして、そして「今後教会では、もはや迫害が終わったのであるから、石で祭壇を作らなければならない、キリストを意味する石で祭壇を作らなければならない」として、そしてこの11月18日、今日、献堂式を行いました。
すでにその前には、聖ヨハネラテラノ大聖堂の献堂式があったのですけれども、それと同じようにしました。
後に同じく聖シルヴェストロは、やはりコンスタンティノ皇帝によって命じられて建設されていた、聖パウロ大聖堂をも門外の大聖堂をも聖別しました、そして献堂式を捧げました。
その後1000年以上の年月が経つと、コンスタンティノ大帝が建てた大聖堂も傷み、小さくなり、そして新しく大聖堂を建設しなければなりませんでした。そこで今バチカンに建っている聖ペトロ大聖堂が最建築され、ウルバノ八世教皇様によって、1626年の今日、聖別式が行われました。ミケランジェロが設計して、そして特にミケランジェロによって彫られたピエタの、イエズス様を抱くマリア様の像が置かれました。教皇祭壇のあるその下には、聖ペトロの御墓があります。考古学上、確かに聖ぺトロの墓があった、という事が最近の発掘で分かっています。
聖パウロ大聖堂も建てられて1000年以上経ったのですけれども、残念ながら1823年に大火災によってほとんどが焼けてしまいました。そこでそれをもう一度、過去の栄光のように大きな聖堂を建て直して、31年後にピオ九世教皇様がその奉献をしました。11月18日今日奉献式をする事もできたのですけれども、特別にその年だけは、再献堂の時には、12月10日を選びました、1854年12月10日。そしてその献堂式をすると同時に、マリア様の無原罪の御宿りの宣言も、この同じ聖パウロ大聖堂で行いました。
数年後には、マリア様について「あなたは無原罪の御宿りである」と言ったそのペトロの後継者は、聖ペトロ大聖堂で行われた第1バチカン公会議によって、「あなたは不可謬である」と、「ペトロの後継者は不可謬である」と宣言がされました。ちょうど聖ぺトロがその昔イエズス様に、「あなたは私の事を何と言うのか?」と言われて、「あなたは生ける天主の子、キリストです」と言った時に、「私はお前に言う、お前はペトロである。私はこの巌の上に私の教会を建てよう」と言った時の事が思い出されます。
聖パウロ大聖堂では無原罪の御宿り、マリア様のこの御生涯の最初を記念したとすると、聖ぺトロ大聖堂にはバチカンの丘には、マリア様のピエタがあり、マリア様の御生涯のその最高潮、最頂点が記念されているかのようです。
ではこの2つの聖堂、イエズス様をそこに収める石でできた2つの聖堂の奉献式を今日祝うのですけれども、どうしてもこの事を思うと、二人の方を思い出さざるを得ません。それはマリア様と聖エリザベトです。この2人が出会って、そして聖霊に満たされたその様子をどうしても思い出さざるを得ません。
そこでその第2のポイントに、今度はこの生ける天主の神殿の出会いを、少しここから黙想する事を提案します。そしてもしもよろしければ、来たる初土の黙想に使って下さればと思っています。
マリア様は大天使ガブリエルから、その親戚エリザベトが懐妊したという事を知らされます。もうすでに6ヶ月目であると知ります。ナザレトに居たマリア様は、その時に天使には何も言いませんでした、ただ「天主の御旨だけが行われますように。“フィアット.”私は主の婢女である。私の望む事はただ主の御旨であって、主の栄光である。」それだけを言いました。そして大天使ガブリエルが姿を消すと、マリア様はすぐに立ち上がって、聖ルカによると、「急いで、山岳地方の聖エリザベトの方に行った」と言います。
皆さんもご存知の通り、この前私たちが見た通り、聖エリザベトはエルサレムのすぐ近くの山岳地方の、アインカリムという街に住んでいました。司祭であったザカリアは、そこからエルサレムの神殿に奉仕する為に働きの為に、エルサレムに非常に近い所に家を居を構えていました。マリア様は急いでその山岳地方に立ち上がって行ったのですが、おそらく歩いて4日くらいかかっただろうと思います。おそらくその旨をヨゼフ様に伝えて行かれたに違いありません、許嫁であったのですから。ヨゼフ様はマリア様と一緒に同伴されたのでしょうか、よく分かりません。あるいはヨゼフ様はエルサレムに巡礼に行く人たちにお願いをして、一緒に行かれたのかもしれません。ただ知っている事は、ヨゼフ様が、マリア様と聖エリザベトが出合った時には、その時には近くにいらっしゃらなかった、という事だけは確かです。
そしてマリア様はザカリアの家に入ると、「エリザベトに挨拶をした」と書かれています。エリザベトにどのように挨拶したのか、その言葉は詳しくは載っていないのですけれども、おそらく大天使聖ガブリエルの言葉を黙想していたマリア様は、ユダヤの挨拶の仕方によって、ユダヤの人々は「“シャローム”平和」と言って挨拶をしていたので、「あなたに平和がありますように」と言って挨拶したに違いありません。あるいはそのガブリエルの言葉を黙想していたので、もう子供を懐妊しているという事を知っていたので、「あぁ、祝福された子供を身籠っているあなたは何と幸せな方でしょうか、祝福された方でしょうか」と「平和がありますように」と仰ったかもしれません。
するとこのマリア様の御姿とその声の音を聞いただけで、エリザベトの胎内に居た子供は喜びのあまり踊って、そしてその言葉によって、マリア様の言葉によって、その声によって、聖エリザベトは聖霊に満たされました。そして大きな声で叫んでこう言った、と聖ルカは言います、「あなたは全ての女性の中から祝された方、あなたこそ祝された方!そしてあなたの胎内にいる子供、その身である子供は祝された方!」と聖エリザベトは聖霊に満たされて、マリア様に一体どのような事が起こったかという事を理解しました。
一体マリア様がどんな方で、どのような事が起こって、そして胎内に、マリア様のまだ胎内に宿る数日の小さな生命の始まりであった救い主が、一体どなたであるか分かっていました、「一体主の母が私の所に来るなどという、どうしてこのような素晴らしい事が起こったのでしょうか、有り得るのでしょうか!なぜかというと、あなたの挨拶の言葉の音が声が聞こえるや否や、私の胎内でこの子供が喜びの為に踊った」と聖エリザベトは感激のあまりそう言います、「主が仰った予言された事を信じた方は、あなたは何と幸せな方でしょうか!」
おそらくその事は聖エリザベトは、近くにいたザカリアの事を考えていたかもしれません。ザカリアは確かに主の御告げを受けたのですけれども、信じようとしませんでした、その為に啞になってしまいました。
聖グリニョン・ド・モンフォールは、「マリア様はエコーだ」と言います。「主のエコーであって、ただし特別なこだまだ」と言うのです。普通のこだまは、もしも「ヤッホー」と言うと、「ヤッホー」と返ってきますけれども、「マリア様の場合は、『マリア様!』と言うと、マリア様は『天主様!』と言って声を返す。私たちが『マリア様は素晴らしい!』と言うと、マリア様は『天主に讃美!』と声を返す。」
そこでマリア様は、その聖エリザベトのそのような、「何とあなたは幸せな方!あなたの信仰は素晴らしい。あなたはそれを信じた」と言うと、マリア様はそれをこだまで返します、「私の霊魂は主を崇め奉る。そして私の精神は主に光栄を帰する。そして私の精神は救い主である天主に喜び踊る。なぜかというと、主の婢女の卑しさをご覧になられたから。」
マリア様はその「信仰が素晴らしい」と言われたにもかかわらず、信仰については何も語らず、「この卑しい婢女の、この卑しさをご覧になれた主に讃美」と答えられます。
マリア様は更に続けて言います、聖エリザベトが「主から予言された事を実現するという事を信じた方は幸い」と言うと、「確かに主は、力強い方は、私に偉大な事をした。そしてその名は聖なるかな。」マリア様は、「主の予告された事を信じたあなたは幸い」と言われると、「確かに主は素晴らしい事をされた」と、その偉大な事を歌います。あるいは聖エリザベトが「あなたは全ての女性の内で、特別に最高に祝福された方、恵まれた方!」と言うと、「確かにその通りだけれども、なぜかというと、世々代々どこの人も、どこの時代の人も、私を幸いな者と呼ぶ事だろうから。でもそれは私ではなくて、それは主の御業であって、その主の御業が素晴らしいと言うだろう。」天主の御旨のみが、天主の栄光のみが、マリア様の関心事でした。「全ては主から来て、主に返さなければならない。」
ですからマリア様はおそらく、その大天使ガブリエルの言った言葉や、その自分の身に起こっている事をよく黙想しながら、考えながら、祈りながら、そのエリザベトの話を聞いて、ついいつも思っていた言葉がインスピレーションとなって、「我が精神は、我が魂は霊魂は主を崇め奉る」と、その有名なマニフィカトの歌を歌い出しました、「天主の憐れみは代々に、その小さな者に、憐れな者に、弱い者に及ぶ」と。「救いの時がやって来た。救い主は人となられた。今まで主がなさった憐れみの業をはるかに超えるような事が実現した」とマリア様は主を讃美します。
「確かに偉大な事がマリア様においてなされている。主の憐れみは世々代々に及び、そしてその主を崇める人に及ぶ。そして主はその力をもって、思い上がる者や、力のある者を掃き散らし、そしてその力ある者をその座から降ろす。そうではなくて小さな者を、主の為に小さな者を高めて、そして飢える者を良いもので満たす。富める者を空手で返す。そして主のしもべであるイスラエルにその保護の力を与えられた。そして御自分のアブラハムとその子孫たちに約束されたその約束を思い出して、その憐れみを見せられた。その憐れみの業が今自分に今実現している」と歌いました。
もしもマリア様のそのお言葉の、たったその「平和がありますように」と言った事だけで、洗者聖ヨハネが浄められ、そして聖エリザベトが聖霊で満たされたとしたら、そのイエズス様をいつも御胎内に入れて、御胎内のイエズス様をいつも連れるマリア様がそのエリザベトの家に3ヶ月間留まった間に、どれほどのお恵みと、どれほどの祝福と、平和を満たした事でしょうか。司祭ザカリアは、おそらく啞となった為に仕事を休まなければならなかったでしょうし、あるいは家でずっと黙想会を、3ヶ月黙想会をしていたかもしれません、あるいは聖エリザベトの手伝いをしていたかもしれません。マリア様と一緒に聖エリザベトの奉仕をしていたかもしれません。マリア様は洗者聖ヨハネの御誕生までそこに留まって、その救い主の先駆者の誕生をご覧になったはずです。でも人々は、マリア様のそのご謙遜に誰も気付いている様子はなかったかのようです。
では私たちは今日この黙想の後に、どのような決心を立てたら良いでしょうか?
もちろん教会は毎日、 1日に3回御告げの事を黙想するように私たちにお願いしていますから、来月の初土曜日にはもちろん御告げの神秘を、イエズス様のロザリオの第1玄義を黙想する事ももちろんどうぞなさって下さい。特に御告げの神秘には多くの深い玄義があるので、黙想しても黙想しきれない多くのものがあります。もしもよろしかったら、マリア様が愛徳をもってイエズス様をお運びになって、イエズス様と共に聖エリザベトを訪問されて、その最初になさった霊的な奇跡についても思って下さい。マリア様がそのいらしただけで、洗者聖ヨハネがこのように聖化されるのならば、聖エリザベトが聖霊に満たされるなら、もしも私たちがいつもマリア様と共にいたら、どれほどの恵みで満たされる事でしょうか。
ファチマ100周年が終わって、私たちは一体このその実りをどうしたら良いだろうか、この聖母の汚れなき御心の信心をどうやったらもっともっと実践する事ができるだろうかと、マニラの修道院で神父様たちとよく話をします。そこでレネー神父様は、さすがに私たちの尊敬するレネー神父様は、敬愛するレネー神父様は、「マリア様は、マリア様の汚れなき御心の信心を実践するには、やはりマリア様に特に倣わなければならない。マリア様の汚れなき御心に倣わなければならない。特に現代は、不潔な、あるいは貞潔に反するものがいっぱいの時代なので、マリア様の汚れなき御心に特に貞潔において学ぶのが良い。それが信心をよくするその元になる。」と仰いました。確かに私たちは天主の神殿であって、イエズス・キリスト、至聖三位一体が私たちの心に宿るものですから、マリア様に倣って、私たちの体を心を清く保たなければなりません。
皆さんはこの次の初土曜日の黙想に何を黙想なさりたいと思うでしょうか。ぜひマリア様に、私たちの心に来て下さるようにお祈り致しましょう。そして私たちの心を浄めて下さって、そして良い天主の神殿として、いつもマリア様のようにイエズス様の事でいっぱいになりますように。そしていつも聖別された奉献されたものとして生きる事ができるように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年11月18日、聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の献堂式の祝日を祝っています。今日このミサの後に、いつものように公教要理がありますが、今回は初土の信心をよく黙想する為に、特にロザリオの玄義をよく黙想する事ができるように、視覚教材を準備して、マリア様の御告げと御訪問の中世の絵画を見ながら、黙想の提案をしたいと思っています。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日入祭誦ではこう歌いました。
“Quam dilecta tabernacula tua, Domine virtutum! Concupiscit, et deficit anima mea in atria Domini.”
「主の幕屋は何と美しい事か。私の霊魂はそれを望み、それに待ち焦がれる。そしてそのあまりにも聖なる場所であるので、この場所はどれほど畏怖すべき所であるか。」
あるいは昇階誦では、「この場所は主によって作られたものであって、とても聖なる場所である」という言葉も歌いました。
そこで今日は、2つの聖なる大聖堂である聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂、このローマの2つの聖堂について少しその歴史を垣間見た後に、この2つの聖堂はどうしても、その本質を最も実現させた御方にどうしても辿り着かざるを得ません。それはもちろん、イエズス様をご自分の胎内に宿してそれを、そして一緒に御生活されたマリア様です。
そこで、この生ける幕屋であり生ける聖堂であるマリア様について少し黙想した後に、
その結果、私たちは来たる初土に向けてどのような遷善の決心を立てなければならないかを提案したいと思っています。
第1の点は、今日の祝日の2つの聖堂です。すでにこの献堂式については11世紀に記録が残っています。11月18日に聖ペトロ大聖堂、このバチカンの聖ペトロ大聖堂の献堂式を祝う。ところでこれはどのように始まったのかというと、元々カトリック教会は迫害の時代から始まりました。残念ながらネロ皇帝は、キリスト教徒を迫害し出しました。しかし300年の後、ローマ皇帝コンスタンティノ大帝は、そのお母様の影響もあり、洗礼の恵みを受けるようになりました。
そして洗礼を受けた8日の後に、その感謝を込めて、聖ぺトロが殉教したそのバチカンの丘に行きました。そして聖ペトロの御墓のもとに行って、そこに跪いて祈りをしました。次に、皇帝の被っていた王冠を地面に置いて、涙を流してその洗礼のお恵みを感謝しました。祈りにふけっていたと思うや、いきなり「この聖ペトロにこの回心のお恵みを感謝したい」との意を表して、「袋を持ってくるように、籠を持ってくるように」と命じ、12の籠を持たせて、そして土を12の籠にいっぱいにして、「ここの所に聖ペトロの大聖堂を建てるのだ」と命じました。そしてそのそこから聖ペトロ大聖堂の建築が始まりました。
教皇聖シルヴェストロの時代がこの時に、この聖堂の完成を見て、そしてこの聖堂を聖別して天主に奉献式を献堂式をしました。その時に、今まであった聖ペトロが使ったといわれる木造のテーブルを、これからは石の祭壇にして、そして「今後教会では、もはや迫害が終わったのであるから、石で祭壇を作らなければならない、キリストを意味する石で祭壇を作らなければならない」として、そしてこの11月18日、今日、献堂式を行いました。
すでにその前には、聖ヨハネラテラノ大聖堂の献堂式があったのですけれども、それと同じようにしました。
後に同じく聖シルヴェストロは、やはりコンスタンティノ皇帝によって命じられて建設されていた、聖パウロ大聖堂をも門外の大聖堂をも聖別しました、そして献堂式を捧げました。
その後1000年以上の年月が経つと、コンスタンティノ大帝が建てた大聖堂も傷み、小さくなり、そして新しく大聖堂を建設しなければなりませんでした。そこで今バチカンに建っている聖ペトロ大聖堂が最建築され、ウルバノ八世教皇様によって、1626年の今日、聖別式が行われました。ミケランジェロが設計して、そして特にミケランジェロによって彫られたピエタの、イエズス様を抱くマリア様の像が置かれました。教皇祭壇のあるその下には、聖ペトロの御墓があります。考古学上、確かに聖ぺトロの墓があった、という事が最近の発掘で分かっています。
聖パウロ大聖堂も建てられて1000年以上経ったのですけれども、残念ながら1823年に大火災によってほとんどが焼けてしまいました。そこでそれをもう一度、過去の栄光のように大きな聖堂を建て直して、31年後にピオ九世教皇様がその奉献をしました。11月18日今日奉献式をする事もできたのですけれども、特別にその年だけは、再献堂の時には、12月10日を選びました、1854年12月10日。そしてその献堂式をすると同時に、マリア様の無原罪の御宿りの宣言も、この同じ聖パウロ大聖堂で行いました。
数年後には、マリア様について「あなたは無原罪の御宿りである」と言ったそのペトロの後継者は、聖ペトロ大聖堂で行われた第1バチカン公会議によって、「あなたは不可謬である」と、「ペトロの後継者は不可謬である」と宣言がされました。ちょうど聖ぺトロがその昔イエズス様に、「あなたは私の事を何と言うのか?」と言われて、「あなたは生ける天主の子、キリストです」と言った時に、「私はお前に言う、お前はペトロである。私はこの巌の上に私の教会を建てよう」と言った時の事が思い出されます。
聖パウロ大聖堂では無原罪の御宿り、マリア様のこの御生涯の最初を記念したとすると、聖ぺトロ大聖堂にはバチカンの丘には、マリア様のピエタがあり、マリア様の御生涯のその最高潮、最頂点が記念されているかのようです。
ではこの2つの聖堂、イエズス様をそこに収める石でできた2つの聖堂の奉献式を今日祝うのですけれども、どうしてもこの事を思うと、二人の方を思い出さざるを得ません。それはマリア様と聖エリザベトです。この2人が出会って、そして聖霊に満たされたその様子をどうしても思い出さざるを得ません。
そこでその第2のポイントに、今度はこの生ける天主の神殿の出会いを、少しここから黙想する事を提案します。そしてもしもよろしければ、来たる初土の黙想に使って下さればと思っています。
マリア様は大天使ガブリエルから、その親戚エリザベトが懐妊したという事を知らされます。もうすでに6ヶ月目であると知ります。ナザレトに居たマリア様は、その時に天使には何も言いませんでした、ただ「天主の御旨だけが行われますように。“フィアット.”私は主の婢女である。私の望む事はただ主の御旨であって、主の栄光である。」それだけを言いました。そして大天使ガブリエルが姿を消すと、マリア様はすぐに立ち上がって、聖ルカによると、「急いで、山岳地方の聖エリザベトの方に行った」と言います。
皆さんもご存知の通り、この前私たちが見た通り、聖エリザベトはエルサレムのすぐ近くの山岳地方の、アインカリムという街に住んでいました。司祭であったザカリアは、そこからエルサレムの神殿に奉仕する為に働きの為に、エルサレムに非常に近い所に家を居を構えていました。マリア様は急いでその山岳地方に立ち上がって行ったのですが、おそらく歩いて4日くらいかかっただろうと思います。おそらくその旨をヨゼフ様に伝えて行かれたに違いありません、許嫁であったのですから。ヨゼフ様はマリア様と一緒に同伴されたのでしょうか、よく分かりません。あるいはヨゼフ様はエルサレムに巡礼に行く人たちにお願いをして、一緒に行かれたのかもしれません。ただ知っている事は、ヨゼフ様が、マリア様と聖エリザベトが出合った時には、その時には近くにいらっしゃらなかった、という事だけは確かです。
そしてマリア様はザカリアの家に入ると、「エリザベトに挨拶をした」と書かれています。エリザベトにどのように挨拶したのか、その言葉は詳しくは載っていないのですけれども、おそらく大天使聖ガブリエルの言葉を黙想していたマリア様は、ユダヤの挨拶の仕方によって、ユダヤの人々は「“シャローム”平和」と言って挨拶をしていたので、「あなたに平和がありますように」と言って挨拶したに違いありません。あるいはそのガブリエルの言葉を黙想していたので、もう子供を懐妊しているという事を知っていたので、「あぁ、祝福された子供を身籠っているあなたは何と幸せな方でしょうか、祝福された方でしょうか」と「平和がありますように」と仰ったかもしれません。
するとこのマリア様の御姿とその声の音を聞いただけで、エリザベトの胎内に居た子供は喜びのあまり踊って、そしてその言葉によって、マリア様の言葉によって、その声によって、聖エリザベトは聖霊に満たされました。そして大きな声で叫んでこう言った、と聖ルカは言います、「あなたは全ての女性の中から祝された方、あなたこそ祝された方!そしてあなたの胎内にいる子供、その身である子供は祝された方!」と聖エリザベトは聖霊に満たされて、マリア様に一体どのような事が起こったかという事を理解しました。
一体マリア様がどんな方で、どのような事が起こって、そして胎内に、マリア様のまだ胎内に宿る数日の小さな生命の始まりであった救い主が、一体どなたであるか分かっていました、「一体主の母が私の所に来るなどという、どうしてこのような素晴らしい事が起こったのでしょうか、有り得るのでしょうか!なぜかというと、あなたの挨拶の言葉の音が声が聞こえるや否や、私の胎内でこの子供が喜びの為に踊った」と聖エリザベトは感激のあまりそう言います、「主が仰った予言された事を信じた方は、あなたは何と幸せな方でしょうか!」
おそらくその事は聖エリザベトは、近くにいたザカリアの事を考えていたかもしれません。ザカリアは確かに主の御告げを受けたのですけれども、信じようとしませんでした、その為に啞になってしまいました。
聖グリニョン・ド・モンフォールは、「マリア様はエコーだ」と言います。「主のエコーであって、ただし特別なこだまだ」と言うのです。普通のこだまは、もしも「ヤッホー」と言うと、「ヤッホー」と返ってきますけれども、「マリア様の場合は、『マリア様!』と言うと、マリア様は『天主様!』と言って声を返す。私たちが『マリア様は素晴らしい!』と言うと、マリア様は『天主に讃美!』と声を返す。」
そこでマリア様は、その聖エリザベトのそのような、「何とあなたは幸せな方!あなたの信仰は素晴らしい。あなたはそれを信じた」と言うと、マリア様はそれをこだまで返します、「私の霊魂は主を崇め奉る。そして私の精神は主に光栄を帰する。そして私の精神は救い主である天主に喜び踊る。なぜかというと、主の婢女の卑しさをご覧になられたから。」
マリア様はその「信仰が素晴らしい」と言われたにもかかわらず、信仰については何も語らず、「この卑しい婢女の、この卑しさをご覧になれた主に讃美」と答えられます。
マリア様は更に続けて言います、聖エリザベトが「主から予言された事を実現するという事を信じた方は幸い」と言うと、「確かに主は、力強い方は、私に偉大な事をした。そしてその名は聖なるかな。」マリア様は、「主の予告された事を信じたあなたは幸い」と言われると、「確かに主は素晴らしい事をされた」と、その偉大な事を歌います。あるいは聖エリザベトが「あなたは全ての女性の内で、特別に最高に祝福された方、恵まれた方!」と言うと、「確かにその通りだけれども、なぜかというと、世々代々どこの人も、どこの時代の人も、私を幸いな者と呼ぶ事だろうから。でもそれは私ではなくて、それは主の御業であって、その主の御業が素晴らしいと言うだろう。」天主の御旨のみが、天主の栄光のみが、マリア様の関心事でした。「全ては主から来て、主に返さなければならない。」
ですからマリア様はおそらく、その大天使ガブリエルの言った言葉や、その自分の身に起こっている事をよく黙想しながら、考えながら、祈りながら、そのエリザベトの話を聞いて、ついいつも思っていた言葉がインスピレーションとなって、「我が精神は、我が魂は霊魂は主を崇め奉る」と、その有名なマニフィカトの歌を歌い出しました、「天主の憐れみは代々に、その小さな者に、憐れな者に、弱い者に及ぶ」と。「救いの時がやって来た。救い主は人となられた。今まで主がなさった憐れみの業をはるかに超えるような事が実現した」とマリア様は主を讃美します。
「確かに偉大な事がマリア様においてなされている。主の憐れみは世々代々に及び、そしてその主を崇める人に及ぶ。そして主はその力をもって、思い上がる者や、力のある者を掃き散らし、そしてその力ある者をその座から降ろす。そうではなくて小さな者を、主の為に小さな者を高めて、そして飢える者を良いもので満たす。富める者を空手で返す。そして主のしもべであるイスラエルにその保護の力を与えられた。そして御自分のアブラハムとその子孫たちに約束されたその約束を思い出して、その憐れみを見せられた。その憐れみの業が今自分に今実現している」と歌いました。
もしもマリア様のそのお言葉の、たったその「平和がありますように」と言った事だけで、洗者聖ヨハネが浄められ、そして聖エリザベトが聖霊で満たされたとしたら、そのイエズス様をいつも御胎内に入れて、御胎内のイエズス様をいつも連れるマリア様がそのエリザベトの家に3ヶ月間留まった間に、どれほどのお恵みと、どれほどの祝福と、平和を満たした事でしょうか。司祭ザカリアは、おそらく啞となった為に仕事を休まなければならなかったでしょうし、あるいは家でずっと黙想会を、3ヶ月黙想会をしていたかもしれません、あるいは聖エリザベトの手伝いをしていたかもしれません。マリア様と一緒に聖エリザベトの奉仕をしていたかもしれません。マリア様は洗者聖ヨハネの御誕生までそこに留まって、その救い主の先駆者の誕生をご覧になったはずです。でも人々は、マリア様のそのご謙遜に誰も気付いている様子はなかったかのようです。
では私たちは今日この黙想の後に、どのような決心を立てたら良いでしょうか?
もちろん教会は毎日、 1日に3回御告げの事を黙想するように私たちにお願いしていますから、来月の初土曜日にはもちろん御告げの神秘を、イエズス様のロザリオの第1玄義を黙想する事ももちろんどうぞなさって下さい。特に御告げの神秘には多くの深い玄義があるので、黙想しても黙想しきれない多くのものがあります。もしもよろしかったら、マリア様が愛徳をもってイエズス様をお運びになって、イエズス様と共に聖エリザベトを訪問されて、その最初になさった霊的な奇跡についても思って下さい。マリア様がそのいらしただけで、洗者聖ヨハネがこのように聖化されるのならば、聖エリザベトが聖霊に満たされるなら、もしも私たちがいつもマリア様と共にいたら、どれほどの恵みで満たされる事でしょうか。
ファチマ100周年が終わって、私たちは一体このその実りをどうしたら良いだろうか、この聖母の汚れなき御心の信心をどうやったらもっともっと実践する事ができるだろうかと、マニラの修道院で神父様たちとよく話をします。そこでレネー神父様は、さすがに私たちの尊敬するレネー神父様は、敬愛するレネー神父様は、「マリア様は、マリア様の汚れなき御心の信心を実践するには、やはりマリア様に特に倣わなければならない。マリア様の汚れなき御心に倣わなければならない。特に現代は、不潔な、あるいは貞潔に反するものがいっぱいの時代なので、マリア様の汚れなき御心に特に貞潔において学ぶのが良い。それが信心をよくするその元になる。」と仰いました。確かに私たちは天主の神殿であって、イエズス・キリスト、至聖三位一体が私たちの心に宿るものですから、マリア様に倣って、私たちの体を心を清く保たなければなりません。
皆さんはこの次の初土曜日の黙想に何を黙想なさりたいと思うでしょうか。ぜひマリア様に、私たちの心に来て下さるようにお祈り致しましょう。そして私たちの心を浄めて下さって、そして良い天主の神殿として、いつもマリア様のようにイエズス様の事でいっぱいになりますように。そしていつも聖別された奉献されたものとして生きる事ができるように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。