2018年1月5日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年1月5日、初金曜日のミサをしています。
今日のこのミサの後には、1年の最初の初金曜日の聖時間を行いたいと思います。世界中で、御聖体礼拝が行われるところではどこでも、平和と秩序が戻って来るという記事を読みました。私たちも是非この日本の国で、御聖体におけるイエズス様をますますお愛しして、礼拝したいと思います。そうすれば、イエズス様が愛されて崇められるところでは、礼拝されるところでは、ますますその国の人々も、その国も、ますます世界中から尊重されますし、ますますその国には平和が訪れるからです。
明日は初土曜で、御公現です。
教会には10の守るべき祝日があって、御公現もその1つになっています。日本ではそれが必ずしも守るべき祝日ではないのですけれども、是非できればミサに与って下さい。ミサの後に、イエズス様に接吻をする儀式を行いたいと思います。東の博士に倣って礼拝致しましょう。
その後に、いつものミサの後の感謝の祈りの後には、聖母行列が準備されています。是非いらして下さい。ファチマのマリア様に平和を求めて、聖母行列をお捧げしたいと思います。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、去年のクリスマスは何と私たちはお恵みに満ちていた事でしょうか。毎日のミサと、聖骸布、実物大の聖骸布が私たちの教会に飾られて、それを礼拝しつつ、聖なる時を過ごす事ができました。そのクリスマスの余韻がまだ私たちは終わっていません。そこで明日の初土曜の準備の為にも、15分の初土の信心の為にも、15分の黙想を良くする為にも、イエズス様の聖心を、特に生まれたばかりの幼きイエズス様の体内に鼓動するイエズス様の聖心を、一緒に黙想する事に致しましょう。
3点黙想のポイントを提案したいと思います。この黙想はぜひレネー神父様の仰る通りに、マリア様を通して、聖骸布をバックグラウンドに、イエズス様の御誕生を黙想なさって下さい、私もそうします。私たちはマリア様を通してのみ、イエズス様を受ける事ができるという事を黙想しました。明日もその事を黙想しましょう。マリア様の汚れなき御心を通して、私たちはイエズス様の聖心、幼きイエズス様の聖心を、聖骸布をバックグランドに黙想する事に致しましょう。ある方が、幼きイエズス様の御足に接吻する式をしながら、イエズス様の御受難の事を、そのイエズス様を抱えたマリア様の事を思い出しながら、イエズス様の事を接吻したと、ちらっと仰った方を聞きましたが、その精神で黙想致しましょう。3つの点を提案します。
1つは、マリア様がイエズス様をお生みになるその事です、その時の事です。
マリア様は預言者の元后でありましたし、幼い時から聖書に親しんでいました。神殿で多くの時間を奉仕に過ごし、聖書について、また聖書の預言について詳しい話を、その当時の司祭やあるいは律法学士たちから、色々な教えを学んだ事に違いありません。マリア様は特別の照らしによって、あるいは天主からの啓示によって、聖書の話を、あるいは預言について深く、誰よりも深い理解をしていたに違いありません。マリア様は、「救い主となる方がベトレヘムで生まれるべきである、ダヴィドの町で生まれるべきである」という事をよく知っていたに違いありません、それを知らないはずがありません。かといってマリア様は、だからと言って自分の考えに従って行動を起こすような方ではありませんでした。ヨゼフ様とて同じ事です。「一体どうやって救い主は、ダヴィドの町が出身地となるという事があるのだろうか?一体、天主様の御旨は一体何なのだろうか?」
マリア様には天使が送られて、あるいは聖ヨゼフには夢の中で、あるいは超自然な出来事で、マリア様もヨゼフ様もその為すべき行動について教えられてきたので、2人は天主の御摂理のままに、御摂理に従う事だけを望んでいました。天主が望むままに、望まれる時に、望まれるだけ、望まれるように行動するように、それだけを考えていました。
天主様は聖ヨゼフとマリア様に、今度は異教のローマ皇帝を使って、御自分の御旨を果たそうとされました。天主様はどのようなものでも、どのような自然の出来事でも、災害でも、天体でも、あるいは人間のどのような出来事でも、御自分の御旨を果たす為に使用する事ができます。人の野心であったとしても、誰かが自分の傲慢の為にこうしようと思った事であれ、それがたとえ悪意であったとしても、天主様はそれを使う事ができるという事です。その悪は望まないのですけれども、しかしそのような事さえも善を行う為に、より多い善を行う為に使う事ができるという事でした。
マリア様とヨゼフ様はある日、おそらくナザレトでローマの使いがラッパを鳴らしたり、あるいは知らせ、ローマ皇帝の知らせを告げる騒ぎをちらりと聞いたかもしれません、「ローマ皇帝は、私たちが皆自分の出身地に行って名前を登録する事を、人口調査の勅令が出た。」このこれに、マリア様もヨゼフ様も天主の御旨を見ました。マリア様もヨゼフ様も、特にマリア様にとって、身重であったので、ナザレトからベトレヘムまでは四日かかると言われています、専門家によると。その長い道のりを、冬に、真冬に、すぐにローマの勅令に従う事を望みました。それに従わない、あるいは生まれてからそこに登録する方法もあったかもしれません。しかしマリア様もヨゼフ様も、すぐに従順に従いました。
マリア様はあるいはヨゼフ様は、ナザレトを長く留守にするという事を思ったのでしょうか、あるいはそのような計画があったのでしょうか、そのような事を予感していたのでしょうか、私たちはあまりよく分かりません。しかしマリア様は、イエズス様が子供が救い主が生まれるというその準備の為に、イエズス様に着せるべき布や、その他の準備をしていたに違いありません。色々一生懸命な準備をしていたに違いありません。それをお持ちになって旅に出たに違いありません。
福音書には、「そこには旅館が満席だった。泊まる所がなかった」と書かれています。おそらく聖ヨゼフは、そのご両親は代々ベトレヘムに自分の先祖の家があったに違いありません。しかしもしかしたら、もはやそれは売られて、あるいはかなりの時からもうベトレヘムを離れなければならない境遇にあったのかもしれません。親戚たちの所にはどうも行く事ができなかったかのようです。もしかしたらマリア様もヨゼフ様も親戚の、まだ生きている親戚たちに非難めいた事は言わない為に、その事は福音史家には言わなかったのかもしれません。福音書によると、ただ「旅館には場所がなかった」とあります。
旅館はおそらくロバや、馬や、その他の動物や、あるいは人々でいっぱいだったに違いありません。騒がしかったに違いありません。旅館を経営している人たちは、たくさんのお客さんが来て繁盛していた事でしょう。その時に貧しいヨゼフ様や妻がやって来ても、あまり相手にされませんでした。少なくともこの身重の母親のマリア様の為に何か場所はないか、と一生懸命探したに違いありません。旅館でなくても何とか他の所を探したに違いありません。しかし聖家族を受け入れる家は1つもありませんでした。あったのは福音書によると、「馬小屋の馬草桶」だけでした。
ここでマリア様は、待ちに待った救世主、私たちの主イエズス・キリストを、この貧しい、動物のいる所で、寒い所で、真冬に、お生みになります。暖房もなければ、ベッドもなければ、ふさわしい所もない所に、待ちに待った、人類が待望していた約束の救世主を、私たちの為にお生みになります。
マリア様がお生みになった時には、痛みも苦しみも何もありませんでした。なぜならばエヴァは罪を犯して、「これからお前は子供を苦しみのうちに産む」という呪いを受けたのですけれども、しかしマリア様は原罪の汚れを持っていなかったからです。イエズス様はマリア様を1つも傷付けずに、復活の時に部屋に入って来たように、マリア様の胎内からするりと出てお生まれになったのでした。これはカトリックの信仰で、「マリア様は、イエズス様がお生まれになる前も、お生まれる時も、生まれた後も、終生童貞であった。傷の無い御方であった」と。私たちはそれを「終生童貞」という事を信じております。
「ダヴィドの王、ヤコブの家を永遠に支配する方だ。ダヴィドの王座に座る方である」と約束された、天主がそう言ったその救い主が、馬草桶で寝ておられる。マリア様がその生まれた赤子を布にくるんでおられる。何という事でしょうか。人類は本当ならば、両手を広げて受け入れなければならないのに、動物の所で、寒い冬に、捨てられたかのようにお生まれになりました。マリア様は御子が生まれた、救い主がお生まれになった、というその大きな喜びと同時に、どれほどの悲しみをも感じた事でしょうか。私たちに大きな喜びを与え、特別の救いをもたらす為に、私たちに赤子が生まれたにもかかわらず、人類はそれを受け入れようとしなかった。
マリア様をご覧下さい。どうぞマリア様の汚れなき御心の中に深く入って下さい。マリア様は、このイエズス様をお抱きになって、イエズス様の事をよく眺めてご覧になって、深い信仰と、礼拝と、希望と、愛を捧げておられます。イエズス様の聖心の鼓動をマリア様は手で感じて、そのイエズス様の聖心にもしかしたら接吻をされたかもしれません。その手に接吻をされたかもしれません。御足に接吻をされたかもしれません。イエズス様を愛を込めて抱きしめて、救い主、私たちの為に生まれて下さった天主を、感謝と愛で礼拝して、眺めて、それを見つめておられたに違いありません。沈黙の内に、深い愛の内に、礼拝しておられました。
天主の御言葉は一言もなく雄弁に、「天主が何であるか」という事を語っております、「天主は愛である」と。ここに聖パウロは何度も言います、「かつて天主は多くの預言者を送ったけれども、この世の終わりには御一人子を送った。御一人子が私たちに語った、天主は何であるか、『天主は愛である』と。『私たちをここまで愛している』と。」聖パウロはまた別のところで言います、「天主の恵みは私たちに現れた。天主のその慈愛と、優しさと、親切は、その良さは、私たちに現れた」と。「目に見えない天主の愛が、目に見えるようになった」と。イエズス様の聖心。これがイエズス様の聖心でなくて何でしょうか。
イエズス様がこれほど、目に見える幼子となった、目に見えるようになった天主の愛が拒絶されているのを見て、マリア様はどれほどご心痛を受けた事でしょうか、感じた事でしょうか。マリア様は、イエズス様を信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々の代わりに、深い礼拝を、償いを捧げていたに違いありません。私たちもマリア様に倣いましょう。
第2の点は、短く言います。それは羊飼いたちです。
夜中に、その地方で夜宿をしていた、羊の番をしていた羊飼いたちが、天使を見ます。天使が現れて、「全人類の為の万民の為の福音を、良い訪れを教える。今日お前たちの為に、ダヴィドの町で救い主が生まれた。イエズス・キリストである。布に包まれて、馬草桶に寝かされている、これがしるしである。行って礼拝せよ。」すると天の大群が空に現れて、ちょうどこの教会のステンドグラスのこのイルミネーションのもっともっとその何百倍ものきれいな光を開いて、天使の大群たちが大きな声で歌を歌いながら、「天のいと高き所には天主に栄光あれ!善意の人々には地には平和あれ!」
100年前には、聖ジャシンタ、聖フランシスコ、ルチアの3人に天使が現れて、とてもきれいな姿で、神々しく光り輝いて、3人に天主様の秘密を教えました。が、2000年前にはやはり牧童たちに、2000年前のルチアとフランシスコとジャシンタたちに現れて、「さぁ、行って救い主を探せ」と言いました。その時にこの牧童たちは何と驚いて、どれほど恐れた事でしょうか。どれほどその威光に圧倒された事でしょうか。
すぐに出かけます。もしかしたら救い主が生まれたと言うのですから、大きな旅館の、大きな馬とか置いてある、そういうお金持ちの人が行くような所に最初は探しに行ったかもしれません。しかしそういう所には、イエズス様は救い主はいらっしゃいませんでした。おそらくこの子供たちが何か泥棒なのか、あるいはいたずらをしに来たかと、「お前たちはどこかに行ってしまえ!」と追い出されたかもしれません。
色々おそらく探しあげた挙句、何か火が灯っているような、みすぼらしい、ベトレヘムの端にあるような、その貧しい所の人影を見て、「もしかしたら」牧童たちは羊飼いたちはそこに行って、「もしかしたらここかもしれない」と思って、「最後のチャンスだ」と思って探しに行ったのかもしれません。
マリア様はそのような貧しい子供たち、あるいは羊飼いたちが来た時に、一体どのような態度を取ったでしょうか?おそらくマリア様はニコリと微笑んで、さぁいらっしゃい、というような態度をされたと思います。するとマリア様の微笑みと、ヨゼフ様のニコリとした姿を見て、その牧童たちも、貧しい牧童たちも、恐る恐る行って見ると、「あぁ、天使が言った通りに、馬草桶に赤ちゃんが布で包まれている!」「あれ!?」と思ったに違いありません。それで「おい、言われた通りだ!」と、お互いにヒソヒソ言い合ったかもしれません。きっとキリシタン発見の時に、「サンタ・マリア様だ!」「サンタ・マリア様だ!」と言った隠れキリシタンたちの様かもしれません。
近付いて行くと、マリア様にもしかしたら尋ねたかもしれません、「何でここに赤ちゃんがいるんですか?」とか、あるいは「あなた様は一体どこからいらしたのですか?」ルチアのように聞いたかもしれません。「寒くないですか?」とか聞いたかもしれません。
するとマリア様はニコリと微笑んで、この牧童たちに優しく説明されたかもしれません、「あぁ、私たちは皇帝の勅令に従って、べトレヘムにやって来たのですよ」とか、あるいは「ナザレトから来たのですよ」とか仰ったかもしれません。「あぁ、この宿屋には場所が無かったからここにいるのですよ」と説明したかもしれません。
すると、「あぁ、そうですか。でもですね、不思議な事が起こったのです。お話してもいいですか?」「うん、何?」「あの、夜宿していたら、天使がやって来て、天使が『今日お前たちに、万民の為に良い知らせがある』と言ったんです。」「へえ〜。」「それでその天使が、『今日ダヴィドの家に救い主が生まれた』と。それで『その救い主のしるしは、馬草桶に寝ている、布で包まれた赤ちゃんだ。』それでずっとベトレヘムの中をずっと探したのです。色んな所を探したんですけれども、やっと見つけたのがここなのです。この赤ちゃんは救い主ですか?」マリア様はニコリと笑って、「そうよ」と仰ったかもしれません。「救い主ですよ。」「お名前は何ですか?」「まだ名前は正式には付いていないのですけれども、“イエズス”というのですよ」と仰ったかもしれません。
マリア様はそのような不思議な話を聞いて、「あぁ、天主様は天使を通してこうやって子供たちに教えたのだ」と思われたかもしれません。福音書には、「マリア様はそのような事を、全てご自分の御心に汚れなき御心に止めて、ずっと考えて黙想していた」とあります。私たちもそのマリア様の御心の中にあって、その羊飼いたちが訪問してきた、という話を一緒に黙想致しましょう。
もしかしたら羊飼いたちは、「この赤ちゃん抱いてもいいですか?」とか聞いたかもしれません。マリア様は「いいですよ」と仰って、私たちにこう羊飼いたちに抱かせて下さったかもしれません。「あぁ、救い主だ!イエズス様だ!」そのおそらくルチアやジャシンタがやったように、頭を付けてこう礼拝したかもしれません。あるいは接吻をしたかもしれません。愛を込めて赤ちゃん見つめたかもしれません、「あぁ、救い主だ!」
このようなそれが終わった後に、きっと羊飼いたちは誰にも秘密を隠しておく事ができずに、色んな人に言ったかもしれません、「あぁ、救い主を見たぞ!」「え!?」「あのね、馬子屋にいた!救い主を見た!」でもあまりにも子供、あるいは羊飼いたちは影響力がなかったし、あるいはビジネスで頭がいっぱいだった人がたくさんいたし、お客さんで忙しかったし、羊飼いの話はおそらくまじめに取ってもらえなかったかもしれません、「また下らない話しをしているよ。だいたい救い主が馬小屋で生まれるかい!」「天使を見るか!」などと言ったかもしれません。
でも中には、その羊飼いたちの話を聞いて、「へえ〜。じゃあ私も行ってみたいな」と言った人もいるかもしれません。それで羊飼いの仲間たちが行って、マリア様にお会いして、「あぁ、」イエズス様を礼拝した少数の人たちがいたに違いありません。私たちもその少数になりたいと思います。レネー神父様は私たちに、「ベトレヘムの旅館の人たちのようではなくて、イエズス様を私たちの心の中に受け入れよう」と提案して下さいました。私たちもぜひこの羊飼いたちの言葉を聞いて、私たちも行って、馬草桶に行ってイエズス様を礼拝致しましょう。御聖体の内に在す、御聖櫃の内に在すイエズス様を礼拝致しましょう。貧しいパンの内に在すイエズス様を礼拝致しましょう。
3人の博士たちが来た時には、福音書によると「家」が、「家の中に入った。家の中で子供をマリア様と共に見た」とあります。その時には「家」という言葉が出ているので、おそらく羊飼いの内の1人が、あるいは羊飼いから話を聞いた内の善意の1人が、「私の家を泊まりに使って下さい」と提供したのかもしれません。またヨゼフ様はエジプトから帰って来る時に、最初に「べトレヘムに戻ろう」と考えていたようです、天使から「べトレヘムに戻るな」という風に言われているので。ですからもしかしたらヨゼフ様は、その預言の事を考えて、「救い主の出身はベトレヘムだから、救い主はベトレヘムの人とならなければならない」という事を思っていたのかもしれません。ですからもしかしたらヨゼフ様がご自分で何か家とか、そういうこれから住まいを建てようと、あるいは何かここで居を構えようと計画をしていたのかもしれません。
しかし、これから居を構えようとしていた計画は、あっという間に崩れ去るのです。それが第3の点で、これはもう申しませんが、時間が来てしまいまして、それはヘロデが子供の命を狙っているので、ヨゼフ様は真夜中に夢を見て、「子供と母を連れてエジプトに逃げよ」と言われたからです。7年、8年長い間エジプトに、一体どうして行ったら良いかも分からずに、準備もまったく無しに、夜中に、砂漠は夜は寒いし、昼は暑い。友達も言葉も知らなければ、全く前途どうなるか分からないところを、全く天主の御摂理に委ねて、エジプトに出かけました、ヘロデの手を逃れて。
イエズス様の命は助かったものの、しかしマリア様はどれほど御苦しみを受けた事でしょうか。せっかくヘロデ王を、あるいはユダヤの王を助ける為に、ユダヤの為に生まれたこの救い主が、約束された、何千年も待ったこの救い主が、今亡き者にされようとされている。
ではこの黙想を明日する事にして、このイエズス様の聖心、この鼓動をマリア様と一緒に、幼きイエズス様の中に脈打つイエズス様の聖心を、マリア様と一緒に見つめて、礼拝して、感謝と、讃美と、愛で、イエズス様を礼拝する事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年1月5日、初金曜日のミサをしています。
今日のこのミサの後には、1年の最初の初金曜日の聖時間を行いたいと思います。世界中で、御聖体礼拝が行われるところではどこでも、平和と秩序が戻って来るという記事を読みました。私たちも是非この日本の国で、御聖体におけるイエズス様をますますお愛しして、礼拝したいと思います。そうすれば、イエズス様が愛されて崇められるところでは、礼拝されるところでは、ますますその国の人々も、その国も、ますます世界中から尊重されますし、ますますその国には平和が訪れるからです。
明日は初土曜で、御公現です。
教会には10の守るべき祝日があって、御公現もその1つになっています。日本ではそれが必ずしも守るべき祝日ではないのですけれども、是非できればミサに与って下さい。ミサの後に、イエズス様に接吻をする儀式を行いたいと思います。東の博士に倣って礼拝致しましょう。
その後に、いつものミサの後の感謝の祈りの後には、聖母行列が準備されています。是非いらして下さい。ファチマのマリア様に平和を求めて、聖母行列をお捧げしたいと思います。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、去年のクリスマスは何と私たちはお恵みに満ちていた事でしょうか。毎日のミサと、聖骸布、実物大の聖骸布が私たちの教会に飾られて、それを礼拝しつつ、聖なる時を過ごす事ができました。そのクリスマスの余韻がまだ私たちは終わっていません。そこで明日の初土曜の準備の為にも、15分の初土の信心の為にも、15分の黙想を良くする為にも、イエズス様の聖心を、特に生まれたばかりの幼きイエズス様の体内に鼓動するイエズス様の聖心を、一緒に黙想する事に致しましょう。
3点黙想のポイントを提案したいと思います。この黙想はぜひレネー神父様の仰る通りに、マリア様を通して、聖骸布をバックグラウンドに、イエズス様の御誕生を黙想なさって下さい、私もそうします。私たちはマリア様を通してのみ、イエズス様を受ける事ができるという事を黙想しました。明日もその事を黙想しましょう。マリア様の汚れなき御心を通して、私たちはイエズス様の聖心、幼きイエズス様の聖心を、聖骸布をバックグランドに黙想する事に致しましょう。ある方が、幼きイエズス様の御足に接吻する式をしながら、イエズス様の御受難の事を、そのイエズス様を抱えたマリア様の事を思い出しながら、イエズス様の事を接吻したと、ちらっと仰った方を聞きましたが、その精神で黙想致しましょう。3つの点を提案します。
1つは、マリア様がイエズス様をお生みになるその事です、その時の事です。
マリア様は預言者の元后でありましたし、幼い時から聖書に親しんでいました。神殿で多くの時間を奉仕に過ごし、聖書について、また聖書の預言について詳しい話を、その当時の司祭やあるいは律法学士たちから、色々な教えを学んだ事に違いありません。マリア様は特別の照らしによって、あるいは天主からの啓示によって、聖書の話を、あるいは預言について深く、誰よりも深い理解をしていたに違いありません。マリア様は、「救い主となる方がベトレヘムで生まれるべきである、ダヴィドの町で生まれるべきである」という事をよく知っていたに違いありません、それを知らないはずがありません。かといってマリア様は、だからと言って自分の考えに従って行動を起こすような方ではありませんでした。ヨゼフ様とて同じ事です。「一体どうやって救い主は、ダヴィドの町が出身地となるという事があるのだろうか?一体、天主様の御旨は一体何なのだろうか?」
マリア様には天使が送られて、あるいは聖ヨゼフには夢の中で、あるいは超自然な出来事で、マリア様もヨゼフ様もその為すべき行動について教えられてきたので、2人は天主の御摂理のままに、御摂理に従う事だけを望んでいました。天主が望むままに、望まれる時に、望まれるだけ、望まれるように行動するように、それだけを考えていました。
天主様は聖ヨゼフとマリア様に、今度は異教のローマ皇帝を使って、御自分の御旨を果たそうとされました。天主様はどのようなものでも、どのような自然の出来事でも、災害でも、天体でも、あるいは人間のどのような出来事でも、御自分の御旨を果たす為に使用する事ができます。人の野心であったとしても、誰かが自分の傲慢の為にこうしようと思った事であれ、それがたとえ悪意であったとしても、天主様はそれを使う事ができるという事です。その悪は望まないのですけれども、しかしそのような事さえも善を行う為に、より多い善を行う為に使う事ができるという事でした。
マリア様とヨゼフ様はある日、おそらくナザレトでローマの使いがラッパを鳴らしたり、あるいは知らせ、ローマ皇帝の知らせを告げる騒ぎをちらりと聞いたかもしれません、「ローマ皇帝は、私たちが皆自分の出身地に行って名前を登録する事を、人口調査の勅令が出た。」このこれに、マリア様もヨゼフ様も天主の御旨を見ました。マリア様もヨゼフ様も、特にマリア様にとって、身重であったので、ナザレトからベトレヘムまでは四日かかると言われています、専門家によると。その長い道のりを、冬に、真冬に、すぐにローマの勅令に従う事を望みました。それに従わない、あるいは生まれてからそこに登録する方法もあったかもしれません。しかしマリア様もヨゼフ様も、すぐに従順に従いました。
マリア様はあるいはヨゼフ様は、ナザレトを長く留守にするという事を思ったのでしょうか、あるいはそのような計画があったのでしょうか、そのような事を予感していたのでしょうか、私たちはあまりよく分かりません。しかしマリア様は、イエズス様が子供が救い主が生まれるというその準備の為に、イエズス様に着せるべき布や、その他の準備をしていたに違いありません。色々一生懸命な準備をしていたに違いありません。それをお持ちになって旅に出たに違いありません。
福音書には、「そこには旅館が満席だった。泊まる所がなかった」と書かれています。おそらく聖ヨゼフは、そのご両親は代々ベトレヘムに自分の先祖の家があったに違いありません。しかしもしかしたら、もはやそれは売られて、あるいはかなりの時からもうベトレヘムを離れなければならない境遇にあったのかもしれません。親戚たちの所にはどうも行く事ができなかったかのようです。もしかしたらマリア様もヨゼフ様も親戚の、まだ生きている親戚たちに非難めいた事は言わない為に、その事は福音史家には言わなかったのかもしれません。福音書によると、ただ「旅館には場所がなかった」とあります。
旅館はおそらくロバや、馬や、その他の動物や、あるいは人々でいっぱいだったに違いありません。騒がしかったに違いありません。旅館を経営している人たちは、たくさんのお客さんが来て繁盛していた事でしょう。その時に貧しいヨゼフ様や妻がやって来ても、あまり相手にされませんでした。少なくともこの身重の母親のマリア様の為に何か場所はないか、と一生懸命探したに違いありません。旅館でなくても何とか他の所を探したに違いありません。しかし聖家族を受け入れる家は1つもありませんでした。あったのは福音書によると、「馬小屋の馬草桶」だけでした。
ここでマリア様は、待ちに待った救世主、私たちの主イエズス・キリストを、この貧しい、動物のいる所で、寒い所で、真冬に、お生みになります。暖房もなければ、ベッドもなければ、ふさわしい所もない所に、待ちに待った、人類が待望していた約束の救世主を、私たちの為にお生みになります。
マリア様がお生みになった時には、痛みも苦しみも何もありませんでした。なぜならばエヴァは罪を犯して、「これからお前は子供を苦しみのうちに産む」という呪いを受けたのですけれども、しかしマリア様は原罪の汚れを持っていなかったからです。イエズス様はマリア様を1つも傷付けずに、復活の時に部屋に入って来たように、マリア様の胎内からするりと出てお生まれになったのでした。これはカトリックの信仰で、「マリア様は、イエズス様がお生まれになる前も、お生まれる時も、生まれた後も、終生童貞であった。傷の無い御方であった」と。私たちはそれを「終生童貞」という事を信じております。
「ダヴィドの王、ヤコブの家を永遠に支配する方だ。ダヴィドの王座に座る方である」と約束された、天主がそう言ったその救い主が、馬草桶で寝ておられる。マリア様がその生まれた赤子を布にくるんでおられる。何という事でしょうか。人類は本当ならば、両手を広げて受け入れなければならないのに、動物の所で、寒い冬に、捨てられたかのようにお生まれになりました。マリア様は御子が生まれた、救い主がお生まれになった、というその大きな喜びと同時に、どれほどの悲しみをも感じた事でしょうか。私たちに大きな喜びを与え、特別の救いをもたらす為に、私たちに赤子が生まれたにもかかわらず、人類はそれを受け入れようとしなかった。
マリア様をご覧下さい。どうぞマリア様の汚れなき御心の中に深く入って下さい。マリア様は、このイエズス様をお抱きになって、イエズス様の事をよく眺めてご覧になって、深い信仰と、礼拝と、希望と、愛を捧げておられます。イエズス様の聖心の鼓動をマリア様は手で感じて、そのイエズス様の聖心にもしかしたら接吻をされたかもしれません。その手に接吻をされたかもしれません。御足に接吻をされたかもしれません。イエズス様を愛を込めて抱きしめて、救い主、私たちの為に生まれて下さった天主を、感謝と愛で礼拝して、眺めて、それを見つめておられたに違いありません。沈黙の内に、深い愛の内に、礼拝しておられました。
天主の御言葉は一言もなく雄弁に、「天主が何であるか」という事を語っております、「天主は愛である」と。ここに聖パウロは何度も言います、「かつて天主は多くの預言者を送ったけれども、この世の終わりには御一人子を送った。御一人子が私たちに語った、天主は何であるか、『天主は愛である』と。『私たちをここまで愛している』と。」聖パウロはまた別のところで言います、「天主の恵みは私たちに現れた。天主のその慈愛と、優しさと、親切は、その良さは、私たちに現れた」と。「目に見えない天主の愛が、目に見えるようになった」と。イエズス様の聖心。これがイエズス様の聖心でなくて何でしょうか。
イエズス様がこれほど、目に見える幼子となった、目に見えるようになった天主の愛が拒絶されているのを見て、マリア様はどれほどご心痛を受けた事でしょうか、感じた事でしょうか。マリア様は、イエズス様を信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々の代わりに、深い礼拝を、償いを捧げていたに違いありません。私たちもマリア様に倣いましょう。
第2の点は、短く言います。それは羊飼いたちです。
夜中に、その地方で夜宿をしていた、羊の番をしていた羊飼いたちが、天使を見ます。天使が現れて、「全人類の為の万民の為の福音を、良い訪れを教える。今日お前たちの為に、ダヴィドの町で救い主が生まれた。イエズス・キリストである。布に包まれて、馬草桶に寝かされている、これがしるしである。行って礼拝せよ。」すると天の大群が空に現れて、ちょうどこの教会のステンドグラスのこのイルミネーションのもっともっとその何百倍ものきれいな光を開いて、天使の大群たちが大きな声で歌を歌いながら、「天のいと高き所には天主に栄光あれ!善意の人々には地には平和あれ!」
100年前には、聖ジャシンタ、聖フランシスコ、ルチアの3人に天使が現れて、とてもきれいな姿で、神々しく光り輝いて、3人に天主様の秘密を教えました。が、2000年前にはやはり牧童たちに、2000年前のルチアとフランシスコとジャシンタたちに現れて、「さぁ、行って救い主を探せ」と言いました。その時にこの牧童たちは何と驚いて、どれほど恐れた事でしょうか。どれほどその威光に圧倒された事でしょうか。
すぐに出かけます。もしかしたら救い主が生まれたと言うのですから、大きな旅館の、大きな馬とか置いてある、そういうお金持ちの人が行くような所に最初は探しに行ったかもしれません。しかしそういう所には、イエズス様は救い主はいらっしゃいませんでした。おそらくこの子供たちが何か泥棒なのか、あるいはいたずらをしに来たかと、「お前たちはどこかに行ってしまえ!」と追い出されたかもしれません。
色々おそらく探しあげた挙句、何か火が灯っているような、みすぼらしい、ベトレヘムの端にあるような、その貧しい所の人影を見て、「もしかしたら」牧童たちは羊飼いたちはそこに行って、「もしかしたらここかもしれない」と思って、「最後のチャンスだ」と思って探しに行ったのかもしれません。
マリア様はそのような貧しい子供たち、あるいは羊飼いたちが来た時に、一体どのような態度を取ったでしょうか?おそらくマリア様はニコリと微笑んで、さぁいらっしゃい、というような態度をされたと思います。するとマリア様の微笑みと、ヨゼフ様のニコリとした姿を見て、その牧童たちも、貧しい牧童たちも、恐る恐る行って見ると、「あぁ、天使が言った通りに、馬草桶に赤ちゃんが布で包まれている!」「あれ!?」と思ったに違いありません。それで「おい、言われた通りだ!」と、お互いにヒソヒソ言い合ったかもしれません。きっとキリシタン発見の時に、「サンタ・マリア様だ!」「サンタ・マリア様だ!」と言った隠れキリシタンたちの様かもしれません。
近付いて行くと、マリア様にもしかしたら尋ねたかもしれません、「何でここに赤ちゃんがいるんですか?」とか、あるいは「あなた様は一体どこからいらしたのですか?」ルチアのように聞いたかもしれません。「寒くないですか?」とか聞いたかもしれません。
するとマリア様はニコリと微笑んで、この牧童たちに優しく説明されたかもしれません、「あぁ、私たちは皇帝の勅令に従って、べトレヘムにやって来たのですよ」とか、あるいは「ナザレトから来たのですよ」とか仰ったかもしれません。「あぁ、この宿屋には場所が無かったからここにいるのですよ」と説明したかもしれません。
すると、「あぁ、そうですか。でもですね、不思議な事が起こったのです。お話してもいいですか?」「うん、何?」「あの、夜宿していたら、天使がやって来て、天使が『今日お前たちに、万民の為に良い知らせがある』と言ったんです。」「へえ〜。」「それでその天使が、『今日ダヴィドの家に救い主が生まれた』と。それで『その救い主のしるしは、馬草桶に寝ている、布で包まれた赤ちゃんだ。』それでずっとベトレヘムの中をずっと探したのです。色んな所を探したんですけれども、やっと見つけたのがここなのです。この赤ちゃんは救い主ですか?」マリア様はニコリと笑って、「そうよ」と仰ったかもしれません。「救い主ですよ。」「お名前は何ですか?」「まだ名前は正式には付いていないのですけれども、“イエズス”というのですよ」と仰ったかもしれません。
マリア様はそのような不思議な話を聞いて、「あぁ、天主様は天使を通してこうやって子供たちに教えたのだ」と思われたかもしれません。福音書には、「マリア様はそのような事を、全てご自分の御心に汚れなき御心に止めて、ずっと考えて黙想していた」とあります。私たちもそのマリア様の御心の中にあって、その羊飼いたちが訪問してきた、という話を一緒に黙想致しましょう。
もしかしたら羊飼いたちは、「この赤ちゃん抱いてもいいですか?」とか聞いたかもしれません。マリア様は「いいですよ」と仰って、私たちにこう羊飼いたちに抱かせて下さったかもしれません。「あぁ、救い主だ!イエズス様だ!」そのおそらくルチアやジャシンタがやったように、頭を付けてこう礼拝したかもしれません。あるいは接吻をしたかもしれません。愛を込めて赤ちゃん見つめたかもしれません、「あぁ、救い主だ!」
このようなそれが終わった後に、きっと羊飼いたちは誰にも秘密を隠しておく事ができずに、色んな人に言ったかもしれません、「あぁ、救い主を見たぞ!」「え!?」「あのね、馬子屋にいた!救い主を見た!」でもあまりにも子供、あるいは羊飼いたちは影響力がなかったし、あるいはビジネスで頭がいっぱいだった人がたくさんいたし、お客さんで忙しかったし、羊飼いの話はおそらくまじめに取ってもらえなかったかもしれません、「また下らない話しをしているよ。だいたい救い主が馬小屋で生まれるかい!」「天使を見るか!」などと言ったかもしれません。
でも中には、その羊飼いたちの話を聞いて、「へえ〜。じゃあ私も行ってみたいな」と言った人もいるかもしれません。それで羊飼いの仲間たちが行って、マリア様にお会いして、「あぁ、」イエズス様を礼拝した少数の人たちがいたに違いありません。私たちもその少数になりたいと思います。レネー神父様は私たちに、「ベトレヘムの旅館の人たちのようではなくて、イエズス様を私たちの心の中に受け入れよう」と提案して下さいました。私たちもぜひこの羊飼いたちの言葉を聞いて、私たちも行って、馬草桶に行ってイエズス様を礼拝致しましょう。御聖体の内に在す、御聖櫃の内に在すイエズス様を礼拝致しましょう。貧しいパンの内に在すイエズス様を礼拝致しましょう。
3人の博士たちが来た時には、福音書によると「家」が、「家の中に入った。家の中で子供をマリア様と共に見た」とあります。その時には「家」という言葉が出ているので、おそらく羊飼いの内の1人が、あるいは羊飼いから話を聞いた内の善意の1人が、「私の家を泊まりに使って下さい」と提供したのかもしれません。またヨゼフ様はエジプトから帰って来る時に、最初に「べトレヘムに戻ろう」と考えていたようです、天使から「べトレヘムに戻るな」という風に言われているので。ですからもしかしたらヨゼフ様は、その預言の事を考えて、「救い主の出身はベトレヘムだから、救い主はベトレヘムの人とならなければならない」という事を思っていたのかもしれません。ですからもしかしたらヨゼフ様がご自分で何か家とか、そういうこれから住まいを建てようと、あるいは何かここで居を構えようと計画をしていたのかもしれません。
しかし、これから居を構えようとしていた計画は、あっという間に崩れ去るのです。それが第3の点で、これはもう申しませんが、時間が来てしまいまして、それはヘロデが子供の命を狙っているので、ヨゼフ様は真夜中に夢を見て、「子供と母を連れてエジプトに逃げよ」と言われたからです。7年、8年長い間エジプトに、一体どうして行ったら良いかも分からずに、準備もまったく無しに、夜中に、砂漠は夜は寒いし、昼は暑い。友達も言葉も知らなければ、全く前途どうなるか分からないところを、全く天主の御摂理に委ねて、エジプトに出かけました、ヘロデの手を逃れて。
イエズス様の命は助かったものの、しかしマリア様はどれほど御苦しみを受けた事でしょうか。せっかくヘロデ王を、あるいはユダヤの王を助ける為に、ユダヤの為に生まれたこの救い主が、約束された、何千年も待ったこの救い主が、今亡き者にされようとされている。
ではこの黙想を明日する事にして、このイエズス様の聖心、この鼓動をマリア様と一緒に、幼きイエズス様の中に脈打つイエズス様の聖心を、マリア様と一緒に見つめて、礼拝して、感謝と、讃美と、愛で、イエズス様を礼拝する事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。