アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
童貞聖マリアの浄配、聖ヨゼフの祝日、おめでとうございます。
無原罪の聖母の騎士全員への指導司祭の手紙【第10号】をご紹介いたします。
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
無原罪の聖母の騎士全員への指導司祭の手紙 第10号
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん、
聖マキシミリアノ・コルベを正しく理解するためには、彼の内的生活を形づくり促進させた最も重要な根源にまで立ち戻らなければなりません。それは、マリア様の現存によって完全に特徴づけられ、特にマリア様がキリスト信者の軍隊の「司令官」として敬われているポーランドという彼の国の歴史、不思議のメダイ、ルルドのマリア様のご出現、そして聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールです。
おそらくは、聖コルベがローマで勉強している間に、この「マリアへの完全なる明け渡し」の偉大なる師に出会ったのでしょう。聖コルベが、ちょうど100年前の聖ルイ・マリー(当時はまだ福者ルイ・マリー)の祝日である4月28日に叙階されたのは、確かに偶然ではありません。
彼は聖ルイ・マリーをポーランドに知らせ、「マリアの秘密」の最初のポーランド語版を印刷、出版しました。その序文では、彼自身が聖グリニョンの短い伝記とその霊性の要約を書きました。とりわけ彼は、二人が生きた時代は違うものの、似たような状況に生きていたことを強調しました。聖ルイ・マリーの当時の敵はジャンセニストでしたが、こんにちの敵はフリーメーソンとその他のセクトです。どの敵も皆、特徴的なしるしがありました。それはイエズスとマリアへのまことの信心に対する嫌悪でした。こんにちの無原罪の聖母の騎士のように、当時、グリニョンはすべての恵みの仲介者の偉大なる使徒でした。聖母の汚れなき御手の完璧な道具として、グリニョンは、そのよく知られた宣教活動の間に、サタンの鎖から数え切れない霊魂を救いました。ちょうどこんにちの無原罪の聖母の騎士会(MI)が、すべてを支配しつつある悪の軍団に直面しているように、グリニョンも敵の強大な力にさらされていました。しばしば一人ぼっちで、友人にさえ見捨てられて、彼は異端者の悪意と妬みの標的になりました。しかしながら、何にもましてグリニョンとマキシミリアノは、すべての力と勇気を共に同じ根源から引き出しました。彼らは聖母に全き信頼を置き、すべてにおいて聖母に絶対服従しました。いつであってもどこであっても完全に、聖母だけを頼りにしました!
しかしながら、さらに重要とさえ言える偶然の一致があります。グリニョン・ド・モンフォールは、終末の時代のマリア様の役割を指摘したとき、「上から」霊感を与えられました。もし竜とその手下たちの支配権が非常に強力なため、教会を破壊することにほとんど成功してしまい、ほとんどすべての人を破滅への道へとそそのかすならば、そのとき黙示録の婦人が現れるでしょう(黙示録12章1節)。忠実なしもべたちを通して、その婦人はサタンのかしらを踏み砕き、サタンのすべての攻撃に打ち勝つでしょうが、とりわけ、この少数の忠実な「終末の時代のイエズスとマリアの使徒」を通して、婦人は数え切れない霊魂を患難から奪い取るのです。
聖マキシミリアノは無原罪の聖母の騎士の注意を、このマリアの忠実な奴隷というグリニョンの描写に引き付けています。この奴隷たちは権力を恐れず、元后が送り出そうと命ずるところならどこへでも行き、右手に十字架像、左手にはロザリオを持ち、心にはイエズスとマリアの聖名を刻んでいました。
聖マキシミリアノは無原罪の聖母の騎士に対して、自分たちを終末の時代のイエズスとマリアの使徒だと見なすよう求めています。「この理想(イエズスとマリアの使徒)を実現するための私たちの目標とその手段は、聖ルイ・マリーの考えと完全に一致しています。彼の最も熱心な望み、彼の全生涯の望みは、無原罪の聖母を全人類の元后としてたたえ、人間の鼓動する心臓をすべて、聖母の愛に引き渡すことでした」。
この理由から、聖マキシミリアノの望みによって、無原罪の聖母の園に住む人々はすべて、ポーランドであれ日本であれ、聖モンフォールによる奉献をしてきました。言葉の完全な意味において、まことに無原罪の御宿りの騎士になるためには、聖母の従順な子ども、聖母に服従する奴隷にならねばならないのです。人が所有物として完全に芸術家のものになるならば、その限りにおいてのみ、完全にその芸術家の道具となることができるのです。
聖マキシミリアノが、誰でも簡単に騎士になれるようにし、毎日一つの短い祈りをすることと、不思議のメダイを身に着けるという奉献以外には、実践として何も要求していないというのは、確かに本当です。それにもかかわらず、彼は、すべての騎士が壮大で言い表せないほど重要な宣教の使命を受けたという偉大な理想に満たされるべきだという、自分の心からの望みを表しました。私たちは、完全に無原罪の聖母のものになるよう、聖母に完全に従って聖母が望みのままにお使いになる道具となるよう、可能な限り多くの霊魂を救うよう、もっともっと努力すべきです。
しかしながら、このことは言い表せないほど困難です、特に私たちの時代においては。終末が近づけば近づくほど、戦いは厳しくかつ危険になります! そんなとき、私たちが無原罪の聖母のために行う最も小さなことでも、聖母によって寛大に報いられるということを、私たちは忘れるべきではありません。進んで無原罪の聖母による御恵みで満たされる人は、聖母の忠実な道具そのものになるでしょう。あわれな罪びとの回心のための私の努力が、まず第一に、あわれな罪びとの中でも最もあわれな罪びとである私に利益を与えるのです。
しかし、この二つの奉献の違いは何でしょうか? 二つは互いにどのように関係しているのでしょうか?
聖母は聖ルイ・マリーに対して、聖母へのまことにして完全な信心という御恵みをお与えになりました。この奉献によって、聖母は、言葉の本当の意味で、私たちの母にして元后になられ、私たちは聖母の子どもにして奴隷になります。母として、聖母は私たちの手をお取りになって、私たちを助けて天主へ立ち返るよう、霊魂を救うよう、悪魔のわなから自由になるよう、イエズス・キリストから離れないようにさせてくださいます。このようにして、私たちは洗礼の誓いを守り、天主の最も偉大なる掟、すなわちすべてに超えて天主を愛するということを守るのです! 明らかに、私たち自身の回心と聖化のため、私たちの天主ご自身との関係のため、「完全な信心」が私たちに与えられます。「私の母にして元后がいなければ、私は主の真理、主のいのち、主の道を見つけられないだろう。もし私がこの真理といのちをいったん見つけたとしても、マリア様がいなければ確実に再びそれを失っていただろう。しかし今、聖母が私のいのちという船を指揮されるからには、聖母は私を港まで安全に連れて行ってくださるだろう」。
天主への愛の第一にして最大の掟をお与えになったのち、私たちの主イエズス・キリストは私たちに、「私があなたたちを愛したように、あなたたちも愛し合いなさい」とも要求され、また主はこれを主の新しい掟と呼ばれました。キリストはどのようにして私たちを愛されたのでしょうか? 主は、私たちを永遠の滅びから救うため、また私たちを永遠の至福へと導くため、ご自分をお捧げになったのです。
ですから、ここでもまた、私たちは自問しなければなりません。私たちは、一体どれほど私たちの仲間である人類の救いのことを考えているでしょうか? 私たちは、人類の大部分について全く気にかけておらず、他人は私を悩ませていると思い、もしたまたま誰かに善きことがあるよう願うとしても、それはほとんど全てが「健康、福祉、成功」のことです。
ですから、ここでもまた、主は、愛徳という素晴らしい掟をもっとよく実践できるよう、私たちに助けを送られます。それは、愛情あふれる御母、元后であり、この方は、キリストに次いで、すべての人々一人一人を、この世の最高の母親たちが最愛の子どもを愛することのできる以上に愛してくださるのです。その上、キリストは、これらの人々が回心して救われるよう、御母にすべての御恵みを与えられました。しかし今、天主は私たちに、この務めに参加するよう望んでおられます。そういうわけで、私たちはもう一つの秘蹟、聖なる堅振の秘蹟を受けたのです。この秘蹟は、私たちの聖化のためだけでなく、私たちをキリストの兵士にし、キリストの神秘体の啓発に参加するよう、私たちに聖霊を与えるのですから。
堅振の秘蹟によるこの偉大なる御恵みを無駄にしないために、また王の軍隊に入って王の召集に従うために、主は、私たちに無原罪の聖母を送られて、私たちが聖母の騎士になり、聖母の小さな軍隊に加わって、できる限り多くの聖母の子どもたちの霊魂を聖母が救うのを助けるようになさったのです。見てください、天と地の元后は物乞いとなられ、私のところに来て謙遜に嘆願なさいます。「わが子よ、あなたが必要です。あなたは、不死の霊魂であるわが子どもたちを救うため、私を助けたいと望みますか? 非常に多くの霊魂が永遠に失われています。彼らのために祈り犠牲をする人が誰もいないからです」(1917年8月19日、ファチマ)。
ここでもまた無原罪の聖母は私たちに、聖母の道具として、これまで以上に霊魂を救うよう、堅振の秘蹟の御恵みを維持するよう、私たちに教えることになるしもべを送られました。聖マキシミリアノ・コルベは、全世界を聖母の足元に置いて、「聖母が悪魔のかしらを踏み砕き、世界中の異端に打ち勝つことができる」ように、無原罪の聖母の騎士会を創立しました。
ちょうど隣人への愛が天主への愛を基礎とし、それを前提とするように、堅振の秘蹟が洗礼の秘蹟を基礎とし、それを前提とし補うように、マキシミリアノの事業はグリニョンの全面的な奉献の拡張かつ補足として、その奉献に基づいています。言い換えれば、聖グリニョンのマリアへの全面的な奉献を完成させるために、聖マキシミリアノの奉献の祈りが必要とされるのです。そのときだけ、私たちの全存在は、聖母の現存と聖母の御恵みの充満が浸透することで、マリア様に依存するようになるのです。私たちの天主との関係だけでなく、私たちと隣人との関係においても、また私たちの自己聖化だけでなく、私たちがこの世で天主から受けた宣教の使命、すなわちキリストの御国を求めるキリストの戦士になるという宣教の使命においてもです。私たちの天国への道、地上で霊魂の救いを求める私たちの闘い―すべてが、例外なくすべてが、聖母に属しているのです。ちょうど、聖母が天主に属しているように。
しかしながら他方では、このことは、無原罪の聖母の騎士は、繰り返し自分の霊的な基礎を知らねばならないことをも意味しています。「天主のすべての戦いにおいて勝利を収め給う私の元后、私は御身の軍隊の道具にして騎士になることができます。それは、ただ私が全面的に御身の子どもであって御身は私の母であり、私は御身の奴隷であって御身は私の主人であるという段階になったときだけです」。
厳密に言えば、マリア様を私たちの母にして元后であると荘厳に認める全面的な奉献がなければ、そしてそれゆえに、聖母の子どもかつ奴隷として聖母への絶対的な依存がなければ、誰も本当の意味で聖母の騎士にはなれません。
もし皆さんが、まだ聖グリニョンによる奉献をしていないなら、司令官は、すべての戦いにおける確実な勝利の秘密を発見するよう、皆さんを招きたいと望んでおられます。皆さんがこの招待を拒否するならば、皆さんは無原罪の聖母の熱心な戦士には決してなれないでしょう。それどころか、非常に弱くなってしまい、恐るべき敵の攻撃に抵抗できないでしょう。そのうえ、戦いにおいて特別なことは何もできないでしょう。なぜなら、将軍は皆さんを少ししか頼りにすることができず、皆さんの武器は錆びついているか、弾丸を使い切っていたりするかであるからです。
元后が皆さんを奴隷かつ子どもとして受け入れ、理論的には今や完徳の高みにまで安全に皆さんを導くことのできるという言葉で表せない御恵みを、皆さんがすでに受けているのなら、少なくとも年に一回は、繰り返しマリアへの完全なる明け渡しを更新することが非常に重要です。
その理由は単純です。私たちは生きている限り、常にこの信心を完全かつ真剣に理解する自信がないからです。私たちの奉献が更新されるたびに、私たちは少しだけそれにふさわしくなり、少しだけより忠実になるのですから!
もう一つ理由があります。戦いは恐ろしいものであり、私たちは常に戦場にいるのです。騎士は簡単に疲れてしまい、霊魂を救うために無原罪の聖母を助けることに従事し続けているときは特にそうです。終わりなき混乱が私たちを消耗させます。そのようなわけで、私たちが母親の胸元にいる子どものようにしばらく休むことができるよう、御母は私たちをご自分の方へ引き寄せたいと望まれます。聖母は、ご自分がどれほど私たちを愛しておられるのか、どれほどまで私たちの母でいらっしゃるのか、私たちから何を望んでおられるのかを、もう一度私たちに思い出させようと望んでおられます(準備の第2週)。聖母は、天主に全面的に依存している被造物として、しかしまたあわれな堕落した人間として、私たちが何者なのかを何度も繰り返してじっくり考えるよう私たちに望んでおられます(準備の第1週)。とりわけ、聖母は御子へと私たちを導きたいとお望みです。それは、聖母を通して、私たちが主を十分に知って愛し、私たちが、私たちを「限りなく」愛し「私たちのために十字架上の死に至るまでご自分を捧げられた」主のものになるためです(準備の第3週)。[注1]
聖グリニョンの奉献のための望ましい日は3月25日のお告げの祝日です。この日には、すべての人が奉献の祈りの更新するよう(あるいは初めての場合はそれを行うよう)招かれています。MIの大きな祝日は、12月8日の無原罪の御宿りの祝日です。この日には、私たちは、聖母の道具としての奉献の祈りを更新することになっています。ですから、奴隷としての準備と奉献は、通常は四旬節に当たり、騎士としての奉献は待降節に当たります。これは、御摂理による忘れないためのしるしであって、このようにして、御摂理は、これらの悔悛と回心の時期に私たちが素晴らしい決心を立てるよう助けてくだっているのではないでしょうか?
これとは別に、すべてのマリア様の祝日もまた、無原罪の聖母への奉献、私たちが何者であるかを決して忘れないための重要な信心である奉献を更新するのにふさわしい日です。今も永遠においても、私たちは、無原罪の聖母の子どもであり、奴隷であり、騎士であるという特権を持っているのですから。
そのような私たちには過ぎたる御恵みに対して、無原罪の聖母がたたえられ、讃美されますように!
2018年2月26日、ジャカルタにて
カール・シュテーリン神父
[注1]奉献の祈りの年に一度の更新のため、聖ルイ・マリーは私たちが3週間にわたってその準備をするよう望んでいます。「毎年同じ日に、同じ修業のあとで3週間、奉献を更新すべきである。また、毎月あるいは毎日、次の短い祈り『わが愛し奉る主イエズスよ、聖なる御母マリアによりて、われすべて御身のもの、わが持ち物はすべて御身のもの』を唱えることで奉献を更新することもできる」(聖母マリアへのまことの信心233番)
【英語原文】
Father Director's Letter No 10 to all Knights of the Immaculata
Dear Knights of the Immaculata!
In order to understand St. Maximilian Kolbe correctly, one must go back to the most important sources that have shaped and inspired his inner life: the history of his country, completely marked by the presence of Mary, in Poland specially venerated as the “commander in chief” of the Christian armies; the Miraculous Medal; the apparitions of Mary in Lourdes, and especially St. Louis Marie Grignion of Montfort.
Most likely, he met the great master of "perfect surrender to Mary" during his studies in Rome. It is certainly no coincidence that he was ordained a priest on the 28th of April, the feast of St. Louis Marie (at that time yet Blessed Louis Marie), exactly 100 years ago.
He made St. Louis Marie known in Poland, and printed and published the first Polish translation of the "Secret of Mary". In the foreword he himself wrote a short biography and summary of Grignion’s spirituality. Above all, he emphasizes the similarity of the situation in the different times in which both lived. At that time the enemies were the Jansenists; today it is the Freemasons and other sects. The distinctive mark of all of them — a hatred for true devotion to Jesus and Mary. Like the Knights of the Immaculata today, Grignion was then the great apostle of the Mediatrix of all graces: as a perfect instrument in her immaculate hands, he has saved countless souls from the chains of Satan during his popular missions. Just as today's M.I. faces the all-dominating armies of evil, so too Grignion was exposed to the mighty power of the enemies. Often alone, abandoned even by his friends, he became the target of the malice and envy of the heretics. Above all, however, Grignion and Maximilian draw together from the source of all strength and courage: they put all their trust in Our Lady and were absolutely obedient to her in everything; always and everywhere and completely only HER will counts!
There is, however, an even more important coincidence: Grignion of Montfort was certainly inspired "from above" when he pointed out the role of Mary in the latter times: if the supremacy of the dragon and its servants is so great that they almost succeed in destroying the Church and entice almost all men on the path of damnation, then the apocalyptic Woman appears (Apoc. 12, 1). Through her faithful servants, she crushes the head of Satan and overcomes all his attacks, but above all, through these few faithful "apostles of Jesus and Mary of the last times", she snatches countless souls from the adversary.
St. Maximilian draws the attention of the Knights of the Immaculata to the description by Grignion of these faithful slaves of Mary, who fear no power, who go wherever the Queen sends them, who hold the crucifix in their right hand, the rosary in their left hand and have written the names of Jesus and Mary in their hearts.
He wants the Knights of the Immaculata to identify themselves with the Apostles of Jesus and Mary of the last times: “Our goal and the means to achieve this ideal (apostles of Jesus and Mary) are in complete agreement with St. Louis Maria's views. His most earnest desire — the desire of his whole life — was to honour the Immaculata as the Queen of all humankind, to hand over to her love all beating hearts of men".
For this reason, according to St. Maximilian's wish, all inhabitants of the City of the Immaculata, both in Poland and Japan, have made the consecration according to St. Montfort. In order to truly become a Knight of the Immaculate Conception in the full sense of the word, one must be her obedient child and her submissive slave. One can be totally an instrument only if one belongs totally to the artist as his property.
It is certainly true that St. Maximilian makes it easy for everyone to become a knight, and basically demands practically nothing other than the consecration, a daily little prayer and wearing the Miraculous Medal. Nevertheless, he expresses his deepest wish that every knight should be filled with the great ideal of having received a magnificent, unspeakably significant mission: We should strive more and more to belong fully to the Immaculata, to be completely obedient to her and thus be her instrument that she can use as she wants, to save as many souls as possible.
However, this is unspeakably difficult, especially in our times. And the closer the end, the harder and more dangerous the fight! In such moments we should never forget that the least we do for the Immaculata is generously rewarded by her. The first to be filled with graces by the Immaculata, will be her faithful instrument itself. My efforts for the conversion of the poor sinners will first of all benefit me, the poorest of the poor sinners.
But what is the difference between the two consecrations? How do they relate to each other?
Our Lady gave St. Louis Marie the grace of true and perfect devotion to her. Through this devotion she becomes our mother and queen in the truest sense of the word, and we her children and slaves. As a mother, she takes our hands and helps us to return to God, to save our souls, to free ourselves from the devil's traps and cling to Jesus Christ. In this way we fulfill our Baptismal vows and begin to fulfill God's greatest commandment: the love of God above all else! Visibly, the "perfect devotion" is given to us for our own conversion and sanctification, for our relationship with God himself: “Without my mother and queen I will never find HIS truth, HIS life and HIS way. Even if I found this truth and life once, I would surely lose it again without Mary. But now that she commands the ship of my life, she will take me safely to the harbour”.
After the first and major commandment of love for God, Our Lord Jesus Christ requires us also to "love one another as I have loved you", and He calls this His new commandment. How did Christ love us? He gave himself to save us from eternal damnation and to lead us into eternal bliss.
And here too, we have to ask ourselves: How often do we think of the salvation of our fellow human beings? We don't care at all about most of them, others bother us, and if we happen to wish someone good, then it is mostly all about "health, well-being and success".
And here too, the Lord sends us a help so that we can practice the great commandment of charity better and better: It is the loving mother, the queen, who after Christ loves all people so much, each one more than all the best mothers of the world can love their beloved children together. Furthermore, Christ gave her all his graces so that these people could be converted and saved. But now God also wants us to participate in this work. That is why we have received another sacrament, the Holy Confirmation, which bestows on us the Holy Ghost not only for our own sanctification, but to become Christ's soldiers and to participate in the edification of the Mystical Body of Christ.
In order not to waste these great graces of Holy Confirmation, and to finally enter into the King's army and to follow his call, the Lord sends us the Immaculata so that we may become her knights, join her small army and help her to save the souls of her children — as many as possible. And behold, the queen of heaven and earth becomes a beggar, comes to me and humbly pleads: “My child, I need you! Do you want to help me save my children, the immortal souls? So many are lost forever because there is no one who prays and sacrifices for them” (Fatima, 19th of August 1917).
Here, too, the Immaculata has sent us her servant, who is to teach us to save souls as her instruments and to unfold the graces of Holy Confirmation more and more: St. Maximilian Kolbe founded the Militia Immaculatae to lay the whole world at her feet, so that “She can crush the devil's head everywhere and overcome heresies all over the world”.
Just as the love of the neighbour builds on the love of God and presupposes it, as Confirmation builds on Baptism, presupposes and supplements it, so all of Maximilian's work is based on the total consecration of Grignion, as its extension and complement. In other words, in order to complete the total Consecration to Mary according to St. Grignion, one needs the act of consecration of St. Maximilian. Only then will our entire existence be made dependent on Mary, permeated by her presence and her fullness of grace: not only our relationship with God, but also our relationship with our neighbour; not only our self-sanctification, but also the mission that we have received from God in this world, namely to be the champion of Christ for the expansion of His kingdom. Our way to Heaven, our struggles on earth for the salvation of souls — everything, without exception everything belongs to her, just as she belongs to God.
On the other hand, however, this also means that the Knight of the Immaculata must again and again be aware of his spiritual foundation: “O my Queen, victorious in all the battles of God, I can be your instrument and knight in your army only to the extent, in which I am wholly your child, and you my mother, I your slave, and you my mistress”.
Strictly speaking, one cannot really be her knight without the total consecration through which we solemnly recognize Mary as our Mother and Queen, and thus our absolute dependence on her as her children and slaves.
If you have not yet made your Consecration according to St. Grignion, the Commander-in-chief would like to invite you to discover the secret of the sure victory in all battles and fights. If you reject this invitation you will never be an eager fighter of the Immaculata; on the contrary, you will often be too weak to resist the attacks of the terrible enemies. Besides, you won't be able to do anything special in battle, because the general can only count on you a little, your weapons are rusty or your ammunition is used up.
If you have already received the unspeakable grace that the Queen has accepted you as a slave and child and is now theoretically able to lead you safely to the heights of perfection, it is very important to renew again and again the total surrender to Mary, at least once a year.
The reason is simple: as long as we live, we will always lack the confidence to understand fully and seriously this devotion. With each renewal of our consecration we become a little less unworthy and a little bit more faithful!
There is another reason: the fight is terrible, we're always on the battlefield. The knight can easily get tired, especially when he is constantly occupied in helping the Immaculata to save souls. The never-ending turmoil wears us out. That is why the Mother wants to draw us to herself, so that we can rest for a while, like a child on the heart of the Mother. She wants to remind us again how much she loves us, how much she is our mother and what she wants from us (2nd week of preparation). She wants us to reflect over and over again on who we ourselves are, as creatures totally dependent on God, but also as poor, fallen men (1st week of preparation). Above all, she desires to lead us to her Son, so that through her we may know and love Him fully and belong to Him who has loved us "boundlessly and who has given himself up for us unto death on the cross "(3rd week of preparation)[1].
The preferred solemnity for St. Grignion is the 25th of March, the Feast of the Annunciation, on which all are invited to renew the act of consecration (or to do it for the first time). The great solemnity of the M.I. is the 8th of December, the Feast of the Immaculate Conception, on which we are to renew the act of consecration as her instruments. Thus, the preparation and the consecration as slaves usually falls into Lent, whereas the consecration as knights into the Advent season. Is this not a reminder of Providence, which in this way helps us to make a wonderful resolution in these times of penance and conversion?
Apart from this, all Feasts of Mary are also suitable for renewing our consecrations to the Immaculata — an important devotion so that we never forget our identity: Now and for all eternity we have the privilege of being children, slaves and knights of the Immaculata.
MAY SHE BE PRAISED AND GLORIFIED for such an undeserved grace!
Jakarta, on the 26th of February 2018
Fr. Karl Stehlin
[1]For the annual renewal of the act of consecration, St. Louis Marie wishes that we prepare it during three weeks: "Every year, on the same day, you should renew the consecration for three weeks after the same exercises. You can also renew it every month or even every day by saying this short prayer: "I am all Thine and all that I have is Thine, my beloved Jesus through Mary, Thy holy Mother" (Treatise No. 233).
愛する兄弟姉妹の皆様、
童貞聖マリアの浄配、聖ヨゼフの祝日、おめでとうございます。
無原罪の聖母の騎士全員への指導司祭の手紙【第10号】をご紹介いたします。
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
無原罪の聖母の騎士全員への指導司祭の手紙 第10号
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん、
聖マキシミリアノ・コルベを正しく理解するためには、彼の内的生活を形づくり促進させた最も重要な根源にまで立ち戻らなければなりません。それは、マリア様の現存によって完全に特徴づけられ、特にマリア様がキリスト信者の軍隊の「司令官」として敬われているポーランドという彼の国の歴史、不思議のメダイ、ルルドのマリア様のご出現、そして聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールです。
おそらくは、聖コルベがローマで勉強している間に、この「マリアへの完全なる明け渡し」の偉大なる師に出会ったのでしょう。聖コルベが、ちょうど100年前の聖ルイ・マリー(当時はまだ福者ルイ・マリー)の祝日である4月28日に叙階されたのは、確かに偶然ではありません。
彼は聖ルイ・マリーをポーランドに知らせ、「マリアの秘密」の最初のポーランド語版を印刷、出版しました。その序文では、彼自身が聖グリニョンの短い伝記とその霊性の要約を書きました。とりわけ彼は、二人が生きた時代は違うものの、似たような状況に生きていたことを強調しました。聖ルイ・マリーの当時の敵はジャンセニストでしたが、こんにちの敵はフリーメーソンとその他のセクトです。どの敵も皆、特徴的なしるしがありました。それはイエズスとマリアへのまことの信心に対する嫌悪でした。こんにちの無原罪の聖母の騎士のように、当時、グリニョンはすべての恵みの仲介者の偉大なる使徒でした。聖母の汚れなき御手の完璧な道具として、グリニョンは、そのよく知られた宣教活動の間に、サタンの鎖から数え切れない霊魂を救いました。ちょうどこんにちの無原罪の聖母の騎士会(MI)が、すべてを支配しつつある悪の軍団に直面しているように、グリニョンも敵の強大な力にさらされていました。しばしば一人ぼっちで、友人にさえ見捨てられて、彼は異端者の悪意と妬みの標的になりました。しかしながら、何にもましてグリニョンとマキシミリアノは、すべての力と勇気を共に同じ根源から引き出しました。彼らは聖母に全き信頼を置き、すべてにおいて聖母に絶対服従しました。いつであってもどこであっても完全に、聖母だけを頼りにしました!
しかしながら、さらに重要とさえ言える偶然の一致があります。グリニョン・ド・モンフォールは、終末の時代のマリア様の役割を指摘したとき、「上から」霊感を与えられました。もし竜とその手下たちの支配権が非常に強力なため、教会を破壊することにほとんど成功してしまい、ほとんどすべての人を破滅への道へとそそのかすならば、そのとき黙示録の婦人が現れるでしょう(黙示録12章1節)。忠実なしもべたちを通して、その婦人はサタンのかしらを踏み砕き、サタンのすべての攻撃に打ち勝つでしょうが、とりわけ、この少数の忠実な「終末の時代のイエズスとマリアの使徒」を通して、婦人は数え切れない霊魂を患難から奪い取るのです。
聖マキシミリアノは無原罪の聖母の騎士の注意を、このマリアの忠実な奴隷というグリニョンの描写に引き付けています。この奴隷たちは権力を恐れず、元后が送り出そうと命ずるところならどこへでも行き、右手に十字架像、左手にはロザリオを持ち、心にはイエズスとマリアの聖名を刻んでいました。
聖マキシミリアノは無原罪の聖母の騎士に対して、自分たちを終末の時代のイエズスとマリアの使徒だと見なすよう求めています。「この理想(イエズスとマリアの使徒)を実現するための私たちの目標とその手段は、聖ルイ・マリーの考えと完全に一致しています。彼の最も熱心な望み、彼の全生涯の望みは、無原罪の聖母を全人類の元后としてたたえ、人間の鼓動する心臓をすべて、聖母の愛に引き渡すことでした」。
この理由から、聖マキシミリアノの望みによって、無原罪の聖母の園に住む人々はすべて、ポーランドであれ日本であれ、聖モンフォールによる奉献をしてきました。言葉の完全な意味において、まことに無原罪の御宿りの騎士になるためには、聖母の従順な子ども、聖母に服従する奴隷にならねばならないのです。人が所有物として完全に芸術家のものになるならば、その限りにおいてのみ、完全にその芸術家の道具となることができるのです。
聖マキシミリアノが、誰でも簡単に騎士になれるようにし、毎日一つの短い祈りをすることと、不思議のメダイを身に着けるという奉献以外には、実践として何も要求していないというのは、確かに本当です。それにもかかわらず、彼は、すべての騎士が壮大で言い表せないほど重要な宣教の使命を受けたという偉大な理想に満たされるべきだという、自分の心からの望みを表しました。私たちは、完全に無原罪の聖母のものになるよう、聖母に完全に従って聖母が望みのままにお使いになる道具となるよう、可能な限り多くの霊魂を救うよう、もっともっと努力すべきです。
しかしながら、このことは言い表せないほど困難です、特に私たちの時代においては。終末が近づけば近づくほど、戦いは厳しくかつ危険になります! そんなとき、私たちが無原罪の聖母のために行う最も小さなことでも、聖母によって寛大に報いられるということを、私たちは忘れるべきではありません。進んで無原罪の聖母による御恵みで満たされる人は、聖母の忠実な道具そのものになるでしょう。あわれな罪びとの回心のための私の努力が、まず第一に、あわれな罪びとの中でも最もあわれな罪びとである私に利益を与えるのです。
しかし、この二つの奉献の違いは何でしょうか? 二つは互いにどのように関係しているのでしょうか?
聖母は聖ルイ・マリーに対して、聖母へのまことにして完全な信心という御恵みをお与えになりました。この奉献によって、聖母は、言葉の本当の意味で、私たちの母にして元后になられ、私たちは聖母の子どもにして奴隷になります。母として、聖母は私たちの手をお取りになって、私たちを助けて天主へ立ち返るよう、霊魂を救うよう、悪魔のわなから自由になるよう、イエズス・キリストから離れないようにさせてくださいます。このようにして、私たちは洗礼の誓いを守り、天主の最も偉大なる掟、すなわちすべてに超えて天主を愛するということを守るのです! 明らかに、私たち自身の回心と聖化のため、私たちの天主ご自身との関係のため、「完全な信心」が私たちに与えられます。「私の母にして元后がいなければ、私は主の真理、主のいのち、主の道を見つけられないだろう。もし私がこの真理といのちをいったん見つけたとしても、マリア様がいなければ確実に再びそれを失っていただろう。しかし今、聖母が私のいのちという船を指揮されるからには、聖母は私を港まで安全に連れて行ってくださるだろう」。
天主への愛の第一にして最大の掟をお与えになったのち、私たちの主イエズス・キリストは私たちに、「私があなたたちを愛したように、あなたたちも愛し合いなさい」とも要求され、また主はこれを主の新しい掟と呼ばれました。キリストはどのようにして私たちを愛されたのでしょうか? 主は、私たちを永遠の滅びから救うため、また私たちを永遠の至福へと導くため、ご自分をお捧げになったのです。
ですから、ここでもまた、私たちは自問しなければなりません。私たちは、一体どれほど私たちの仲間である人類の救いのことを考えているでしょうか? 私たちは、人類の大部分について全く気にかけておらず、他人は私を悩ませていると思い、もしたまたま誰かに善きことがあるよう願うとしても、それはほとんど全てが「健康、福祉、成功」のことです。
ですから、ここでもまた、主は、愛徳という素晴らしい掟をもっとよく実践できるよう、私たちに助けを送られます。それは、愛情あふれる御母、元后であり、この方は、キリストに次いで、すべての人々一人一人を、この世の最高の母親たちが最愛の子どもを愛することのできる以上に愛してくださるのです。その上、キリストは、これらの人々が回心して救われるよう、御母にすべての御恵みを与えられました。しかし今、天主は私たちに、この務めに参加するよう望んでおられます。そういうわけで、私たちはもう一つの秘蹟、聖なる堅振の秘蹟を受けたのです。この秘蹟は、私たちの聖化のためだけでなく、私たちをキリストの兵士にし、キリストの神秘体の啓発に参加するよう、私たちに聖霊を与えるのですから。
堅振の秘蹟によるこの偉大なる御恵みを無駄にしないために、また王の軍隊に入って王の召集に従うために、主は、私たちに無原罪の聖母を送られて、私たちが聖母の騎士になり、聖母の小さな軍隊に加わって、できる限り多くの聖母の子どもたちの霊魂を聖母が救うのを助けるようになさったのです。見てください、天と地の元后は物乞いとなられ、私のところに来て謙遜に嘆願なさいます。「わが子よ、あなたが必要です。あなたは、不死の霊魂であるわが子どもたちを救うため、私を助けたいと望みますか? 非常に多くの霊魂が永遠に失われています。彼らのために祈り犠牲をする人が誰もいないからです」(1917年8月19日、ファチマ)。
ここでもまた無原罪の聖母は私たちに、聖母の道具として、これまで以上に霊魂を救うよう、堅振の秘蹟の御恵みを維持するよう、私たちに教えることになるしもべを送られました。聖マキシミリアノ・コルベは、全世界を聖母の足元に置いて、「聖母が悪魔のかしらを踏み砕き、世界中の異端に打ち勝つことができる」ように、無原罪の聖母の騎士会を創立しました。
ちょうど隣人への愛が天主への愛を基礎とし、それを前提とするように、堅振の秘蹟が洗礼の秘蹟を基礎とし、それを前提とし補うように、マキシミリアノの事業はグリニョンの全面的な奉献の拡張かつ補足として、その奉献に基づいています。言い換えれば、聖グリニョンのマリアへの全面的な奉献を完成させるために、聖マキシミリアノの奉献の祈りが必要とされるのです。そのときだけ、私たちの全存在は、聖母の現存と聖母の御恵みの充満が浸透することで、マリア様に依存するようになるのです。私たちの天主との関係だけでなく、私たちと隣人との関係においても、また私たちの自己聖化だけでなく、私たちがこの世で天主から受けた宣教の使命、すなわちキリストの御国を求めるキリストの戦士になるという宣教の使命においてもです。私たちの天国への道、地上で霊魂の救いを求める私たちの闘い―すべてが、例外なくすべてが、聖母に属しているのです。ちょうど、聖母が天主に属しているように。
しかしながら他方では、このことは、無原罪の聖母の騎士は、繰り返し自分の霊的な基礎を知らねばならないことをも意味しています。「天主のすべての戦いにおいて勝利を収め給う私の元后、私は御身の軍隊の道具にして騎士になることができます。それは、ただ私が全面的に御身の子どもであって御身は私の母であり、私は御身の奴隷であって御身は私の主人であるという段階になったときだけです」。
厳密に言えば、マリア様を私たちの母にして元后であると荘厳に認める全面的な奉献がなければ、そしてそれゆえに、聖母の子どもかつ奴隷として聖母への絶対的な依存がなければ、誰も本当の意味で聖母の騎士にはなれません。
もし皆さんが、まだ聖グリニョンによる奉献をしていないなら、司令官は、すべての戦いにおける確実な勝利の秘密を発見するよう、皆さんを招きたいと望んでおられます。皆さんがこの招待を拒否するならば、皆さんは無原罪の聖母の熱心な戦士には決してなれないでしょう。それどころか、非常に弱くなってしまい、恐るべき敵の攻撃に抵抗できないでしょう。そのうえ、戦いにおいて特別なことは何もできないでしょう。なぜなら、将軍は皆さんを少ししか頼りにすることができず、皆さんの武器は錆びついているか、弾丸を使い切っていたりするかであるからです。
元后が皆さんを奴隷かつ子どもとして受け入れ、理論的には今や完徳の高みにまで安全に皆さんを導くことのできるという言葉で表せない御恵みを、皆さんがすでに受けているのなら、少なくとも年に一回は、繰り返しマリアへの完全なる明け渡しを更新することが非常に重要です。
その理由は単純です。私たちは生きている限り、常にこの信心を完全かつ真剣に理解する自信がないからです。私たちの奉献が更新されるたびに、私たちは少しだけそれにふさわしくなり、少しだけより忠実になるのですから!
もう一つ理由があります。戦いは恐ろしいものであり、私たちは常に戦場にいるのです。騎士は簡単に疲れてしまい、霊魂を救うために無原罪の聖母を助けることに従事し続けているときは特にそうです。終わりなき混乱が私たちを消耗させます。そのようなわけで、私たちが母親の胸元にいる子どものようにしばらく休むことができるよう、御母は私たちをご自分の方へ引き寄せたいと望まれます。聖母は、ご自分がどれほど私たちを愛しておられるのか、どれほどまで私たちの母でいらっしゃるのか、私たちから何を望んでおられるのかを、もう一度私たちに思い出させようと望んでおられます(準備の第2週)。聖母は、天主に全面的に依存している被造物として、しかしまたあわれな堕落した人間として、私たちが何者なのかを何度も繰り返してじっくり考えるよう私たちに望んでおられます(準備の第1週)。とりわけ、聖母は御子へと私たちを導きたいとお望みです。それは、聖母を通して、私たちが主を十分に知って愛し、私たちが、私たちを「限りなく」愛し「私たちのために十字架上の死に至るまでご自分を捧げられた」主のものになるためです(準備の第3週)。[注1]
聖グリニョンの奉献のための望ましい日は3月25日のお告げの祝日です。この日には、すべての人が奉献の祈りの更新するよう(あるいは初めての場合はそれを行うよう)招かれています。MIの大きな祝日は、12月8日の無原罪の御宿りの祝日です。この日には、私たちは、聖母の道具としての奉献の祈りを更新することになっています。ですから、奴隷としての準備と奉献は、通常は四旬節に当たり、騎士としての奉献は待降節に当たります。これは、御摂理による忘れないためのしるしであって、このようにして、御摂理は、これらの悔悛と回心の時期に私たちが素晴らしい決心を立てるよう助けてくだっているのではないでしょうか?
これとは別に、すべてのマリア様の祝日もまた、無原罪の聖母への奉献、私たちが何者であるかを決して忘れないための重要な信心である奉献を更新するのにふさわしい日です。今も永遠においても、私たちは、無原罪の聖母の子どもであり、奴隷であり、騎士であるという特権を持っているのですから。
そのような私たちには過ぎたる御恵みに対して、無原罪の聖母がたたえられ、讃美されますように!
2018年2月26日、ジャカルタにて
カール・シュテーリン神父
[注1]奉献の祈りの年に一度の更新のため、聖ルイ・マリーは私たちが3週間にわたってその準備をするよう望んでいます。「毎年同じ日に、同じ修業のあとで3週間、奉献を更新すべきである。また、毎月あるいは毎日、次の短い祈り『わが愛し奉る主イエズスよ、聖なる御母マリアによりて、われすべて御身のもの、わが持ち物はすべて御身のもの』を唱えることで奉献を更新することもできる」(聖母マリアへのまことの信心233番)
【英語原文】
Father Director's Letter No 10 to all Knights of the Immaculata
Dear Knights of the Immaculata!
In order to understand St. Maximilian Kolbe correctly, one must go back to the most important sources that have shaped and inspired his inner life: the history of his country, completely marked by the presence of Mary, in Poland specially venerated as the “commander in chief” of the Christian armies; the Miraculous Medal; the apparitions of Mary in Lourdes, and especially St. Louis Marie Grignion of Montfort.
Most likely, he met the great master of "perfect surrender to Mary" during his studies in Rome. It is certainly no coincidence that he was ordained a priest on the 28th of April, the feast of St. Louis Marie (at that time yet Blessed Louis Marie), exactly 100 years ago.
He made St. Louis Marie known in Poland, and printed and published the first Polish translation of the "Secret of Mary". In the foreword he himself wrote a short biography and summary of Grignion’s spirituality. Above all, he emphasizes the similarity of the situation in the different times in which both lived. At that time the enemies were the Jansenists; today it is the Freemasons and other sects. The distinctive mark of all of them — a hatred for true devotion to Jesus and Mary. Like the Knights of the Immaculata today, Grignion was then the great apostle of the Mediatrix of all graces: as a perfect instrument in her immaculate hands, he has saved countless souls from the chains of Satan during his popular missions. Just as today's M.I. faces the all-dominating armies of evil, so too Grignion was exposed to the mighty power of the enemies. Often alone, abandoned even by his friends, he became the target of the malice and envy of the heretics. Above all, however, Grignion and Maximilian draw together from the source of all strength and courage: they put all their trust in Our Lady and were absolutely obedient to her in everything; always and everywhere and completely only HER will counts!
There is, however, an even more important coincidence: Grignion of Montfort was certainly inspired "from above" when he pointed out the role of Mary in the latter times: if the supremacy of the dragon and its servants is so great that they almost succeed in destroying the Church and entice almost all men on the path of damnation, then the apocalyptic Woman appears (Apoc. 12, 1). Through her faithful servants, she crushes the head of Satan and overcomes all his attacks, but above all, through these few faithful "apostles of Jesus and Mary of the last times", she snatches countless souls from the adversary.
St. Maximilian draws the attention of the Knights of the Immaculata to the description by Grignion of these faithful slaves of Mary, who fear no power, who go wherever the Queen sends them, who hold the crucifix in their right hand, the rosary in their left hand and have written the names of Jesus and Mary in their hearts.
He wants the Knights of the Immaculata to identify themselves with the Apostles of Jesus and Mary of the last times: “Our goal and the means to achieve this ideal (apostles of Jesus and Mary) are in complete agreement with St. Louis Maria's views. His most earnest desire — the desire of his whole life — was to honour the Immaculata as the Queen of all humankind, to hand over to her love all beating hearts of men".
For this reason, according to St. Maximilian's wish, all inhabitants of the City of the Immaculata, both in Poland and Japan, have made the consecration according to St. Montfort. In order to truly become a Knight of the Immaculate Conception in the full sense of the word, one must be her obedient child and her submissive slave. One can be totally an instrument only if one belongs totally to the artist as his property.
It is certainly true that St. Maximilian makes it easy for everyone to become a knight, and basically demands practically nothing other than the consecration, a daily little prayer and wearing the Miraculous Medal. Nevertheless, he expresses his deepest wish that every knight should be filled with the great ideal of having received a magnificent, unspeakably significant mission: We should strive more and more to belong fully to the Immaculata, to be completely obedient to her and thus be her instrument that she can use as she wants, to save as many souls as possible.
However, this is unspeakably difficult, especially in our times. And the closer the end, the harder and more dangerous the fight! In such moments we should never forget that the least we do for the Immaculata is generously rewarded by her. The first to be filled with graces by the Immaculata, will be her faithful instrument itself. My efforts for the conversion of the poor sinners will first of all benefit me, the poorest of the poor sinners.
But what is the difference between the two consecrations? How do they relate to each other?
Our Lady gave St. Louis Marie the grace of true and perfect devotion to her. Through this devotion she becomes our mother and queen in the truest sense of the word, and we her children and slaves. As a mother, she takes our hands and helps us to return to God, to save our souls, to free ourselves from the devil's traps and cling to Jesus Christ. In this way we fulfill our Baptismal vows and begin to fulfill God's greatest commandment: the love of God above all else! Visibly, the "perfect devotion" is given to us for our own conversion and sanctification, for our relationship with God himself: “Without my mother and queen I will never find HIS truth, HIS life and HIS way. Even if I found this truth and life once, I would surely lose it again without Mary. But now that she commands the ship of my life, she will take me safely to the harbour”.
After the first and major commandment of love for God, Our Lord Jesus Christ requires us also to "love one another as I have loved you", and He calls this His new commandment. How did Christ love us? He gave himself to save us from eternal damnation and to lead us into eternal bliss.
And here too, we have to ask ourselves: How often do we think of the salvation of our fellow human beings? We don't care at all about most of them, others bother us, and if we happen to wish someone good, then it is mostly all about "health, well-being and success".
And here too, the Lord sends us a help so that we can practice the great commandment of charity better and better: It is the loving mother, the queen, who after Christ loves all people so much, each one more than all the best mothers of the world can love their beloved children together. Furthermore, Christ gave her all his graces so that these people could be converted and saved. But now God also wants us to participate in this work. That is why we have received another sacrament, the Holy Confirmation, which bestows on us the Holy Ghost not only for our own sanctification, but to become Christ's soldiers and to participate in the edification of the Mystical Body of Christ.
In order not to waste these great graces of Holy Confirmation, and to finally enter into the King's army and to follow his call, the Lord sends us the Immaculata so that we may become her knights, join her small army and help her to save the souls of her children — as many as possible. And behold, the queen of heaven and earth becomes a beggar, comes to me and humbly pleads: “My child, I need you! Do you want to help me save my children, the immortal souls? So many are lost forever because there is no one who prays and sacrifices for them” (Fatima, 19th of August 1917).
Here, too, the Immaculata has sent us her servant, who is to teach us to save souls as her instruments and to unfold the graces of Holy Confirmation more and more: St. Maximilian Kolbe founded the Militia Immaculatae to lay the whole world at her feet, so that “She can crush the devil's head everywhere and overcome heresies all over the world”.
Just as the love of the neighbour builds on the love of God and presupposes it, as Confirmation builds on Baptism, presupposes and supplements it, so all of Maximilian's work is based on the total consecration of Grignion, as its extension and complement. In other words, in order to complete the total Consecration to Mary according to St. Grignion, one needs the act of consecration of St. Maximilian. Only then will our entire existence be made dependent on Mary, permeated by her presence and her fullness of grace: not only our relationship with God, but also our relationship with our neighbour; not only our self-sanctification, but also the mission that we have received from God in this world, namely to be the champion of Christ for the expansion of His kingdom. Our way to Heaven, our struggles on earth for the salvation of souls — everything, without exception everything belongs to her, just as she belongs to God.
On the other hand, however, this also means that the Knight of the Immaculata must again and again be aware of his spiritual foundation: “O my Queen, victorious in all the battles of God, I can be your instrument and knight in your army only to the extent, in which I am wholly your child, and you my mother, I your slave, and you my mistress”.
Strictly speaking, one cannot really be her knight without the total consecration through which we solemnly recognize Mary as our Mother and Queen, and thus our absolute dependence on her as her children and slaves.
If you have not yet made your Consecration according to St. Grignion, the Commander-in-chief would like to invite you to discover the secret of the sure victory in all battles and fights. If you reject this invitation you will never be an eager fighter of the Immaculata; on the contrary, you will often be too weak to resist the attacks of the terrible enemies. Besides, you won't be able to do anything special in battle, because the general can only count on you a little, your weapons are rusty or your ammunition is used up.
If you have already received the unspeakable grace that the Queen has accepted you as a slave and child and is now theoretically able to lead you safely to the heights of perfection, it is very important to renew again and again the total surrender to Mary, at least once a year.
The reason is simple: as long as we live, we will always lack the confidence to understand fully and seriously this devotion. With each renewal of our consecration we become a little less unworthy and a little bit more faithful!
There is another reason: the fight is terrible, we're always on the battlefield. The knight can easily get tired, especially when he is constantly occupied in helping the Immaculata to save souls. The never-ending turmoil wears us out. That is why the Mother wants to draw us to herself, so that we can rest for a while, like a child on the heart of the Mother. She wants to remind us again how much she loves us, how much she is our mother and what she wants from us (2nd week of preparation). She wants us to reflect over and over again on who we ourselves are, as creatures totally dependent on God, but also as poor, fallen men (1st week of preparation). Above all, she desires to lead us to her Son, so that through her we may know and love Him fully and belong to Him who has loved us "boundlessly and who has given himself up for us unto death on the cross "(3rd week of preparation)[1].
The preferred solemnity for St. Grignion is the 25th of March, the Feast of the Annunciation, on which all are invited to renew the act of consecration (or to do it for the first time). The great solemnity of the M.I. is the 8th of December, the Feast of the Immaculate Conception, on which we are to renew the act of consecration as her instruments. Thus, the preparation and the consecration as slaves usually falls into Lent, whereas the consecration as knights into the Advent season. Is this not a reminder of Providence, which in this way helps us to make a wonderful resolution in these times of penance and conversion?
Apart from this, all Feasts of Mary are also suitable for renewing our consecrations to the Immaculata — an important devotion so that we never forget our identity: Now and for all eternity we have the privilege of being children, slaves and knights of the Immaculata.
MAY SHE BE PRAISED AND GLORIFIED for such an undeserved grace!
Jakarta, on the 26th of February 2018
Fr. Karl Stehlin
[1]For the annual renewal of the act of consecration, St. Louis Marie wishes that we prepare it during three weeks: "Every year, on the same day, you should renew the consecration for three weeks after the same exercises. You can also renew it every month or even every day by saying this short prayer: "I am all Thine and all that I have is Thine, my beloved Jesus through Mary, Thy holy Mother" (Treatise No. 233).