聖母月中の祈祷
我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン
二 十 六 日
天 主 に 対 す る 愛 を 増 す 方 法
(一)天主に対する愛は洗礼の時に聖霊(せいれい)が我等の心に注(そそ)ぎ給うもので、一つのお恵(めぐ)みである。しかしこの愛の火を益々(ますます)燃(も)えたたしめ、最も高い程度(ていど)にこれを完成する為には、特別よい方法が二つある。それは祈祷(いのり)と度々(たびたび)の聖体拝領(はいりょう)とである。
我等は愛を与えられんことをいつも願い、愛に満(み)ちたイエズスの聖心(みこころ)に、たえずその愛を分(わ)け与えて下さるよう求め、またマリアに天主を愛する為の御助けを常に請(こ)わねばならぬ。同時に聖マリア及び諸聖人の御手本(みてほん)に倣(なら)い主の御苦難(ごくなん)の黙想(もくそう)につとめなければならない。
マリアは何人(なにびと)にも優(まさ)って、毎日毎時愛する御子イエズスの御苦難(ごくなん)を黙想(もくそう)された。それゆえ天主に対する愛に充(み)ち溢(あふ)れておられたのである。
イエズスの御苦難を、聖アルホンゾは愛の矢と申された。なぜなら主が御苦難(ごくなん)によってわれらに示し給うた無限の愛を考えるほどわれらの冷たいかたくなな心を燃(も)えたたすものはないからである。
故(ゆえ)に屡々(しばしば)われらは主の御苦難を黙想するがよい。それはイエズスを如何に愛し奉(たてまつ)るべきか、その方法を学(まな)ぶ書物である。それを多く読めば読むほど、われらのイエズスに対する愛は増(ま)し加(くわ)わるであろう。
〔二〕しかし全善(ぜんぜん)なる天主に対する愛を、いよいよ増(ま)すべき最良の方法は聖体を屡々(しばしば)拝領することである。
「我は地上に火を放(はな)たんとて来(き)たれり。その燃(も)ゆる外(ほか)には何をか望(のぞ)まん」とキリストは仰せられたがこの火はイエズス御自身(ごじしん)である。
火は多くの物を火にかえる如く、イエズスも聖体(せいたい)拝領(はいりょう)する者と一致(いっち)して、彼を御自分に似(に)た者とされるのである。
「我が肉を食し我が血を飲む者は、我に止(とど)まり我もまた彼に止(とど)まる」と主(しゅ)御自(おんみずか)らも嘗(かつ)て宣(のたも)うた。
それゆえ聖体拝領を屡々(しばしば)すればするほど、われらは益々キリストに清められ、主の愛に熱せられ、ついには主と全(まった)く一致(いっち)して、聖パウロと共に「我は生(い)くと雖(いえど)も最早(もはや),我に非(あら)ず、キリストこそ我に於いて生(い)き給うなれ」と叫ぶことができるようになる。聖マリアが、いかに謙遜(けんそん)に、いかに愛にもゆる心を以てイエズスをお受けになったかを思え。
また聖母がその天主なる御子といかにして全く一致し給うたかを思え。
われらは謙遜と聖(とうと)い愛とを以て、もっと度々(たびたび)聖体の食卓(しょくたく)に近づくようにしよう。 そしてもっと度々(たびたび)主の甘味(かんみ)なる愛を味(あじ)わうようにしよう。
○ 聖マリアによりて、天主に対する愛を益々厚くする聖寵(せいちょう)を与えられんために「めでたし」三度唱(とな)えん。
祈 願 せ ん
主イエズス・キリスト主はわれらを主の愛に止(とど)まらしめんとて、聖体の秘蹟(ひせき)を定め、以てかたじけなくもわれらが霊魂(れいこん)の糧(かて)となし給えり。
さればわれらこの世に於いては、適当なる覚悟(かくご)のもとに屡々(しばしば)聖体を受け、天主に対する愛を増(ま)し、殊(こと)に臨終(りんじゅう)に於(お)いてはこの天使のパンによりて強められ、安全にこの世を去り、愛の秘蹟(ひせき)にいます主の、寛大(かんだい)なる審判(さばき)に与(あずか)らんことを、聖マリアの御伝達(おんとりつぎ)によりて願い奉(たてまつ)る。 アメン。
============
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA
我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン
二 十 六 日
天 主 に 対 す る 愛 を 増 す 方 法
(一)天主に対する愛は洗礼の時に聖霊(せいれい)が我等の心に注(そそ)ぎ給うもので、一つのお恵(めぐ)みである。しかしこの愛の火を益々(ますます)燃(も)えたたしめ、最も高い程度(ていど)にこれを完成する為には、特別よい方法が二つある。それは祈祷(いのり)と度々(たびたび)の聖体拝領(はいりょう)とである。
我等は愛を与えられんことをいつも願い、愛に満(み)ちたイエズスの聖心(みこころ)に、たえずその愛を分(わ)け与えて下さるよう求め、またマリアに天主を愛する為の御助けを常に請(こ)わねばならぬ。同時に聖マリア及び諸聖人の御手本(みてほん)に倣(なら)い主の御苦難(ごくなん)の黙想(もくそう)につとめなければならない。
マリアは何人(なにびと)にも優(まさ)って、毎日毎時愛する御子イエズスの御苦難(ごくなん)を黙想(もくそう)された。それゆえ天主に対する愛に充(み)ち溢(あふ)れておられたのである。
イエズスの御苦難を、聖アルホンゾは愛の矢と申された。なぜなら主が御苦難(ごくなん)によってわれらに示し給うた無限の愛を考えるほどわれらの冷たいかたくなな心を燃(も)えたたすものはないからである。
故(ゆえ)に屡々(しばしば)われらは主の御苦難を黙想するがよい。それはイエズスを如何に愛し奉(たてまつ)るべきか、その方法を学(まな)ぶ書物である。それを多く読めば読むほど、われらのイエズスに対する愛は増(ま)し加(くわ)わるであろう。
〔二〕しかし全善(ぜんぜん)なる天主に対する愛を、いよいよ増(ま)すべき最良の方法は聖体を屡々(しばしば)拝領することである。
「我は地上に火を放(はな)たんとて来(き)たれり。その燃(も)ゆる外(ほか)には何をか望(のぞ)まん」とキリストは仰せられたがこの火はイエズス御自身(ごじしん)である。
火は多くの物を火にかえる如く、イエズスも聖体(せいたい)拝領(はいりょう)する者と一致(いっち)して、彼を御自分に似(に)た者とされるのである。
「我が肉を食し我が血を飲む者は、我に止(とど)まり我もまた彼に止(とど)まる」と主(しゅ)御自(おんみずか)らも嘗(かつ)て宣(のたも)うた。
それゆえ聖体拝領を屡々(しばしば)すればするほど、われらは益々キリストに清められ、主の愛に熱せられ、ついには主と全(まった)く一致(いっち)して、聖パウロと共に「我は生(い)くと雖(いえど)も最早(もはや),我に非(あら)ず、キリストこそ我に於いて生(い)き給うなれ」と叫ぶことができるようになる。聖マリアが、いかに謙遜(けんそん)に、いかに愛にもゆる心を以てイエズスをお受けになったかを思え。
また聖母がその天主なる御子といかにして全く一致し給うたかを思え。
われらは謙遜と聖(とうと)い愛とを以て、もっと度々(たびたび)聖体の食卓(しょくたく)に近づくようにしよう。 そしてもっと度々(たびたび)主の甘味(かんみ)なる愛を味(あじ)わうようにしよう。
○ 聖マリアによりて、天主に対する愛を益々厚くする聖寵(せいちょう)を与えられんために「めでたし」三度唱(とな)えん。
祈 願 せ ん
主イエズス・キリスト主はわれらを主の愛に止(とど)まらしめんとて、聖体の秘蹟(ひせき)を定め、以てかたじけなくもわれらが霊魂(れいこん)の糧(かて)となし給えり。
さればわれらこの世に於いては、適当なる覚悟(かくご)のもとに屡々(しばしば)聖体を受け、天主に対する愛を増(ま)し、殊(こと)に臨終(りんじゅう)に於(お)いてはこの天使のパンによりて強められ、安全にこの世を去り、愛の秘蹟(ひせき)にいます主の、寛大(かんだい)なる審判(さばき)に与(あずか)らんことを、聖マリアの御伝達(おんとりつぎ)によりて願い奉(たてまつ)る。 アメン。
============
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA