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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:隣人愛

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聖母月中の祈祷

我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
 最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
 我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
 我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
 今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
 我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
 されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン

二 十 七 日
隣  人  愛

(一)キリストが、あらゆる徳に越えて其の実行を奨励(しょうれい)し給うたものに、隣人(りんじん)愛(あい)がある。われら全世界の人間はいづれも同一の天主に作られ,皆、同一の御父の子供なのであるから、機会ある毎に隣人に対して愛の心を現さなければならない。
 主イエズスは最後の晩餐(ばんさん)の時に遺言(ゆいごん)として、「汝等,相愛(あいあい)せよ」と命ぜられ、また公(こう)審判(しんぱん)の有様を予言し給うた際にも人が天国に入るか否(いな)かの判決はこの世にありし時、隣人を愛したか否かによって定められるものであると仰せられた。 
そしてその終りに、「汝らがわがこの最も小さき兄弟の一人になしたる所は事毎(ことごと)にわれになせしなり」とのたまうたのは、隣人を見ること恰(あたか)も主を見る如くにして、主を愛する心を以て隣人を愛すべきことを諭(さと)し給うたのである。
 信仰は勿論(もちろん)、救(たす)霊(かり)の土台である。しかし死んだ信仰では何の役にもたたない。活(い)かして始めて価値(ねうち)が出るのである。信仰を活(い)かすものはすなわち天主に対する愛である。そうして天主に対する愛を現す方法は,隣人を愛することなのである。
 故(ゆえ)に天主を愛することと隣人を愛することとは離すことができない。我等がもしイエズスを喜ばせ奉るつもりならば、是非(ぜひ)、隣人(りんじん)をも愛さねばならぬのである。

(二)しかし隣人愛や博愛(はくあい)といっても、ただ感情や気分の上で他人を愛するのでは足(た)りない。実際に他人(ひと)を愛する業(わざ)、即ち肉(にく)身上(しんじょう)の精神上の慈善業(じぜんぎょう)を行わなければ本当の愛とはいえぬのである。
 聖母マリアの御手本を仰(あお)ぎみよ。彼女は天使ガブリエルより、天主の御母(おんはは)となるべき御告(つ)げを受けさせ給うと間もなく、その歓喜(よろこび)を聖女エリザベトに分(わか)たんとしてはるばる危険多き旅をせられ、この親戚(しんせき)を訪れ給うたそしてその時、恰(あたか)も懐胎(かいたい)していたエリザベトを助けるために、さまざまな働きをして三月ほどもその許(もと)に止(とど)まり給うたのである。
 これいづれも、他人を己(おのれ)の如く愛し給うマリアのやさしい御心(みこころ)のあらわれに外(ほか)ならない。
けれども聖母が最(もっと)もすぐれた隣人愛の鑑(かがみ)を示し給うたのは、御子の十字架の下(もと)にただずんでいられた時であった。その時、傷(いた)ましい御子の有様に彼女の胸も苦痛(くるしみ)のため、張(は)り裂(さ)けんばかり悩(なや)まれたが、マリアは全世界の人々の救(きゅう)霊(れい)を思ってはその隣人愛のために、よく耐(た)え忍(しの)んで、最愛の御子を天主に献げ以て  救世(あがない)の大事業を完成せしめ給うたのである。
 翻(ひるがえ)って、われらの隣人愛を見るならばどうであろうか?われらは果たして親子、兄弟,親戚などを十分に愛しているだろうか?己の利益にならぬとて、彼等の老(お)い或は病(や)みたる時、之を粗末にし或は看護(かんご)せぬようなことがないか?
もしあればこれこそ最も隣人愛に背(そむ)くことである。
隣人(りんじん)愛(あい)にはすべて犠牲(ぎせい)が伴(ともな)う。博愛(はくあい)を口にしつつ、利己(りこ)主義(しゅぎ)から脱(のが)れえぬのは大きい矛(む)盾(じゅん)といわなければならない。われらはこのことをよく心にとめて、人を愛するために何事をか忍(しの)ぶよき習慣(しゅうかん)を養(やしな)うようにしよう。

○ 聖母の御伝達(おとりつぎ)によりて我等の心に隣人(りんじん)愛(あい)を増(ま)さんため「めでたし」
三度誦(とな)へん。

     祈 願 せ ん

 イエズス・キリスト主は原罪(げんざい)によりて悪魔(あくま)の奴隷(どれい)となりし我等を、新(あら)たに天主の子とならしめんため、人と生まれ,かたじけなくもわれらの兄弟となり給えり。
 されば願わくはわれらにも、あらゆる人を兄弟として、言葉よりも行為(おこない)に
より、真実(しんじつ)の心を以て互いに愛し互いに祈り、互いに親切を尽くし相(あい)共に天国に至りて主の御前(みまえ)に一家の如く和合(わごう)する御恵(おんめぐみ)を与(あた)え給え。聖母マリアの御伝達(おんとりつぎ)によりて。 アメン。


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