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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2018年2月17日(土)  灰の水曜日の後の土曜日 「主がガリレア湖の水上を歩かれた奇蹟の意味とは」

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2018年2月17日(土)灰の水曜日の後の土曜日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2018年2月17日、灰の水曜日の後の土曜日のミサです。今日のこのミサの後に、いつものように感謝のお祈りを致します。その直後に、昨日灰を受ける事ができなかった、あるいは灰の水曜日に灰を受ける事ができなかった方の為に、灰の式を行いたいと思います。

その後には聖時間を行います。それは御聖体降福式と共に御聖体を顕示して、そして特にこの四旬節を良く過ごす事ができますように、また特に日本と世界に平和が守られますように、朝鮮半島で多くの人々の命の奪われる事がありませんように、あるいは共産主義の手が南にまで及びませんように、中国のカトリック信者の方の為にも、ぜひお祈りをお願いします。

ミサの直後に聖時間を、聖時間の時に特に一緒に、3月の初土曜日の為の準備として、イエズス様の15の玄義の内の1つを黙想する事に致しましょう。特に練習として、ゲッセマニの園での第1玄義を黙想する事を提案します。

次のミサは1週間の後の25日、2月25日の夕方18時からワリエ神父様がここでミサをして下さいます。



「安心せよ、私である。恐れるな。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の第1主日の直前の土曜日で、教会はぜひ私たちに、この四旬節を良くできるように色々と準備をしてきました。そし今日スタートラインを切った私たちに、終わりまでちゃんと走る事ができるように、私たちに励ましの声援をエールを送っています。

では一体どういう風に私たちを励ましているのでしょうか?3つあります。1つは今日の書簡、第2は今日の福音、第3は今日の指定巡礼教会、この3つで私たちが最後まで行き着く事ができるように、と応援しています。私たちが金メダルを取る事ができるように。
ですから、私たちがどうやって教会から応援を受けているのかを黙想する事にしましょう。

準備の段階で私たちは、「四旬節の間には、祈りと断食と、そして施しをするように」と言われました。そしてこの3つの、祈りと断食と施しは、愛徳を持って、イエズス様に対する愛を持ってやらなければなりません。断食が例えば美容の為であったり、あるいは施しが自分の名誉の為であったり、あるいは祈りが見せびらかしの為であったら、それは効果がないと教えています。

ところで、この高い私たちの目標の前に、もしかすると私たちは、「いや、私はとても力が足りないから、そこまではできない」という風に挫けてしまうのではないかと思った教会は、母なる教会は、まず書簡で「そう心配するな」と、「光が与えられる」とまず励ましています。

「光」この光とは何かというと、「天主の命」の事であって、「私たちの霊魂がちょうど天主様のいらっしゃる楽園のようになる。この私たちの霊魂には多くの花が咲き、善徳と聖徳の花が咲き、それから良い善業の実りが実るだろう」というイメージを出しています。そうした時に私たちは、「廃墟を建て直す者と言われるだろう」とか「壁を立てる者と言われるだろう」と言っています。「ただ私たちが避けなければならないのは、罪である。天主様が私たちに光を与えてくれるので、心配するな。」

第2の今日の福音は一体何でしょうか?第2は、ちょうど使徒たちがガレリア湖で船を漕いでいます。夜中でした。考えてもみて下さい。真っ暗闇です。電気はありませんし、LEDもありません、ライターもありません。あるのは星影だけです。イエズス様といえば、陸にいました。しかも風は反対側に吹いています。本当はゲネサレトの方に行きたいのだけれども、そっちの方から風が吹いてくるので、一生懸命漕いでも漕いでも漕いでも進みません、進歩がありません。努力しても努力しても、全ての努力は無駄であるかのようです。反対があまりにも強いからです。

イエズス様は一体何かというと、陸で弟子たちの為にお祈りをしています。ところがイエズス様は、弟子たちが一生懸命努力をしている事を知っていました。それで聖書の言葉によると、日本語の訳では夜明けの3時でしたが、聖書には、「夜の第4時」イエズス様は海の上を歩いて、弟子たちの近くを通って、彼らの近くを通り過ぎようとしました。薄暗くてあまりよく姿が見えなかったのですけれども、幽霊かと思ったほどでした。

するとイエズス様は近寄って来て、彼らに言いました、「安心せよ、“Confidite”私だ、何も恐れる必要はない。」そしてイエズス様はこの船に乗るのです。イエズス様が船に乗ると、その途端にあっという間に、今まであった反対がピタリと止まります。凪になって、そして安全に向こう岸まで着く事ができました。夜明けです。多くの多くの人たちがイエズス様の後を慕って、病人や病の人を運んで来て、皆が治されます。奇跡が起こります。

「これは私たちの四旬節のまさに姿である」と教会は言っているのです。なぜかというと、聖書の表現によると、「海」というのは、いつもゆらゆらと変わっている「この世界」の事を意味しています。「陸」というのは、いつも変わらないので、「天国や聖人」の事を意味しています、「天主」の事を意味しています。今日ボートに乗っているのは私たちです。使徒たちと一緒に小舟に乗って、この世を渡ろうと、天国まで行こうとしています。ちょうどこの小舟に乗って、四旬節の40日の断食を果たそうとしています。復活の岸まで行こうとしていますが、私たちにとって多くの誘惑があります。

教会は3つの敵を、私たちの救霊の敵を挙げています。1つは「肉」、私たちの利己主義、私たちの思い通りにしたい欲望。第2は「世間」、世間体、この世、財産、権力。最後に「悪魔」です。この三重の風が、私たちに吹き荒れて来るので、私たちは四旬節の間一生懸命断食や、あるいは施しや、あるいは祈りのオールを漕ぐのですけれども、進歩の兆しはありません。

夜の第4時、ちょうど四旬節の40日の断食を意味しているかのようではありませんか。イエズス様が、これまでイエズス様はこの私たちが四旬節の間ずっと、天から私たちの為に祈っていて下さっているようです。しかし遂に、「このままではだめだ」と思うその瞬間に、イエズス様は私たちの所にやって来ます。そして私たちの船に乗って下さいます、「心配するな。安心せよ。私だ、恐れるな。」しかもイエズス様は今日、皆さんを日本の各地から呼んで、そしてもう既に私たちの小さな霊魂のボートに乗りたいと思って、ミサの御聖体拝領の時には、私たちの心にやって来られます、「私だ、安心せよ。心配するな。四旬節の間は乗り切る事ができる。一緒にボートに乗ってあげよう。」イエズス様が使徒たちの船に乗った途端、反対の風がピタリと止まりました。

明日四旬節の第1主日では、教会はイエズス様が40日間断食をされて、最後に悪魔と戦う場面を見せます。イエズス様は言いました、弟子たちが一生懸命悪魔を払おうとしても、何も祈りの効果がない時には、「この種の悪魔は、祈りと断食でなければ追い払う事ができない。」ですからこの「祈りと断食には特別な力がある」という事をイエズス様は私たちに教えています。

また、「なぜ洗者聖ヨハネはいつも断食していたのに、あなたは断食しないのか?」「花婿の友達は、花婿がいる時に断食をするだろうか。花婿と一緒に祝うだろう。しかし花婿が取り去られたら、彼らは断食するだろう。」私たちはイエズス様の為に、イエズス様と共に、断食をしなければなりません。ヨハネは生涯断食しましたが、イエズス様は時々断食しました。そうする事によってカトリック信者たちに、「私たちの生活の基準は、いつも断食ではなくて、時々断食。イエズス様の為に、イエズス様と共にする断食である」という事を教えています。そして私たちに40日間の模範を見せて、「イエズス様と一緒に断食するように」と、それを聖化を、それを聖として下さいました。

もしも私たちがイエズス様と共に、イエズス様を私たちの霊魂に乗って頂いて、四旬節の間動くならば、反対の風は私たちを妨害するのがピタリと止まるでしょう。イエズス様はその模範を見せて下さったからです。

ところで最後の点は指定巡礼教会です。では一体聖トゥリフォンの教会とは一体何なのでしょうか?

実は秘密があるのです。聖トゥリフォンの教会というのは、実は今では無くなってしまいました。これはローマ皇帝デチウスの時に殉教した、祝日が11月10日の殉教者なのですけれども、この殉教者の聖遺物が奇跡を起こす事で非常に有名でした。そこで教会は、「断食によって、私たちの肉体も、そして霊魂も癒されるように。40日の私たちの聖なる修行が終わったその時には、見違えるようになっているように。癒された体と復活された体となるように」という事を望んでいます。

そこで聖トゥリフォンの教会に私たちを霊的に呼んで、そして集祷文では、「心も体も癒されますように」と祈って、そして福音書では最後に、「ゲネサレトの陸に浜辺に到着した時には、多くの人々が癒された。」これは聖トゥリフォンのイメージとぴったりと重なるものです。

今ではどうなってしまったかというと、18世紀にこの教会が破壊されてしまった時に、その聖遺物はその近くにあった聖アウグスティノ教会に移動されました。そこでそのそこの教会で、聖モニカの聖遺物を保存していた聖モニカのチャペルに聖トゥリフォンの聖遺物も移動して、今でも奇跡が起こっている、とあります。

ですから今日、このミサでこの3つの点を私たちによって、「さあ、40日の修業はどうだ。40日間の大小斎を一生懸命やるように」と励ましています。

ところで現代の規定によれば、私たちは40日間の断食をする義務は無くなってしまいました。灰の水曜日と聖金曜日だけになってしまいました。聖ピオ十世会の会員は、全ての四旬節の金曜日にも、あと四季の祭日にも大小斎を捧げますが、しかしそれは一般の方にとっては義務ではなくなってしまいました。しかし霊的に私たちは断食をする事ができます。断食をするのは、まず罪からと、罪の機会から私たちを遠ざけなければなりません、断食しなければなりません。

マリア様に、私たちが一体どのようなものを断食しなければならないか、それの教えて頂くように今日お願い致しましょう。聖トゥリフォンの御取り次ぎによって私たちの霊魂が癒されますように。

またイエズス様が今通り過ぎようとしていますから、「さぁイエズス様、どうぞ通り過ぎないで下さい。私の霊魂に来て下さい」と叫んで御聖体拝領する事に致しましょう。

「安心せよ、私である。心配するな。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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