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2018年3月25日(主)  枝の主日の説教 「イエズス様の3つの御苦難について黙想する」

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2018年3月25日(主日)枝の主日のミサ
小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2018年3月25日、 枝の主日のミサをしております。

4つほどお知らせがあります。1つは、今日のこの御ミサの後に、公教要理の代わりに、イエズス様の御受難の黙想があります。それから16時から晩課もあります。明日は朝の7時から聖月曜日のミサがあります。

第2は、来たる金曜日は聖金曜日で、カトリック教会の掟によれば、私たちは大小斎を守らなければなりません。20歳から59歳までの健康な成人の男女の信徒は、大小斎を喜んでイエズス様と共に御捧げ致しましょう。

第3は、ここでは残念ながら復活祭の御ミサはありませんが、大阪で夕方の18時から、御復活祭のミサと、復活の月曜日のミサがあります。ここでは次のミサは4月8日、4月の第2の主日で、白衣の主日のミサ、そして4月9日、マリア様の御告げの祝日のミサがあります。

第4は、私たちはこの聖週間にこれから入ろうとしますが、イエズス様の御苦難をどうぞ黙想なさって下さい。イエズス様の御苦難は3つの種類があります。

1つは、肉体の苦痛、これは私たちにとって黙想するのが簡単です。十字架に釘付けにされたその苦痛、鞭を打たれたその肉体の苦痛、あるいは茨の冠で太い茨が頭に貫き、聖伝によると目にも貫かれた、その痛さ、重い十字架を背負ったその痛み、これをどうぞ黙想して下さい。これは全て私たちを愛するがために、私たちの罪を赦そうとするが為になさった事です。

第2の苦痛は、精神的な苦痛でした。人々から裏切られた事。ユダから裏切られた事。弟子たちから、ペトロが否んだ事。あるいはそこまで善を施した群集から、「十字架に付けよ!」と言われた事。ある国のスポーツの選手がスケートで銀メダルを取ったのですけれども、残念ながらその子はちょっとした発言と行動で反感を買ってしまって、国民の多くの人から反対の声を聞いたそうです。するとそれを見たショックで、その選手とお母さんは精神病院に行かなければならなくなりました。イエズス様はこれほど善をする為に愛した人から、「十字架に付けよ!」と言われて、どれほどの悲しみと苦しみを受けた事でしょうか。人々から捨てられ、塵芥のように捨てられた真の天主、王の王が、嘲りの王となったその屈辱、それはどれほどの辱めだった事でしょうか。

第3は、今日福音で唯一イエズス様の言葉が読まれますが、「我が天主よ、我が天主よ、なぜ私を見捨て給うのか。」イエズス様こそ、天主聖父の命令を果たした方でした。12歳の時には、お父さんとお母さんを置いてまでも、聖父の事をやってきました。天主聖父は、洗礼の時でもタボルの山でも、「これは私の愛する子だ」と言ってくれました。しかし、この時にはあたかも呪われたかのように、聖父から捨てられたかのように、慰めも、何もありませんでした。聖父からも捨てられたこの苦しみを、イエズス様は受けました。私たちはこれを、この苦しみを理解し尽くすことができません。

なぜイエズス様はこの苦しみを受けたのかというと、私たちを愛するが為でした。私たちはそれにもかかわらず、イエズス様をどれほど裏切ってきたことでしょうか。イエズス様の代わりにバラバを、イエズス様をお金で売ってしまった、イエズス様の代わりに被造物を好んだ、あるいはYouTubeを望んだ、あるいはコンピューターゲームを望んだ、あるいは雑誌を望んだ、あるいは…等、罪を、罪の為にイエズス・キリストを売り飛ばした事がどれほど多かった事でしょうか。イエズス・キリストの代わりにバラバを選んだ事がどれほど多かったでしょうか。

今日は私たちはイエズス・キリストの騎士として、棕櫚の枝を勝利の枝を受けました。教会は私たちに1つの事を望みます、「これを持って、イエズス・キリストに従え。天国に至るまで、イエズス・キリストを決して手放すな。イエズス・キリストは十字架を経て、天国の栄光に入るべき者ではなかったのか。」私たちもイエズス様に従うその御恵みをマリア様に乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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