2018年4月6日(初金)復活の金曜日のミサ
小野田神父 説教
「私には、天と地の全ての権能が与えられている。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心教会にようこそ。
今日は2018年4月6日、4月の初金曜日、そして復活後の金曜日の特別のミサを捧げています。今日は初金曜日ですので、ミサの後には聖時間を行ない、初金の信心を致しましょう。今日の御聖体をどうぞ初金の信心をする意向で、イエズス様の聖心にお捧げ下さい。
明日は、聖木曜日に亡くなられたモニカさんの葬儀ミサを致します。10時30分からそのミサがあります。
今日御ミサの前に、いつもここに来られているクララさんが終油の秘跡を必要とされていたので、それを授けに行ってきました。痩せて非常に苦しそうでしたけれども、終油の秘跡を受けたら見違えるように微笑みをたたえていて、とても大きな慰めを受けたと思われます。皆さんのお祈りをお願い致します。
今日は聖復活後の金曜日で、このミサで一体教会が何を私たちに教えようとしているのか、その点を3つぜひ知って下さい。そしてその最後に、教会の教えようとした内容から、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。復活の喜びに入る事に致しましょう。ますます深く入る事に致しましょう。
まず第1には、今日の復活の金曜日は、「金曜日」という事で、マリア様と十字架に深い関係がある、という点です。
そこで指定巡礼教会は、殉教者のマリア教会、「殉教者の元后マリア様に、私たちが霊的に行くように」と招いています。
もちろん昔は本当に実際に、そこの教会に教皇様が行ってミサを立てました。ローマの信徒たちが皆そこに行ってミサを立てました。なぜ「殉教者のマリア教会」かというと、今から今日から1週間前は聖金曜日で、イエズス様の十字架を黙想したからです。聖金曜日には、イエズス様の血だらけの十字架が、実は本当は宝石で散りばめられた、最も価値のある十字架である、という事を黙想しました。私たちは十字架を、このイエズス様の十字架に礼拝を捧げました。
また2週間前の金曜日は、私たちはこの教会でこの御聖堂でもそのお祝いをしましたけれども、七つの聖母の御悲しみを黙想しました。ですから今日は霊的に「殉教者のマリア」教会に行くのです。
そこで今日は特に、この七つの聖母の御悲しみと十字架の称讃を兼ねて、主の御受難と聖母の悲しみをもう一度思い出させるように、殉教者たちのマリア様の御聖堂に来るようにと招いているのです。
それで特に洗礼を受けた、復活の徹夜祭に洗礼を受けた新信者は、新受洗者は洗礼を受けたばかりの信者は、この1週間ずっと明後日まで白衣を、洗礼の時に受けた白い衣を着てミサに与っていました。今日は洗礼を受けたばかりの真っ白な姿で、この殉教のマリア様の元に馳せ寄るのです。
これは何かというと、これはマリア様の兵士として、殉教者の覚悟を持って、イエズス・キリスト様の十字架の御旗の下に、マリア様が指揮官として、この白い服を着た真っ白な霊魂を持った、新しく洗礼を受けた信者たちが、マリア様の元に馳せ寄るということです。
「これから罪に戦う、罪を避ける生活をする。イエズス・キリストを着て、イエズス・キリストの聖心に適う生活をする為に、いかなる苦しみも受ける事も覚悟する。」特にその迫害の時代の記憶があった時代でしたので、その「イエズス・キリストの為に一生を捧げる覚悟はできている」という意味で、このマリア様の聖堂に集まりました。
これが第1点です。今日、洗礼を受けたばかりの人たちがマリア様の元に、マリア様の悲しみとイエズス様の十字架を記念して集まっている、という事がまず1つです。
第2点は、教会は更に、洗礼を受けたばかりの人と、洗礼を受けた全ての信者私たちに、「洗礼の恵みのものすごい価値を、もう一度理解するように」と招いています。
特に白い服を着ている洗礼を受けたばかりの人たちが、「今お前たちは自覚していないかもしれないけれども、洗礼の御恵みというのは、どれほど昔から預言されていた、計り知れない価値なのかを思い出せ。その事をよく考えろ」と招いています。
入祭誦で教会は最初から、モーゼによってエジプトの奴隷状態から解放されて、紅海を経てエジプトから脱出した、そしてエジプトの追いかける敵を海に沈めた天主の事が思い出されます。「実はこれと同じ事が私たちにも、洗礼を受けた全ての者に起きた事である」という事を思い出させる為です。
私たちも洗礼の水を通って、イエズス・キリストの御血という赤い血潮の海の中によって洗われて、悪魔と罪の奴隷から解放されました。その罪の負債から解放されました。罪を赦されて、清い者となりました。私たちの敵は、イエズス様の血潮によって全て滅ぼし尽くされました。私たちはこれからは新しい命に、清い命に、聖なる命に生きる者となっています。新しいモーゼであるキリストの下に従って、約束の地、天国まで導かれる者となりました。
もう1つ、更に教会は、入祭誦で導入をされた洗礼のそのイメージを、更に書簡では、「実はノエの箱舟もそうだ。ノエの箱舟の中に入った者たちはたった8人だったけれども、しかし大洪水によってこの地上が洗われた時に、彼らは助かった。それと同じように、私たちも洗礼の水によって洗われて、教会、十字架に付けられたイエズス・キリストの開かれた聖心の中から、ちょうど箱船の中に入るように、ここから出た水と血によって、」水は洗礼のシンボル、血は御聖体のシンボルですけれども、「そのイエズス様の開かれた聖心の中に入った、教会の中に入った。それは私たちにとっての本当のノエの箱舟であって、ノエの箱舟という前兆が実現した事である」と教えています。
福音では、この洗礼についてはっきりと言っています。イエズス様は、「全ての力は、天と地の全ての力は、私に与えられている」と。
この地上でこのような事を言う事ができる人は誰もいません。アメリカの大統領がどれほど力があっても、中国の指導者がどれほど力があっても、そんな事を言う事はできません。イエズス・キリストだけが、天と地の全ての権能が与えられているからです。
この天の全ての天使の大群も、この地上の全ての出来事も、全てイエズス様の御手の中に入っている、という事です。御望みの通りにそれを計らう事が、調整する事が動かす事ができる、という事です。イエズス・キリストの御望みの通りに全ては動く。たとえイエズス・キリストの敵が何をしようとも、逆らおうとも、全てはその掌の上にある、という意味です。
考えてもみて下さい。全能の主権がイエズス様に与えられている。この復活した真の天主、私たちを愛するこの天主が、今生きて、弟子たちを通して私たちに言います「全世界に行って、全ての民族に行って、聖父と聖子と聖霊との御名によりて、洗礼を授けよ。そして私が教えた事を全て守るように教えよ。」どれほど力強い言葉でしょうか。
このイエズス・キリストは最後にこう約束します、「私は世の終わりまで、あなたたちと共にいる。何も恐れる事はない。」
例えこのどこかの王国が起こって滅び、国が栄えて滅び、という事があったとしても、地上に色々な民族が起こって滅んでいきました。文明が起こって滅んでいきました。イエズス・キリストだけは滅ぶ事がありません。「世の終わりまで、お前たちと共にいる。」
これは、「御聖体をもって霊的に、そして超自然の聖寵をもって居る」という事ですけれど、全て、三位一体の名前によって、聖父と聖子と聖霊との御名によって、私たちが洗礼を受けた事による御恵みです。
そしてこの使徒信経の後には、奉献の時には、この主からの命令があります、「この日こそは、このエジプトから脱出したこの日は、私たちにとって特別の日である。お祭りの日である。永久に祝わなければならない。」
実は、私たちが洗礼を受けたその日というのは、特別な日であって、永久に祝わなければならない御恵みの日です。イエズス・キリストの養子となった、天主の養子となった、 イエズス・キリストの兄弟となった、イエズス・キリストの命を受けて、イエズス・キリストの御体を受ける事ができるようになった、その栄光の日です。
ですから御聖体拝領の時には、このイエズス様の御言葉が私たちの耳に響くように、イエズス様の仰った言葉を私たちがもう一度歌います。
第3の点は、これはこの洗礼によって、私たちは三位一体の名によって、イエズス・キリストの兄弟となり、そしてイエズス・キリストの御体を、復活したイエズス・キリストを私たちが受ける事ができるになった、という特別の御恵みをも考えさせます。ですから今日聖体拝領の時に、「この洗礼の御恵みを感謝するように」と教会は招いています。
では今日、教会の導きに従って、私たちもイエズス様の聖心を、至聖なる聖心の私たちに対する愛を黙想致しましょう。どれほど私たちの事を愛しておられるか。そして私たちを特別に選んで、ノエの箱船の中にはたった8人でしたけれども、世界中の中から特別に選んで私たちに、天の遺産の相続権を、自分の聖心の中に入る、教会という真の箱船の中に入る特権を下さいました。これによって私たちが救われる事ができるように、イエズス・キリストの命を受ける事ができるように、そしてイエズス・キリスト、天主を私たちが拝領する事ができるように。言葉では、感謝とその御恵みの大きさを言い表わす事ができないほどのものです。
どうぞこの御聖体拝領を、イエズス様の聖心を愛するが為に、イエズス・キリストのその燃える愛を理解する事ができるように、お祈り致しましょう、マリア様にお祈り致しましょう。
「どうぞマリア様、洗礼の御恵みを私に理解させて下さい。洗礼を受けたという事がどれほどの御恵みだったいう事が、その計り知れない御恵みを理解させて下さい。イエズス・キリストの持てる全能のその巨大さという事を理解させて下さい。その全能全権を持ったイエズス様を私が拝領する事ができる、というその御恵みの巨大さを理解させて下さい。復活したイエズス様が、生ける天主が私の元に来る、という事の愛の深さを理解させて下さい。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
「私には、天と地の全ての権能が与えられている。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心教会にようこそ。
今日は2018年4月6日、4月の初金曜日、そして復活後の金曜日の特別のミサを捧げています。今日は初金曜日ですので、ミサの後には聖時間を行ない、初金の信心を致しましょう。今日の御聖体をどうぞ初金の信心をする意向で、イエズス様の聖心にお捧げ下さい。
明日は、聖木曜日に亡くなられたモニカさんの葬儀ミサを致します。10時30分からそのミサがあります。
今日御ミサの前に、いつもここに来られているクララさんが終油の秘跡を必要とされていたので、それを授けに行ってきました。痩せて非常に苦しそうでしたけれども、終油の秘跡を受けたら見違えるように微笑みをたたえていて、とても大きな慰めを受けたと思われます。皆さんのお祈りをお願い致します。
今日は聖復活後の金曜日で、このミサで一体教会が何を私たちに教えようとしているのか、その点を3つぜひ知って下さい。そしてその最後に、教会の教えようとした内容から、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。復活の喜びに入る事に致しましょう。ますます深く入る事に致しましょう。
まず第1には、今日の復活の金曜日は、「金曜日」という事で、マリア様と十字架に深い関係がある、という点です。
そこで指定巡礼教会は、殉教者のマリア教会、「殉教者の元后マリア様に、私たちが霊的に行くように」と招いています。
もちろん昔は本当に実際に、そこの教会に教皇様が行ってミサを立てました。ローマの信徒たちが皆そこに行ってミサを立てました。なぜ「殉教者のマリア教会」かというと、今から今日から1週間前は聖金曜日で、イエズス様の十字架を黙想したからです。聖金曜日には、イエズス様の血だらけの十字架が、実は本当は宝石で散りばめられた、最も価値のある十字架である、という事を黙想しました。私たちは十字架を、このイエズス様の十字架に礼拝を捧げました。
また2週間前の金曜日は、私たちはこの教会でこの御聖堂でもそのお祝いをしましたけれども、七つの聖母の御悲しみを黙想しました。ですから今日は霊的に「殉教者のマリア」教会に行くのです。
そこで今日は特に、この七つの聖母の御悲しみと十字架の称讃を兼ねて、主の御受難と聖母の悲しみをもう一度思い出させるように、殉教者たちのマリア様の御聖堂に来るようにと招いているのです。
それで特に洗礼を受けた、復活の徹夜祭に洗礼を受けた新信者は、新受洗者は洗礼を受けたばかりの信者は、この1週間ずっと明後日まで白衣を、洗礼の時に受けた白い衣を着てミサに与っていました。今日は洗礼を受けたばかりの真っ白な姿で、この殉教のマリア様の元に馳せ寄るのです。
これは何かというと、これはマリア様の兵士として、殉教者の覚悟を持って、イエズス・キリスト様の十字架の御旗の下に、マリア様が指揮官として、この白い服を着た真っ白な霊魂を持った、新しく洗礼を受けた信者たちが、マリア様の元に馳せ寄るということです。
「これから罪に戦う、罪を避ける生活をする。イエズス・キリストを着て、イエズス・キリストの聖心に適う生活をする為に、いかなる苦しみも受ける事も覚悟する。」特にその迫害の時代の記憶があった時代でしたので、その「イエズス・キリストの為に一生を捧げる覚悟はできている」という意味で、このマリア様の聖堂に集まりました。
これが第1点です。今日、洗礼を受けたばかりの人たちがマリア様の元に、マリア様の悲しみとイエズス様の十字架を記念して集まっている、という事がまず1つです。
第2点は、教会は更に、洗礼を受けたばかりの人と、洗礼を受けた全ての信者私たちに、「洗礼の恵みのものすごい価値を、もう一度理解するように」と招いています。
特に白い服を着ている洗礼を受けたばかりの人たちが、「今お前たちは自覚していないかもしれないけれども、洗礼の御恵みというのは、どれほど昔から預言されていた、計り知れない価値なのかを思い出せ。その事をよく考えろ」と招いています。
入祭誦で教会は最初から、モーゼによってエジプトの奴隷状態から解放されて、紅海を経てエジプトから脱出した、そしてエジプトの追いかける敵を海に沈めた天主の事が思い出されます。「実はこれと同じ事が私たちにも、洗礼を受けた全ての者に起きた事である」という事を思い出させる為です。
私たちも洗礼の水を通って、イエズス・キリストの御血という赤い血潮の海の中によって洗われて、悪魔と罪の奴隷から解放されました。その罪の負債から解放されました。罪を赦されて、清い者となりました。私たちの敵は、イエズス様の血潮によって全て滅ぼし尽くされました。私たちはこれからは新しい命に、清い命に、聖なる命に生きる者となっています。新しいモーゼであるキリストの下に従って、約束の地、天国まで導かれる者となりました。
もう1つ、更に教会は、入祭誦で導入をされた洗礼のそのイメージを、更に書簡では、「実はノエの箱舟もそうだ。ノエの箱舟の中に入った者たちはたった8人だったけれども、しかし大洪水によってこの地上が洗われた時に、彼らは助かった。それと同じように、私たちも洗礼の水によって洗われて、教会、十字架に付けられたイエズス・キリストの開かれた聖心の中から、ちょうど箱船の中に入るように、ここから出た水と血によって、」水は洗礼のシンボル、血は御聖体のシンボルですけれども、「そのイエズス様の開かれた聖心の中に入った、教会の中に入った。それは私たちにとっての本当のノエの箱舟であって、ノエの箱舟という前兆が実現した事である」と教えています。
福音では、この洗礼についてはっきりと言っています。イエズス様は、「全ての力は、天と地の全ての力は、私に与えられている」と。
この地上でこのような事を言う事ができる人は誰もいません。アメリカの大統領がどれほど力があっても、中国の指導者がどれほど力があっても、そんな事を言う事はできません。イエズス・キリストだけが、天と地の全ての権能が与えられているからです。
この天の全ての天使の大群も、この地上の全ての出来事も、全てイエズス様の御手の中に入っている、という事です。御望みの通りにそれを計らう事が、調整する事が動かす事ができる、という事です。イエズス・キリストの御望みの通りに全ては動く。たとえイエズス・キリストの敵が何をしようとも、逆らおうとも、全てはその掌の上にある、という意味です。
考えてもみて下さい。全能の主権がイエズス様に与えられている。この復活した真の天主、私たちを愛するこの天主が、今生きて、弟子たちを通して私たちに言います「全世界に行って、全ての民族に行って、聖父と聖子と聖霊との御名によりて、洗礼を授けよ。そして私が教えた事を全て守るように教えよ。」どれほど力強い言葉でしょうか。
このイエズス・キリストは最後にこう約束します、「私は世の終わりまで、あなたたちと共にいる。何も恐れる事はない。」
例えこのどこかの王国が起こって滅び、国が栄えて滅び、という事があったとしても、地上に色々な民族が起こって滅んでいきました。文明が起こって滅んでいきました。イエズス・キリストだけは滅ぶ事がありません。「世の終わりまで、お前たちと共にいる。」
これは、「御聖体をもって霊的に、そして超自然の聖寵をもって居る」という事ですけれど、全て、三位一体の名前によって、聖父と聖子と聖霊との御名によって、私たちが洗礼を受けた事による御恵みです。
そしてこの使徒信経の後には、奉献の時には、この主からの命令があります、「この日こそは、このエジプトから脱出したこの日は、私たちにとって特別の日である。お祭りの日である。永久に祝わなければならない。」
実は、私たちが洗礼を受けたその日というのは、特別な日であって、永久に祝わなければならない御恵みの日です。イエズス・キリストの養子となった、天主の養子となった、 イエズス・キリストの兄弟となった、イエズス・キリストの命を受けて、イエズス・キリストの御体を受ける事ができるようになった、その栄光の日です。
ですから御聖体拝領の時には、このイエズス様の御言葉が私たちの耳に響くように、イエズス様の仰った言葉を私たちがもう一度歌います。
第3の点は、これはこの洗礼によって、私たちは三位一体の名によって、イエズス・キリストの兄弟となり、そしてイエズス・キリストの御体を、復活したイエズス・キリストを私たちが受ける事ができるになった、という特別の御恵みをも考えさせます。ですから今日聖体拝領の時に、「この洗礼の御恵みを感謝するように」と教会は招いています。
では今日、教会の導きに従って、私たちもイエズス様の聖心を、至聖なる聖心の私たちに対する愛を黙想致しましょう。どれほど私たちの事を愛しておられるか。そして私たちを特別に選んで、ノエの箱船の中にはたった8人でしたけれども、世界中の中から特別に選んで私たちに、天の遺産の相続権を、自分の聖心の中に入る、教会という真の箱船の中に入る特権を下さいました。これによって私たちが救われる事ができるように、イエズス・キリストの命を受ける事ができるように、そしてイエズス・キリスト、天主を私たちが拝領する事ができるように。言葉では、感謝とその御恵みの大きさを言い表わす事ができないほどのものです。
どうぞこの御聖体拝領を、イエズス様の聖心を愛するが為に、イエズス・キリストのその燃える愛を理解する事ができるように、お祈り致しましょう、マリア様にお祈り致しましょう。
「どうぞマリア様、洗礼の御恵みを私に理解させて下さい。洗礼を受けたという事がどれほどの御恵みだったいう事が、その計り知れない御恵みを理解させて下さい。イエズス・キリストの持てる全能のその巨大さという事を理解させて下さい。その全能全権を持ったイエズス様を私が拝領する事ができる、というその御恵みの巨大さを理解させて下さい。復活したイエズス様が、生ける天主が私の元に来る、という事の愛の深さを理解させて下さい。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。