2018年4月7日(初土)モニカさんの葬儀ミサ
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心教会にようこそ。
今日は2018年4月7日、御復活の後の土曜日で、初土曜日です。今日は聖木曜日に亡くなられた、私たちの姉妹であるモニカさんの葬儀ミサを捧げています。モニカさんの特別の遺言と希望で、4月の最初の水曜日の4月4日から、30日間のミサを捧げています。このミサもその内の1つであります。そしてご家族の皆さんがモニカさんを失った悲しみを共にしたいと思っています。
(1)今日のこの葬儀ミサ、カトリックの聖伝によると、葬儀ミサとは一体どのようなものなのか?どのようにして私たちは亡くなった霊魂の為に祈るのか?という事を黙想して、
そして(2)モニカさんの思い出話をする事を許して下さい。
その後で(3)私たちは遷善の決心を立てる事にしましょう。私たちは一体どのような事を黙想しながら、これからモニカさんの為にお祈りして、そして私たちの生活を送っていくべきか。
【1:カトリックの聖伝によると、葬儀ミサとは?】
カトリックの聖伝によると、私たちが死亡すると死を迎えると、霊魂は肉体を離れます。肉体と霊魂は1つで、霊魂は肉体を生かしていましたけれども、死を迎えるという事は、すなわち霊魂が肉体を離れる、分離するという事で、肉体は腐敗を始めます。土に戻ります。しかし霊魂は決して消滅する事がありません。どのような聖人であっても、どのような罪人であっても、罪を犯したから罰として、亡くなったから霊魂が無くなってしまうという事は決してありません。霊魂は永遠に生き続けます。
そして裁きを受けます。聖なる、また聖なる、聖なる天主によって裁きを受けるので、どのように清い霊魂であったとしても、その裁きは非常に厳しいものです。私たちの中のほんのちょっとした罪、あるいは汚れ、あるいは過失、あるいは罪の償いが残っていれば、それを私たちは何とかして浄めなければなりません。亡くなった後に罪の償いを果たして、罪の汚れなく天国に行くという、直行するという霊魂は、極めてわずかで、例外的です。
聖人たちも非常にその事を心配していました。アヴィラの聖テレジアというとても立派な方は、臨終の時にシスターたちを呼んで、「わが娘たちよ。私が死んだらすぐにたくさんのお祈りして下さい。なぜかというと、天主の裁きは非常に厳しいので、私は長い間煉獄で苦しまなければならないから。」
霊魂が聖であれば聖であるほど、清い方であれば清くなれば清くなるほど、罪の醜さ、恐ろしさ、おどろおどろしさがますますよく分かるので、そして天主の清さ、善、愛、憐れみの深さ、そしてその良さ、寛大さがあまりにもよく分かるので、すぐその清い天主に直行する事はできないだろう、と、ますます自覚しました。
そこで教会は、霊魂が亡くなると、多くの祈りと、多くの償いを捧げようと決心しました。最も効果がある、最も功徳のある、最も天主の御前に力のある祈りがミサ聖祭です。なぜかというと、天主聖子が私たちの身代わりとなって、私たちの名前によって、自分の天主の血を流して、罪の償いを果たして下さったからです。「聖父よ、彼らをお赦し下さい。彼らはその為すところを知らないからです。」
その聖子の祈りに聖父はどうして拒む事ができるでしょうか。ですから教会は、ミサを以て死者の為に、この霊魂の救いの為に、「早く天国に行く事ができるように」と祈る習慣があります。
ただし教会は、私たちにとって、天主の聖性とその清さをよく知っているが為に、私たちには喪に服すように招いています。そこで教会は、「ミサの時にはオルガンを鳴らさないように、祭壇に花を置かないように。そして私たちはこの亡くなった霊魂に代わって償いを果たすように」と招いています。
ですから、私たちの為にこのミサが捧げられるわけではないので、最後の祝福もありません。司祭は水さえも祝福しません。全ての祈りは、「この霊魂が早く天国に行く事ができるように、天主の憐れみを乞う」という事だけに集中します。
このミサの後には、普通ならば「Ite, Missa est」と言うところを、私たちは、「この霊魂たちに永遠の安息があるように」と司祭は言ってミサを終わります。皆さんは、「アーメン」と歌って答えて下さい。今日のミサの後には最後の祝福もなく、最後の福音もなく、司祭は、赦祷式というものを行います。
赦祷式というのは、「霊魂が早く天国に行きますように」という意向を持った、主の憐れみを乞い求める特別のお祈りで、もし遺体があれば遺体に、もしも遺体がなければ空の棺を置いてそれに聖水を司祭がかけます。教会を代表して聖水をかけます。香も焚きます。なぜかというと、この亡くなった霊魂は亡くなった方は、天主三位一体の神殿であったからです。
教会は、ユダヤ教の伝統とそしてカトリック教会の伝統は、天主の神殿である私たちの体を、そのまま土葬する埋葬するという習慣があります。本来ならば私たちも、日本でもできるならば 埋葬するようにしたいと願っています。将来的にその準備を進めたいと私も思っています。
カタコンベというものがローマにあります。300年間、カトリック教会は「違法」でした。教会がやっている儀式というのは禁止されていました。ローマの神々のものは良いのだけれども、しかしイエズス・キリストを信じる事は厳禁でした。イエズス・キリストを信じる事には死が待っていました。拷問が待っていました。財産の没収が待っていました。しかしローマ帝国の多くの人々、ますます多くの人々は、イエズス・キリストこそが真の天主であるとして信じていました。その信者の生活の清さ、その慎ましさは、異教の神々を信じているローマの人々の生活の、ふしだらな生活と比べると全く違っていました。イエズス・キリストの復活を信じて、私たちも復活するという事を信じて、多くの信者たちは殉教していきました。唯一、キリスト教の儀式をする事ができるような安全な場所はお墓しかありませんでした。地下のお墓なのです。なぜかというと、ローマの法律によって、「お墓は誰も暴いてはいけないし、手を付けてはいけないし、破壊してはいけない」という特別の古代からの法律があったからです。そこで安全の為に、キリスト教信者はカトリック信者は、地下のカタコンベという所のお墓でミサをしていました。殉教者もそのお墓に葬る事ができました。
ところでそのカタコンベを見ると、異教徒の人々のお墓とカトリックのお墓の違いが分かります。それは何かというと、火葬されて灰になっているか、そのまま土葬されているかの違いなのです。カトリック教会にとって、天主の神殿が火で焼かれるというのは、これは地獄の事を思い出すので、ぜひその地獄の苦しみに遭わせたくないという思いから、また復活するという、復活を待つ、復活を待って眠りに就くという信仰から、土葬をするようになっています。
日本では土葬する事は禁止されていません。しかしそれができる県は北海道と山梨県だそうです。土葬の会というのがあって、そこでは土葬をしたいという人たちのものがあるのだそうです。日本では古来から土葬が行われていました。日本人にとってとても自然なものでした。私たちもそのような、将来的に私たちもそのような形で土葬の準備をしたいと願っています、マリア様の御助けを以て。
カトリック教会はそこで、特に復活を否定するという人たちが火葬を勧めていたので、ヨーロッパでは「火葬をする人に対しては、教会の埋葬をしない」という、「儀式を拒否する」態度を取りました。
日本では迫害の最中でもあって、日本のカトリック教会が公式の認可を受けたのは戦時中だったので、ローマから第2バチカン公会議の前に、すでに火葬をする特別の許可を持っています。しかしできれば、理想は土葬なので、ぜひ私たちも土葬の事を考えています。
私が今日、主に言いたかった事はそれではありません。私たちはカトリック教会は、「復活を待って、復活の為に眠りに就いているのだ。復活の待望をもって、私たちは復活の日を待っているのだ」という事です。
ですから私たちは教会と共に、亡くなった霊魂の為にたくさん祈ります。モニカさんはまさにこの復活の、イエズス・キリストを真の天主として、イエズス・キリストと同じ復活を待つ者として、眠りに就かれました。
【2:思い出話】
モニカさんは大体20年くらい前から、毎月、私たちの聖堂に通って来ていました。欠かさず通って来ていました。家系は昔からカトリックの家系でした。とても物静かで、非常に大人しい素直な方なので、教理のカトリック要理の事をよく知っていました。そして公教要理の時間には必ず残って、公教要理をしていました。そして公教要理について深い知識を持っていた事は、その時の対話から分かりました。
ある時、いつもはお話をなさらないモニカさんですけれども、ポロリと奇跡の話の時に、こういう話をしてくれた事があります。
実はモニカさんのおじいさんが、仏教徒で、非常に頑固な仏教徒だったのです。ちょうどフランスからの宣教師が大坂に来ていて、そして小さな所を借りてミサをしていたのです。そして教会という教会もなく、ただミサの時だけにちょっと場所を借りて、という事をしていました。しかしカトリックの信仰を信じるという方が多くなってきて、そして今まで借りていた所が非常に手狭になったので、「ぜひ大きな場所が欲しい、大きな所が必要だ。何とかしてこの信者さんたちが一緒にお祈りをする場所が必要だ」ということになりました。
その時、大きな地主であったおじいさんの所に、モニカさんのおじいさんの所に、「ぜひ土地を買わせて欲しい。普通の土地よりも高いお金を払うので、ぜひ譲ってもらいたい」と宣教師の神父様がお願いに行ったそうです。この家族はカトリックでも何でもありませんでした。ただ土地を持っていただけでした。
するとそのおじいさんは、「ワシは仏教だ!耶蘇に売るくらいなら乞食にくれてやる!嫌だ!」と言って断ったのだそうです。それでも、それでも神父様はお願いに行ったのですけれども、「耶蘇は嫌だ!」と言って、「帰れ!」と言って冷たくあしらわれたそうです。その当時はカトリック教会も認められていませんでしたし、外国の宗教だと思われていたので、日本とは関係ない、よそ者だと思われていたので、これも仕方がなかったかもしれません。
ところが、そのおじいさんが癌になったのです。そして苦しんでおられるというのを聞いて、その神父様はすぐにフランスのルルドの聖水を日本に持って来ました。当時そのルルドの水を日本に持って来るのは非常に困難だったと思います。それをしてそのおじいさんに、「これはルルドの水で、これはマリア様の奇跡の水だからどうぞ召し上がって下さい、どうぞ飲んで下さい。」「ワシは嫌だ!信ぜんよ!」と言ったのですけれど、それでも、「まぁ、せっかくフランスから来たお水だ」、「貴重なお水だから」という事で飲んだところ、癌がピタリ、きれいに治ってしまった、という奇跡が起こりました。
そこでそのお礼に、そのおじいさんは持っていた土地を教会に寄付して、そして自分も洗礼を受けたのだ、という話を私にして下さいました。その後に家族代々、カトリックの信仰を受ける御恵みを受けた、という話をして下さいました。
モニカさんにとって、マリア様、イエズス様は、絶対の天主で、私たちの為に奇跡を起こす事ができて、そしてたとえ辛い思いをされて、日本の政府から認められていなかったとしても、イエズス・キリストこそが私たちに奇跡さえも起こす事ができる真の天主だ、というそのおじいさんの信仰を受け継いでおられました。そこで聖伝のミサに、ラテン語のミサに与り始めた時に、「これこそが本物だ。これこそがおじいさんから受け継いだ信仰だ。これこそが私がしなければならないイエズス様への礼拝だ」と、このミサを発見した事を非常に喜んでおられました。
なぜかというと、今から20年30年前は、日本では、「手による聖体拝領をしなければならない」と言われていたからです。今ではこれがもう当たり前になってしまっているのですけれども、しかしその時にはそれが非常に大きな問題でした。
ローマや文書では紙の上では、「信徒は自由だ。手に聖体拝領したい人はそれば良いし、しかしもしも口で聖体拝領したい人はすれば良い」とは書いてある事はあるのですけれども、でも実際にはできないのです。実際には手でないと拝領させてくれないのです。私も同じ思いをしました。ですからモニカさんの話がよく分かりました。
イエズス様をただのパンであるように、あるいは何でもないかのように、御聖体を何でもない普通の物であるように取り扱えば、日本ではお墨付きが来たのです。「よくやった!」と褒められたのです。
しかし、「イエズス様こそが真の天主だ、私たちはその前に跪きたい。その前に跪いて口で御聖体拝領したい。イエズス様の小さなかけらも御聖体だから、手に付いたら私たちは踏んでしまうかもしれない」という信仰は、「NO!ダメだ!」と言われたのです。嘘のようですけれども、本当の話なのです。
今ではもっと進んでいます。「聖体変化の時には立っていなければならない。跪いてはいけない」と言われています。「ミサの途中、日本では跪かない。これが日本の司教団の決定だ!」
ですから「跪く人は邪魔者だ!」「跪くのは違法だ!間違っている!」と言われます。もちろんベネディクト十六世教皇様も、もちろんフランシスコ教皇様も、「どちらでも良い」と言います。ベネディクト十六世引退教皇様などは、ご自分のミサの時には跪いて口でなければ拝領させません。しかし私たちは「日本ではだめだ!」と言われます。
もちろん聖パウロも聖書も、「主の前に、全てのものは膝をかがめる」と言います。しかし「日本ではだめだ!」と言われます。
これは跪くか跪かないかの問題ではないのです。この核心は「イエズス・キリストが復活した真の天主であるか、そうでないか」という問題なのです。
もしもイエズス・キリストが本当に復活して、十字架の死に至るまで天主に従順であったが為に、全てのものに優る名を与えられて、復活して、私たちはその真の天主を受けるとしたら、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもの、全てが膝をかがめる」という方を、もしも聖体拝領するとしたら、その前にあるとしたら、私たちがどうしても当然取るべき信仰が教えるものをするか、しないか、の違いなのです。
しかし、信仰の通りにする事はお墨付きを与えられませんでした、「これは違法だ!」とレッテルを張られます。そこで、そこで多くの方は現在でも苦しんでおられます。
しかし、モニカさんは私たちのこのミサに来て、「これこそが、これこそが私たちがやるべき真の道だ」と、このミサに与り続けました。
もちろんこのような教会の苦しみはおそらく長くは続かないと思います。今から10年前までは、聖伝のミサは禁止されている、と教区報にも出されましたし、色々なところにも出されましたが、10年前に、2007年7月7日にベネディクト十六世教皇様が、「このミサは昔から教会が愛してきたもので、いきなりこのミサが禁止される事も、いきなり悪になる事もあり得ない。だから私たちは、教会が愛したものを愛し続けなければならい」と言った時に、少しずつ態度が変わっていきました。
教会はおそらく今その受難の時ですが、もう一度聖伝が復活する時がやって来ます。「教会は今、」ベネディクト十六世教皇様の言葉によれば、「沈みかけている船のようだ」と言うのですけれど、しかしこの船が、御聖体とマリア様の2つの柱に縛り付ける時がやって来ます、聖ドン・ボスコの預言によると。「その時、教会には平和がやって来て、大きな発展がある」と言われています。ですから必ずその時は来ます。
マリア様も、ファチマのマリア様も約束されました、「汚れなき御心は勝利する、凱旋するでしょう。教皇様はロシアを私の御心に奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。平和の時代がやって来るでしょう。」
【3:遷善の決心】
私たちはカトリック聖伝の復活の日を待ち続けつつ、モニカさんと同じ信仰を持ち続けたいと思います。
「イエズス・キリストは真の天主であって、復活された。そして私たちが受ける聖体拝領は、生ける天主の聖子、イエズス・キリストである。その復活されたイエズス様を私たちは今日受ける。ですから私たちは最大の礼拝と、敬意と、愛とを込めて、聖体拝領をしなければならない。」
モニカさんがやっていた事を私たちもしましょう。深い公教要理の勉強から来たその確信の通りに行動しましょう。
最後に、モニカさんの為にお祈り致しましょう。私たちもこの霊魂が早く天国に行く事ができますように、そして天国に行った暁には、天国から私たちの為にお祈りして下さるように、これからお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心教会にようこそ。
今日は2018年4月7日、御復活の後の土曜日で、初土曜日です。今日は聖木曜日に亡くなられた、私たちの姉妹であるモニカさんの葬儀ミサを捧げています。モニカさんの特別の遺言と希望で、4月の最初の水曜日の4月4日から、30日間のミサを捧げています。このミサもその内の1つであります。そしてご家族の皆さんがモニカさんを失った悲しみを共にしたいと思っています。
(1)今日のこの葬儀ミサ、カトリックの聖伝によると、葬儀ミサとは一体どのようなものなのか?どのようにして私たちは亡くなった霊魂の為に祈るのか?という事を黙想して、
そして(2)モニカさんの思い出話をする事を許して下さい。
その後で(3)私たちは遷善の決心を立てる事にしましょう。私たちは一体どのような事を黙想しながら、これからモニカさんの為にお祈りして、そして私たちの生活を送っていくべきか。
【1:カトリックの聖伝によると、葬儀ミサとは?】
カトリックの聖伝によると、私たちが死亡すると死を迎えると、霊魂は肉体を離れます。肉体と霊魂は1つで、霊魂は肉体を生かしていましたけれども、死を迎えるという事は、すなわち霊魂が肉体を離れる、分離するという事で、肉体は腐敗を始めます。土に戻ります。しかし霊魂は決して消滅する事がありません。どのような聖人であっても、どのような罪人であっても、罪を犯したから罰として、亡くなったから霊魂が無くなってしまうという事は決してありません。霊魂は永遠に生き続けます。
そして裁きを受けます。聖なる、また聖なる、聖なる天主によって裁きを受けるので、どのように清い霊魂であったとしても、その裁きは非常に厳しいものです。私たちの中のほんのちょっとした罪、あるいは汚れ、あるいは過失、あるいは罪の償いが残っていれば、それを私たちは何とかして浄めなければなりません。亡くなった後に罪の償いを果たして、罪の汚れなく天国に行くという、直行するという霊魂は、極めてわずかで、例外的です。
聖人たちも非常にその事を心配していました。アヴィラの聖テレジアというとても立派な方は、臨終の時にシスターたちを呼んで、「わが娘たちよ。私が死んだらすぐにたくさんのお祈りして下さい。なぜかというと、天主の裁きは非常に厳しいので、私は長い間煉獄で苦しまなければならないから。」
霊魂が聖であれば聖であるほど、清い方であれば清くなれば清くなるほど、罪の醜さ、恐ろしさ、おどろおどろしさがますますよく分かるので、そして天主の清さ、善、愛、憐れみの深さ、そしてその良さ、寛大さがあまりにもよく分かるので、すぐその清い天主に直行する事はできないだろう、と、ますます自覚しました。
そこで教会は、霊魂が亡くなると、多くの祈りと、多くの償いを捧げようと決心しました。最も効果がある、最も功徳のある、最も天主の御前に力のある祈りがミサ聖祭です。なぜかというと、天主聖子が私たちの身代わりとなって、私たちの名前によって、自分の天主の血を流して、罪の償いを果たして下さったからです。「聖父よ、彼らをお赦し下さい。彼らはその為すところを知らないからです。」
その聖子の祈りに聖父はどうして拒む事ができるでしょうか。ですから教会は、ミサを以て死者の為に、この霊魂の救いの為に、「早く天国に行く事ができるように」と祈る習慣があります。
ただし教会は、私たちにとって、天主の聖性とその清さをよく知っているが為に、私たちには喪に服すように招いています。そこで教会は、「ミサの時にはオルガンを鳴らさないように、祭壇に花を置かないように。そして私たちはこの亡くなった霊魂に代わって償いを果たすように」と招いています。
ですから、私たちの為にこのミサが捧げられるわけではないので、最後の祝福もありません。司祭は水さえも祝福しません。全ての祈りは、「この霊魂が早く天国に行く事ができるように、天主の憐れみを乞う」という事だけに集中します。
このミサの後には、普通ならば「Ite, Missa est」と言うところを、私たちは、「この霊魂たちに永遠の安息があるように」と司祭は言ってミサを終わります。皆さんは、「アーメン」と歌って答えて下さい。今日のミサの後には最後の祝福もなく、最後の福音もなく、司祭は、赦祷式というものを行います。
赦祷式というのは、「霊魂が早く天国に行きますように」という意向を持った、主の憐れみを乞い求める特別のお祈りで、もし遺体があれば遺体に、もしも遺体がなければ空の棺を置いてそれに聖水を司祭がかけます。教会を代表して聖水をかけます。香も焚きます。なぜかというと、この亡くなった霊魂は亡くなった方は、天主三位一体の神殿であったからです。
教会は、ユダヤ教の伝統とそしてカトリック教会の伝統は、天主の神殿である私たちの体を、そのまま土葬する埋葬するという習慣があります。本来ならば私たちも、日本でもできるならば 埋葬するようにしたいと願っています。将来的にその準備を進めたいと私も思っています。
カタコンベというものがローマにあります。300年間、カトリック教会は「違法」でした。教会がやっている儀式というのは禁止されていました。ローマの神々のものは良いのだけれども、しかしイエズス・キリストを信じる事は厳禁でした。イエズス・キリストを信じる事には死が待っていました。拷問が待っていました。財産の没収が待っていました。しかしローマ帝国の多くの人々、ますます多くの人々は、イエズス・キリストこそが真の天主であるとして信じていました。その信者の生活の清さ、その慎ましさは、異教の神々を信じているローマの人々の生活の、ふしだらな生活と比べると全く違っていました。イエズス・キリストの復活を信じて、私たちも復活するという事を信じて、多くの信者たちは殉教していきました。唯一、キリスト教の儀式をする事ができるような安全な場所はお墓しかありませんでした。地下のお墓なのです。なぜかというと、ローマの法律によって、「お墓は誰も暴いてはいけないし、手を付けてはいけないし、破壊してはいけない」という特別の古代からの法律があったからです。そこで安全の為に、キリスト教信者はカトリック信者は、地下のカタコンベという所のお墓でミサをしていました。殉教者もそのお墓に葬る事ができました。
ところでそのカタコンベを見ると、異教徒の人々のお墓とカトリックのお墓の違いが分かります。それは何かというと、火葬されて灰になっているか、そのまま土葬されているかの違いなのです。カトリック教会にとって、天主の神殿が火で焼かれるというのは、これは地獄の事を思い出すので、ぜひその地獄の苦しみに遭わせたくないという思いから、また復活するという、復活を待つ、復活を待って眠りに就くという信仰から、土葬をするようになっています。
日本では土葬する事は禁止されていません。しかしそれができる県は北海道と山梨県だそうです。土葬の会というのがあって、そこでは土葬をしたいという人たちのものがあるのだそうです。日本では古来から土葬が行われていました。日本人にとってとても自然なものでした。私たちもそのような、将来的に私たちもそのような形で土葬の準備をしたいと願っています、マリア様の御助けを以て。
カトリック教会はそこで、特に復活を否定するという人たちが火葬を勧めていたので、ヨーロッパでは「火葬をする人に対しては、教会の埋葬をしない」という、「儀式を拒否する」態度を取りました。
日本では迫害の最中でもあって、日本のカトリック教会が公式の認可を受けたのは戦時中だったので、ローマから第2バチカン公会議の前に、すでに火葬をする特別の許可を持っています。しかしできれば、理想は土葬なので、ぜひ私たちも土葬の事を考えています。
私が今日、主に言いたかった事はそれではありません。私たちはカトリック教会は、「復活を待って、復活の為に眠りに就いているのだ。復活の待望をもって、私たちは復活の日を待っているのだ」という事です。
ですから私たちは教会と共に、亡くなった霊魂の為にたくさん祈ります。モニカさんはまさにこの復活の、イエズス・キリストを真の天主として、イエズス・キリストと同じ復活を待つ者として、眠りに就かれました。
【2:思い出話】
モニカさんは大体20年くらい前から、毎月、私たちの聖堂に通って来ていました。欠かさず通って来ていました。家系は昔からカトリックの家系でした。とても物静かで、非常に大人しい素直な方なので、教理のカトリック要理の事をよく知っていました。そして公教要理の時間には必ず残って、公教要理をしていました。そして公教要理について深い知識を持っていた事は、その時の対話から分かりました。
ある時、いつもはお話をなさらないモニカさんですけれども、ポロリと奇跡の話の時に、こういう話をしてくれた事があります。
実はモニカさんのおじいさんが、仏教徒で、非常に頑固な仏教徒だったのです。ちょうどフランスからの宣教師が大坂に来ていて、そして小さな所を借りてミサをしていたのです。そして教会という教会もなく、ただミサの時だけにちょっと場所を借りて、という事をしていました。しかしカトリックの信仰を信じるという方が多くなってきて、そして今まで借りていた所が非常に手狭になったので、「ぜひ大きな場所が欲しい、大きな所が必要だ。何とかしてこの信者さんたちが一緒にお祈りをする場所が必要だ」ということになりました。
その時、大きな地主であったおじいさんの所に、モニカさんのおじいさんの所に、「ぜひ土地を買わせて欲しい。普通の土地よりも高いお金を払うので、ぜひ譲ってもらいたい」と宣教師の神父様がお願いに行ったそうです。この家族はカトリックでも何でもありませんでした。ただ土地を持っていただけでした。
するとそのおじいさんは、「ワシは仏教だ!耶蘇に売るくらいなら乞食にくれてやる!嫌だ!」と言って断ったのだそうです。それでも、それでも神父様はお願いに行ったのですけれども、「耶蘇は嫌だ!」と言って、「帰れ!」と言って冷たくあしらわれたそうです。その当時はカトリック教会も認められていませんでしたし、外国の宗教だと思われていたので、日本とは関係ない、よそ者だと思われていたので、これも仕方がなかったかもしれません。
ところが、そのおじいさんが癌になったのです。そして苦しんでおられるというのを聞いて、その神父様はすぐにフランスのルルドの聖水を日本に持って来ました。当時そのルルドの水を日本に持って来るのは非常に困難だったと思います。それをしてそのおじいさんに、「これはルルドの水で、これはマリア様の奇跡の水だからどうぞ召し上がって下さい、どうぞ飲んで下さい。」「ワシは嫌だ!信ぜんよ!」と言ったのですけれど、それでも、「まぁ、せっかくフランスから来たお水だ」、「貴重なお水だから」という事で飲んだところ、癌がピタリ、きれいに治ってしまった、という奇跡が起こりました。
そこでそのお礼に、そのおじいさんは持っていた土地を教会に寄付して、そして自分も洗礼を受けたのだ、という話を私にして下さいました。その後に家族代々、カトリックの信仰を受ける御恵みを受けた、という話をして下さいました。
モニカさんにとって、マリア様、イエズス様は、絶対の天主で、私たちの為に奇跡を起こす事ができて、そしてたとえ辛い思いをされて、日本の政府から認められていなかったとしても、イエズス・キリストこそが私たちに奇跡さえも起こす事ができる真の天主だ、というそのおじいさんの信仰を受け継いでおられました。そこで聖伝のミサに、ラテン語のミサに与り始めた時に、「これこそが本物だ。これこそがおじいさんから受け継いだ信仰だ。これこそが私がしなければならないイエズス様への礼拝だ」と、このミサを発見した事を非常に喜んでおられました。
なぜかというと、今から20年30年前は、日本では、「手による聖体拝領をしなければならない」と言われていたからです。今ではこれがもう当たり前になってしまっているのですけれども、しかしその時にはそれが非常に大きな問題でした。
ローマや文書では紙の上では、「信徒は自由だ。手に聖体拝領したい人はそれば良いし、しかしもしも口で聖体拝領したい人はすれば良い」とは書いてある事はあるのですけれども、でも実際にはできないのです。実際には手でないと拝領させてくれないのです。私も同じ思いをしました。ですからモニカさんの話がよく分かりました。
イエズス様をただのパンであるように、あるいは何でもないかのように、御聖体を何でもない普通の物であるように取り扱えば、日本ではお墨付きが来たのです。「よくやった!」と褒められたのです。
しかし、「イエズス様こそが真の天主だ、私たちはその前に跪きたい。その前に跪いて口で御聖体拝領したい。イエズス様の小さなかけらも御聖体だから、手に付いたら私たちは踏んでしまうかもしれない」という信仰は、「NO!ダメだ!」と言われたのです。嘘のようですけれども、本当の話なのです。
今ではもっと進んでいます。「聖体変化の時には立っていなければならない。跪いてはいけない」と言われています。「ミサの途中、日本では跪かない。これが日本の司教団の決定だ!」
ですから「跪く人は邪魔者だ!」「跪くのは違法だ!間違っている!」と言われます。もちろんベネディクト十六世教皇様も、もちろんフランシスコ教皇様も、「どちらでも良い」と言います。ベネディクト十六世引退教皇様などは、ご自分のミサの時には跪いて口でなければ拝領させません。しかし私たちは「日本ではだめだ!」と言われます。
もちろん聖パウロも聖書も、「主の前に、全てのものは膝をかがめる」と言います。しかし「日本ではだめだ!」と言われます。
これは跪くか跪かないかの問題ではないのです。この核心は「イエズス・キリストが復活した真の天主であるか、そうでないか」という問題なのです。
もしもイエズス・キリストが本当に復活して、十字架の死に至るまで天主に従順であったが為に、全てのものに優る名を与えられて、復活して、私たちはその真の天主を受けるとしたら、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもの、全てが膝をかがめる」という方を、もしも聖体拝領するとしたら、その前にあるとしたら、私たちがどうしても当然取るべき信仰が教えるものをするか、しないか、の違いなのです。
しかし、信仰の通りにする事はお墨付きを与えられませんでした、「これは違法だ!」とレッテルを張られます。そこで、そこで多くの方は現在でも苦しんでおられます。
しかし、モニカさんは私たちのこのミサに来て、「これこそが、これこそが私たちがやるべき真の道だ」と、このミサに与り続けました。
もちろんこのような教会の苦しみはおそらく長くは続かないと思います。今から10年前までは、聖伝のミサは禁止されている、と教区報にも出されましたし、色々なところにも出されましたが、10年前に、2007年7月7日にベネディクト十六世教皇様が、「このミサは昔から教会が愛してきたもので、いきなりこのミサが禁止される事も、いきなり悪になる事もあり得ない。だから私たちは、教会が愛したものを愛し続けなければならい」と言った時に、少しずつ態度が変わっていきました。
教会はおそらく今その受難の時ですが、もう一度聖伝が復活する時がやって来ます。「教会は今、」ベネディクト十六世教皇様の言葉によれば、「沈みかけている船のようだ」と言うのですけれど、しかしこの船が、御聖体とマリア様の2つの柱に縛り付ける時がやって来ます、聖ドン・ボスコの預言によると。「その時、教会には平和がやって来て、大きな発展がある」と言われています。ですから必ずその時は来ます。
マリア様も、ファチマのマリア様も約束されました、「汚れなき御心は勝利する、凱旋するでしょう。教皇様はロシアを私の御心に奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。平和の時代がやって来るでしょう。」
【3:遷善の決心】
私たちはカトリック聖伝の復活の日を待ち続けつつ、モニカさんと同じ信仰を持ち続けたいと思います。
「イエズス・キリストは真の天主であって、復活された。そして私たちが受ける聖体拝領は、生ける天主の聖子、イエズス・キリストである。その復活されたイエズス様を私たちは今日受ける。ですから私たちは最大の礼拝と、敬意と、愛とを込めて、聖体拝領をしなければならない。」
モニカさんがやっていた事を私たちもしましょう。深い公教要理の勉強から来たその確信の通りに行動しましょう。
最後に、モニカさんの為にお祈り致しましょう。私たちもこの霊魂が早く天国に行く事ができますように、そして天国に行った暁には、天国から私たちの為にお祈りして下さるように、これからお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。