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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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イエズス・キリストの新約の司祭職への愛を考え、司祭職と洗者聖ヨハネの関係について考察する

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

 6月24日は、洗者聖ヨハネの祝日でした。イエズス・キリストの新約の司祭職、カトリック司祭職と洗者聖ヨハネの関係について考察することを提案します。

 イエズス・キリストは、光よりの光、天主よりの天主、真の天主よりの真の天主、創られずして生まれ、天主聖父と同一の本性をもつ天主です。天主の御言葉が人となって、天主の聖母、終生童貞なる聖マリアの御胎内において、人間としてその聖心の鼓動を打ち始めたとき、天主聖父への愛に燃え立っていました。ご自分の汚れなき聖母への愛に燃え焦がれていました。

 イエズス・キリストは、人となったその直後、聖母マリアに特別の望みを起こさせました。聖母をして、イエズスを御胎内に秘めつつ、急いで司祭ザカリアの家へと旅立たせました。イエズスは、まだ母の胎内にいた洗者聖ヨハネに、純潔さと崇高な聖性を与えようと望まれたのです。イエズスは、ご自分の司祭職たちに対する愛の故に、洗者聖ヨハネへのもとへとまず駆けつけました、マリア様とご一緒に。

 イエズスこそが唯一の最高の司祭、メルキセデクの司祭職による永遠の司祭です。その他の司祭たちは、最高司祭であるイエズスから、権能と尊厳を受けているに過ぎません。イエズスの聖心はご自分の司祭たちを愛して鼓動しています。

 両者ともアアロンの家系である、ザカリアとエリザベトの子供である聖ヨハネは、旧約の司祭職と新約の司祭職とを結びつけるものでした。たしかに洗者聖ヨハネは父親の職業を継ぎませんでした。したがって旧約の司祭ではありませんでした。エルサレムの神殿に入って香を焚いたこともなければ、犠牲を捧げたこともありません。また洗者聖ヨハネは最後の晩餐にも同席せず、新約の司祭達のように聖変化をさせることもしませんでした。したがって新約の司祭でもありませんでした。洗者聖ヨハネは、同時に旧約の司祭職と新約の司祭職とを持ち、両者を重ね合わせるものでした。

 しかし、洗者の神殿は荒野でした。この世俗から切り離されて、天空をドームとする荒野という神殿で、礼拝と愛と祈りの香を焚きました。自分を犠牲として厳しい苦行の生活を捧げました。

 カトリック司祭がミサの時に言うように、洗者聖ヨハネもイエズス・キリストを指し示して言います。「天主の子羊を見よ!Ecce Agnus Dei!」と。聖ヨハネは改悛せよと呼びかけ、イエズス・キリストを指し示して福音を告げます。自分の純潔と霊魂たちの救いの熱烈な望みをもって、新約の司祭たちの模範となっています。

 イエズスは、ご自分の司祭たちへの燃える愛を持って、聖母の胎内に宿るや否や、洗者のもとに行き、彼を聖化し、潔め、聖寵の激流を与えました。

 後にイエズスは、ヨルダン川にいる洗者のもとに行き、彼から洗礼を受けることでしょう。イエズスは洗者聖ヨハネにご自分を全く委ねるのです。

 これこそ、イエズスが新約の司祭たちの手にご自分の体を委ねきるということの準備でなくて何でしょうか。

 イエズスは、洗者聖ヨハネにおいて、ご自分の聖心の最初の愛を、ファースト・ラブを与えました。イエズスの聖心は、まずご自分の司祭たちのために鼓動を打っていたのです!司祭にまず最高の贈り物をしました。最初の奇跡を行いました。司祭たちは、どれほどイエズスの聖心を愛し返さなければならないことでしょうか!


 聖母の汚れなき御心よ、カトリック司祭たちを照らし、守り給え!



天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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