2018年6月15日(金)聖霊の随意ミサ 聖ヴィトゥスの記念
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2018年6月15日、平日のミサですが、今日は特に聖霊の随意ミサを捧げています。
今日の記念の聖ヴィトゥスをしようか、あるいは聖霊の随意ミサをするか、選択の余地もあったのですけれども、なぜこの聖霊の随意ミサをするとかというと、特に来たる7月の総会において、聖ピオ十世会の指導者たちに聖霊の恵みがたくさんあって、素晴らしい決定ができますように、特に聖霊へのお祈りが必要だと思いますので、天主様の御摂理によって今日は聖霊の随意ミサを捧げたいと思っています。どうぞ聖ピオ十世会の為に、総会の成功の為にたくさんお祈りをなさって下さい。
今日のこのミサの後に、いつもの通り終課を唱える事に致しましょう。明日は10時半からミサがあります。明日は聖母の汚れなき御心の随意ミサを行ないます。その後で御聖体降福式もあります。どうぞいらして下さい。
「もしも私を愛するならば、私の言葉を守るだろう。すると聖父は彼を愛し、私たちは彼の元に行き、そこに住処を作るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、イエズス様の聖心の溢れるばかりの今日はこの御言葉を、この福音で私たちは拝聴しました、「もしも私を愛するなら、私の言葉を守るだろう。そうしたら聖父は彼を愛して、私たちは三位一体全ては、彼の元にやって来て、そして住処を作るだろう。」
三位一体は私たちの霊魂に住まうだろうという、三位一体の愛を以って私たちを愛して下さるという、イエズス様の憐れみに溢れる、愛に溢れる言葉を聞きました。
イエズス様が私たちに求めているのはまさにこれです。私たちを愛し、また更に愛し、更に愛したい。そして私たちから求めるのは、「愛で返す」という事です。
その為に私たちがもしもその愛し返すならば、更にもっと私たちを愛し返すだろう、天主御自身である天主の愛である聖霊を私たちに下さり、御自身全く、イエズス様御自身を御聖体として私たちに下さる、そして私たちと一致していたい、そして私たちと共に留まりたい、という愛が、今日の御言葉に溢れ出ています。いつ聞いても感動で溢れる御言葉です。
今から1700年前、これを実行した3人の殉教者がいます。名前は聖ヴィトゥス、モデストゥス、クレセンチアです。特にこのヴィトゥスという聖人は子供でした。ある記録によると12歳、ある記録によると7歳となっています。おそらく12歳が正しいと思われます。
この子は非常に名の高い領家に生まれました。ただしお父さんは異教徒でした。しかし非常に教育に熱心であって、そこで品行の高い立派な夫婦であったその乳母に、クレセンチアという教養の高い女性がいたので、その女性に自分の子供の教育を任せました。昔のローマでは、子供の教育を学校に通わせるのではなく、お金持ちは特別の家庭教師を雇って、その彼らに教育を頼んだのでした、全く任せました。ですから聖ヴィトゥスはシチリアに290年に生まれ、デオクレチアノ皇帝の統治の元に生まれたのですが、クレセンチアのもとに養われて行きました。
どうやって聖クレセンチアがそのヴィトゥスに洗礼を授けるに至ったのか、私たちには詳しく伝えられていません。おそらくヴィトゥスというのは非常に頭の良い子供であって、クレセンチアの信仰の事や信仰生活を見て、「自分もカトリックになりたい」と言ったに違いありません。そこでお父さんの知らない間に洗礼を受けました。クレセンチアの夫モデストゥスもやはりカトリック、熱心なカトリックでした。
そして12歳になって、お父さんの元に連れて来られると、お父さんは自分の子供がカトリックになった、キリスト教の洗礼を受けた、信仰を持っている、という事を聞いて非常にびっくりします、驚きます。そしてそれに反対します。なぜかというと、もしもそのような事が分かったら、自分が殺されてしまうかもしれない、迫害の真っ只中でした。ですからその子供を脅して、もうそのキリスト教の信仰から離そうとしました。その当時の子供は、親から叱られる時には鞭で叩かれました。そこで厳しい鞭を受けました。
ヴィトゥスはそれを受けても、「信仰は捨てない、決して捨てない。イエズス様を愛する。イエズス様を捨てる事ができない。イエズス様を捨てるぐらいなら命を捨てた方がマシだ。」
お父さんはそれでも怒って、更に厳しい拷問をしようとします。それを見かねた乳母のクレセンチアは、そしてその夫のモデストゥスは、「何とかこの子を助けたい」と思って、3人は逃げ出します。
逃げるのですけれども、しかし捕まってしまって、そして長官のもとに訴えられて、そして本当に残酷な刑罰を受けます。煮えたぎるタールと油の混じった物を体に注がれるのです、3人とも。「キリスト教を棄てよ」と、グツグツともう全身が火傷をしてしまうようなものですけれども、しかしそれを受けても、その3人には何の害も与えずに、3人は主を讃美するだけでした。
それを見て怒った長官は、この3人を腹の減った猛獣のライオンに食わせようとしますが、ライオンは非常に獰猛であるはずなのにもかかわらず、その3人の前では優しい猫のように寄り添って、何の害も加えようとしません。
そこでそれを見て怒った長官は、遂に岩の上に3人を乗せて、そして残酷に殺して、殉教する事になります。305年6月15日、今日の事でした。イエズス様への愛に燃えて、イエズス様を愛するが為にイエズス様の御言葉を守ろうと、その事だけを思った3人の生涯でした。
聖ヴィトゥスは特に少年で、その若い命をイエズス様に捧げました、喜んで捧げていきました。血を流して捧げていきました。そこでシチリアやローマでは、聖ヴィトゥスに対して特別の崇敬がなされました。ところがその聖人への崇敬がヨーロッパに非常に早く、特に東欧に渡って、元々はローマに聖ヴィトゥスの聖遺物があったのですけれども、それは今プラハの聖ヴィトゥス教会のカテドラルに安置されています。そして6月15日はプラハでは、その聖遺物の前で特別な何か踊りがあって、聖ヴィトゥスを崇敬したのだそうです。
古代から中世にかけて非常に崇敬をされた聖ヴィトゥスは、14救難聖人の1つに挙げられています。特にコレラとか疫病などに対して、聖ヴィトゥスにお祈りすると助けられる、と私たちに伝えられています。
今日、聖霊の随意ミサをしている私たちも、是非、非常にそれからは遠いのですけれども、聖霊に満たされて、イエズス様を愛し、イエズス様から聖父から愛され、三位一体が私たちの内に住まわれ、またその愛を以てイエズス様を愛し返す、そしてその3人に倣う、殉教者に倣う御恵みを乞い求めましょう。
マリア様が私たちのこの願いを、是非イエズス様に取り次いで下さいますように、そして3人の殉教者も私たちに取り次いで下さいますように、私たちがイエズス様の聖心の中に深く入る事ができますように、イエズス様をますますお愛しする事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2018年6月15日、平日のミサですが、今日は特に聖霊の随意ミサを捧げています。
今日の記念の聖ヴィトゥスをしようか、あるいは聖霊の随意ミサをするか、選択の余地もあったのですけれども、なぜこの聖霊の随意ミサをするとかというと、特に来たる7月の総会において、聖ピオ十世会の指導者たちに聖霊の恵みがたくさんあって、素晴らしい決定ができますように、特に聖霊へのお祈りが必要だと思いますので、天主様の御摂理によって今日は聖霊の随意ミサを捧げたいと思っています。どうぞ聖ピオ十世会の為に、総会の成功の為にたくさんお祈りをなさって下さい。
今日のこのミサの後に、いつもの通り終課を唱える事に致しましょう。明日は10時半からミサがあります。明日は聖母の汚れなき御心の随意ミサを行ないます。その後で御聖体降福式もあります。どうぞいらして下さい。
「もしも私を愛するならば、私の言葉を守るだろう。すると聖父は彼を愛し、私たちは彼の元に行き、そこに住処を作るだろう。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、イエズス様の聖心の溢れるばかりの今日はこの御言葉を、この福音で私たちは拝聴しました、「もしも私を愛するなら、私の言葉を守るだろう。そうしたら聖父は彼を愛して、私たちは三位一体全ては、彼の元にやって来て、そして住処を作るだろう。」
三位一体は私たちの霊魂に住まうだろうという、三位一体の愛を以って私たちを愛して下さるという、イエズス様の憐れみに溢れる、愛に溢れる言葉を聞きました。
イエズス様が私たちに求めているのはまさにこれです。私たちを愛し、また更に愛し、更に愛したい。そして私たちから求めるのは、「愛で返す」という事です。
その為に私たちがもしもその愛し返すならば、更にもっと私たちを愛し返すだろう、天主御自身である天主の愛である聖霊を私たちに下さり、御自身全く、イエズス様御自身を御聖体として私たちに下さる、そして私たちと一致していたい、そして私たちと共に留まりたい、という愛が、今日の御言葉に溢れ出ています。いつ聞いても感動で溢れる御言葉です。
今から1700年前、これを実行した3人の殉教者がいます。名前は聖ヴィトゥス、モデストゥス、クレセンチアです。特にこのヴィトゥスという聖人は子供でした。ある記録によると12歳、ある記録によると7歳となっています。おそらく12歳が正しいと思われます。
この子は非常に名の高い領家に生まれました。ただしお父さんは異教徒でした。しかし非常に教育に熱心であって、そこで品行の高い立派な夫婦であったその乳母に、クレセンチアという教養の高い女性がいたので、その女性に自分の子供の教育を任せました。昔のローマでは、子供の教育を学校に通わせるのではなく、お金持ちは特別の家庭教師を雇って、その彼らに教育を頼んだのでした、全く任せました。ですから聖ヴィトゥスはシチリアに290年に生まれ、デオクレチアノ皇帝の統治の元に生まれたのですが、クレセンチアのもとに養われて行きました。
どうやって聖クレセンチアがそのヴィトゥスに洗礼を授けるに至ったのか、私たちには詳しく伝えられていません。おそらくヴィトゥスというのは非常に頭の良い子供であって、クレセンチアの信仰の事や信仰生活を見て、「自分もカトリックになりたい」と言ったに違いありません。そこでお父さんの知らない間に洗礼を受けました。クレセンチアの夫モデストゥスもやはりカトリック、熱心なカトリックでした。
そして12歳になって、お父さんの元に連れて来られると、お父さんは自分の子供がカトリックになった、キリスト教の洗礼を受けた、信仰を持っている、という事を聞いて非常にびっくりします、驚きます。そしてそれに反対します。なぜかというと、もしもそのような事が分かったら、自分が殺されてしまうかもしれない、迫害の真っ只中でした。ですからその子供を脅して、もうそのキリスト教の信仰から離そうとしました。その当時の子供は、親から叱られる時には鞭で叩かれました。そこで厳しい鞭を受けました。
ヴィトゥスはそれを受けても、「信仰は捨てない、決して捨てない。イエズス様を愛する。イエズス様を捨てる事ができない。イエズス様を捨てるぐらいなら命を捨てた方がマシだ。」
お父さんはそれでも怒って、更に厳しい拷問をしようとします。それを見かねた乳母のクレセンチアは、そしてその夫のモデストゥスは、「何とかこの子を助けたい」と思って、3人は逃げ出します。
逃げるのですけれども、しかし捕まってしまって、そして長官のもとに訴えられて、そして本当に残酷な刑罰を受けます。煮えたぎるタールと油の混じった物を体に注がれるのです、3人とも。「キリスト教を棄てよ」と、グツグツともう全身が火傷をしてしまうようなものですけれども、しかしそれを受けても、その3人には何の害も与えずに、3人は主を讃美するだけでした。
それを見て怒った長官は、この3人を腹の減った猛獣のライオンに食わせようとしますが、ライオンは非常に獰猛であるはずなのにもかかわらず、その3人の前では優しい猫のように寄り添って、何の害も加えようとしません。
そこでそれを見て怒った長官は、遂に岩の上に3人を乗せて、そして残酷に殺して、殉教する事になります。305年6月15日、今日の事でした。イエズス様への愛に燃えて、イエズス様を愛するが為にイエズス様の御言葉を守ろうと、その事だけを思った3人の生涯でした。
聖ヴィトゥスは特に少年で、その若い命をイエズス様に捧げました、喜んで捧げていきました。血を流して捧げていきました。そこでシチリアやローマでは、聖ヴィトゥスに対して特別の崇敬がなされました。ところがその聖人への崇敬がヨーロッパに非常に早く、特に東欧に渡って、元々はローマに聖ヴィトゥスの聖遺物があったのですけれども、それは今プラハの聖ヴィトゥス教会のカテドラルに安置されています。そして6月15日はプラハでは、その聖遺物の前で特別な何か踊りがあって、聖ヴィトゥスを崇敬したのだそうです。
古代から中世にかけて非常に崇敬をされた聖ヴィトゥスは、14救難聖人の1つに挙げられています。特にコレラとか疫病などに対して、聖ヴィトゥスにお祈りすると助けられる、と私たちに伝えられています。
今日、聖霊の随意ミサをしている私たちも、是非、非常にそれからは遠いのですけれども、聖霊に満たされて、イエズス様を愛し、イエズス様から聖父から愛され、三位一体が私たちの内に住まわれ、またその愛を以てイエズス様を愛し返す、そしてその3人に倣う、殉教者に倣う御恵みを乞い求めましょう。
マリア様が私たちのこの願いを、是非イエズス様に取り次いで下さいますように、そして3人の殉教者も私たちに取り次いで下さいますように、私たちがイエズス様の聖心の中に深く入る事ができますように、イエズス様をますますお愛しする事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。