アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
こんにちは!いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
今月の聖伝のミサには、天主様のお恵みで多くの方々が与ることが出来ました。天主様に感謝します。
マニラは、台風の影響で停電だったり、インターネットが不通だったりしたために、ご報告が遅れてしましました。
7月の日本での聖伝のミサの報告をご紹介いたします。
また、東京と大阪の有志の方々が18年間聖ピオ十世会アジア管区長をつとめてくださったクチュール神父様へ贈った霊的花束の内容は以下のとおりです。これは、今回大阪にミサ聖祭を捧げにいらしてくださったレネー神父様にお預けいたしました。レネー神父様はシンガポールへ帰られて、クチュール神父様にお渡しすることになっています。多くのお祈りを感謝します。
ミサ拝領 161回
聖体拝領 177回
霊的聖体拝領 3833回
十字架の道行き 265回
ロザリオ 6188環(秋田巡礼での888環を含む)
小さき犠牲 1078
その他 いろいろたくさん
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈りたまえ
聖ヨゼフわれらのために祈りたまえ
大阪での主日の御ミサを、たくさんの御ミサを
天主様に感謝!聖母マリア様に感謝!聖ヨゼフ様に感謝!
至聖なるイエズス様の聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
-----------
7月13日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 14人(内、子供0人)
女: 17人(内、子供0人)
計: 31人(内、子供0人)
------------
アヴェ・マリア・インマクラータ!
日本でのミッションありがとうございました。小野田神父様にお会いできて、とてもうれしかったです。
7月の御ミサの報告をいたします。
御ミサに与られた方の人数は、
11日金曜日 13人
12日土曜日 19人
13日日曜日 19人
14日月曜日 11人 でした。Deo gratias!!!
13日主日のミサにはレネー神父様が予定通り、韓国での主日のミサをささげられた後に来日してくださいました。日本の為に大きな犠牲を払ってくださったレネー神父様にも心から感謝申し上げます。
13日主日のレネー神父様のお説教は以下の通りです。
「もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれにまさらぬ限り、決して天の国には入れぬ」(マテオ第5章20節)
親愛なる兄弟の皆さん、
10月にローマで、司教のシノドス(司教会議)が行われ、離婚して再婚したカップルのことや、同性愛者などの問題について議論することを、皆さんもお聞きになっているかもしれません。2月20日にローマであったシノドスの特別準備会議で、カスパー枢機卿が非常に悪い発言をしました。その結果、全世界の各国の司教協議会、例を挙げればドイツの司教協議会は、再婚したカップルに婚姻の秘蹟を与えることはできないが、少なくとも彼らが祝福を受けられるようにしよう、ということをほのめかしました。こういう態度の結果、彼らは自分たちの状況にある種の承認が与えられるという印象を持ちます。理論的には何も変化がないように見えても、実践的には聖 書、そして教会の変わらない教えに反する振る舞いが支持され、広められているのです。
今日の教会には、「十戒に基づく道徳を超えて行くこと」を推し進める人々がいます。彼らは、「洗礼を受けた人々(信者)と、公式な教理との間にある、明白な隔たりを減らす」ことをしたがっています。この意味は、教会のメンバーの実際的な要望に、教会が実践していることを合わせていくべきだということです。
本日の福音がまことに教えているのは、現代世界の不道徳に実践で妥協するような態度は、私たちの主イエズス・キリストの言葉に反しているということです。「もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれにまさらぬ限り、決して天の国には入れぬ」(マテオ5章20節)。自分をキリスト教徒、カトリック教徒と呼びながら、現代の不道徳に従うのは偽善です。そのような妥協を進める人々は、本当に信じているのでしょうか、最後の審判があり、そのとき主が左側にいる人々に次のようにおっしゃることを。「私はいまだかつてあなたたちを知ったことがない、悪を行う者よ、私から離れ去れ」(マテオ7章23節)、「のろわれた者よ、私を離れて悪 魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ」(マテオ25章41節)。彼らは本当に信じているのでしょうか、聖パウロが次のように書いたことを。「不正の人は天主の国を継げないことを知らないのか。思い誤るな。淫行をする者も、偶像崇拝者も、姦通する者も、男娼も、男色する者も、泥棒も、貪欲な者も、酒飲みも、讒言する者も、略奪する者も、天主の国を継がぬ」(コリント前6章9―10節)。また、ローマ人への書簡(ローマ1章26―27節)で、聖パウロは異邦人の悪徳を攻撃し、同性愛が異邦人の悪徳の縮図であると指摘しました。旧約聖書においては、律法が明確にその点(レビ18章22節、20章13節)を指摘していますし、そのような悪徳に対して天主が怒りをお示しになったソドムという例がありました。
離婚して再婚することもまた、私たちの主イエズス・キリストによってはっきりと拒否されています。「人は、天主が合わせられたものを離してはならぬ」(マテオ19章6節)。「妻を追い出してほかに結婚する者は、はじめの女があるのだから姦通することになり、また妻が夫を捨てて他の男に嫁ぐなら、やはり姦通することになる」(マルコ10章11―12節)。ですから、そのような人物にご聖体を与えることは、まことに重大な汚聖です。聖パウロはこれについて言っています。「主のお体をわきまえずに飲食する者は、自分自身へのさばきを飲食することである」(コリント前11章29節)。
そのため、今日の教会においては、良き道徳を求める戦いがあるのです。これには、三つの立場が存在します。まず、司教であっても、カスパー枢機卿のように枢機卿であっても、この世との実践的妥協を好む人々がいます。次に、天主の恩寵によって、これに対して立ち上がり、反対であると明確に述べ、そんな行動はキリスト教の信仰に反すると思い出させてくれる人々がいます。三番目のグループは、……沈黙したままです。
しかし、慰めもあります。聖伝の司教方だけでなく、他の司教方、特にカザフスタンのアタナジウス・シュナイダー司教や、またシンガポールの司教さえも、これらの不道徳にまったく明確に反対を述べておられるのを見るからです。シュナイダー司教は、道徳についての妥協を推し進める人々と、キリストの良き道徳を支持する人々との間で、潜在的なシスマ、教会分裂が存在しているという警告さえなさっています。
ここで疑問が生じます。天主は慈悲深い方でいらっしゃらないのか。天主は簡単にはお赦しくださらないのか、と。
おお、そうです。天主は慈悲深い方でいらっしゃり、お赦しくださいます。しかしながら、正確にいえば、天主はまことに善き方でいらっしゃるので、罪びとの真の癒やしをお求めになります。天主が罪びとを本当に癒やす恩寵をお与えになるのは、私たちの主イエズス・キリストの恩寵によって、もう罪を犯さないように罪びとを完全に変容させるためなのです。これが真の改心なのです。つまり、自己中心でこの世の物や喜びに向かう生活から、天主に対して開かれ、すべてを天主の方へ向け、この世的な感情から離れる生活へと立て直すことなのです。
こういう恩寵は、祈りを通して、また秘蹟を通して与えられます。特に頻繁な告解や、ご聖体拝領がうまくなされた場合、つまり成聖の恩寵の状態で、聖化を求める強い望みをもってなされた場合に与えられます。悔悛の秘蹟を受けるとき気を付けていただきたいのは、悔い改めをし、苦行によって罪のつぐないをし、注意深く罪の機会を避けること、特にわいせつなものや不純なものを避けることが必要です。自分は天主の十戒に忠実であると思いながら、一方で罪の機会を避けようとしないなら、それは自分を欺いているのです。
さて、過去の罪が、霊魂において再び罪に陥る傾きの原因になります。例えば、飲みすぎることは再び飲もうという傾きの原因になります。そんな傾きがあっても、何も悪いものはないと偽る人がいますが、それは誤りです。実際のところ、その傾きは罪への傾きであるため、悪しき傾きなのです。それ自体で悪ですが、それに同意しない限り、罪ではありません。
そのような傾きは、正確に言えば罪の傷、つまり過去に犯した罪の傷であり、原罪の傷なのです。この傷を癒やす過程には時間がかかります。このような傷は、自らをへりくだり、絶えず祈り、試みに遭わせないよう天主にこいねがう機会となるのです。このへりくだりや絶えざる祈りはよいものであり、私たちの過去に犯した罪という悪から、天主が引き出してくださる善なのです。ですから、天主はこれらの祈りを喜ばれ、私たちをお助けくださいます。天主のご保護の下、私たちは罪に打ち勝つのです。天主の恩寵により罪を避けることができるということをはっきりと言い、堅く信じることは非常に重要です。それは可能であるだけでなく、罪 に対する勝利には大きな喜びがあります。霊魂がどんどん強くなるのです。
罪は三つの結果をもたらします。1)霊魂の闇、光である天主から顔をそむけること。2)当然受けるべき罰。3)罪による傷、つまり再び罪に落ちる傾き。私たちの主イエズス・キリストの恩寵は、これら三つから私たちを癒やしてくれます。実際、赦しそれ自体によって、また成聖の恩寵を与えることによって、主の恩寵は、天主との友好関係を回復させ、霊魂に天主の現存も回復させます。さらに、主の恩寵は永遠の罰を赦し、悔悛を求める熱意を与えることで、現世での罰を受ける力を与えてくれます。そうして、宗教的に熱心な生活を繰り返していくことで、主の恩寵は、一度にではなく徐々に少しずつ罪の傷を癒やすのです。
私たちの主イエズス・キリストの恩寵は、私たちの霊魂を癒やすだけでなく、高めてくれます。恩寵は、私たちの霊魂を高めることで超自然の生活へと導いてくれ、天主との友好関係を持ち、キリストの神秘体の一員となり、天主の子となるのです。「天にましますわれらの聖父よ、…」と、人間に祈ることを教える宗教は、これまでほかに全くありません。この霊魂を高めることは、「聖化」と呼ばれます。「実に天主のみ旨は、あなたたちが聖となることにある」(テサロニケ前4章3節)。聖パウロが、これをすぐに貞潔と関連付けていることに注意してください。全文を引用しますと、「実に天主のみ旨は、あなたたちが聖となることにある。 淫行を避け、おのおのが器を神聖に尊く保ち、天主を知らぬ異邦人のように情欲におぼれてはならない。また、このことについて誰も兄弟を害したりだましたりしてはならない。主がこれらのことについて報いられることは、すでにあなたたちに告げて証明したとおりである。天主が私たちを招かれたのは不潔のためではなく、聖となるためである。したがって、このおきてを退ける者は、人を退けるのではなく、私たちに聖霊を与えられる天主を退けることになる」(テサロニケ前4章3―8節)。
私たちの主イエズス・キリストは、私たちの霊魂を癒やし、高める恩寵をお与えになるのですから、主はこの世の正義をさらに上回る正義を私たちにお求めになります。「もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれにまさらぬ限り、決して天の国には入れぬ」(マテオ5章20節)。主は、殺すことを避けるだけでなく、短気も避け、心から敵を赦すようお求めになります。姦淫を避けるだけでなく、不純な視線や思いも避けるようお求めになります。偽証を避けるだけでなく、悪い言葉や悪い誓いも避けるようお求めになります。主は完徳をお求めになります。「天の父が完全であるように、あなたたちも完全な者になれ」(マテオ5章48節)。しかし 、主がそれをお求めになるのは、主が「私たちに与えられた聖霊によって、この心に天主の愛を注がれた」(ローマ5章5節)からなのです。
主は、私たちに聖であることをお求めになります。なぜなら主は、私たちのために御血を流すことにより、私たちを買い取られたからです。主は、私たちが自分で望む以上に、私たちの救いと聖化を望んでおられます。そのために、主は十字架の上で亡くなられたのです。十字架の聖なるいけにえによって、主はこれらの恩寵をすべて買い取られ、私たちが秘蹟を求め、信心をもって秘蹟を受けるときにはいつでも、私たちの霊魂のために恩寵をお与えになる用意をなさっています。ミサの聖なるいけにえは、まさに私たちの主イエズス・キリストの御体と御血のいけにえを捧げることであり、この恩寵を受ける最も偉大なる手段です。尽きることのない恩寵と聖性の泉です 。祭壇の下で、以前の罪を悔い改め、聖性の行いを実践しようという決意が形成されます。ですから、親愛なる兄弟の皆さん、私たちだけではなく他の人たちにも、癒やしと聖化の豊かな恩寵を与えてくださるよう、主に熱心に願い、こいもとめましょう。愛徳と善き業を行えるよう、聖なる競争心をもって、お互いに祈りましょう。
しかし、何よりも、真のキリスト教徒だと主張する一方で、天主の法を実践において無視するという偽善から完全に逃れましょう。
天主の恩寵に常に完全に忠実でいらっしゃった童貞聖マリアに、私たちをお委ねしましょう。そうして、私たちもまた、天主が私たちの霊魂に注いでくださる恩寵に忠実であり、天主の恩寵によって天主を喜ばせる生活を送ることができますように。アーメン。
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
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小さき犠牲 1078
その他 いろいろたくさん
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈りたまえ
聖ヨゼフわれらのために祈りたまえ
大阪での主日の御ミサを、たくさんの御ミサを
天主様に感謝!聖母マリア様に感謝!聖ヨゼフ様に感謝!
至聖なるイエズス様の聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。
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13日主日のミサにはレネー神父様が予定通り、韓国での主日のミサをささげられた後に来日してくださいました。日本の為に大きな犠牲を払ってくださったレネー神父様にも心から感謝申し上げます。
13日主日のレネー神父様のお説教は以下の通りです。
「もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれにまさらぬ限り、決して天の国には入れぬ」(マテオ第5章20節)
親愛なる兄弟の皆さん、
10月にローマで、司教のシノドス(司教会議)が行われ、離婚して再婚したカップルのことや、同性愛者などの問題について議論することを、皆さんもお聞きになっているかもしれません。2月20日にローマであったシノドスの特別準備会議で、カスパー枢機卿が非常に悪い発言をしました。その結果、全世界の各国の司教協議会、例を挙げればドイツの司教協議会は、再婚したカップルに婚姻の秘蹟を与えることはできないが、少なくとも彼らが祝福を受けられるようにしよう、ということをほのめかしました。こういう態度の結果、彼らは自分たちの状況にある種の承認が与えられるという印象を持ちます。理論的には何も変化がないように見えても、実践的には聖 書、そして教会の変わらない教えに反する振る舞いが支持され、広められているのです。
今日の教会には、「十戒に基づく道徳を超えて行くこと」を推し進める人々がいます。彼らは、「洗礼を受けた人々(信者)と、公式な教理との間にある、明白な隔たりを減らす」ことをしたがっています。この意味は、教会のメンバーの実際的な要望に、教会が実践していることを合わせていくべきだということです。
本日の福音がまことに教えているのは、現代世界の不道徳に実践で妥協するような態度は、私たちの主イエズス・キリストの言葉に反しているということです。「もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれにまさらぬ限り、決して天の国には入れぬ」(マテオ5章20節)。自分をキリスト教徒、カトリック教徒と呼びながら、現代の不道徳に従うのは偽善です。そのような妥協を進める人々は、本当に信じているのでしょうか、最後の審判があり、そのとき主が左側にいる人々に次のようにおっしゃることを。「私はいまだかつてあなたたちを知ったことがない、悪を行う者よ、私から離れ去れ」(マテオ7章23節)、「のろわれた者よ、私を離れて悪 魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ」(マテオ25章41節)。彼らは本当に信じているのでしょうか、聖パウロが次のように書いたことを。「不正の人は天主の国を継げないことを知らないのか。思い誤るな。淫行をする者も、偶像崇拝者も、姦通する者も、男娼も、男色する者も、泥棒も、貪欲な者も、酒飲みも、讒言する者も、略奪する者も、天主の国を継がぬ」(コリント前6章9―10節)。また、ローマ人への書簡(ローマ1章26―27節)で、聖パウロは異邦人の悪徳を攻撃し、同性愛が異邦人の悪徳の縮図であると指摘しました。旧約聖書においては、律法が明確にその点(レビ18章22節、20章13節)を指摘していますし、そのような悪徳に対して天主が怒りをお示しになったソドムという例がありました。
離婚して再婚することもまた、私たちの主イエズス・キリストによってはっきりと拒否されています。「人は、天主が合わせられたものを離してはならぬ」(マテオ19章6節)。「妻を追い出してほかに結婚する者は、はじめの女があるのだから姦通することになり、また妻が夫を捨てて他の男に嫁ぐなら、やはり姦通することになる」(マルコ10章11―12節)。ですから、そのような人物にご聖体を与えることは、まことに重大な汚聖です。聖パウロはこれについて言っています。「主のお体をわきまえずに飲食する者は、自分自身へのさばきを飲食することである」(コリント前11章29節)。
そのため、今日の教会においては、良き道徳を求める戦いがあるのです。これには、三つの立場が存在します。まず、司教であっても、カスパー枢機卿のように枢機卿であっても、この世との実践的妥協を好む人々がいます。次に、天主の恩寵によって、これに対して立ち上がり、反対であると明確に述べ、そんな行動はキリスト教の信仰に反すると思い出させてくれる人々がいます。三番目のグループは、……沈黙したままです。
しかし、慰めもあります。聖伝の司教方だけでなく、他の司教方、特にカザフスタンのアタナジウス・シュナイダー司教や、またシンガポールの司教さえも、これらの不道徳にまったく明確に反対を述べておられるのを見るからです。シュナイダー司教は、道徳についての妥協を推し進める人々と、キリストの良き道徳を支持する人々との間で、潜在的なシスマ、教会分裂が存在しているという警告さえなさっています。
ここで疑問が生じます。天主は慈悲深い方でいらっしゃらないのか。天主は簡単にはお赦しくださらないのか、と。
おお、そうです。天主は慈悲深い方でいらっしゃり、お赦しくださいます。しかしながら、正確にいえば、天主はまことに善き方でいらっしゃるので、罪びとの真の癒やしをお求めになります。天主が罪びとを本当に癒やす恩寵をお与えになるのは、私たちの主イエズス・キリストの恩寵によって、もう罪を犯さないように罪びとを完全に変容させるためなのです。これが真の改心なのです。つまり、自己中心でこの世の物や喜びに向かう生活から、天主に対して開かれ、すべてを天主の方へ向け、この世的な感情から離れる生活へと立て直すことなのです。
こういう恩寵は、祈りを通して、また秘蹟を通して与えられます。特に頻繁な告解や、ご聖体拝領がうまくなされた場合、つまり成聖の恩寵の状態で、聖化を求める強い望みをもってなされた場合に与えられます。悔悛の秘蹟を受けるとき気を付けていただきたいのは、悔い改めをし、苦行によって罪のつぐないをし、注意深く罪の機会を避けること、特にわいせつなものや不純なものを避けることが必要です。自分は天主の十戒に忠実であると思いながら、一方で罪の機会を避けようとしないなら、それは自分を欺いているのです。
さて、過去の罪が、霊魂において再び罪に陥る傾きの原因になります。例えば、飲みすぎることは再び飲もうという傾きの原因になります。そんな傾きがあっても、何も悪いものはないと偽る人がいますが、それは誤りです。実際のところ、その傾きは罪への傾きであるため、悪しき傾きなのです。それ自体で悪ですが、それに同意しない限り、罪ではありません。
そのような傾きは、正確に言えば罪の傷、つまり過去に犯した罪の傷であり、原罪の傷なのです。この傷を癒やす過程には時間がかかります。このような傷は、自らをへりくだり、絶えず祈り、試みに遭わせないよう天主にこいねがう機会となるのです。このへりくだりや絶えざる祈りはよいものであり、私たちの過去に犯した罪という悪から、天主が引き出してくださる善なのです。ですから、天主はこれらの祈りを喜ばれ、私たちをお助けくださいます。天主のご保護の下、私たちは罪に打ち勝つのです。天主の恩寵により罪を避けることができるということをはっきりと言い、堅く信じることは非常に重要です。それは可能であるだけでなく、罪 に対する勝利には大きな喜びがあります。霊魂がどんどん強くなるのです。
罪は三つの結果をもたらします。1)霊魂の闇、光である天主から顔をそむけること。2)当然受けるべき罰。3)罪による傷、つまり再び罪に落ちる傾き。私たちの主イエズス・キリストの恩寵は、これら三つから私たちを癒やしてくれます。実際、赦しそれ自体によって、また成聖の恩寵を与えることによって、主の恩寵は、天主との友好関係を回復させ、霊魂に天主の現存も回復させます。さらに、主の恩寵は永遠の罰を赦し、悔悛を求める熱意を与えることで、現世での罰を受ける力を与えてくれます。そうして、宗教的に熱心な生活を繰り返していくことで、主の恩寵は、一度にではなく徐々に少しずつ罪の傷を癒やすのです。
私たちの主イエズス・キリストの恩寵は、私たちの霊魂を癒やすだけでなく、高めてくれます。恩寵は、私たちの霊魂を高めることで超自然の生活へと導いてくれ、天主との友好関係を持ち、キリストの神秘体の一員となり、天主の子となるのです。「天にましますわれらの聖父よ、…」と、人間に祈ることを教える宗教は、これまでほかに全くありません。この霊魂を高めることは、「聖化」と呼ばれます。「実に天主のみ旨は、あなたたちが聖となることにある」(テサロニケ前4章3節)。聖パウロが、これをすぐに貞潔と関連付けていることに注意してください。全文を引用しますと、「実に天主のみ旨は、あなたたちが聖となることにある。 淫行を避け、おのおのが器を神聖に尊く保ち、天主を知らぬ異邦人のように情欲におぼれてはならない。また、このことについて誰も兄弟を害したりだましたりしてはならない。主がこれらのことについて報いられることは、すでにあなたたちに告げて証明したとおりである。天主が私たちを招かれたのは不潔のためではなく、聖となるためである。したがって、このおきてを退ける者は、人を退けるのではなく、私たちに聖霊を与えられる天主を退けることになる」(テサロニケ前4章3―8節)。
私たちの主イエズス・キリストは、私たちの霊魂を癒やし、高める恩寵をお与えになるのですから、主はこの世の正義をさらに上回る正義を私たちにお求めになります。「もしあなたたちの正義が律法学士やファリサイ人たちのそれにまさらぬ限り、決して天の国には入れぬ」(マテオ5章20節)。主は、殺すことを避けるだけでなく、短気も避け、心から敵を赦すようお求めになります。姦淫を避けるだけでなく、不純な視線や思いも避けるようお求めになります。偽証を避けるだけでなく、悪い言葉や悪い誓いも避けるようお求めになります。主は完徳をお求めになります。「天の父が完全であるように、あなたたちも完全な者になれ」(マテオ5章48節)。しかし 、主がそれをお求めになるのは、主が「私たちに与えられた聖霊によって、この心に天主の愛を注がれた」(ローマ5章5節)からなのです。
主は、私たちに聖であることをお求めになります。なぜなら主は、私たちのために御血を流すことにより、私たちを買い取られたからです。主は、私たちが自分で望む以上に、私たちの救いと聖化を望んでおられます。そのために、主は十字架の上で亡くなられたのです。十字架の聖なるいけにえによって、主はこれらの恩寵をすべて買い取られ、私たちが秘蹟を求め、信心をもって秘蹟を受けるときにはいつでも、私たちの霊魂のために恩寵をお与えになる用意をなさっています。ミサの聖なるいけにえは、まさに私たちの主イエズス・キリストの御体と御血のいけにえを捧げることであり、この恩寵を受ける最も偉大なる手段です。尽きることのない恩寵と聖性の泉です 。祭壇の下で、以前の罪を悔い改め、聖性の行いを実践しようという決意が形成されます。ですから、親愛なる兄弟の皆さん、私たちだけではなく他の人たちにも、癒やしと聖化の豊かな恩寵を与えてくださるよう、主に熱心に願い、こいもとめましょう。愛徳と善き業を行えるよう、聖なる競争心をもって、お互いに祈りましょう。
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