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聖心の小黙想会 2018年8月11日(土)説教 「イエズス様は一体どなたであるか?」

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2018年8月11日(土)イエズスの聖心小黙想会 聖母の土曜日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年8月11日、今日から5日間、聖母の被昇天まで、毎日ミサと、それから御聖体礼拝、黙想などを通して、夏の小黙想会を致しましょう。
今年は皆さんにぜひ、イエズス様の聖心の神秘について、聖心の私たちに対する愛について黙想する事を提案します。

時間割は、朝ロザリオ。そして10時30分からミサ、歌ミサ。それから皆さんと一緒に昼食、昼食の間には沈黙を守って読書をします。
少し休憩の後に、14時から30分間講話があって、その後黙想の時間があります。
次にまた15時から講話があって、30分の後に第2の黙想があります。それから16時からは1時間聖時間を過ごします、御聖体の前で聖時間を過ごしましょう。
17時に終わります。



“Dei genitrix, intercede pro nobis, alleluia.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は小黙想会の最初の日にあたって、マリア様の土曜日から始まります。そしてこの黙想会は聖母の被昇天で終わりますので、マリア様の御取り次ぎを以て始める事に致しましょう。

マリア様の知るような程度に、マリア様のお恵みによって、御助けによって、私たちもイエズス様の聖心の中に深く入る事ができますように!

今日このミサの時には、イエズス様が一体どのような御方で、そして私たちの事をどのように思っておられるのか、どのように見ておられるのか、という事を黙想する事を提案します。「私たちが全く無知で、罪人で、助けを必要としている状態であるという事を、イエズス様が御存知である」という事を黙想致しましょう。

そしてイエズス様が仰った通り、「イエズス様の天主の御言葉を聞く人は幸い。」私たちもそれをよくイエズス様の御言葉を受け入れて、それを聞いて、それを守る事ができますように、マリア様に御取り次ぎを乞い願いましょう。


第1の点は、イエズス様は一体どなたであるか?という事です。

これは私たちの最近の黙想のテーマでもありました。三位一体の永遠の天主は、全能の天主は、永遠の昔から永遠の未来に渡って、極めて果ての知れない、壮大な最高の無限の幸せを有していました。あまりにも幸せであって、あまりにも幸福であって、その至福の中において天主三位一体は、この御自分の幸せを、もちろんそうしない事も自由にできたのですけれども、そのあまりにも良い善良さのゆえに、あまりにも良い方であるがゆえに、「この幸せを他の者に伝えたい」という事を選択しました。

そこで天主の御言葉の御力によって、全くの無から、何も材料も、何の跡欠片も無い、全くの無から、被造物を創造しました、創りました。そして全宇宙を、天使を創って、人間をも創られました。

そして人間を、特別の愛情を以て、特別の慈しみを以て、目に見える被造物の王と、支配者として据えました。全宇宙の全ての世話をこの人間に任せました。全ての動物、何千何万という色々な種に分かれる動物、空を飛ぶ鳥、海を泳ぐ魚たち、川を泳ぐ生き物、地をさまよう全ての動物、そして植物、全てを人間の手に委ねました。何億何兆数え切れないほどの動物と鉱物と、全宇宙の果てしないものを、人間の手に委ねるという特権を、人間に与えました。

天主三位一体の人間に対するその憐れみと、慈しみと、愛情というのは、どれほど寛大であって、どれほど惜しみなく、どれほど優しく、どれほどデリケートで、どれほど深いものであった事でしょうか。

そして人間に、それを司る事ができる知恵と、力と、全てを、懸命にも与えました。人間にはこの地上全てを支配する事ができる能力のみならず、全ての御恵みと賜物と贈り物を与えました。超自然の命も与えました。全ての美しさも与えました。知識も、知恵も与えました。あたかも生ける天主であるかのように、その天主の似姿として、天主のこの地上を支配する代理者として、管理人として、人間に特別の御恵みを与えて、更に与えました。

天主様の三位一体の、この私たち人間に対する寛大さと愛は、どれほど広大であった事でしょうか。私たちはそのお恵みを数え切る事ができません。私たちが苦しまないように、悲しまないように守り、そして保護し、死も、苦しみも、無いようにして下さいました。

人間は単にこの動植物を支配するのみならず、知性のない動植物に命令をする事さえもできました。動物たちは人間の命令に従っていました。下等の動物は人間に危害を加える事ができませんでした。人間は死を知る事もありませんでした。全ては幸せで、全ては人間の思い通りにいくように創られました。これが天主の創造の御業でした。

ところが人間は、その御恵みを全く地に投げ捨ててしまったのです。天主のたった1つの、とっても簡単なはずの掟を、見事に破ってしまいます。

その裏切りと背信の後に、天主は更に大きな愛で人間を助けようとします。人間を更に生かそうとします。更に守ろうとします。更に赦そうとします。更に清めて、聖なる者としようとします。人間を愛そうと、救おうとします。そして人間を救う為に、人となろうとします。

天主は私たちの事をどのようにお考えだったのでしょうか?

まず人間は、罪を犯す事によって、何も正しい事を知る事ができなくなった、人間の置かれている無知の、真理を知らない状況についてよく御存知でした。原罪を犯した為に、私たちの知性は全く眩んでしまったからです。そして新約の時代に洗礼を受けた後でさえも、私たちの知性は原罪の為にその影響を受けて、それでも洗礼を受けてもまだ足りない、まだ私たちの知性は暗い、という事を御存知でした。

そればかりではありません。私たちは自分で犯す罪の為に、更に暗闇を増しています、影を増しています。そればかりではありません。人間はこの世俗の中に住んでいるので、その噂や、その世間体や、その他の人々の世俗の意見によって、ますます惑わされています。

「人間には真理が必要だ」という事を三位一体はよく知っていました。そこでこの罪を犯して天主に逆らった、この天主の敵である人類を教える為に、誰かが真理を教えなければならない、この知性を照らさなければならない、という事を、その必要がある、という事を御存知でした。

そこで天主の御言葉は、この世の光を、この霊魂たちの暗闇を追い払う為に、真理の光を照らす為に、この世に来ようと思われました。

人間は真理を知らないのみならず、深い罪人です。なぜかというと、原罪の状態で、原罪を受けた状態で生まれて来て、そしてたとえ天主によって良いものと創られたとしても、悪へと傾いているからです。そして残念ながら私たちは、多かれ少なかれ罪を犯します。天主が御恵みを与えて下さっているにもかかわらず、罪を、同じような罪を重ねています。人類には赦しが必要です。天主はこの人類を御覧になって、人間の不幸な状態を御覧になります。

なぜかというと、真理を知らない、まだ罪に傾いて罪を重ねている、赦しが必要であるという事のみならず、天国から追放されている、天国に入る事ができない、この世で辛い生活を送って悲しい日々を送った後に、労働の後に、遂には地獄に行って、永遠に焼かれなければならない、という事を知っているからです。

この世で住んでいる間には、私たちには多くの悲しみと、苦しみと、辛い事があります。肉体においても辛い事がありますし、病気や、疲労や、事故。あるいは心においても、心が張り裂けるような悲しみや、裏切りや、あるいは意地悪や、悪意を経験します。私たちが愛しているような人々を失った時に、どれほど心は悲しいでしょうか。それのみならず、恐れや、恐怖や、良心の呵責や、疑いや、不安や、心配に苛まされます。

この人類に、この不幸な人類には、何とかこのそのような悲しみを慰めてくれる誰かが必要です。何とか「その苦しみには実が価値があるのだ。罪の結果、私たちは苦しみとなったけれども、しかしその苦しみを功徳に変える事ができるのだ」という事を教えて、慰めてくれる誰かが必要です。「永遠の命に行く事ができる」という希望を与えてくれる誰かが必要です。「私たちが今受けている困難は短いものであって、永遠の栄光を準備しているのだ」という事を誰かが教えてくれなければなりません。

絶望している、あるいは苦しみの中のどん底にいる霊魂、捨てられたと感じている霊魂、悲しみの淵にいる霊魂に、その全ての悲しみを慰めるような方が必要だ、という事をイエズス様は御存知でした。天主の御言葉はご存知でした。

天主の御言葉は、一言で言うと「天主がいなければ、人間は何もできない」という事を知っていました。天主に逆らった、天主無しに幸せに、天主のようになろうとした人類ですけれども、実は天主がいなければ全く弱い者である、全く貧しい者である、無に等しいという事を知っていました。

そこで天主の御言葉、永遠の愛、無限の憐れみである三位一体は、天主の力を人類に与えようと、天国の宝を与えようと、全ての御恵みの源、泉を与えようと望まれました。人間は罪人で、あまりにも惨めな、とてつもない惨めさの中に沈んでいる罪人です。天主からますます離れつつある、救いようもない状態にある人類には、誰かが、天と地の仲介となる者が必要でした。天主から、また天主の聖なる聖性から離れつつある人類には、これを助ける人が必要でした。人類に代わって、犠牲と、いけにえと、罪の償いをする方が必要でした。天主の御言葉はその必要をよく御存知で、そしてその惨めな人類に屈んで、これをそこから助け出そうとします。

人類を創造した、無から創った、それと同じ無限の愛を以て、更にもっと大きな愛を以て、この悲惨な状況から人類を救い出そうとします。これがイエズス様の聖心の愛です。人類は天主から離れては何もできません。自分がそこから出てきた永遠の原理、天主に戻ってこそ初めて、本当の命と、本当の完成と、本当の幸せを得る事ができます。天主に戻らなければなりません。

イエズス様の聖心は愛に燃えて、人類を教えようとします。人類に罪の赦しを与えようとします。人類を慰めようとします。人類に代わって仲介者となって、苦しみと犠牲を捧げようと御望みです。ではマリア様の御取り次ぎを願って、私たちがこのイエズス様の燃える聖心の愛を理解できる御恵みを求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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