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聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ、旧典礼のミサ)の報告:聖霊降臨後第18主日「中風の人に向かい、『起きて、床をとって家に帰れ』とおおせられた。」

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2018年9月23日には東京で聖霊降臨後第18主日のミサを行いました。

 聖伝のミサにあずかった方が、福音のイエズス様の御言葉「中風の人に向かい、『起きて、床をとって家に帰れ』とおおせられた。」を黙想して、報告を下さいました。

「家に帰る」とは、パライソへ参ること。天国が自分のほんとうの帰る家だから。
「中風の人」は、巨大な血栓ために聖寵の血液が正常に流れず、脳細胞にも血液がうまく行かず、体が麻痺し、判断も正常にできなくさせている状態。御聖体に対する不敬や、超自然の聖寵の命の軽視、使徒継承の聖伝の教えからの断絶によって、血栓が生じている。だから、心を天高く上へ上げることができず、床に伏せている。

私たち自身が、この中風の病から、治されますように!立ち上がって、自分の帰る家を思い出して、心がいつも天へ向かうことができますように!いつも主の現存を思うことができますように!
御聖体とカリスが高く掲げられた時、中風のような私たちに、どうぞ「起きて、床をとって家に帰れ」とおおせください!
いつの日か本当の家であるところの天国に行くことができますように!

愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
Ave Maria Immaculata!

ごミサの報告をさせていただきます。三週間ぶりだったのでとても待ち遠しかったです。それなのに報告は遅くなりましたことすみません。

『中風の人に向かい、「起きて、床をとって家に帰れ」とおおせられた。』

聖福音のなかの家へ帰るというのは、実は天国へ参りましょうという意味だということを伺ってハッといたしました。パライソへ参ろうといっていたという殉教者の言葉を思い出します。

日本の殉教者が、各地で、ごミサをあげてくださる司祭が少ないのも関わらず、ご聖体のうちにまことにましまし給うイエズスは賛美されさせ給え、と唱えながら殉教されたということを伺ったばかりでした。当時日本には、聖寵を与えられてよい霊的恵みをいただき、カトリック信仰を生きるとはどういうことかをよく理解していたカトリック信者が、おられたのだと感じられました。

奇跡を行うというのは、肉体の病を直して身体の健康を取りもどすということ以上に、霊魂の病を治して天国が自分のほんとうの帰るところだとわかることができることだとわかりました。

主はこの時、中風の病に伏せっていた人に向かい、奇跡をおこなわれたのですね。ずっとこの言葉を思いめぐらしていて、私は、この中風の人とは現代の迷えるカトリック教会なのではと思いました。

日本語で対面式の新しい形式のミサは、プロテスタントの考え方が色濃く反映されてしまっているものだということを理解できるようになり、プロテスタント風のミサは、カトリック信者を、中風の病に陥らせてしまうのかもしれないと思ったのです。

今は、中風という病気は、悪玉コレステロールが、血管にへばりついて、血管に血栓ができて、その血栓が移動して、脳の中の細い血管に移動していってそこで血管が詰まり、血液が流れなくなり、脳細胞が死んでしまうことで起きると言われています。その脳細胞のある部分に対応する四肢などが動かなくなります。他にも、血液の汚れは、また脳の認知機能が衰えてしまって、記憶がなくなったりよく考えたり理性的な判断ができなくなってしまうことにもつながるともいわれているようです。このようなことを、いまや、お医者さんでなくても普通の人でも知るようになりました。

日本中のほとんどのカトリック共同体では、パライソへ参ろうと、いう言葉も、殉教時代の過去の言葉と思っているかもしれません。御聖体にたしかにいらっしゃいますイエズスさまへの公然の不敬もなされていて、何かの断絶があるのでしょうか。

どの宗教でも救われるという教えに変えられたそうですから、このようなことを、ないがしろにするようになってしまったのでしょうか。それに、安易な優しさからからかもしれませんが、誰でも亡くなった方は天国へ行かれたという話が普通になされますので、洗礼を受けなければならない理由も周囲にもあえてはっきりと話されないように思います。

現代の日本のカトリック教会の中に、巨大な血栓ができてしまっていて、正常に聖寵が流れなくなってしまい、脳細胞にも血液が行かなくなって、酷い中風のような判断も正常にできなくなっているような、そんな、こわいことが起きているのではと、心配です。

悪さをするのは、悪玉コレステロールというそうですが、正常な行いをすることができなくなっていくのではと、怖いです。

教会にはいり込んだといわれる悪玉コレステロールが、これほど中風の患者を生みだすようになるとは、です。

計り知れない障害が、カトリック信者を麻痺させているように思われます。心を天高く上へ上げることができず、床に伏せているといってもよいくらいに。

「大通り、路地、野原で、おなかがすいているのに食べ物が何もないので泣いている人たちがたくさんいるのが見えない?」という聖ヤシンタの言葉も思い出されてしまいます。自分たちにはもう本当の霊魂の食物が与えられなくなっていることすらわからなくなっている憐れな子どもを、マリアさまは、見せてくださったのでしょうか。マリア様もどれほど、お悲しみでしょう。

でも私はそのように考えてから、なんとなく居心地の悪い思いがおさまらなくて、しばらくもう一度考えておりました。そしてようやく自分自身の生活スタイルがどんなにひどいかを反省することができました。恥ずかしいことです。自分の中にこそすっかり入り込んでしまっている悪玉コレステロールの数値を下げるように、これから努力しようと思います。

私自身が、この中風の病から、治されて、立ち上がって、自分の帰る家を思い出して、心がいつも天へ向かうことができますように、いつも主の現存を思うことができますように、と思います。

つい、ロジックにひっかかってしまい、自分のことを振り返り反省することを怠っていたように思います。これこそまさしく私の中に悪玉コレステロールを生みだしていたものにちがいありません。、

ごミサの中でイエズス様はまことにいらっしゃいます、その時イエズス様が私に、起きて床をとって家に帰れ、と言ってくださいますようにと思います。

ご受難を受けられたイエズス様のお姿が、高く掲げられた御聖体とカリスをとおして、心の眼に見えますとき、その時流される血によって私の病は癒されることを信じます。哀しくもその時のイエズス様とマリア様のお苦しみを私はあまり感じることができないのですが・・。

そうしたらわたしは、まずしい供え物の小さな犠牲を主にお捧げして、主の神殿に入って深く主を礼拝することでしょう。いつの日か本当の家であるところの天国に行くことができて、光栄の主を讃え礼拝することができますように。

「起きて、床をとって家に帰れ」という御言葉からこのようなことを黙想するとは思いもよらないことでしたが、イエズス様のいらっしゃるところまで自分の身を運んでいくことがどれほど大切かということを教えられた思いです。

このような聖伝のミサに一回でも多く与ることができますようにと思います。そして、そのミサの中では、聖ピオ十世会の司祭のためと家族・友人・自分のことだけのみならず、日本の回心のためにもよく祈りたいと思います。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
ブログに、『聖体の黙想』テニエール著を掲載して下さりありがとうございます。
9月15日の七つの御悲しみの祝日に、最後の101回目の涙を流されて、共贖の玄義の啓示を完成された、秋田のマリア様。
主のおもてをぬぐい、主の御恥辱をお慰めしたヴェロニカはいないのか。十字架をになうシモン、十字架の下にたたずむヨハネはいないのか。救い主の御苦しみをわかつ悲しみの聖母にならう人はいないのか。
マリア様と共に、“ecce ancilla domini”と言う事ができますように。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖マリアの七つの御悲しみとともにお祈りいたします。
カトリック教会を離れたのは、むしろ新しい流れに誘おうとしたものに騙されたものたちのほうだと、この「聖体の黙想」聖体の制定された理由 聖体はカトリック教会の保護、慰め、浄化であるをしながら思いました。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

公教要理の時間の報告です。

この日は、フランスから、聖ピオ十世会の韓国出身の修道女のシスターマリア・ヨゼフが、来てくださっていました。

午後の公教要理の時間には、スライドショーが用意されていて、アグネスさんのお声で聖ピオ十世会修道女会の修道院の説明を聞くことができました。

フランスから帰国されていた夏のバカンスの間、私たちのためにたいせつな時間を費やしてくだったことでしょう、アグネスさんに心から感謝いたします。

この時の聖ピオ十世会修道女会のスライドでのご案内のことをちょっとだけですが、まとめてみました。(間違えていましたら、すみません。)

修道会の創立者は、マルセル・ルフェーブル大司教様と妹君のマリー・ガブリエル修母様で、その霊性は、聖なる犠牲のミサ聖祭への献身であり、司祭を助けること・とりわけ祈りによって司祭職を支えることであり、守護者は共贖者なる聖母と聖ピオ十世でいらっしゃるとのこと。

そして、真のカトリック要理の教育のために、フランス語での「ファチマの聖母の通信教育カテキズム」が修道女によりおこなわれて、今は英語とドイツ語にも訳され世界中に1500人の生徒がいるとのこと。いつか日本語でもそのような通信教育が行われるようになればよいなあと思わず思いました。

18歳から30歳までの方なら、修道女への志願ができるとのこと。現在は、フランス(ルフェック)・アメリカ(ミネソタ)・ドイツ(ゲッフィンゲン)・アルゼンチン(ピラール)の4つの国に修練院があるとのこと、それはフランス語圏・英語圏・ドイツ語圏・スペイン語圏に住む志願者に対応するものということです。ミネソタの写真は雪景色のものでしたが、冬は-40から-50度にも下がりとても寒いのだそうです。

そして毎日の生活の様子が紹介されて、誓願を立てるまでのことなどもご紹介くださいました。早朝からの祈禱と黙想とミサ聖祭、それから共同体での日常の種々の仕事を分担して行い、様々な授業を受け、レクリエーションの時間も過ごされ、ご聖体礼拝の時間やロザリオその他の祈りで一日を終えられるとのこと。

今は、誓願を立てた修道女が175人以上10の国の26の使節で働いていらっしゃるそうです。

印象に残ったのは、司祭が祭壇上で十字架の犠牲を新たにするたび、修道女たちは、聖母の十字架のもとでの共同受難を、・・・つまりイエズス様とマリア様が、現代の霊魂のために耐えておられる苦しみを分かち合う・・司祭職と司祭職の内に生き給う私たちの天主イエズス・キリストに仕える・・というこの修道会の霊性のことです。これこそ誓願を立てて自分を奉献することの意味なのだなぁと感じつつ、その道の崇高さ険しさも想像いたしました。

シスターご自身のお話によるものですが、誓願とはイエズス様にすべてをあたえることであり、自分の自由意志を与える従順の誓願、自分のからだを与える貞潔の誓願、自分の所有物を与える清貧の誓願を立てられて、その婚姻の徴に指輪を身につけていらっしゃるのだそうです。そして、この世に死んでいるという意味で黒い喪服のような修道服を身につけられているとのことでした。でも、シスターの修道服姿、とても可愛らしかったです。

本当の奉献をしたいと望む召命がある方は、この聖ピオ十世会修道女会に招かれるだろうと思いました。観想と活動が合わせられているような使徒職の紹介に、このような霊性のところで修練することができれば、完徳をめざしてなおかつ司祭を助けて働くという、”イエズスとマリアのみ心に忠実な信仰生活”を送ることができるのではと思いました。

素晴らしいことに、スライドショーの画面と音声での紹介だけでなく、実際に誓願を立てられ長年働かれていらっしゃるシスターがいらしてくださっていましたので、聖ピオ十世会修道女会の聖なる香りが印象がいっそう強く刻まれたように思います。

質問などにもお答えくだり、修道会のお年寄りの生活のことについての質問がありました。

シスターからは、「聖ピオ十世会修道女会には、まだ老後の問題はありません、みなとても若い修道女ばかりですから。これまでに亡くなられた修道女はまだ三人しかいません。マリー・ガブリエル修母さまと、若い二人の修道女の方々ですが、同じところに眠っています。でも、今から将来の老後をすごすためのケアハウスも建設中?です」と、お答えくださいました。

シスターマリア・ヨゼフ修道女は、とても快活で明るくて、非常に私たちのことを常に気遣ってくださるやさしい方でした。

シスターは、ご両親が敬虔な仏教徒であったにもかかわらず、(おそらく20歳の頃よりずっと以前に)カトリックに導かれて、とても若いうちから修道生活を志したということを伺いました。そして、彼女の熱心な祈りでご両親や周りの方々も受洗されたことを伺い感動しました。小野田神父様は、叙階されてすぐ韓国にも宣教に通われ始めたのではと想像するのですが、小野田神父様の熱心な宣教活動がこのよう実りをアジアにもたらしてくださったと思いました。今では韓国ではたくさんの司祭の召命もあり、なお神学生の希望者も多いと伺います。聖ピオ十世会の司祭の宣教を支えることが、どんなに大切で必要なことか感じさせられました。

シスターは英語・フランス語・韓国語を話されるのだと思いますが、さらに日本語も幾つか憶えて来てくださっていて、私たちとの意志疎通を図るためにとても努力をしてくださったことに頭が下がりました。

最後に一緒に写真を撮らせていただきましたが、本当にいつも笑顔で微笑んでいらっしゃるのが印象的でした。

素晴らしい機会を設けてくださいまして、ありがとうございました。

日本からも司祭と修道者の召命がたくさんありますように、もっといっそうのお祈りをいたします。


【参考記事】
ルフェーブル大司教の従順:自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。
「私たちは教会から離れたくありません。その全く反対です。私たちは、カトリック教会を続けたいのです! 自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。・・・ 将来、真理が再び明らかになることでしょう。私たちはそれを確信しています。それ以外では有り得ないからです。天主様は、ご自分の教会をお見捨てにはならないからです。」
(ジュネーブにおいての説教1978年5月15日)





THE SISTERS OF SAINT PIUS X 聖ピオ十世修道女会

聖ピオ十世会のシスター会

聖ピオ十世会のシスター会 (Sisters of the SSPX) 誓願式 アメリカ


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