2018年8月18日(土)堅振式御説教(大阪)
デ・ガラレタ司教様
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
どうも親愛なる信徒の皆さん、そして今日堅振を受ける受堅者の皆さん、聖ピオ十世の公教要理によると、私たちに「堅振の秘跡とは何か」という事を思い出させて下さいます。それによると、「堅振の秘跡とは、私たちに聖霊の賜物を与え、そして私たちを完璧な、完全なキリスト者として、イエズス・キリストの兵士とする」とあります。
私たちの主イエズス・キリスト御自身も使徒たちに、天に昇られる前に、この「堅振の秘跡が何か」という事を仰いました。つまり主曰く、「聖霊が来る時、お前たちは力を受けるだろう。そしてお前たちはユダヤ、サマリア、そして地の果てまでも、私の証人となるだろう」(使徒行録1章8節)と仰ったからです。
つまり堅振の秘跡というのは、「聖霊の恵みを、賜物を伝える、伝授する」という目的があります。
それと同時に、聖霊の賜物を受けるばかりでなく、聖霊は私たちの霊魂を完全なキリスト者とします。つまり超自然の秩序における完全な信者、キリスト教信者です。そして私たちの主イエズス・キリストに完全に同化する事ができるように、似通った者となる事ができるようにしてくれます。私たちの全霊的生活、超自然の生活、また私たちの聖徳を強めて下さいます。そして私たちの聖徳を、聖霊の賜物において強めて下さいます。
堅振の固有の聖寵というのは、私たちの信仰を強める事にあります。強められたキリスト教信者を作る事にあります。それはどのような目的があるかというと、私たちの主イエズス・キリストの為に、つまり真の天主、真の人、最高の司祭であり、救い主、王であるイエズス・キリストの証人とする為に、強める事です。
堅振を受けようとする受堅者の皆さん、ですから皆さんは今日、堅振を受ける事によって、聖なる公教会における役割を受け持ちます。三重の3つのミッション、使命があります。
1つは、証人となる事。第2は、兵士となる事。第3は、イエズス・キリストの使徒となる事です。
第1の、「証人となる」という事は、私たちがイエズス・キリストの事を証しする、という事で、公にイエズス・キリストの信仰を表明しなければなりません、告白しなければなりません。その事を表さなければなりません。
第2に、「兵士となる」という事は、イエズス・キリストの名誉の為に戦う、戦闘する、という義務です。つまり、カトリック教会の名誉を守る、という義務が生じます。
第3に、「イエズス・キリストの使徒となる」という事は、私たちのできる範囲の限りで、霊魂たちをイエズス様の方に引き寄せる、そして信仰を伝える、という役割です。
まず家庭で、一番近しい人々から、そして職場や働いている所で、あるいは全生涯を通して私たちに出会う多くの人々に、イエズス・キリスト様の事を伝えたい、というそういう思いがなければなりません。霊魂に伝える、という心遣いを持つ義務が生じます。
この三重の役割・職務・責務というのは、私たちはまず「カトリック信仰に対して」果たさなければなりません。真の信仰に対して果たさなければなりません。
つまり、私たちの主イエズス・キリストによって、天主によって啓示され、使徒たちによって伝えられ、そして教導職によって教えられた信仰の遺産、聖伝によって伝えられたこのカトリックの信仰に関して、3の役割があります。
つまり、真の信仰の証となってこれを告白しそしてこれを宣言し、そしてこれの兵士となってこれを守り、これの使徒となってこれを伝える、という役割です。私たちに伝えられたこの信仰の遺産を、この三重の職務で、告白し、守り、伝えるものです。
その為には信仰を知らなければなりません。その真の信仰を愛さなければなりません。なぜかというと、私たちが愛しているその程度に従って、これを守ろうとするからです。そしてこの愛する為には、それをよく知る限り、それを深く愛する事ができます。ですから信仰を深めるように、信仰を増加させる事ができるようにして下さい。私たちがその確信によって、その確実さによって、その私たちの信心を愛によって信仰をますます深め、そして増やして増加させて下さい。真理を愛して下さい。真の天主、私たちの主イエズス・キリストを愛して下さい。なぜならば、イエズス様は真理そのものだからです。
もう1つ言える事は、この3つの役割を、「聖徳に関して」果たして下さい。
つまり、超自然の生活、超自然の御恵み、超自然の秩序、イエズス・キリストの聖徳、カトリック教会の聖徳、天主の聖徳、聖性、聖であるという事を告白し、そしてそれを弁護し、そしてそれを伝えて下さい。
つまり私たちは聖徳を勝ち取る事ができる為に、私たちの霊魂において、そして私たちに委ねられた、私たちの世話をしなければならない人たちの霊魂に聖徳を勝ち取る事ができる為に、戦わなければなりません。その為に力を尽くさなければなりません。
また、私たちの霊魂、個人の霊魂のみならず、社会の秩序において、家庭において、そして共同体においても、これが獲得される事ができるようにしなければなりません。多くの霊魂たちを、天主様のこ聖なる聖寵の方に引き寄せる事ができるようになさって下さい。聖なるものについての証人となって下さい。証し人となって下さい。
更にこの3つの役割は、「私たちの主イエズス・キリスト御自身に対して」果たす事ができます。
つまり、真の天主イエズス・キリストについて告白して下さい。信仰を告白して下さい。真の唯一の天主にして、唯一の救い主、このイエズス・キリストこそが、私たちの霊魂を統治し、支配しなければなりません。そのキリストの統治の為に、皆さん兵士となって下さい。私たちの個人の霊魂において、家族において、社会において、イエズス・キリストが統治する、命令を下す権利があります。その為に、その御国を拡張する為に、力を尽くして下さい。私たちのできる限りの事を尽くさなければなりません。天主様はもちろん不可能な事は要求されませんが、私たちにできる事は要求されます。
イエズス・キリストの聖性の証し人、そして兵士、そして使徒となるのみならず、イエズス・キリストの神秘体であるカトリック教会、唯一のキリストの真の教会であるカトリック教会の真理が本物である、という事を告白して下さい。そしてその教会を建てる事ができるように、兵士として戦って下さい。
この「教会を建てる」というのは、使徒聖パウロの言葉ですが、キリストの神秘体である教会を建てる為に、その協力者となれ、「キリストにおいて建物全体が建てられ、主において聖所に発展する。キリストにおいてあなたたちも、天主の住居となるために、聖霊によって建てられる」(エフェゾ2章22節)という言葉があります。つまり、隅の親石はキリストであり、その霊はその生かす霊は、聖霊でありますけれども、その体は、私たちの霊魂です。つまり、私たちの霊魂が回心してキリストの教会に入る時、教会を建てる事になります、建築する事になります。
ですから、キリストの兵士となる堅振を受ける皆さん、この3つの役割をよく果たすようになさって下さい。「信仰について」、また「聖徳について」、「キリストについて」、この3つの役割があります。
この3つの役割を私たちが果たす為に、兵士としての徳を持たなければなりません。
「兵士が持つべき徳」というのは、「勇気」であって、「剛毅」であって、「寛大さ」であって、「忠実さ」であって、そして「堅忍」終わるまで耐え忍ぶ、という徳です。この天主から与えられた賜物、タレントを、私たちは実らせなければなりません。その為にこそ私たちには霊的な生活、宗教を、カトリックの宗教を実践する本当の超自然の生活が必要です。
ですから、私たちの主イエズス・キリストと、私たちの霊魂の一致の生活がいつもなければなりません。天主様との一致がいつもなければなりません。
なぜかというと、「宗教」というのは、「私たちの霊魂と天主様との関係」の事だからです。私たちの霊魂は、天主へと祈りによって上げられますし、そして聖徳の実践によって、善行をする事によって、特に愛徳の実践によって、天へと高められます。
私たちは特に、イエズス・キリストを、十字架に付けられたイエズス・キリストを愛さなければなりません。つまり、聖なるミサ聖祭を愛さなければなりません。また私たちは、聖母の汚れなき御心に対する信心を持たなければなりません。なぜかというと、マリア様の汚れなき御心は避難所であり、天主へと導く道であるからです。
この兵士の徳を持つ為に、なぜキリストを、十字架に付けられたキリストへの信心がなければならないかというと、なぜならば聖パウロによると、「十字架に付けられたイエズス・キリストは、私たち、選ばれた私たちにとって天主の知恵であり、力である」(コリント前書1章23節)と言っているからです。なぜならば、私たちの主イエズス・キリストの十字架によってこそ、私たちは贖われたからです。十字架によってこそ、私たちは天主に忠実になる事ができ、天国を勝ち取る事ができるからです。
「十字架に付けられたキリストに忠実である」という事はつまり、「聖伝のミサに、聖なるミサ聖祭に忠実である」という事です。なぜかというと、「ミサ」というのはまさに、「十字架のいけにえの再現」であって、それが本当に、現実に、目の前で捧げられるからです。ですから私たちがキリストの十字架に忠実である如く、ミサに忠実でなければなりません。そして私たちはこのミサから、イエズス様に対する忠実さと、力と、殉教までの力を、剛毅を得る源泉となり、源となります。
第2に、私たちが兵士としての力を得る為に、聖母の汚れなき御心に対する信心を持たなければなりません。なぜかというと、ファチマでマリア様が私たちに仰った通り、汚れなき御心が私たちに、避難所として、そして天主へと導く道として与えられたからです。
「避難所」というのは何かというと、私たちの御母の御心は、私たちを守る要塞であり、城壁に固められて防御された街、硬く固められた街であって、私たちはその中に入る事によって守られ、強められるからです。
そしてマリア様の汚れなき御心は、イエズス・キリストへと導く、そして天国へと必ず間違いなく導く道であるからです。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
デ・ガラレタ司教様
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
どうも親愛なる信徒の皆さん、そして今日堅振を受ける受堅者の皆さん、聖ピオ十世の公教要理によると、私たちに「堅振の秘跡とは何か」という事を思い出させて下さいます。それによると、「堅振の秘跡とは、私たちに聖霊の賜物を与え、そして私たちを完璧な、完全なキリスト者として、イエズス・キリストの兵士とする」とあります。
私たちの主イエズス・キリスト御自身も使徒たちに、天に昇られる前に、この「堅振の秘跡が何か」という事を仰いました。つまり主曰く、「聖霊が来る時、お前たちは力を受けるだろう。そしてお前たちはユダヤ、サマリア、そして地の果てまでも、私の証人となるだろう」(使徒行録1章8節)と仰ったからです。
つまり堅振の秘跡というのは、「聖霊の恵みを、賜物を伝える、伝授する」という目的があります。
それと同時に、聖霊の賜物を受けるばかりでなく、聖霊は私たちの霊魂を完全なキリスト者とします。つまり超自然の秩序における完全な信者、キリスト教信者です。そして私たちの主イエズス・キリストに完全に同化する事ができるように、似通った者となる事ができるようにしてくれます。私たちの全霊的生活、超自然の生活、また私たちの聖徳を強めて下さいます。そして私たちの聖徳を、聖霊の賜物において強めて下さいます。
堅振の固有の聖寵というのは、私たちの信仰を強める事にあります。強められたキリスト教信者を作る事にあります。それはどのような目的があるかというと、私たちの主イエズス・キリストの為に、つまり真の天主、真の人、最高の司祭であり、救い主、王であるイエズス・キリストの証人とする為に、強める事です。
堅振を受けようとする受堅者の皆さん、ですから皆さんは今日、堅振を受ける事によって、聖なる公教会における役割を受け持ちます。三重の3つのミッション、使命があります。
1つは、証人となる事。第2は、兵士となる事。第3は、イエズス・キリストの使徒となる事です。
第1の、「証人となる」という事は、私たちがイエズス・キリストの事を証しする、という事で、公にイエズス・キリストの信仰を表明しなければなりません、告白しなければなりません。その事を表さなければなりません。
第2に、「兵士となる」という事は、イエズス・キリストの名誉の為に戦う、戦闘する、という義務です。つまり、カトリック教会の名誉を守る、という義務が生じます。
第3に、「イエズス・キリストの使徒となる」という事は、私たちのできる範囲の限りで、霊魂たちをイエズス様の方に引き寄せる、そして信仰を伝える、という役割です。
まず家庭で、一番近しい人々から、そして職場や働いている所で、あるいは全生涯を通して私たちに出会う多くの人々に、イエズス・キリスト様の事を伝えたい、というそういう思いがなければなりません。霊魂に伝える、という心遣いを持つ義務が生じます。
この三重の役割・職務・責務というのは、私たちはまず「カトリック信仰に対して」果たさなければなりません。真の信仰に対して果たさなければなりません。
つまり、私たちの主イエズス・キリストによって、天主によって啓示され、使徒たちによって伝えられ、そして教導職によって教えられた信仰の遺産、聖伝によって伝えられたこのカトリックの信仰に関して、3の役割があります。
つまり、真の信仰の証となってこれを告白しそしてこれを宣言し、そしてこれの兵士となってこれを守り、これの使徒となってこれを伝える、という役割です。私たちに伝えられたこの信仰の遺産を、この三重の職務で、告白し、守り、伝えるものです。
その為には信仰を知らなければなりません。その真の信仰を愛さなければなりません。なぜかというと、私たちが愛しているその程度に従って、これを守ろうとするからです。そしてこの愛する為には、それをよく知る限り、それを深く愛する事ができます。ですから信仰を深めるように、信仰を増加させる事ができるようにして下さい。私たちがその確信によって、その確実さによって、その私たちの信心を愛によって信仰をますます深め、そして増やして増加させて下さい。真理を愛して下さい。真の天主、私たちの主イエズス・キリストを愛して下さい。なぜならば、イエズス様は真理そのものだからです。
もう1つ言える事は、この3つの役割を、「聖徳に関して」果たして下さい。
つまり、超自然の生活、超自然の御恵み、超自然の秩序、イエズス・キリストの聖徳、カトリック教会の聖徳、天主の聖徳、聖性、聖であるという事を告白し、そしてそれを弁護し、そしてそれを伝えて下さい。
つまり私たちは聖徳を勝ち取る事ができる為に、私たちの霊魂において、そして私たちに委ねられた、私たちの世話をしなければならない人たちの霊魂に聖徳を勝ち取る事ができる為に、戦わなければなりません。その為に力を尽くさなければなりません。
また、私たちの霊魂、個人の霊魂のみならず、社会の秩序において、家庭において、そして共同体においても、これが獲得される事ができるようにしなければなりません。多くの霊魂たちを、天主様のこ聖なる聖寵の方に引き寄せる事ができるようになさって下さい。聖なるものについての証人となって下さい。証し人となって下さい。
更にこの3つの役割は、「私たちの主イエズス・キリスト御自身に対して」果たす事ができます。
つまり、真の天主イエズス・キリストについて告白して下さい。信仰を告白して下さい。真の唯一の天主にして、唯一の救い主、このイエズス・キリストこそが、私たちの霊魂を統治し、支配しなければなりません。そのキリストの統治の為に、皆さん兵士となって下さい。私たちの個人の霊魂において、家族において、社会において、イエズス・キリストが統治する、命令を下す権利があります。その為に、その御国を拡張する為に、力を尽くして下さい。私たちのできる限りの事を尽くさなければなりません。天主様はもちろん不可能な事は要求されませんが、私たちにできる事は要求されます。
イエズス・キリストの聖性の証し人、そして兵士、そして使徒となるのみならず、イエズス・キリストの神秘体であるカトリック教会、唯一のキリストの真の教会であるカトリック教会の真理が本物である、という事を告白して下さい。そしてその教会を建てる事ができるように、兵士として戦って下さい。
この「教会を建てる」というのは、使徒聖パウロの言葉ですが、キリストの神秘体である教会を建てる為に、その協力者となれ、「キリストにおいて建物全体が建てられ、主において聖所に発展する。キリストにおいてあなたたちも、天主の住居となるために、聖霊によって建てられる」(エフェゾ2章22節)という言葉があります。つまり、隅の親石はキリストであり、その霊はその生かす霊は、聖霊でありますけれども、その体は、私たちの霊魂です。つまり、私たちの霊魂が回心してキリストの教会に入る時、教会を建てる事になります、建築する事になります。
ですから、キリストの兵士となる堅振を受ける皆さん、この3つの役割をよく果たすようになさって下さい。「信仰について」、また「聖徳について」、「キリストについて」、この3つの役割があります。
この3つの役割を私たちが果たす為に、兵士としての徳を持たなければなりません。
「兵士が持つべき徳」というのは、「勇気」であって、「剛毅」であって、「寛大さ」であって、「忠実さ」であって、そして「堅忍」終わるまで耐え忍ぶ、という徳です。この天主から与えられた賜物、タレントを、私たちは実らせなければなりません。その為にこそ私たちには霊的な生活、宗教を、カトリックの宗教を実践する本当の超自然の生活が必要です。
ですから、私たちの主イエズス・キリストと、私たちの霊魂の一致の生活がいつもなければなりません。天主様との一致がいつもなければなりません。
なぜかというと、「宗教」というのは、「私たちの霊魂と天主様との関係」の事だからです。私たちの霊魂は、天主へと祈りによって上げられますし、そして聖徳の実践によって、善行をする事によって、特に愛徳の実践によって、天へと高められます。
私たちは特に、イエズス・キリストを、十字架に付けられたイエズス・キリストを愛さなければなりません。つまり、聖なるミサ聖祭を愛さなければなりません。また私たちは、聖母の汚れなき御心に対する信心を持たなければなりません。なぜかというと、マリア様の汚れなき御心は避難所であり、天主へと導く道であるからです。
この兵士の徳を持つ為に、なぜキリストを、十字架に付けられたキリストへの信心がなければならないかというと、なぜならば聖パウロによると、「十字架に付けられたイエズス・キリストは、私たち、選ばれた私たちにとって天主の知恵であり、力である」(コリント前書1章23節)と言っているからです。なぜならば、私たちの主イエズス・キリストの十字架によってこそ、私たちは贖われたからです。十字架によってこそ、私たちは天主に忠実になる事ができ、天国を勝ち取る事ができるからです。
「十字架に付けられたキリストに忠実である」という事はつまり、「聖伝のミサに、聖なるミサ聖祭に忠実である」という事です。なぜかというと、「ミサ」というのはまさに、「十字架のいけにえの再現」であって、それが本当に、現実に、目の前で捧げられるからです。ですから私たちがキリストの十字架に忠実である如く、ミサに忠実でなければなりません。そして私たちはこのミサから、イエズス様に対する忠実さと、力と、殉教までの力を、剛毅を得る源泉となり、源となります。
第2に、私たちが兵士としての力を得る為に、聖母の汚れなき御心に対する信心を持たなければなりません。なぜかというと、ファチマでマリア様が私たちに仰った通り、汚れなき御心が私たちに、避難所として、そして天主へと導く道として与えられたからです。
「避難所」というのは何かというと、私たちの御母の御心は、私たちを守る要塞であり、城壁に固められて防御された街、硬く固められた街であって、私たちはその中に入る事によって守られ、強められるからです。
そしてマリア様の汚れなき御心は、イエズス・キリストへと導く、そして天国へと必ず間違いなく導く道であるからです。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。