三日
救主に就いての第一の約束
我、汝と婦人(おんな)との間に怨(うら)みを置かん。(創世記三.一五)
狡猾(こうかつ)な悪魔が蛇の姿を借りて人(じん)祖(そ)エワを誘(いざな)い、遂に彼女及びその夫を罪に陥(おとしい)れた時、天主は彼等を罰すると同時に、予(あらかじ)めその救拯(すくい)を約して、蛇に向かい「此の救いは一人の婦人より出(い)づべし。我、汝と婦人(おんな)との間、叉、汝の裔(すえ)と婦人の裔(すえ)との間に怨(うら)みを置かん。彼は汝の頭(こうべ)を踏(ぶ)み砕(くだ)かん」と仰せられた。この蛇、即ち悪魔の仇(あだ)と立てられた婦人は、云う迄もなく聖母マリアである。
さて、この救いの御約束は、楽園を失って後の人(じん)祖(そ)及びその子孫にとって四千年の間、大いなる慰めであり希望であった。のみならずこの御言葉(みことば)は其の婦人の特殊(とくしゅ)な地位と使命、殊(こと)に母としてのそれを明らかに示している。
実に聖母の地位と使命の重大なる事は、天地の間に較(くら)べる物もない位(くらい)である。彼女は罪ある人類の子孫でありながら、唯一人その汚れを免れ清浄(しょうじょう)無垢(むく)、玲瓏(れいろう)として罪の影すら止(とど)めぬ特別の御方であった。そればかりでなく、更に大切なのは聖母が第二のエワである事である。
即ち第一のエワがアダムと共に人類の自然的生命の祖先となったように、聖母はイエズス・キリストと共に、人類の超自然的生命の祖先になられたのである。かように重大な御母の地位と使命に就いては、御子自らも公生活の始め、カナの婚姻(こんいん)の席上で明らかにお示しになった。
即ち聖母が貧しき新郎新婦を憐(あわ)れんで「彼等に酒なし」と仰せられた時、イエズスは「婦人よ、そは我と汝とに何かある。我、時未(いま)だ来たらず」と答え給うた。 換言(かんげん)すればこれは、私は今後貴方(あなた)の肉身の子としてではなく、天主の独子(ひとりこ)として奇跡(きせき)を行う。従って貴方も唯、人の母ではなく、世の始めから約束された婦人、天主の母と認められるであろうと云う意味で、聖母の類ない地位を明らかにした御言葉である。
次にイエズスは十字架に磔(かか)り給うた時も、御足許(おんあしもと)に佇(たたず)み給う聖母を御覧になって、母という懐(なつ)かしい言葉を用いず、わざと婦人(おんな)と呼び給うた。
これはかの天主の「我、蛇と婦人との間に怨(うら)みを置かん」という御約束にある婦人こそは実に聖マリアを指(さ)すのであって、御自分が唯(ただ)の人間でないように聖母も唯の母ではなく、救いの母であり人類の永遠の新生命の母であると、御母の大使命を宣言されたのであった。しかして救いの御約束はここに成就(じょうじゅ)されたのである。
なお、聖母の特別の御使命に就いて一言(いちごん)すれば、聖マリアは御子イエズスが我等、一切(いっさい)人類の為に得て下さった恵(めぐみ)を我等各自に分(わ)かち与えてくださるのである。これは恰(あたか)も一家の父が、働いて得た報酬(ほうしゅう)を悉(ことごと)く母に委(ゆだ)ね、一切の家計、子供達の必要に宛(あ)てしめるのと似ている。しかも幸福な事には、此の御母は極めて慈悲(じひ)深く寛大(かんだい)で、その代願(だいがん)により我等に御恵(おめぐみ)をいくらでも与えたいと望(のぞ)み給い、叉、その恵(めぐみ)の宝も全く無尽蔵(むじんぞう)である。
但しこの宝を頂く為には我々は先ず一家の敵なる悪魔を憎(にく)んで交(ま)じりを絶(た)ち、その誘惑(いざない)に乗らず、母なる聖母と悪魔を怨(うら)む心を共にして聖母に対する尊敬(そんけい)の実(じつ)を現(あらわ)さねばならぬ。
祈 願
ああ聖母よ、御身を慕(した)い奉る我等を悪(あく)慾(よく)の危険より助け、悪魔の誘(いざな)いより守り、益々(ますます)罪、殊に大罪を憎悪(にく)ましめ給え。
而(しこう)して我等が各々(おのおの)如何なる功(いさおし)を立てて、主の御心を喜ばせ奉るべきかを、
常に示し給わん事を恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返し願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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救主に就いての第一の約束
我、汝と婦人(おんな)との間に怨(うら)みを置かん。(創世記三.一五)
狡猾(こうかつ)な悪魔が蛇の姿を借りて人(じん)祖(そ)エワを誘(いざな)い、遂に彼女及びその夫を罪に陥(おとしい)れた時、天主は彼等を罰すると同時に、予(あらかじ)めその救拯(すくい)を約して、蛇に向かい「此の救いは一人の婦人より出(い)づべし。我、汝と婦人(おんな)との間、叉、汝の裔(すえ)と婦人の裔(すえ)との間に怨(うら)みを置かん。彼は汝の頭(こうべ)を踏(ぶ)み砕(くだ)かん」と仰せられた。この蛇、即ち悪魔の仇(あだ)と立てられた婦人は、云う迄もなく聖母マリアである。
さて、この救いの御約束は、楽園を失って後の人(じん)祖(そ)及びその子孫にとって四千年の間、大いなる慰めであり希望であった。のみならずこの御言葉(みことば)は其の婦人の特殊(とくしゅ)な地位と使命、殊(こと)に母としてのそれを明らかに示している。
実に聖母の地位と使命の重大なる事は、天地の間に較(くら)べる物もない位(くらい)である。彼女は罪ある人類の子孫でありながら、唯一人その汚れを免れ清浄(しょうじょう)無垢(むく)、玲瓏(れいろう)として罪の影すら止(とど)めぬ特別の御方であった。そればかりでなく、更に大切なのは聖母が第二のエワである事である。
即ち第一のエワがアダムと共に人類の自然的生命の祖先となったように、聖母はイエズス・キリストと共に、人類の超自然的生命の祖先になられたのである。かように重大な御母の地位と使命に就いては、御子自らも公生活の始め、カナの婚姻(こんいん)の席上で明らかにお示しになった。
即ち聖母が貧しき新郎新婦を憐(あわ)れんで「彼等に酒なし」と仰せられた時、イエズスは「婦人よ、そは我と汝とに何かある。我、時未(いま)だ来たらず」と答え給うた。 換言(かんげん)すればこれは、私は今後貴方(あなた)の肉身の子としてではなく、天主の独子(ひとりこ)として奇跡(きせき)を行う。従って貴方も唯、人の母ではなく、世の始めから約束された婦人、天主の母と認められるであろうと云う意味で、聖母の類ない地位を明らかにした御言葉である。
次にイエズスは十字架に磔(かか)り給うた時も、御足許(おんあしもと)に佇(たたず)み給う聖母を御覧になって、母という懐(なつ)かしい言葉を用いず、わざと婦人(おんな)と呼び給うた。
これはかの天主の「我、蛇と婦人との間に怨(うら)みを置かん」という御約束にある婦人こそは実に聖マリアを指(さ)すのであって、御自分が唯(ただ)の人間でないように聖母も唯の母ではなく、救いの母であり人類の永遠の新生命の母であると、御母の大使命を宣言されたのであった。しかして救いの御約束はここに成就(じょうじゅ)されたのである。
なお、聖母の特別の御使命に就いて一言(いちごん)すれば、聖マリアは御子イエズスが我等、一切(いっさい)人類の為に得て下さった恵(めぐみ)を我等各自に分(わ)かち与えてくださるのである。これは恰(あたか)も一家の父が、働いて得た報酬(ほうしゅう)を悉(ことごと)く母に委(ゆだ)ね、一切の家計、子供達の必要に宛(あ)てしめるのと似ている。しかも幸福な事には、此の御母は極めて慈悲(じひ)深く寛大(かんだい)で、その代願(だいがん)により我等に御恵(おめぐみ)をいくらでも与えたいと望(のぞ)み給い、叉、その恵(めぐみ)の宝も全く無尽蔵(むじんぞう)である。
但しこの宝を頂く為には我々は先ず一家の敵なる悪魔を憎(にく)んで交(ま)じりを絶(た)ち、その誘惑(いざない)に乗らず、母なる聖母と悪魔を怨(うら)む心を共にして聖母に対する尊敬(そんけい)の実(じつ)を現(あらわ)さねばならぬ。
祈 願
ああ聖母よ、御身を慕(した)い奉る我等を悪(あく)慾(よく)の危険より助け、悪魔の誘(いざな)いより守り、益々(ますます)罪、殊に大罪を憎悪(にく)ましめ給え。
而(しこう)して我等が各々(おのおの)如何なる功(いさおし)を立てて、主の御心を喜ばせ奉るべきかを、
常に示し給わん事を恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返し願い奉る。
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