アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
クリスマス!私たちの主イエズス・キリストの御降誕は、天主の愛をより深く私たちに悟らせてくれます。
「天主はおん独子をお与えになるほど、この世を愛された。それは、かれを信じる人々がみな亡びることなく、永遠の命をうけるためである。」
全能の天主が人となる!天主が幼子となって私たちのために与えられる!永遠の天主が時において人となって生まれ、私たちのために苦しみを受ける!
天主と人類とのクリスマス・プレゼントの交換!天主が私たちに永遠の命の喜びを与えるために御独り子をくださる!天主が私たちに天主の命をくださろうとする!私たち人類は、苦しみと悲しみにまみれた惨めな人間の生を天主に与える!天主は私たちが天主を信じ、天主の愛を信じ、天主を愛するならば、私たちの惨めなプレゼントを受け取ってくださる!
私たちを愛するためにお生まれになる幼子イエズス・キリストは、私たちからも愛をお求めになります。最後の晩餐の時私たちの主イエズス・キリストの聖心の上に頭をのせた使徒聖ヨハネが、イエズス・キリストの聖心の愛の招きを福音に書いています。
「私の掟を保ち、そしてそれを守る人こそ、私を愛する人である。私を愛する人は、父にも愛され、私もその人を愛して、自分をあらわす。」
「私を愛する人は私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして私たちはその人のところに行って、そこに住む。私を愛さない人は私の言葉を守らない。」
「父が私を愛しておられるように、私はあなたたちを愛した。私の愛にとどまれ。私が父の掟を守り、その愛にとどまったように、あなたたちが私の掟を守るなら、あなたたちは私の愛にとどまるだろう。」
使徒の時代から、イエズス・キリストの聖心への愛は選ばれた霊魂たちに脈々と伝わっていました。イエズスを愛する人は、聖父にも愛され、イエズスもその人を愛して、御自分をその人々にあらわしました。それは、旧約聖書の雅歌に描かれているような天主と霊魂との清らかな愛の関係です。聖母の汚れなき御心は、イエズスへの愛に完全に応えた心でした。聖フランシスコと聖ジャシンタはそのような霊魂でした。私たちは、ファチマの聖母の御出現の100周年にそれを黙想しました。日本の殉教者たちも、イエズスへの愛に応えた霊魂たちでした。私たちにとって大切な黙想のテーマです。長崎の殉教者たち、津和野の殉教者たち、京都や江戸や東北の殉教者たちは、イエズスの愛に愛でこたえました。
人となりたもうた御言葉(みことば)、イエズスは、聖父の教えを全て、余すところなく、私たち人類に伝えました。「私が聖父より聞いたことはすべてあなたたちに知らせた。」 ところで、旧約時代に天主が選民の信仰と希望を蘇らせるために預言者らを遣わされたように、ご復活の主日の朝、イエズスが聖マリア・マグダレナを遣わして使徒たちに光栄あるご復活の事実を伝えるよう託されたように、しばしば、イエズスは特別な霊魂を選びます。
17世紀には、イエズスは聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647-1690; 1920列聖)やイエズス会士聖クロード・ド・ラ・コロンビエール(1641-1682;1929列福;1994列聖)を選び、イエズスの聖心への愛の秘密を、私たちも知ることができるように計らってくださいました。
近年のイエズスの聖心によって選ばれた霊魂にはシスター・ヨゼファ・メネンデス(1890-1923)がいます。イエズスはヨゼファ・メネンデスへご自分の聖心の愛を私的に啓示され、天主が霊魂をどれほど計り知れなく愛されておられるかをお示しになりました。シスター・ヨゼファの指導者や長上たちは、初めは軽率に信じることなく慎重にことにあたってきたのですが、あまりにも真正なものであることが分かり、彼女の使命を確信するに至りました。
イエズスのシスター・ヨゼファへの語らいの内容が1938年に「愛の招き」(UN APPEL À L'AMOUR. LE MESSAGE DU COEUR DE JÉSUS AU MONDE ET SA MESSAGÈRE. Sœur JOSEFA MENÉNDEZ)という本の形で出版されたとき、カルディナル・パチェリ(後の教皇ピオ十二世)は、その本の第一版を祝福して自筆で序文を書き、これを読むようすべての人々に奨励しています。
イエズスの憐れみとは、罪人の憐れな罪の状態を、罪の無い状態へと引き上げたいという愛です。罪を憎み、しかし罪人を憐れむ愛です。罪を罪であると断罪することは差別ではありません。罪を罪であると言ってあげることこそ愛です。医者が病気を病気でないというのは愛でないと同じです。人間は罪を承諾して犯す時、悪魔の権力の下に身を置くことになってしまいます。罪に対する麻痺や罪の生活の正当化の中に霊魂を呑み込んでしまいます。イエズスはこの罪の暗闇の状態から私たちを引き上げるために、この世に光をもたらすために人となりました。
冷たいこの世は、イエズスの憐れみと愛とを知りません。イエズスは私たちを罪から引き上げたいと、かがんで憐れんでくださっていることを。イエズスは私たちが罪を犯し続けることは望みません。何故なら罪こそが最大の悪だからです。天主の御稜威と天主の権利と人間の義務とに反することだからです。
イエズスは、罪人が罪を罪と認めて罪を憎むことを望んでいます。それができるように、ご自分の十字架を持って罪の結果を見せてくださいました。罪人を愛し罪からの救いのために、イエズスは謙遜と贖罪の一生をお過ごしになりました。イエズスは、ご自分を愛する霊魂たちが、ご自分のようになることを、ご自分に似通ったものになることを望まれます。
イエズス・キリストを愛する霊魂たちは、殉教者たちに見られるように、主の御苦難に非常に近くあずかります。多くの霊魂たちは、「イエズスの聖心のいけにえ」として、「憐れみ深き愛のいけにえ」(幼きイエズスの聖テレジア)として、「イエズスの聖心のなぐさめ」として、霊魂と肉体の苦しみを捧げました。多くの罪人のために、彼らに代わって、償いを捧げ、彼らが罪の生活を放棄し救われるように祈るのです。
イエズスと完全に一致し、イエズスと同じ苦しみをしのび、イエズスの御苦難の奥義に参与し、他人の罪の贖罪的犠牲として、自分の受ける苦しみをイエズスの苦しみに遭わせて堪え忍び、捧げるのです。
イエズス・キリストの至聖なる聖心は、霊魂たちを御許に、愛に、呼び寄せておられます。
クリスマスは、天主の愛をより深く私たちに悟らせてくれますが、それをより良く理解することが出来るように、2019年のカレンダーをイエズスの聖心の私たちへの愛というテーマで作りました。特にピックアップしたのは、イエズスのヨゼファ・メネンデスへの言葉です。
多くの兄弟姉妹の皆様が、この典礼カレンダーをお取りになり、天主の愛を、私たちに対する天主の愛の幅広さと奥行きと崇高な高みと底知れない深みを垣間見ることが出来れば、と願っております。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
クリスマス!私たちの主イエズス・キリストの御降誕は、天主の愛をより深く私たちに悟らせてくれます。
「天主はおん独子をお与えになるほど、この世を愛された。それは、かれを信じる人々がみな亡びることなく、永遠の命をうけるためである。」
全能の天主が人となる!天主が幼子となって私たちのために与えられる!永遠の天主が時において人となって生まれ、私たちのために苦しみを受ける!
天主と人類とのクリスマス・プレゼントの交換!天主が私たちに永遠の命の喜びを与えるために御独り子をくださる!天主が私たちに天主の命をくださろうとする!私たち人類は、苦しみと悲しみにまみれた惨めな人間の生を天主に与える!天主は私たちが天主を信じ、天主の愛を信じ、天主を愛するならば、私たちの惨めなプレゼントを受け取ってくださる!
私たちを愛するためにお生まれになる幼子イエズス・キリストは、私たちからも愛をお求めになります。最後の晩餐の時私たちの主イエズス・キリストの聖心の上に頭をのせた使徒聖ヨハネが、イエズス・キリストの聖心の愛の招きを福音に書いています。
「私の掟を保ち、そしてそれを守る人こそ、私を愛する人である。私を愛する人は、父にも愛され、私もその人を愛して、自分をあらわす。」
「私を愛する人は私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして私たちはその人のところに行って、そこに住む。私を愛さない人は私の言葉を守らない。」
「父が私を愛しておられるように、私はあなたたちを愛した。私の愛にとどまれ。私が父の掟を守り、その愛にとどまったように、あなたたちが私の掟を守るなら、あなたたちは私の愛にとどまるだろう。」
使徒の時代から、イエズス・キリストの聖心への愛は選ばれた霊魂たちに脈々と伝わっていました。イエズスを愛する人は、聖父にも愛され、イエズスもその人を愛して、御自分をその人々にあらわしました。それは、旧約聖書の雅歌に描かれているような天主と霊魂との清らかな愛の関係です。聖母の汚れなき御心は、イエズスへの愛に完全に応えた心でした。聖フランシスコと聖ジャシンタはそのような霊魂でした。私たちは、ファチマの聖母の御出現の100周年にそれを黙想しました。日本の殉教者たちも、イエズスへの愛に応えた霊魂たちでした。私たちにとって大切な黙想のテーマです。長崎の殉教者たち、津和野の殉教者たち、京都や江戸や東北の殉教者たちは、イエズスの愛に愛でこたえました。
人となりたもうた御言葉(みことば)、イエズスは、聖父の教えを全て、余すところなく、私たち人類に伝えました。「私が聖父より聞いたことはすべてあなたたちに知らせた。」 ところで、旧約時代に天主が選民の信仰と希望を蘇らせるために預言者らを遣わされたように、ご復活の主日の朝、イエズスが聖マリア・マグダレナを遣わして使徒たちに光栄あるご復活の事実を伝えるよう託されたように、しばしば、イエズスは特別な霊魂を選びます。
17世紀には、イエズスは聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647-1690; 1920列聖)やイエズス会士聖クロード・ド・ラ・コロンビエール(1641-1682;1929列福;1994列聖)を選び、イエズスの聖心への愛の秘密を、私たちも知ることができるように計らってくださいました。
近年のイエズスの聖心によって選ばれた霊魂にはシスター・ヨゼファ・メネンデス(1890-1923)がいます。イエズスはヨゼファ・メネンデスへご自分の聖心の愛を私的に啓示され、天主が霊魂をどれほど計り知れなく愛されておられるかをお示しになりました。シスター・ヨゼファの指導者や長上たちは、初めは軽率に信じることなく慎重にことにあたってきたのですが、あまりにも真正なものであることが分かり、彼女の使命を確信するに至りました。
イエズスのシスター・ヨゼファへの語らいの内容が1938年に「愛の招き」(UN APPEL À L'AMOUR. LE MESSAGE DU COEUR DE JÉSUS AU MONDE ET SA MESSAGÈRE. Sœur JOSEFA MENÉNDEZ)という本の形で出版されたとき、カルディナル・パチェリ(後の教皇ピオ十二世)は、その本の第一版を祝福して自筆で序文を書き、これを読むようすべての人々に奨励しています。
イエズスの憐れみとは、罪人の憐れな罪の状態を、罪の無い状態へと引き上げたいという愛です。罪を憎み、しかし罪人を憐れむ愛です。罪を罪であると断罪することは差別ではありません。罪を罪であると言ってあげることこそ愛です。医者が病気を病気でないというのは愛でないと同じです。人間は罪を承諾して犯す時、悪魔の権力の下に身を置くことになってしまいます。罪に対する麻痺や罪の生活の正当化の中に霊魂を呑み込んでしまいます。イエズスはこの罪の暗闇の状態から私たちを引き上げるために、この世に光をもたらすために人となりました。
冷たいこの世は、イエズスの憐れみと愛とを知りません。イエズスは私たちを罪から引き上げたいと、かがんで憐れんでくださっていることを。イエズスは私たちが罪を犯し続けることは望みません。何故なら罪こそが最大の悪だからです。天主の御稜威と天主の権利と人間の義務とに反することだからです。
イエズスは、罪人が罪を罪と認めて罪を憎むことを望んでいます。それができるように、ご自分の十字架を持って罪の結果を見せてくださいました。罪人を愛し罪からの救いのために、イエズスは謙遜と贖罪の一生をお過ごしになりました。イエズスは、ご自分を愛する霊魂たちが、ご自分のようになることを、ご自分に似通ったものになることを望まれます。
イエズス・キリストを愛する霊魂たちは、殉教者たちに見られるように、主の御苦難に非常に近くあずかります。多くの霊魂たちは、「イエズスの聖心のいけにえ」として、「憐れみ深き愛のいけにえ」(幼きイエズスの聖テレジア)として、「イエズスの聖心のなぐさめ」として、霊魂と肉体の苦しみを捧げました。多くの罪人のために、彼らに代わって、償いを捧げ、彼らが罪の生活を放棄し救われるように祈るのです。
イエズスと完全に一致し、イエズスと同じ苦しみをしのび、イエズスの御苦難の奥義に参与し、他人の罪の贖罪的犠牲として、自分の受ける苦しみをイエズスの苦しみに遭わせて堪え忍び、捧げるのです。
イエズス・キリストの至聖なる聖心は、霊魂たちを御許に、愛に、呼び寄せておられます。
クリスマスは、天主の愛をより深く私たちに悟らせてくれますが、それをより良く理解することが出来るように、2019年のカレンダーをイエズスの聖心の私たちへの愛というテーマで作りました。特にピックアップしたのは、イエズスのヨゼファ・メネンデスへの言葉です。
多くの兄弟姉妹の皆様が、この典礼カレンダーをお取りになり、天主の愛を、私たちに対する天主の愛の幅広さと奥行きと崇高な高みと底知れない深みを垣間見ることが出来れば、と願っております。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)