2018年12月1日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
サマース神父様御説教(東京)
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、私はここを今日訪問する事ができてとても嬉しく思います。特に、この初土のマリア様の汚れなき御心に捧げられた日に来る事ができて嬉しく思います。
また12月の最初の日であり、12月はマリア様の多くの祝日があります。一週間も経たない内に、マリア様の無原罪の御孕りの祝日があります。またその数日後には、マリア様がメキシコの人々に御現れになったその祝日があります。
ところで、12月の全ては、マリア様の特別なやり方で崇敬されています。なぜかというと、御胎内にイエズス様をお持ちしたその最後の1ヶ月だからです。この事はいくつかの事と比較できます。「全ての命の源であるイエズス様を、マリア様がお運びになった」という事です。
マリア様の、グアダルーペのマリア様の祝日を見て下さい。このマリア様の御出現は、全人類がした中で最も血生臭い民族を、カトリックの信仰に変えた、その最初の瞬間でした。しかしメキシコだけが血を、人の血を好んだ民族ではありません。いえ、そうではなくて私たち、現代の私たちこそ、そして私たちの親の世代、そしてその祖父の世代こそ、人間の血を最も要求した人々でした。
アステカ帝国では、どれほどの人々がその人身御供として捧げられていたかという事を見ると、びっくりするほどです。それは特に、スペイン人の少数のグループがメキシコ市に入った時に、その血生臭い儀式を見てびっくりしました。スペイン人の、この戦いに慣れた男たちでさえも、この人身御供の恐ろしい儀式を見て非常に驚き、恐れました。なぜかというと、子供も女性も、毎日のように多くが、異教の神々に捧げられて、命を失われて、殺されていったからです。
コルテスとその一団がメキシコを制覇すると、すぐにこの人身御供の儀式を止めさせて、それを破壊しました。そして最初にコルテスがやった事は、その人身御供が捧げられていた血生臭い所を綺麗にして、マリア様の御像を置いた事です。そしてミサが捧げられました。なぜかというと、天主の御母の御力、そして天主の力によってのみ、これを綺麗にする事ができると知っていたからです。このモンテスマ王国でどのような事が行なわれて、どのようにしてそれをやめさせて、それを綺麗にしたか、という事についての本を是非お読みになる事をお勧めします。
ところで今は、その500年後の現代を見てみます。しかし私たちは、それよりももっとひどい状況に生きています。なぜかというと、現代世界はどこの国々も、御胎内に御子を宿した童貞女の事を忘れてしまっているからです。そしてもっと悪い事には、現代では幼い子供たちを、自分自身という神々の為に殺しているからです。
私たちもコルテスがそうだったように、そのような状況を見て、本当に嫌な、嫌悪感を抱きます。そしてコルテスの時代にも、メキシコ人たちと比べればスペイン人たちは全く小数で、数では比べ物にもならないほどのものでした。しかしその数の小数にもかかわらず、そのメキシコを綺麗にして、命をもたらそうと努めました。私たちも同じ事をしなければなりません。私たちがたとえ数が少なかったとしても、私たちの力の限り、何かをしなければなりません。マリア様と、そして私たちの主を、その玉座に戻さなければなりません。そしてその数年後から、マリア様はメキシコの回心を始めようとお望みになりました。
皆さんご存知の通り、その後ヨーロッパから聖なる宣教者たちがメキシコにやって来て、回心しようと努めました。しかしいくら努力しても、宣教師たちのその犠牲にも関わらず、多く回心する人はいませんでした。ところがマリア様は、非常に単純な農夫に現れて、そして御自分の姿を彼に残すのです。その為に、何百万人というメキシコ人が回心します。
私たちも同じ道を辿らなければなりません。私たちもマリア様とイエズス様の奉仕の為に、私たちを捧げましょう。マリア様が一番素晴らしい時に、一番素晴らしい方法で、多くの人を真の信仰へと回心させて下さいます。
原罪無くして宿り給いし聖マリアよ、御身に寄り縋り奉る我らの為に祈り給え。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
サマース神父様御説教(東京)
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、私はここを今日訪問する事ができてとても嬉しく思います。特に、この初土のマリア様の汚れなき御心に捧げられた日に来る事ができて嬉しく思います。
また12月の最初の日であり、12月はマリア様の多くの祝日があります。一週間も経たない内に、マリア様の無原罪の御孕りの祝日があります。またその数日後には、マリア様がメキシコの人々に御現れになったその祝日があります。
ところで、12月の全ては、マリア様の特別なやり方で崇敬されています。なぜかというと、御胎内にイエズス様をお持ちしたその最後の1ヶ月だからです。この事はいくつかの事と比較できます。「全ての命の源であるイエズス様を、マリア様がお運びになった」という事です。
マリア様の、グアダルーペのマリア様の祝日を見て下さい。このマリア様の御出現は、全人類がした中で最も血生臭い民族を、カトリックの信仰に変えた、その最初の瞬間でした。しかしメキシコだけが血を、人の血を好んだ民族ではありません。いえ、そうではなくて私たち、現代の私たちこそ、そして私たちの親の世代、そしてその祖父の世代こそ、人間の血を最も要求した人々でした。
アステカ帝国では、どれほどの人々がその人身御供として捧げられていたかという事を見ると、びっくりするほどです。それは特に、スペイン人の少数のグループがメキシコ市に入った時に、その血生臭い儀式を見てびっくりしました。スペイン人の、この戦いに慣れた男たちでさえも、この人身御供の恐ろしい儀式を見て非常に驚き、恐れました。なぜかというと、子供も女性も、毎日のように多くが、異教の神々に捧げられて、命を失われて、殺されていったからです。
コルテスとその一団がメキシコを制覇すると、すぐにこの人身御供の儀式を止めさせて、それを破壊しました。そして最初にコルテスがやった事は、その人身御供が捧げられていた血生臭い所を綺麗にして、マリア様の御像を置いた事です。そしてミサが捧げられました。なぜかというと、天主の御母の御力、そして天主の力によってのみ、これを綺麗にする事ができると知っていたからです。このモンテスマ王国でどのような事が行なわれて、どのようにしてそれをやめさせて、それを綺麗にしたか、という事についての本を是非お読みになる事をお勧めします。
ところで今は、その500年後の現代を見てみます。しかし私たちは、それよりももっとひどい状況に生きています。なぜかというと、現代世界はどこの国々も、御胎内に御子を宿した童貞女の事を忘れてしまっているからです。そしてもっと悪い事には、現代では幼い子供たちを、自分自身という神々の為に殺しているからです。
私たちもコルテスがそうだったように、そのような状況を見て、本当に嫌な、嫌悪感を抱きます。そしてコルテスの時代にも、メキシコ人たちと比べればスペイン人たちは全く小数で、数では比べ物にもならないほどのものでした。しかしその数の小数にもかかわらず、そのメキシコを綺麗にして、命をもたらそうと努めました。私たちも同じ事をしなければなりません。私たちがたとえ数が少なかったとしても、私たちの力の限り、何かをしなければなりません。マリア様と、そして私たちの主を、その玉座に戻さなければなりません。そしてその数年後から、マリア様はメキシコの回心を始めようとお望みになりました。
皆さんご存知の通り、その後ヨーロッパから聖なる宣教者たちがメキシコにやって来て、回心しようと努めました。しかしいくら努力しても、宣教師たちのその犠牲にも関わらず、多く回心する人はいませんでした。ところがマリア様は、非常に単純な農夫に現れて、そして御自分の姿を彼に残すのです。その為に、何百万人というメキシコ人が回心します。
私たちも同じ道を辿らなければなりません。私たちもマリア様とイエズス様の奉仕の為に、私たちを捧げましょう。マリア様が一番素晴らしい時に、一番素晴らしい方法で、多くの人を真の信仰へと回心させて下さいます。
原罪無くして宿り給いし聖マリアよ、御身に寄り縋り奉る我らの為に祈り給え。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。