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【聖ピオ十世会】2019年新春の聖伝のミサ(ラテン語ミサ、旧典礼のミサ、トリエント・ミサ)の報告

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新年の最初の聖伝のミサを日本で捧げることができて大変幸福でした。
 1月4日(初金)と1月5日(初土)と大阪でミサを捧げました。金曜日には七名の子供たちがミサに与り、土曜日には四名の子供たちがミサに与ることができました。両日、ミサの後の祈りの後、幼きイエズス様の御像への接吻も行いました。
 1月4日には、初金の御聖体降福式が執行され、
 1月5日には、日本と世界の平和を求めて、年の最初のファチマの聖母行列が行われました。この日は名古屋から八名の方々がミサに参加されました!去年よりも更に多くの方がこの新年の聖母行列に参加されて非常に嬉しく思います。

 東京では、1月6日の御公現のミサを御捧げいたしました。新年最初の東京でのミサに多くの愛する兄弟姉妹の皆様が与ることが出来ました。
 この日は、ミサの後の祈りの後、日本と世界の平和を求めるための月の第一主日にある御聖体降福式、幼きイエズスへの接吻、御公現のチョークの祝別を行いました。
 4時頃から御公現の祝日の晩課もグレゴリオ聖歌で歌いました。天主様に感謝!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッション、ありがとうございました。
年始の初金、初土に御ミサに与る事が出来てたことを天主様に感謝します!
今年も聖伝の信仰に多くの方々が導かれ、実りのある年になる事をお祈りしています。

大阪での御ミサの報告をお送り致します。
1月4日初金 至聖なるイエズスの聖心のミサには23名が、
1月5日初土 聖母の汚れなき御心のミサにも23名の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオ グラチアス!
金曜日には子供達が7人、土曜日には4人来られて、年始から嬉しい光景でした。

初金曜日には御ミサの後に御聖体降福式をして頂き、この一年をご聖体に在すイエズス様に直接お捧げでき、一年の決心をたてました。
この日のミサのお説教で、ご降誕されたイエズス様について黙想しました事を思い出しながら、ロザリオも唱えました。

初土曜日のお説教ではご公現の神秘について黙想いたしました。
ミサの後、小休憩をとった後、すぐに聖母行列をしました。電車の都合で帰られたお一人以外は信徒全員が参加しました。

お聖堂を出発してロザリオと聖歌を繰り返しながらマリア様を担ぎながら歩き、途中の公園の見晴らし台で聖ピオ十世会を聖母の汚れなき御心へ奉献する祈りをとなえ、サルベ・レジナをソレムトーンで歌い、また聖歌を歌いながらお聖堂へ引き返しました。
世界中で、2019年の初土曜日に、聖母行列のお恵みを受けている所が一体どれくらいあるだろうか?と思うとこのような大きなお恵みを頂けた事に感謝が溢れました。

聖母行列の後、昼食をとり、お聖堂に戻ってから4人の子供達と公教要理の勉強をしたのですが、この度は神父様のお説教から色々な事を質問することにしていました。小学3、4、6年生の男の子たちに金曜日と土曜日二日間にわたっての神父様のお説教について色々こまごまと質問したところ、3人とも本当に良くお説教を聞いていて、殆んど何を聞いてもパーフェクトでお答えになったのでびっくりしました。公教要理の後も初土曜日の信心の一環として、お聖堂でひざまずいて幼きイエズス様について黙想する子供達の姿に神父様も関心されていました。

年始から美しいカトリック的な光景を沢山見ることが出来ましたが、イエズス様を知らない多くの人々がこのような幸福を一緒に味わうことができますように!

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 27人(内、子供4人)
女: 29人(内、子供5人)
計: 56人(内、子供9人)

【報告】
Ave Maria Immaculata!

御公現の大祝日のミサをありがとうございます。
御公現のミサ(Ecce Advenit)は待降節(Adventus)から続くクリスマスのミサの完成となるものだと教えていただき、イエズス様がこの世にやってきてくださいましたことを、もう一度、深く味わうことができました。この日のミサは非常に美しく完璧な構造をしているということ、旧約の預言が新約で成就していることがよくわかる典礼になっているということにも気をつけながら黙想しました。

クリスマスのときは、イエズス様が私たちに贈り物を持ってきてくださいました、ご公現の大祝日では、私たちのほうが贈り物を捧げるのですと言われましたが、私には捧げるにふさわしいもの高貴なものも立派な美しいものがないと思いました。

この日は、花嫁である霊魂の花婿として来られるイエズス様との婚姻のための大祝賀会が開かれ水がワインに替えられたことも祝われ歌われるそうです。(晩課で、結婚式で水がワインに変わった奇跡、三人の東の国から来た博士、イエズス様が水で洗礼を授けられたことをラテン語で歌ったことが印象に残りました。)

神父様のお話から、贈り物とは純金のような愛と信心、乳香のような祈りとぎせい、没薬のようにイエズス様の精神を腐敗させないようにすること、それらだけにとどまらず、同時にご聖体拝領において自分自身をも捧げるのだと教えていただきました。このご公現の日に、霊魂が花婿であるイエズス様と一つになる神秘も象徴されるということで、この日が大祝日であることを納得いたしました。確かに、サバやマディランからやってくる宝物を満載させてやって来る商人とラクダの群れを成す隊列がエルサレムの栄光を讃える場面のイザイア預言書の描写はみごとなまでの絢爛さです。本当に、幼子イエズス様は全世界を支配している最高の王であるからこそと思います。

クリスマスは愛にかられ人間を救うためだけに地上にイエズス様がやって来られた測り知れない歓びの日であったが、この日はその愛に愛を以ってこたえようと遠く東方の国々からの博士が礼拝をささげようとやってきたということが祝われているということも、お話しいただきました。旧約の預言がこの場面で確かに成就されたことが示されていると思いました。私たちは、この日は、東の国の博士としてイエズス様の栄光の御前にひれ伏しひざまずいて礼拝をさせていただいていると思いました。

この東の国の博士たちは異邦人であるのに、遠い地に本当の王であり本当の救い主が生まれることを知り、研究と探求を重ね、険しい旅とを乗り越えてエルサレムにたどり着き、さらにヘロデ王のもとにまで行って尋ねて、ようやくのことで見事に無事にベトレヘムのちいさな町の洞窟のようなみすぼらしい場所にイエズス様を見出すことができました。

私もまったくカトリック信仰が微塵もないところで育ち大人になったのでまさに異邦人そのものですが、子供を産み育てるということをきっかけに本当の幸せとは何かを知らなければこの子供を本当に幸せにできないだろうと思い、真理を探し求める決意をしました。図書館で本を読み調べはじめても、なんの道しるべも道案内もなく、かえってマイナスの情報ばかり与えられているそんな感じで、真理を求める旅を始めたようなものでした。

今思い返すと、様々な危険ばかりがあり、どこに行っても見いだせず到達できないように思われるほどでした。至る所に偽りの教えが待ち構えていて、嘘のメッセージばかりが流布されていて、それなのにカトリック教会そのものも変更してしまっていると攻撃を受けていることは誰の目にも明らかなのです。何とこの世は恐ろしいもので溢れていることでしょう。現代とは、なんとも汚れた大淫婦のような都になっていて、偽りの誘惑に満ちていて、イエズス様を冒とくするような声が鳴り響いてるかのようです。

よくも、こういった中で、カトリック教会にたどり着くことができたかと思うと、その自分のような者にあまりにふさわしくないこの大きなお恵みに感謝いたします。

しかし、いったん、カトリック教会にたどり着いたものの、新しいミサをしている教会では、やっぱりここにはもうイエズス様がいないようだと感じられて仕方なくなってしまいました。別なところに探しに出かけなければ、永遠の生命を与えてくださるイエズス様には出会えないに違いないと思ってしまいました。それでもマリア様によってもう一度教会に戻していただきました。本当にマリア様によってでなければ戻していただけなかったでしょう。

実際のところ、エルサレムであるはずの教会にたどり着いたと思っても、現代版で言うところのそこに陰で統治するヘロデ王が君臨しているかのようであるかもしれません。

そこにずっといたら、霊魂の中に生まれようとするイエズス様は、教会に巧妙にはいり込んでしまっているこの世の王・この世の精神というヘロデ王によって殺されてしまうのではと、おかしな想像すらしてしまいました。偽りの誤魔化しの言葉、貧しい弱い信仰ながらも真実の愛である礼拝を堕落させ弱めさせようとする悪の力が陰で働いているようにさえ思いました。

どんなに苦しみ悩んだことでしょうか、ここにこそ、本当にイエズス様がいらっしゃるはずなのに、どうしてみんなは霊的に眠ったり酔っぱらったり地上のことだけしか興味がないような話をしたりしているのだろうか?と。・・・・。

イエズス様は、確かに伝承でベトレヘムに生まれ・・とありますこと、聖書にその母マリアと共にいると書かれてありますこと、それらをこの日確認できましたことをうれしく思いました。

星をみつけ、マリア様に抱かれるイエズス様を見つける旅をするすべての人が、是非ともベトレヘムの小さなうまやにたどり着くことが出来ますように、そしてそこで愛の贈り物を受けて霊的な贈り物を捧げることができるようになりますように。「その母マリアと共にまします幼児イエズスさまを見、ひれ伏して礼拝した」と、聖福音で読まれたように、このカトリック教会の誕生とともに最初からおられるマリア様の御心がもっとすべての人に知られるようになりますように・・、たくさんお祈りをしなければならないと思いました。

実際のところ、この教会の牧者は、ファチマのマリア様が秋田のマリア様が私たちに告げられたことをちゃんと守るように教えてくださる聖ピオ十世会、別名「イエズスとマリアの使途の会」の司祭です。ファチマのマリア様の伝えられた聖マリアの汚れなき御心の信心や、聖グリニョン・ド・モンフォールの残してくれた聖母マリアへのまことの信心や、コルベ神父様がつくられた通りのままの聖伝の無原罪聖母の騎士の精神が見いだせます。私は、ここで本当にマリア様とともに私たちを救ってくださる方である聖心のイエズス様を見出すことができたと思います。(ああ、でも、それでも、ここにさえもきっと、私たちの心の中に生まれるイエズス様が成長する前に残虐にも殺そうとする暴君や悪魔が、堕落させるチャンスをねらって、吠え盛りうろつき歩いているのかもしれませんけれど。それは教会の外にも教会の内にもどこにでもいるものなのでしょう。)

御公現のこの日、「ひかりもくすしき」や「くしくもてらす」や「Adeste Fideles」やほかのたくさんの聖歌を歌いました。みじめな弱い自分であるけれどもご聖体拝領にてお捧げさせていただきました。ご聖体降福式が荘厳に執り行われ、この一年の祝福を願いました。(マリア様ではなく小野田神父様でしたが)その腕に抱かれている幼子イエズス様にまたもう一度接吻させていただくことができ、うれしく思いました。

さらに、チョークの祝福というものもおこなわれ、各家の玄関に扉に書くための祝福されたチョークを皆でいただいて帰りました。扉には、20✝C✝M✝B✝19、と書くのだそうです。カスパールとバルタザールとメルキオールという三博士の略(頭文字)でもあるけれど、願わくはキリストがこの家を祝福してくださいますように!Christus Mansionem Benedicat との、略でもあるそうです。こんな古来からの仕来たりが今も世界各地にあることも、姉妹からスマホの写真を見せてもらって教えていただきました。

今年最初のミサ・完璧なほど美しい構成からなる典礼とご聖体降福式に与ることができましたこと、ご公現の玄義をわずかながらも感じ得ましたように思われ感謝申し上げます。小野田神父さまいつもありがとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

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