2016年8月14日 聖母黙想会 シュテーリン神父様講話【17】
同時通訳:小野田圭志神父
聖グリニョン・ド・モンフォールは、マリア様の真の信心をする必要性について多くのページを割いています。
また、その私たちは信心をした結果、私たちの心と世界にもたらすその実りについて、多くのインクを使っています。読むべき番号を申し上げました。グリニョン・ド・モンフォールは実りと効果について話しています、「マリア様はちょうど、命の木のようである。このマリア様に近付く人は、この命の木の実を食べる事ができる。」
この奉献の祈りは契約ですけれども、契約はマリア様を縛るのではなくて、私たちをこそ縛るものです。なぜかというと、私たちこそがマリア様に義務を、多くのものを負っているのであって、マリア様は私たちに何も義務は無いからです。でも現実は、その反対の事が行なわれています。
マリア様に私たちは一体、何を与えたでしょうか?たとえ私たちがそのような英雄的な奉献をしたとしても、私たちが、「全てのものを全て、私たちそれ自身」と言ったとしても、それが一体マリア様にとって何だというのでしょうか?つまりそれは腐ったりんごに過ぎません。その腐ったりんごの代わりに、私たちは何をもらうでしょうか?それはもう限りのない、美しい果実をもらいます。
これは法則があるのです。「私たちがマリア様に属したい、属するその程度において、マリア様も私たちに属する」という法則です。私がマリア様の子供であればあるほど、マリア様は私たちの母となります。母の役割、母の職務を、完璧にますます果たします。私が貧しいりんごを、腐ったりんごをあげればあげるほど、マリア様は私に、きれいな果物をもっとたくさんくれます。
このグリニョン・ド・モンフォールは7という数字が好きなのです。7というのは完全な数ですから、7つの間違った信心について話しましたけれども、今、7つの実りを挙げてみます。もちろん、もしも私たちが最初からマリア様に全てをあげれば、それ以上のたくさんの多くの実りを得ます。しかしマリア様は、その私たちが奉献したとしても、その一部しか与えません、全部ではありません。「奉献した」と言っても全てを、7つ全てあげるのではなくて、まず最初にあげるのはこれです。213番です。
それは最初の実りは、「私たちの値しない」という事を教えてくれます。私たちはいつも、幻想と嘘という、自分自身についての幻想と嘘についていっぱいですが、それを否定させて、私たちに本当の姿を現してくれます。神秘を表してくれます。私たちの堕落した腐敗した本性を黙想しました。私たちは豚のようでした。私たちはこれを以前1回黙想しました。しかしこの真の信心が霊魂にもたらすこの実りによって、私たちはこれを忘れる事がなく、いつも頭の中に入れる事ができます。これがあるからこそ、私たちは謙遜でいる事ができます。
「謙遜」というのは、私たち自身に関する真理を知る事です。本当の基礎において、真理の基礎において、大きな宮殿を建てる事ができます。山上の垂訓でイエズス様が何と仰ったか知っていますか?「賢い者というのは、頑丈な岩の上に家を建てる者である。しかし愚かな者は、砂の上に家を建てる。」
近代主義は、この幻想の上に砂の上に霊性を建てようとしています。その為に今、教会に危機が起こっています。
これは私たちの浄めの道であって、霊的な生活の旅路の第一歩です。
次の3つの効果は、霊的に進歩した人、霊魂たちに与えます。霊的生活の第2段階で、照らしの道にいる霊魂に与えられます。悪い要素を、良い要素と変えてくれます。古きアダムを、新しいアダムと変えてくれます。
まず、「マリア様の信仰に与る」事になります。今朝、コルベ神父様の生涯について話をしました。コルベ神父様の生ける信仰について話しました。コルベ神父様も、この段階を経なければなりませんでした。子供の頃、最初の実りを効果を得ました。「自分が本当に悪くて、邪悪で、汚い」という事に気が付きました。そこでコルベ神父様は、マリア様の方に駆け寄って、マリア様にたくさんのお祈りをして、マリア様に助けを願って、その「信仰」に与りました。フランシスコ会の修練士として、最初はコルベ君の信仰がだんだん伸びていくのを見ました。天主様が見るように、ますます物事を見るようになりました。214番にあるように、ますます「勇敢」になります。コルベ君がローマに、若い時にローマにいた時に、「全世界を、マリア様の為に征服しよう」と燃えていました。ただ夢想家だったのではなくて、本当にそれを求めていました。
第3の実りは、「純粋な、清い愛」です。コルベ神父はやはりこれを持っていました。ローマで、敵によって純粋な愛が馬鹿にされて、足踏みにされた時に、何とかしてそれを求めようと、「霊魂の救霊と霊魂の救いと、そして天主の栄光」を純粋に求めました。
第4の実りは、「天主様と聖母に全き信頼、盲目的な信頼」です。コルベ神父がMIを始める時には、多くの試練がありました。人間的に言えば、最初の創立の5年間は大失敗でした。長上は誰も支援してくれませんでした。また同じ修道会の同じ修道者たちからは馬鹿にされました。そして自分自身は結核で今にも死にかけようとしていました。でもコルベ神父様は盲目的にマリア様に信頼していました。もしもこの信頼がなければ、「もうこれで終わりだ」と思って、もうそのまま放棄してしまった事でしょう。
実りは、与えられればそのますます大きくなっていきます。ますますこの信頼は生き生きとして、ますます燃え尽くすような信頼になっていきます。
最後の3つの実りは、一致の道の霊魂に与えられるものです。
第5番目の実りとしては、「マリア様が自分の精神を与えてくれる、共有してくれる」という事です。マリア様の望み、マリア様の願い、マリア様の考えが、私たちの心に染み通るという事です。コルベ神父様に言ってみると、コルベ神父様はマリア様の行動をコピーするというのでしょうか、それを映し出す鏡となりました。そしてマリア様の深い神秘を映し出す事になります。コルベ神父様の死の直前の5年あるいは6年の間に、マリア様に対する神秘がますます深く理解されて、以前なかったほど深い理解を示しています。以前私たちに語られた事がなかったような、「マリア様と聖霊との一致」という事について、コルベ神父様はこの最後の5年間に深い理解を書いて、残しています。
第6の実りは、「イエズス様の姿に私たちを変えてくれる」という実りです。グリニョン・ド・モンフォールは決して自分の視点を離しません。マリア様への信心は、必ずイエズス様へと到達させます。なぜかというと、マリア様に似通れば似通るほど、マリア様の精神が染み通れば染み通るほど、イエズス様に似通るからです。これはコルベ神父様の生涯にも現れました。これは実りの完璧完全さが、最後に来る実りです。20世紀において、これほどイエズス様の御生涯に似た聖人はいませんでした。「誰も、自分の兄弟の為に、友の為に、命を与えるほど偉大な愛はない。」マリア様の精神にあまりにも結び付いていたコルベ神父様は、そのマリア様と御子と同じような信仰を望んで、そしてこの隣人の為に自分の命を捧げて、その代わりに亡くなった、愛の為に亡くなっていきました。
最後の実りは、非常に興味深い事です。222番をご覧下さい。
“聖グリニョン・ド・モンフォールが提唱するこの信心を、もしも忠実に実行するならば、私はたったわずか1ヶ月の間に、他のもっと難しい信心業を数年間の間実践するよりも、はるかに大きな栄光をイエズス様に帰する事ができます。”
誰も、イエズス様とマリア様に、これよりも大きな栄光を与える事がありません。なぜかというと、マリア様に全く、最高度において一致しているからです。もしも私たちが「マリア」と言えば、マリア様は「天主」と言います。
今、あまりにも早くこうスラッと通ってしまいましたけれども、これを私たちはじっくり黙想しなければなりません。
今からお読みになるべきものを与えます。これを読むには数ヶ月かかります。残りの半分をお読みになって下さい。135番から183番です。なぜこの真の信心をするべきか、という「動機」について語ります。
「実り」と「動機」は違います。この「実り」は、私たちがこの真の信心を実践すればするほど、その度合いに、深みとに従って与えられます。この「動機」、あるいはその実践する「理由」というのは、この信心に内属している、それに構成している理由です。「実り」というのは、私たち実践するこの人それぞれによって違っています。でもこの「理由」この「動機」というのは、この真の信心に本質的に本性的に、もう構造的に備わっている客観的な特徴です。この「理由」については、その単純さとその深さに驚きます。
この信心は私たちに全てをくれます。皆さんがご自宅に帰ってですね、この本を手にして持って帰って下さい。これを読む時には、まず135番から183番から読み始めて下さい。
この今回は、「理由」を8つ付けます。
まず第1に、135から138番において、第1の理由を与えます。「この信心は、本当の意味における天主への奉仕である。」
第2の理由は、「この真の信心は、最も忠実なイエズス様への真似りである、イエズス様を真似する事である。」
第3の理由は、「マリア様の保証」です。「私たちに必要な全ての事を、マリア様が必ず与えて下さる」という保証です。「たとえ私たちが最も汚らわしい罪人、大罪人であったとしても、マリア様のように罪の汚れのない者となる」という保証です。そうする事によってこの信心は、私たちにおいて出来る限りの最高の栄光を、天主に帰するからです。
第4の理由は、151番にあたります。「この信心は、天主に最大の栄光を与えるための最も優れた手段」とあります。
第5の理由は、この信心は、「一番短くて、一番確実で、そして一番偉大な栄光を天主に捧げるものであるから」です。
それから、霊的生活に対する最も深い回答を与えています。「私はどうやったら聖人になる事ができるだろうか?」という事を自問すると、私たちは全く失望してしまいます。なぜならば不可能だからです。聖人伝を読んで下さい。聖人伝に書かれた聖人から、どれほど私たちは遠い事でしょうか。全く恥ずかしくなるほどで、もうどこか隠れてしまいたいほどです。誰かが、「神父様、コルベ神父様のようですね」と言うと、でもコルベ神父様の生涯を読むと、本当に穴を掘って隠れたいと思います。ちょうど蚊が象と比べられたと同じ感じです。
今日において、「聖人になる」というのはほとんど不可能であるように思われます。なぜかというとこの周りには、私たちを支えてくれるものは無いし、教会からも無いからです。霊魂にとって最も難しい事は、聖人になる事です。確かにこれは最も難しい仕事です。私たちはそういう聖人になる事ができません、もしも天主様の望んでいる道に従わないならば。
ところで、天主様はマリア様に特別の特権を与えました。ちょうどマリア様への特別の贈り物のようです。特に終末の時代にこれは与えられました。それは、「マリア様は、石コロを取って、アブラハムの子供を作る事ができる」という事です。「マリア様は、皆さんとか私のような全く何でもないろくでなしを取って、聖人にする事ができる」という特権です。
ですから、この信心が最も簡単で、最も短くて、最も完璧で、最も確実な道です。これは私は経験上、こういう事を言う事ができます。もちろん全ての人がこの奉献を、同じ程、同じ程度で、深く実践するわけではありません。私の知っている私の元でこの奉献を真面目にやった人は、それ以前の奉献以前よりも、その奉献後、その霊的進歩は以前と比べる事がないほど偉大なものでした。私の知っている霊魂たちは、まだ年端もいかない若い霊魂たちですけれども、この奉献をする事によって、この信心を実行する事によって、非常に短い間に、非常に多く霊的に進歩しました。私はこの奉献の前の彼らを知っています。この彼らは本当にバカバカしくて、下らなくて、傲慢で、もう話にならないほどおかしな、ちょうど皆さんと私のようでした。
第6の理由は、「内的自由」です。「内的な心の平和」です。用もない恐れから解放されて、天主の為に生きる事ができるようになります。
それから第7の理由は、初めて聖グリニョン・ド・モンフォールは隣人について愛を語ります。「もしも真の信心によって全てをマリア様に与えると、それは隣人にとって非常に大きな益となる」と言っています。
そして第8の理由は、特別の御恵みの中の御恵みを与えられます。それは「堅忍の徳」です。「最後までその守り通す事ができる」という徳です。この堅忍の徳というのは、最も偉大な聖人でさえもそれに値する事ができないほどのものです。でもマリア様は私たちにそれを下さる事ができます。
グリニョン・ド・モンフォールは皆さんと、皆さんの聖化について一生懸命考えています。まず皆さんが真の信心を持つように、と考えています。皆さんとマリア様の間の関係について考えます。マリア様の本当の、言葉の本当の意味において母親となり、私たちが本当の意味で子供となる事です。良き母として私たちの手を取って、天主へと戻る為に導いてくれます。私たちの霊魂を救う為に、悪魔の罠から守る為に、イエズス様と一緒になる為に。こうする事によって、洗礼の約束を完全に守らせてくれます。そして遂に天主の掟を私たちに守らせる為です。天主を全てにおいて、全てに超えて、愛する事。
これではっきりする事は、真の信心は、私たちの聖化と、私たちの回心の為に与えられています。マリア様なしには、私の道、私の真理、私の命まで辿り着く事はできません。たとえもしもマリア様なしにこれを見出したとしても、マリア様がいないならまたそれを見失ってしまう事でしょう。マリア様は今では船長となって、この舵を取っているので、必ず安全な港まで導いて下さるに決まっています。
この真の信心の本をお読みになって、33日間の準備をここに書かれている通りになさって下さい。一人でする事はできません、司祭の助けが必要です。私はこの何をすべきかという事について、準備のメモを作りました。それを見れば、何を正確にしなければならないか、という事が書かれています。この33日間の準備は個人でやるもので、ご自宅でなさって下さい。この準備の為に、毎日1時間の時間が必要です。その準備も、33日間の準備の為にこの1日1時間取る事ができるような時期を選んで下さい。
でもマリア様は待ちきれない方です、あんまり長く待つ事が嫌です。というのは、マリア様が私たちを必要としているというわけではないのですが、でもマリア様は、私たちがマリア様を必要としているという事を知っているからです。マリア様は私たちを必要としません、私たちこそマリア様を必要とします。マリア様は、私たちが必要としているので、私たちの母であり、女王でありたいと思っています。なぜかというと、「私たちを最も高い栄光まで導きたい」と思っているからです。
マリア様はこの真の信心によって、この契約をするまでに準備の為に時間が必要だ、という事を知っています。でもそれと同時に、「あぁ、でもそんなに長い間待ってはいられない」と思います。「なぜかというと、多くの霊魂と子供たちを救わなければならないから。」「どうしたら良いだろうか。」
やり方をマリア様は見出します、「我が子よ、私の為に何かを作ってくれませんか?おぉイエズスよ、この子が、今いる子が、私がこの子を必要としているように理解されてくれませんか?」
イエズス様は言います、「お母様、それはちょっと難しいです。お母さん、考えてみて下さい。いいですか、お母様がこのような下らない男であるシュテーリンとか小野田とかを、お母様が必要としていると言うのですか?そんな事はあり得ますか?」
「アイデアがあります。お母様、何か危険な状況を作り出しましょう。お母さん、この私の被造物を知っていますか?どれほど忠実であるか知っていますか?ハハハ。彼らがどれほど熱心か知っていますか?ハハハ。次のような計画はどうでしょうか。お母様、私はこの世界に、もしも彼らが同意するなら、この御恵みを与えます。私はこの世に、もしも『お母さんと一緒に彼らが働きたい』と言うなら、行きましょう。」
「お母さん、この被造物たちに私が直接御恵みを与えるのはもっと簡単です。もちろん私は直接与えるのは良いのですけれども、しかしもしもシュテーリンと小野田が同意するなら、私の道具、司祭となるという事に同意するなら、御恵みを与えます。その彼らはですね、このあまりにもこう愚かなので、せっかく与えたこの御恵みを持った器を運んでいる途中に、こうこぼしてしまったりとか、ひっくり返してしまったりするので、このリスクがあるのですけれども、しかしやりましょう。もしも同意するなら。」
聖マキシミリアノ・コルベはいつも手紙を書く時に、「私の為にお祈りして下さい。私がこの天主様から頂いた運ばなければならない御恵みを、こぼしたり、捨てたり、無駄にしてしまう事がないように」といつも書いています。
マリア様はとても嬉しいのです。そのイエズス様がそうやって御恵みを下さる、という事を言ったので、とてもマリア様は喜んで、「あぁ、我が子よ、分かりました。私がこの黒い鳥たちの面倒を見ましょう。私が面倒を見て、彼らがお前の良い道具となるように世話をしましょう。もしも彼らが私の方に来るならば、そうしましょう。」
ですから、司祭がもしもマリア様の方に助けを求めるならば、いつも司祭は成功します。
今度はイエズス様は、マリア様に言います、「お母さん、あなたの番です。お母さんはお願いしましたけれども、私が何か発明して、この御身にとってこの彼らが必要だ、というような事を作りました。お母さん、私がどれほどのリスクを冒しているか知っていますか?私は、この全ての全人類の救いの御恵みと全てを、御身の御手に委ねます。でもこの御恵みは、お母さんの道具をお母さんが見出す限りにおいて与える事ができます。ですから確かに、この私の作った発明によれば、本当にこのどのような霊魂でも、お母さんはこのような霊魂を必要としている、という事になります。」
私は率直に申しますと、この事を理解する事ができません。マリア様は私たちの事を本当に愛しておられて、私たちの事を大切に思っているに違いありません。マリア様は私たちの事をあまりにも信頼しているようです。お母様に言って下さい、「マリア様、私が一体どのような者か知っているのですか?私をどうして必要とするのですか?」
でもマリア様は、このような御恵みを御子に願ったのです。マリア様は今、罠にかかりました。マリア様は子供たちにお願いしなければなりません、この乞食のように、ちょうど奴隷がお願いしているかのように、皆さんの心のドアに行って、ノックして、「我が子よ、我が娘よ、私を助けて下さい。」
多くの時に、多くの場合、そのドアは固く閉ざされたままです。ですから遂には、マリア様は皆さんの所にやって来ました、「我が子よ、グリニョン・ド・モンフォールによる真の信心によっては、時間がかかります。でも私は今、ここで、あなたを必要としています。私の道具となって下さい。他の霊魂を救う為の道具となって下さい。特別な偉大な事をする必要はありません。あなたが私を愛して下さるだけで良いのです。私に『仕えたい』と思うだけで良いのです。はっきりとした意志を持ってそう願えば良いのです。『今から今後一切、マリア様の道具となりたい』とそれで願えば良いのです、思えば良いのです、望めば良いのです。『私は、マリア様がそれを持って書く鉛筆になりたい』と思えば良いのです。『マリア様が霊魂に達する為の運河となって、橋となりたい』と思えば良いのです。1日にたった1回でも、それを思えば良いのです。」
この「マリア様の道具になる」という事を、「無原罪の聖母の騎士になる」と言います。これはコルベ神父様の招きです。この奉献については、マリア様は1ヶ月も何年もお待ちではなくて、明日、これを更新します。
1つの法則があって、私たちが隣人の為にすればするほど、それは自分の為にする事になるからです。もっと正確に言うと、「私たちが隣人の為にする事は、私たち自身の為に2倍多くする」事になるからです。今日、今回の黙想会で色々読みました。私たちは毎日たくさんの射祷を唱えました。ところで、そのような黙想をしましたけれども、多くの射祷は、多くの霊魂を救う事ができる、という事を思い出させてくれます。
明日は被昇天の大祝日ですから、どうぞマリア様にもう一度この奉献を更新する事によって、マリア様を喜ばせて下さい。教会はカトリック教会は、明日この奉献を唱えると、MIの奉献を唱える事によって、贖宥を与えてくれます。全贖宥で、煉獄での全ての罪の償いを免除してくれます、その条件を満たすなら。この全贖宥を受ける前後に告解をして、聖体拝領をして、この規定された奉献の祈りを唱えて、罪を犯すという愛着から解放されて、罪を犯さないという事ではなくて、もちろん罪を犯さないという事は誰にもできないので、その私たちが「全贖宥を受けたい」と思うその時に、罪に愛着を持たないという事です。弱さによって罪を犯してしまう事があったとしても、しかし愛着をしていないという事です。
この皆さんの元にやって来て、この黙想会を指導するという私の義務をこれで果たしたと思います。私は最後まで皆さんと一緒にいる事ができませんけれども、でも皆さんだからといって、この雑念で気を散らしたり、明日のこの黙想会が終わるまで、黙想会は明日の朝ミサが終わって初めて終了になります。
どうぞ私の為にもお祈り下さい。そしてアジア管区の為にもお祈り下さい。アジア管区では、無原罪の聖母の騎士のメンバーの数は4000人に達しました。全世界では16000名に達しました。この為に私は今から、自転車に乗ってオーストラリアに行きます(^^)オーストラリアで無原罪の聖母の騎士を確立させて創立して、それからニュージーランドでも同じようにします。
ありがとうございました。
同時通訳:小野田圭志神父
聖グリニョン・ド・モンフォールは、マリア様の真の信心をする必要性について多くのページを割いています。
また、その私たちは信心をした結果、私たちの心と世界にもたらすその実りについて、多くのインクを使っています。読むべき番号を申し上げました。グリニョン・ド・モンフォールは実りと効果について話しています、「マリア様はちょうど、命の木のようである。このマリア様に近付く人は、この命の木の実を食べる事ができる。」
この奉献の祈りは契約ですけれども、契約はマリア様を縛るのではなくて、私たちをこそ縛るものです。なぜかというと、私たちこそがマリア様に義務を、多くのものを負っているのであって、マリア様は私たちに何も義務は無いからです。でも現実は、その反対の事が行なわれています。
マリア様に私たちは一体、何を与えたでしょうか?たとえ私たちがそのような英雄的な奉献をしたとしても、私たちが、「全てのものを全て、私たちそれ自身」と言ったとしても、それが一体マリア様にとって何だというのでしょうか?つまりそれは腐ったりんごに過ぎません。その腐ったりんごの代わりに、私たちは何をもらうでしょうか?それはもう限りのない、美しい果実をもらいます。
これは法則があるのです。「私たちがマリア様に属したい、属するその程度において、マリア様も私たちに属する」という法則です。私がマリア様の子供であればあるほど、マリア様は私たちの母となります。母の役割、母の職務を、完璧にますます果たします。私が貧しいりんごを、腐ったりんごをあげればあげるほど、マリア様は私に、きれいな果物をもっとたくさんくれます。
このグリニョン・ド・モンフォールは7という数字が好きなのです。7というのは完全な数ですから、7つの間違った信心について話しましたけれども、今、7つの実りを挙げてみます。もちろん、もしも私たちが最初からマリア様に全てをあげれば、それ以上のたくさんの多くの実りを得ます。しかしマリア様は、その私たちが奉献したとしても、その一部しか与えません、全部ではありません。「奉献した」と言っても全てを、7つ全てあげるのではなくて、まず最初にあげるのはこれです。213番です。
それは最初の実りは、「私たちの値しない」という事を教えてくれます。私たちはいつも、幻想と嘘という、自分自身についての幻想と嘘についていっぱいですが、それを否定させて、私たちに本当の姿を現してくれます。神秘を表してくれます。私たちの堕落した腐敗した本性を黙想しました。私たちは豚のようでした。私たちはこれを以前1回黙想しました。しかしこの真の信心が霊魂にもたらすこの実りによって、私たちはこれを忘れる事がなく、いつも頭の中に入れる事ができます。これがあるからこそ、私たちは謙遜でいる事ができます。
「謙遜」というのは、私たち自身に関する真理を知る事です。本当の基礎において、真理の基礎において、大きな宮殿を建てる事ができます。山上の垂訓でイエズス様が何と仰ったか知っていますか?「賢い者というのは、頑丈な岩の上に家を建てる者である。しかし愚かな者は、砂の上に家を建てる。」
近代主義は、この幻想の上に砂の上に霊性を建てようとしています。その為に今、教会に危機が起こっています。
これは私たちの浄めの道であって、霊的な生活の旅路の第一歩です。
次の3つの効果は、霊的に進歩した人、霊魂たちに与えます。霊的生活の第2段階で、照らしの道にいる霊魂に与えられます。悪い要素を、良い要素と変えてくれます。古きアダムを、新しいアダムと変えてくれます。
まず、「マリア様の信仰に与る」事になります。今朝、コルベ神父様の生涯について話をしました。コルベ神父様の生ける信仰について話しました。コルベ神父様も、この段階を経なければなりませんでした。子供の頃、最初の実りを効果を得ました。「自分が本当に悪くて、邪悪で、汚い」という事に気が付きました。そこでコルベ神父様は、マリア様の方に駆け寄って、マリア様にたくさんのお祈りをして、マリア様に助けを願って、その「信仰」に与りました。フランシスコ会の修練士として、最初はコルベ君の信仰がだんだん伸びていくのを見ました。天主様が見るように、ますます物事を見るようになりました。214番にあるように、ますます「勇敢」になります。コルベ君がローマに、若い時にローマにいた時に、「全世界を、マリア様の為に征服しよう」と燃えていました。ただ夢想家だったのではなくて、本当にそれを求めていました。
第3の実りは、「純粋な、清い愛」です。コルベ神父はやはりこれを持っていました。ローマで、敵によって純粋な愛が馬鹿にされて、足踏みにされた時に、何とかしてそれを求めようと、「霊魂の救霊と霊魂の救いと、そして天主の栄光」を純粋に求めました。
第4の実りは、「天主様と聖母に全き信頼、盲目的な信頼」です。コルベ神父がMIを始める時には、多くの試練がありました。人間的に言えば、最初の創立の5年間は大失敗でした。長上は誰も支援してくれませんでした。また同じ修道会の同じ修道者たちからは馬鹿にされました。そして自分自身は結核で今にも死にかけようとしていました。でもコルベ神父様は盲目的にマリア様に信頼していました。もしもこの信頼がなければ、「もうこれで終わりだ」と思って、もうそのまま放棄してしまった事でしょう。
実りは、与えられればそのますます大きくなっていきます。ますますこの信頼は生き生きとして、ますます燃え尽くすような信頼になっていきます。
最後の3つの実りは、一致の道の霊魂に与えられるものです。
第5番目の実りとしては、「マリア様が自分の精神を与えてくれる、共有してくれる」という事です。マリア様の望み、マリア様の願い、マリア様の考えが、私たちの心に染み通るという事です。コルベ神父様に言ってみると、コルベ神父様はマリア様の行動をコピーするというのでしょうか、それを映し出す鏡となりました。そしてマリア様の深い神秘を映し出す事になります。コルベ神父様の死の直前の5年あるいは6年の間に、マリア様に対する神秘がますます深く理解されて、以前なかったほど深い理解を示しています。以前私たちに語られた事がなかったような、「マリア様と聖霊との一致」という事について、コルベ神父様はこの最後の5年間に深い理解を書いて、残しています。
第6の実りは、「イエズス様の姿に私たちを変えてくれる」という実りです。グリニョン・ド・モンフォールは決して自分の視点を離しません。マリア様への信心は、必ずイエズス様へと到達させます。なぜかというと、マリア様に似通れば似通るほど、マリア様の精神が染み通れば染み通るほど、イエズス様に似通るからです。これはコルベ神父様の生涯にも現れました。これは実りの完璧完全さが、最後に来る実りです。20世紀において、これほどイエズス様の御生涯に似た聖人はいませんでした。「誰も、自分の兄弟の為に、友の為に、命を与えるほど偉大な愛はない。」マリア様の精神にあまりにも結び付いていたコルベ神父様は、そのマリア様と御子と同じような信仰を望んで、そしてこの隣人の為に自分の命を捧げて、その代わりに亡くなった、愛の為に亡くなっていきました。
最後の実りは、非常に興味深い事です。222番をご覧下さい。
“聖グリニョン・ド・モンフォールが提唱するこの信心を、もしも忠実に実行するならば、私はたったわずか1ヶ月の間に、他のもっと難しい信心業を数年間の間実践するよりも、はるかに大きな栄光をイエズス様に帰する事ができます。”
誰も、イエズス様とマリア様に、これよりも大きな栄光を与える事がありません。なぜかというと、マリア様に全く、最高度において一致しているからです。もしも私たちが「マリア」と言えば、マリア様は「天主」と言います。
今、あまりにも早くこうスラッと通ってしまいましたけれども、これを私たちはじっくり黙想しなければなりません。
今からお読みになるべきものを与えます。これを読むには数ヶ月かかります。残りの半分をお読みになって下さい。135番から183番です。なぜこの真の信心をするべきか、という「動機」について語ります。
「実り」と「動機」は違います。この「実り」は、私たちがこの真の信心を実践すればするほど、その度合いに、深みとに従って与えられます。この「動機」、あるいはその実践する「理由」というのは、この信心に内属している、それに構成している理由です。「実り」というのは、私たち実践するこの人それぞれによって違っています。でもこの「理由」この「動機」というのは、この真の信心に本質的に本性的に、もう構造的に備わっている客観的な特徴です。この「理由」については、その単純さとその深さに驚きます。
この信心は私たちに全てをくれます。皆さんがご自宅に帰ってですね、この本を手にして持って帰って下さい。これを読む時には、まず135番から183番から読み始めて下さい。
この今回は、「理由」を8つ付けます。
まず第1に、135から138番において、第1の理由を与えます。「この信心は、本当の意味における天主への奉仕である。」
第2の理由は、「この真の信心は、最も忠実なイエズス様への真似りである、イエズス様を真似する事である。」
第3の理由は、「マリア様の保証」です。「私たちに必要な全ての事を、マリア様が必ず与えて下さる」という保証です。「たとえ私たちが最も汚らわしい罪人、大罪人であったとしても、マリア様のように罪の汚れのない者となる」という保証です。そうする事によってこの信心は、私たちにおいて出来る限りの最高の栄光を、天主に帰するからです。
第4の理由は、151番にあたります。「この信心は、天主に最大の栄光を与えるための最も優れた手段」とあります。
第5の理由は、この信心は、「一番短くて、一番確実で、そして一番偉大な栄光を天主に捧げるものであるから」です。
それから、霊的生活に対する最も深い回答を与えています。「私はどうやったら聖人になる事ができるだろうか?」という事を自問すると、私たちは全く失望してしまいます。なぜならば不可能だからです。聖人伝を読んで下さい。聖人伝に書かれた聖人から、どれほど私たちは遠い事でしょうか。全く恥ずかしくなるほどで、もうどこか隠れてしまいたいほどです。誰かが、「神父様、コルベ神父様のようですね」と言うと、でもコルベ神父様の生涯を読むと、本当に穴を掘って隠れたいと思います。ちょうど蚊が象と比べられたと同じ感じです。
今日において、「聖人になる」というのはほとんど不可能であるように思われます。なぜかというとこの周りには、私たちを支えてくれるものは無いし、教会からも無いからです。霊魂にとって最も難しい事は、聖人になる事です。確かにこれは最も難しい仕事です。私たちはそういう聖人になる事ができません、もしも天主様の望んでいる道に従わないならば。
ところで、天主様はマリア様に特別の特権を与えました。ちょうどマリア様への特別の贈り物のようです。特に終末の時代にこれは与えられました。それは、「マリア様は、石コロを取って、アブラハムの子供を作る事ができる」という事です。「マリア様は、皆さんとか私のような全く何でもないろくでなしを取って、聖人にする事ができる」という特権です。
ですから、この信心が最も簡単で、最も短くて、最も完璧で、最も確実な道です。これは私は経験上、こういう事を言う事ができます。もちろん全ての人がこの奉献を、同じ程、同じ程度で、深く実践するわけではありません。私の知っている私の元でこの奉献を真面目にやった人は、それ以前の奉献以前よりも、その奉献後、その霊的進歩は以前と比べる事がないほど偉大なものでした。私の知っている霊魂たちは、まだ年端もいかない若い霊魂たちですけれども、この奉献をする事によって、この信心を実行する事によって、非常に短い間に、非常に多く霊的に進歩しました。私はこの奉献の前の彼らを知っています。この彼らは本当にバカバカしくて、下らなくて、傲慢で、もう話にならないほどおかしな、ちょうど皆さんと私のようでした。
第6の理由は、「内的自由」です。「内的な心の平和」です。用もない恐れから解放されて、天主の為に生きる事ができるようになります。
それから第7の理由は、初めて聖グリニョン・ド・モンフォールは隣人について愛を語ります。「もしも真の信心によって全てをマリア様に与えると、それは隣人にとって非常に大きな益となる」と言っています。
そして第8の理由は、特別の御恵みの中の御恵みを与えられます。それは「堅忍の徳」です。「最後までその守り通す事ができる」という徳です。この堅忍の徳というのは、最も偉大な聖人でさえもそれに値する事ができないほどのものです。でもマリア様は私たちにそれを下さる事ができます。
グリニョン・ド・モンフォールは皆さんと、皆さんの聖化について一生懸命考えています。まず皆さんが真の信心を持つように、と考えています。皆さんとマリア様の間の関係について考えます。マリア様の本当の、言葉の本当の意味において母親となり、私たちが本当の意味で子供となる事です。良き母として私たちの手を取って、天主へと戻る為に導いてくれます。私たちの霊魂を救う為に、悪魔の罠から守る為に、イエズス様と一緒になる為に。こうする事によって、洗礼の約束を完全に守らせてくれます。そして遂に天主の掟を私たちに守らせる為です。天主を全てにおいて、全てに超えて、愛する事。
これではっきりする事は、真の信心は、私たちの聖化と、私たちの回心の為に与えられています。マリア様なしには、私の道、私の真理、私の命まで辿り着く事はできません。たとえもしもマリア様なしにこれを見出したとしても、マリア様がいないならまたそれを見失ってしまう事でしょう。マリア様は今では船長となって、この舵を取っているので、必ず安全な港まで導いて下さるに決まっています。
この真の信心の本をお読みになって、33日間の準備をここに書かれている通りになさって下さい。一人でする事はできません、司祭の助けが必要です。私はこの何をすべきかという事について、準備のメモを作りました。それを見れば、何を正確にしなければならないか、という事が書かれています。この33日間の準備は個人でやるもので、ご自宅でなさって下さい。この準備の為に、毎日1時間の時間が必要です。その準備も、33日間の準備の為にこの1日1時間取る事ができるような時期を選んで下さい。
でもマリア様は待ちきれない方です、あんまり長く待つ事が嫌です。というのは、マリア様が私たちを必要としているというわけではないのですが、でもマリア様は、私たちがマリア様を必要としているという事を知っているからです。マリア様は私たちを必要としません、私たちこそマリア様を必要とします。マリア様は、私たちが必要としているので、私たちの母であり、女王でありたいと思っています。なぜかというと、「私たちを最も高い栄光まで導きたい」と思っているからです。
マリア様はこの真の信心によって、この契約をするまでに準備の為に時間が必要だ、という事を知っています。でもそれと同時に、「あぁ、でもそんなに長い間待ってはいられない」と思います。「なぜかというと、多くの霊魂と子供たちを救わなければならないから。」「どうしたら良いだろうか。」
やり方をマリア様は見出します、「我が子よ、私の為に何かを作ってくれませんか?おぉイエズスよ、この子が、今いる子が、私がこの子を必要としているように理解されてくれませんか?」
イエズス様は言います、「お母様、それはちょっと難しいです。お母さん、考えてみて下さい。いいですか、お母様がこのような下らない男であるシュテーリンとか小野田とかを、お母様が必要としていると言うのですか?そんな事はあり得ますか?」
「アイデアがあります。お母様、何か危険な状況を作り出しましょう。お母さん、この私の被造物を知っていますか?どれほど忠実であるか知っていますか?ハハハ。彼らがどれほど熱心か知っていますか?ハハハ。次のような計画はどうでしょうか。お母様、私はこの世界に、もしも彼らが同意するなら、この御恵みを与えます。私はこの世に、もしも『お母さんと一緒に彼らが働きたい』と言うなら、行きましょう。」
「お母さん、この被造物たちに私が直接御恵みを与えるのはもっと簡単です。もちろん私は直接与えるのは良いのですけれども、しかしもしもシュテーリンと小野田が同意するなら、私の道具、司祭となるという事に同意するなら、御恵みを与えます。その彼らはですね、このあまりにもこう愚かなので、せっかく与えたこの御恵みを持った器を運んでいる途中に、こうこぼしてしまったりとか、ひっくり返してしまったりするので、このリスクがあるのですけれども、しかしやりましょう。もしも同意するなら。」
聖マキシミリアノ・コルベはいつも手紙を書く時に、「私の為にお祈りして下さい。私がこの天主様から頂いた運ばなければならない御恵みを、こぼしたり、捨てたり、無駄にしてしまう事がないように」といつも書いています。
マリア様はとても嬉しいのです。そのイエズス様がそうやって御恵みを下さる、という事を言ったので、とてもマリア様は喜んで、「あぁ、我が子よ、分かりました。私がこの黒い鳥たちの面倒を見ましょう。私が面倒を見て、彼らがお前の良い道具となるように世話をしましょう。もしも彼らが私の方に来るならば、そうしましょう。」
ですから、司祭がもしもマリア様の方に助けを求めるならば、いつも司祭は成功します。
今度はイエズス様は、マリア様に言います、「お母さん、あなたの番です。お母さんはお願いしましたけれども、私が何か発明して、この御身にとってこの彼らが必要だ、というような事を作りました。お母さん、私がどれほどのリスクを冒しているか知っていますか?私は、この全ての全人類の救いの御恵みと全てを、御身の御手に委ねます。でもこの御恵みは、お母さんの道具をお母さんが見出す限りにおいて与える事ができます。ですから確かに、この私の作った発明によれば、本当にこのどのような霊魂でも、お母さんはこのような霊魂を必要としている、という事になります。」
私は率直に申しますと、この事を理解する事ができません。マリア様は私たちの事を本当に愛しておられて、私たちの事を大切に思っているに違いありません。マリア様は私たちの事をあまりにも信頼しているようです。お母様に言って下さい、「マリア様、私が一体どのような者か知っているのですか?私をどうして必要とするのですか?」
でもマリア様は、このような御恵みを御子に願ったのです。マリア様は今、罠にかかりました。マリア様は子供たちにお願いしなければなりません、この乞食のように、ちょうど奴隷がお願いしているかのように、皆さんの心のドアに行って、ノックして、「我が子よ、我が娘よ、私を助けて下さい。」
多くの時に、多くの場合、そのドアは固く閉ざされたままです。ですから遂には、マリア様は皆さんの所にやって来ました、「我が子よ、グリニョン・ド・モンフォールによる真の信心によっては、時間がかかります。でも私は今、ここで、あなたを必要としています。私の道具となって下さい。他の霊魂を救う為の道具となって下さい。特別な偉大な事をする必要はありません。あなたが私を愛して下さるだけで良いのです。私に『仕えたい』と思うだけで良いのです。はっきりとした意志を持ってそう願えば良いのです。『今から今後一切、マリア様の道具となりたい』とそれで願えば良いのです、思えば良いのです、望めば良いのです。『私は、マリア様がそれを持って書く鉛筆になりたい』と思えば良いのです。『マリア様が霊魂に達する為の運河となって、橋となりたい』と思えば良いのです。1日にたった1回でも、それを思えば良いのです。」
この「マリア様の道具になる」という事を、「無原罪の聖母の騎士になる」と言います。これはコルベ神父様の招きです。この奉献については、マリア様は1ヶ月も何年もお待ちではなくて、明日、これを更新します。
1つの法則があって、私たちが隣人の為にすればするほど、それは自分の為にする事になるからです。もっと正確に言うと、「私たちが隣人の為にする事は、私たち自身の為に2倍多くする」事になるからです。今日、今回の黙想会で色々読みました。私たちは毎日たくさんの射祷を唱えました。ところで、そのような黙想をしましたけれども、多くの射祷は、多くの霊魂を救う事ができる、という事を思い出させてくれます。
明日は被昇天の大祝日ですから、どうぞマリア様にもう一度この奉献を更新する事によって、マリア様を喜ばせて下さい。教会はカトリック教会は、明日この奉献を唱えると、MIの奉献を唱える事によって、贖宥を与えてくれます。全贖宥で、煉獄での全ての罪の償いを免除してくれます、その条件を満たすなら。この全贖宥を受ける前後に告解をして、聖体拝領をして、この規定された奉献の祈りを唱えて、罪を犯すという愛着から解放されて、罪を犯さないという事ではなくて、もちろん罪を犯さないという事は誰にもできないので、その私たちが「全贖宥を受けたい」と思うその時に、罪に愛着を持たないという事です。弱さによって罪を犯してしまう事があったとしても、しかし愛着をしていないという事です。
この皆さんの元にやって来て、この黙想会を指導するという私の義務をこれで果たしたと思います。私は最後まで皆さんと一緒にいる事ができませんけれども、でも皆さんだからといって、この雑念で気を散らしたり、明日のこの黙想会が終わるまで、黙想会は明日の朝ミサが終わって初めて終了になります。
どうぞ私の為にもお祈り下さい。そしてアジア管区の為にもお祈り下さい。アジア管区では、無原罪の聖母の騎士のメンバーの数は4000人に達しました。全世界では16000名に達しました。この為に私は今から、自転車に乗ってオーストラリアに行きます(^^)オーストラリアで無原罪の聖母の騎士を確立させて創立して、それからニュージーランドでも同じようにします。
ありがとうございました。