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2019年1月6日(主) 主の御公現の大祝日のミサ説教 「御公現の玄義について」

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2019年1月6日(主日)主の御公現の大祝日のミサ
小野田神父 説教

日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年1月6日、主の御公現の祝日です。

今日は色々なプログラムがあります。ミサの後には、いつものように感謝のお祈りをします。その次に、月の初めの主日、また年の最初の主日ですので、御聖体降福式を致しましょう、いつものように。

今年も毎月最初の主日には、御聖体降福式を致します。この為に私たちは多くの御恵みを受けてきました。この新しい新年、イエズス様が祝福して下さいますように、お祈り致しましょう。

その後に今度はクリスマスから御公現までしております、幼きイエズス様への接吻式があります。

それから今日は御公現のチョークを祝別する日でもありますので、チョークを祝別して皆さんにもお配りしたいと思っています。

それから14時から14時半まで、侍者の会の集いがあります。聖フランシスコ・ザビエル侍者の会の集いがあります。侍者として一緒にミサ答えをしたい、侍者の会に入ろうという方はどうぞ参加して下さい。今日は15時から晩課があります。第2晩課、御公現の晩課です。

明日は朝7時からミサがあります。

次の主日のミサは、1月20日です。


“Ecce advenit.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は、今日の黙想の目標はテーマは、「御公現」という大祝日とその典礼文、非常に美しく出来ている、古来から伝えられたこの典礼を黙想する事によって、

⑴一体御公現とは、その典礼によって何を私たちに教えているのか?この御公現の玄義は一体何なのか?

⑵この御公現の玄義を、典礼はどのように私たちに伝えようとしているのか?その核心は何なのか?

⑶そしてでは典礼において私たちは、御公現において何をしなければならないのか?そしてでは何をするのか?

という事を黙想したいと思います。そして今日は、その御公現の玄義が一体典礼によってどのように表されていて、今日のミサをどのように理解して与るべきか、という事が理解できれば、私の黙想の提案が成功した事になります。


⑴まず第1に気が付く事は、入祭誦です。
司祭が祭壇の前に立ってミサを始めようとする時に、聖歌隊はこう歌います、“Ecce advenit”これは、「見よ、遂に到達した。遂にやって来た」という意味です。

この“advenit”という言葉は、“adventus”「到達する」つまり待降節と同じ語源の言葉で、「遂に待降節から、待ちに待っていたこの救い主の御到来と、そしてその神秘が完成した。」“advenit”いうのは、「到達した」という過去形であるからです。「遂に玄義が完結した。完成された。遂にやって来た」という事です。

何がやって来たかというと、“Dominator Dominus et regnum in manu ejus”という言葉が続きます。つまり、「主であり、全宇宙を支配している方、支配者、王の王、最高の主がやって来た」という事です。

日本では特に今年は、新しい天皇陛下の即位があったり、元号が変わったりします。そして10日間のお休みがあって、その時には私たちは喜びに満ちる事でしょう。たくさんご馳走も食べるかもしれません。迎賓館ではとても大きな晩餐会が開かれるかもしれません。外国の大切なお客様たちを呼んで、色々な晩餐式が開かれる事でしょう。

それと同じように、教会の、特にこの時には、「王がやって来た。本当の私たちの救い主がやって来た。この生まれた御方は真の王である」と宣言します。

そこで私たちも、この王の到来の為に、元号をも変えて、西暦2019年、そして大きな晩餐会を開かれます。

もちろん本当の晩餐会は天国で開かれるはずですけれども、私たちはその前取りとして、このミサが開かれています。

あるいは、待ちに待ったこの救い主は、典礼によれば、私たち人類の、霊魂の、人間の霊魂たちの花婿です。「花婿が遂に、花嫁と婚姻をする日が来た。そしてその婚姻の為の婚姻の大宴会が開かれる。花婿と花嫁が一つになる。一つの家族になって、一つの体になる。」

ですから、この婚姻の大宴会についても語られます。ミサの時には語られないのですけれども、朝課と晚課、15時から私たちが歌う晚課では、「カナの婚宴で水がワインに変わったのも、これも霊魂とキリストの婚姻の為だ。」あるいは、「3人の王が、東方の王たちが博士たちが贈り物をしたのも、やはりこの婚姻の贈り物だ」とさえ歌っています。

そのような事が分かると、「クリスマスであった事が、御公現節で完成させられている、完成させられた」という事が分かります。クリスマスは、私たちは「イエズス様が真の救い主であり、預言されたメシアの成就であり、唯一の救い主である」という事を黙想しました。しかも私たちを赦す為に、私たちを愛するが為に、とてつもない計り知れない愛を持ってやって来た喜びの日でした。

それにそれを完成させる今日、御公現節は、東方の博士たちはその愛を、愛を以って応えようとします。愛を以って、贈り物を持って、遠くの道のりをやって来ます。礼拝を捧げようとしてやって来ます。そして私たちも、この東方の王にならなければなりません。典礼では皆さんが主人公です。皆さんが東の国の博士たちになります。


⑵第2の点は、一体どうやって、典礼学者によると、「このミサの構造は非常に完璧な構造をしている」と言います。典型的なローマ典礼です。

1つは、「預言とその成就がある」という事がパラレルに語られるからです。なぜかというと、書簡では旧約の預言が読まれます。旧約の預言はイザヤの書から取られていますが、「東の国の博士たちがやって来る。らくだや動物たちに乗ってやって来て、サバやマディアンからやって来て、そして贈り物を贈る。エルサレムよ、輝け。光出されよ。光がお前から輝く。」この預言が語られて、そして福音ではその成就が語られます。実際に今から2000年前、イエズス様が御誕生になられた時に、本当にその通りになりました。

そして2000年後の今、私たちも福音の時に、博士たちと一緒に跪いて礼拝しました。これは「この私たちも、この典礼においては、東の国の博士たちである」という事を示しています。


⑶では、私たちが一体どのような役割を果たさなければならないのでしょうか?

私たちも、クリスマスの時にイエズス様から贈り物をもらったのみならず、今度は幼きイエズス様に、王であるイエズス様に、私たちの贈り物を捧げる番がやって来た、という事です。ではどんな贈り物を捧げたら良いのでしょうか?

それは一言で言うと、「私たち自身」です。人類は、「天主のようになる」という悪魔の誘いを受けて堕落しました。天主の敵となりました。不幸になりました。救い主を必要とする存在となりました。しかし私たちが主の道具として、主の御旨を果たす者となる時に、主に私たちを捧げる者となる時に、私たちはもう一度幸せへの、救い主を受ける事ができる道が開かれます。マリア様がそうでした。3人の博士がそうでした。そして私たちもそのように招かれています。私たち自身を奉献するという事です。

ですから、Offertoriumの時には、イエズス様が既に捧げられています。私たちの手本として、私たちもイエズス様のように捧げられなければならない。Offertoriumによれば、「博士たちが捧げた3つの贈り物は、実はイエズス様を意味していた」と言います。ですから私たちも、その自分自身を与えなければなりません。

では、いつ、そうしたら良いのでしょうか?

それが、御聖体拝領です。御聖体拝領の時に私たちはイエズス様を受けますが、それと同時に、自分をイエズス様に与え尽くす、という事をしなければなりません。私たちの純粋な、純金のような信心と愛を、イエズス様にお捧げ致しましょう。御聖体拝領の時に、私たちのこの一年の祈りを、またいけにえを犠牲を、乳香のようにお捧げ致しましょう。そしてイエズス様が亡くなる時には没薬を体に受けましたけれども、私たち自身がイエズス様を受ける時に、イエズス様を囲む没薬となりますように、決してイエズス様を腐敗させない者となりますように、イエズス様の精神を腐敗させない者となりますように、お祈り致しましょう。

ですから典礼では、皆さんが御聖体拝領する時にクライマックスとなります。どうぞ皆さんの愛と、祈りと、犠牲の心を以って、「イエズス様の道具となる、その御旨を果たしたい」という愛を以って近寄って下さい。

マリア様にお祈り致しましょう。どうぞこの御公現の神秘がますます理解する事ができますように、3人の博士たちは福音書によると、「マリアと共に居る子供を見出した」とあります。

「イエズス様を見出す事ができるように、マリア様、傍に居て下さい。マリア様、私たちがマリア様と共に居るイエズス様を礼拝する事ができるように、助けて下さい。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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