アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は聖母の聖誕の祝日です! 9月3日の聖ピオ十世の祝日にちなんで、聖ピオ十世会アメリカ管区のウェブ・サイト記事「貧しさのうちに生まれ、貧しさのうちに生き、貧しさのうちに死んだ──聖ピオ十世」の日本語訳をご紹介します。この日本語に訳してくださった方に、心から感謝します。
原文はこちら
Born poor, lived poor and died poor: St. Pius X
貧しさのうちに生まれ、貧しさのうちに生き、貧しさのうちに死んだ──聖ピオ十世
二〇一四年九月二日
アメリカ管区
聖ピオ十世の死の原因となった苦悩と、同時代の人々が彼に捧げた敬意についての報告。
DICIに掲載された、私たちの聖なる保護者、聖ピオ十世教皇への短い賛辞の記事。
聖ピオ十世帰天百周年
一九一四年八月二十日、聖ピオ十世教皇は死去された。ヨーロッパと世界に燃え上がろうとしていた恐るべき最初の大戦が火蓋を切ろうとしていた時、聖ピオ十世は深い衝撃を受け、彼の気力は急速に衰えていった。
危機が膨れ上がるにつれ、彼は祈りに没頭し、自らを生け贄として捧げた。伝記作家は彼の側近たちの証言を引用して、こう語る。
昼も夜も、彼は天主を祈りで責め立て、天主と格闘した。昼も夜も、彼はこう繰り返した。「我が子らの虐殺を止めるため、私のあわれな生命を燔祭の生け贄として捧げ奉る」聖なる老人は苦悩に消耗し、そのまなざしは銃器と戦火を見つめる。彼はこう呟くのが常だった。「戦場に倒れる人々のために私は苦しむ……おお、この戦争!……この戦争は私の命を奪うだろう」彼は激しく涙にむせぶが、天主のご意志への英雄的かつ完全な委託とともに、聖人の気力がまだ彼のうちに残っていた。
聖母被昇天の祝日後、彼は病床につかざるを得なくなり、数日後、極度の疲労のために世を去ることとなる。八月十九日、「私自身を天主の御手のうちに置く」と呟きながら臨終の秘跡を受けた。穏やかな臨終の夜ののち、八月二十日、聖ベルナルドの祝日の朝、十字架を握りしめつつ数時間眠り込んだ。一時十五分の未明のことであり、ヴェネチアの方言で最期の言葉を発した。「Gesu, Giuseppe e Maria, vi dono il cuore de l’anima mia! イエズス、マリア、ヨゼフ、我が霊魂を御身らに捧げ奉る!」
聖ピオ十世の遺言は次のように公開された。「私は貧しさのうちに生まれ、貧しさのうちに生き、非常に貧しく死ぬと決めている」この教皇の非凡な人格に対し、教会から絶縁している集団からすら絶大な敬意が払われた。ジャン・ジョレスの発行する雑誌──リュマニテ──は、最も正確に聖ピオ十世の死を書き表した。
教皇が死んだ。彼は偉大な教皇であったと我々は言わねばならない。彼の政治的意図はいとも単純であった。それは、使徒的堅固さで信仰の価値を回復させること、で成り立っていた。これらの政治的意図を、誰もが疑い得ないその霊魂の単純さと徳の忠実さの結果、権威をもって彼は実行し得た。いかに彼を裁こうとも、ピオ十世は偉大な教皇であったと我々は言わねばなるまい。
四十年後、教会が祭壇上に挙げるであろう偉大な教皇。聖なる教皇の教皇職は、Omnia instaurare in Christo. イエズス・キリストのうちに万事を回復させることにあますことなく捧げられた。
Footnotes
1 Jerome Dal-Gal, Pie X, Editions St-Paul, Pari, 1953, p. 472.
2 Yves Chiron, St. Pius X: Restorer of the Church (Angelus Press), p. 340.
3 Quoted by Dal-Gal, op. cit., p. 477.
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
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사랑하올 형제 자매 여러분,
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웹 사이트를 소개합니다.
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毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。
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貧しさのうちに生まれ、貧しさのうちに生き、貧しさのうちに死んだ──聖ピオ十世
二〇一四年九月二日
アメリカ管区
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DICIに掲載された、私たちの聖なる保護者、聖ピオ十世教皇への短い賛辞の記事。
聖ピオ十世帰天百周年
一九一四年八月二十日、聖ピオ十世教皇は死去された。ヨーロッパと世界に燃え上がろうとしていた恐るべき最初の大戦が火蓋を切ろうとしていた時、聖ピオ十世は深い衝撃を受け、彼の気力は急速に衰えていった。
危機が膨れ上がるにつれ、彼は祈りに没頭し、自らを生け贄として捧げた。伝記作家は彼の側近たちの証言を引用して、こう語る。
昼も夜も、彼は天主を祈りで責め立て、天主と格闘した。昼も夜も、彼はこう繰り返した。「我が子らの虐殺を止めるため、私のあわれな生命を燔祭の生け贄として捧げ奉る」聖なる老人は苦悩に消耗し、そのまなざしは銃器と戦火を見つめる。彼はこう呟くのが常だった。「戦場に倒れる人々のために私は苦しむ……おお、この戦争!……この戦争は私の命を奪うだろう」彼は激しく涙にむせぶが、天主のご意志への英雄的かつ完全な委託とともに、聖人の気力がまだ彼のうちに残っていた。
聖母被昇天の祝日後、彼は病床につかざるを得なくなり、数日後、極度の疲労のために世を去ることとなる。八月十九日、「私自身を天主の御手のうちに置く」と呟きながら臨終の秘跡を受けた。穏やかな臨終の夜ののち、八月二十日、聖ベルナルドの祝日の朝、十字架を握りしめつつ数時間眠り込んだ。一時十五分の未明のことであり、ヴェネチアの方言で最期の言葉を発した。「Gesu, Giuseppe e Maria, vi dono il cuore de l’anima mia! イエズス、マリア、ヨゼフ、我が霊魂を御身らに捧げ奉る!」
聖ピオ十世の遺言は次のように公開された。「私は貧しさのうちに生まれ、貧しさのうちに生き、非常に貧しく死ぬと決めている」この教皇の非凡な人格に対し、教会から絶縁している集団からすら絶大な敬意が払われた。ジャン・ジョレスの発行する雑誌──リュマニテ──は、最も正確に聖ピオ十世の死を書き表した。
教皇が死んだ。彼は偉大な教皇であったと我々は言わねばならない。彼の政治的意図はいとも単純であった。それは、使徒的堅固さで信仰の価値を回復させること、で成り立っていた。これらの政治的意図を、誰もが疑い得ないその霊魂の単純さと徳の忠実さの結果、権威をもって彼は実行し得た。いかに彼を裁こうとも、ピオ十世は偉大な教皇であったと我々は言わねばなるまい。
四十年後、教会が祭壇上に挙げるであろう偉大な教皇。聖なる教皇の教皇職は、Omnia instaurare in Christo. イエズス・キリストのうちに万事を回復させることにあますことなく捧げられた。
Footnotes
1 Jerome Dal-Gal, Pie X, Editions St-Paul, Pari, 1953, p. 472.
2 Yves Chiron, St. Pius X: Restorer of the Church (Angelus Press), p. 340.
3 Quoted by Dal-Gal, op. cit., p. 477.
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
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