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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ説教:イエズス様、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です。

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Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年3月2日、聖母の初土の信心、そして聖母の汚れなき御心のミサを捧げています。

このミサの直後に、いつものように御聖体降福式を行ないましょう。また御聖体の前で、シュテーリン神父様が仰ったように、聖ピオ十世会と日本をマリア様の汚れなき御心に奉献致しましょう。

明日は夕方主日のミサがあります、サマース神父様がいらっしゃいます、3月3日、夕方18時からです。
3月10日にもワリエ神父様がいらして、夕方の主日のミサがあります。またその後にも金・土とミサがあります、15・16日とミサがあります。

それから公教会の掟に従って、来週の水曜日は灰の水曜日です。現代の教会法によれば、満21歳以上から60歳になるまでの健康な成人の男女は、この日に大小斎を守らなければなりません。小斎は教会法によれば、14歳以上から終わりまで、それを守らなければなりません。

大斎というのは、1日に1回だけ十分な食事を摂る事で、昔は四旬節の間40日間、大小斎があったのですけれども、現代では灰の水曜日と聖金曜日だけしか義務が残らなくなりました。聖ピオ十世会では、四旬節の全ての金曜日も大小斎を捧げています。皆さんももしも出来る方は金曜日もお捧げ下さい。しかし少なくとも、灰の水曜日と聖金曜日は、私たちは大小斎を守らなければなりません。イエズス様に寛大にお捧げ致しましょう。

“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」

今日は初土曜日で、四旬節の直前の初土曜ですので、私たちは四旬節をどのように過ごしたら良いか、ファチマのマリア様のアドバイスに従う事にしましょう。

今日初土のミサの時に、詠誦でこうマリア様が私たちに語りかけていたかのようです、“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」そして最後には、「私を見出す者は命を見出し、そして救いを汲み取るだろう。」

ですから私たちも、マリア様の仰りたいという事を、マリア様の道の仰る事をよく聞く事に致しましょう。そしてその事によって、超自然的な良い四旬節を迎える決心を、遷善の決心を致しましょう。

そこで今日は、

⑴四旬節というのは一体何なのか?

⑵マリア様は私たちに、どうやって四旬節を送ったら良いと勧めているのか?を黙想して、

⑶最後に遷善の決心を立てましょう。


⑴四旬節は、イエズス様が公生活を始める前に40日間、荒れ野で夜も昼も断食を行なったという事を記念して、それを真似て私たちも、復活祭の前に復活祭の準備の為に、私たちの罪の償いとして40日間断食を、そして苦業と祈りをするという時期です。イエズス様に私たちも合わせて、イエズス様のように祈り、イエズス様のように償いを果たす、そしてイエズス様がなさった御苦しみを、私たちも少しでも良いので実感する、という事です。

40日間、ですから私たちは祈りを特に、世の喧騒から、あるいはテレビやラジオや映画やYouTubeや、あるいはFacebookやTwitterなどから離れて、40日間、イエズス様の事に心を上げて、そしてイエズス様へと心を向けて、イエズス様と親しくお話をする、「イエズス様、イエズス様の御苦しみはどれほどだったのでしょうか?イエズス様は私に何をお望みですか?」とお話をする、祈りをする特別の時期が与えられる事になります。

そして教会は、私たちが心をイエズス様に上げる事が容易にできる為に、私たちの祈りの敵から、敵に対して戦うように言います。

1つは、私たちの周りにあるものです。周りにあるもの、つまりこの世の快楽や、これがあると簡単だというものに対して、私たちはそれを放棄して、却って辛いかもしれないような事をします。例えば「寒いなぁ」と思っても不平を言わなかったり、それをお捧げしたり、我慢したり、あるいは私たちが持っているものを貧しい人にあげたり、あるいは寄付したり、そして世のものから私たちは離脱しようとします。施し。

あるいは、私たちの身の周りの持ち物のみならず、私たちの体に関して、「お腹が空いた」とか「疲れた」という時には、それをお捧げします。断食。

あるいは、私たちが今度は肉体のみならず、体のみならず、私たちの心で、「これをしたいな。自分の思い通りにしたい」という事を放棄して、従順にイエズス様に従う、などの犠牲を払います。

ですから私たちにとって四旬節は、ますます心を清めて、イエズス様の方へと向ける、最高の時です。


⑵マリア様はちょうどこの精神を、ファチマで教えて来られました。ファチマでは子供たちに、「天主様が天主聖父が、あるいはマリア様が、どれほど人類の罪によって傷付けられておられるか、悲しんでおられるか」という事を見せました。そして子供たちもその様子を見て、「あぁ、天主様がかわいそうだ。天主様はとても悲しんでおられた。僕も償いをしてお慰めしたい」とフランシスコは言いました。「マリア様がとても悲しんでおられた」というのをシスタールチアは見ています。

マリア様はファチマで子供たちに、「祈りと犠牲を捧げるように」とたくさん励ましました、天主をお慰めする為に、そして霊魂を救う為に。特に7月は、7月13日にマリア様は、子供たちに地獄の様子を見せて、「多くの霊魂たちが地獄に落ちている。これが私の悲しみである。地獄に落ちないように、たくさんの祈りと犠牲を捧げなさい」とお頼みになりました。

私たちはこの四旬節に、まさにこの同じ精神を持つようにと招かれています。ファチマ100周年を祝ってしばらく経ったので、このこれをもしかしたら忘れかけていたかもしれません。しかしこの四旬節を機会に、またファチマの初土の信心を、罪の償いの為の信心を行ないましょう。


⑶では私たちはどのようにしたら良いでしょうか?

この今年の四旬節を、マリア様と共に、ヨゼフ様と共に、お捧げ致しましょう。超自然の意向で、つまり「天主をお愛しし、天主を信じ、天主をお慰めし、そしてマリア様をお慰めする」という超自然の意向でお捧げ致しましょう。

第2に、私たちの超自然の信仰と、超自然の希望、超自然の愛は、私たちに天主様のどんでん返しについて教えてくれます。この世で一番最低のものが与えられたと思いきや、実はそれが最高のものに変わるという事を、変える事が天主様はできる、という事です。超自然のやり方によって、それができるという事です。

イエズス様の「十字架」は、「復活」の手段となりました。弟子たちはそれを、残念ながら弟子たちでさえも、使徒たちでさえも、それを信じる事ができなかったほどでした。あまりにもあり得ないような苦しみ、死を、イエズス様が遂げられたからです。「一体なぜこんな事が許されるのか。」

しかし、マリア様だけはそれを信じていました。その超自然の信仰を是非、私たちもこの四旬節に乞い求めましょう。ですからマリア様は唯一、聖金曜日から復活の主日まで、地上で唯一、信仰の灯火を、超自然の信仰を持ち続けた唯一の方でした。ですから土曜日がマリア様に特に捧げられているのは当然の事です。

「私たちになぜ一体こんな辛い事が、こんな酷い事が、こんな苦しみが与えられるのか。なぜこのような事になっているのか」という時には、まさにマリア様と同じこの信仰を乞い求めましょう。

「これには深い理由があって、私たちの最高の善の為に、今は分からないけれども、後にはっきりとわかる理由の為に、これが今、この試練が与えられているのだ」と、「この試練が与えられたが為に、私たちはより多くの栄光を、イエズス様とマリア様に帰す事ができる。そしてより多くの霊魂たちを救う事ができる」と。

では特に小さなお友達に、四旬節をどのように僕たちは過ごしたら良いでしょうか?

特にお祈りを捧げて下さい。もしかしたら、お祈りよりも他のものの方が面白い、というゲームをやったり、他の事が面白おかしいというものがあるかもしれません。しかしイエズス様の御受難や、イエズス様にお話しする為にできるだけ時間を使うようにして下さい。特にゲームよりもよっぽど有意義な時間を迎える事ができます。お友達はテレビなどはもう全く見ていないと思いますけれども、テレビを見たり他の娯楽をするよりも、よっぽど私たちにとって益になります。あるいは勉強する時にも、お母さんのお手伝いをする時にも、あるいは学校に行く時にも、いつもイエズス様にお話をしながら、射祷を唱えながらして下さい。

マリア様は言いました、「子供たちよ、あなた達が犠牲を捧げる時には、こうやって捧げなさい、『イエズス様、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です』と。」

小さなお友達はまだたくさん食べなければならないので、断食をする事はできません。でもお母さんが、「これを食べなさい」と言ったものを、好き嫌いを言わずに全部食べて下さい。それから、もしかしたらコカコーラや、あるいは甘いソーダや、砂糖だらけのお菓子は、イエズス様にお捧げする事ができるかもしれません。おやつはちょっとだけにして、イエズス様にお捧げする事ができるかもしれません。それもファチマの子供たちは、私たちの目から見ると、「あぁ、やりすぎじゃないかな」と心配するほどの犠牲を捧げていました。

お母さんの仰る通りに、それに従順に従う犠牲を捧げて下さい。勉強の宿題の犠牲も捧げて下さい。「早く寝なさい」とお母さんから言われたら、「はい」と従って下さい。そうすると、イエズス様がどれほど祝福して、その従順の心を、犠牲の心を、何倍にも返して祝福して下さる事でしょう。

マリア様に最後に、良い四旬節を送る事ができるように、お祈り致しましょう。

“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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