五日 聖マリアの閉じたる花園
我が妹、我が花嫁よ、汝は閉じたる園(その)なり。 (雅歌四、一 一)
世の始め天主は人(じん)祖(そ)を最も完全にして聖なる者に創(つく)り、これをエデンという楽園に置き給うたが、この園は永久(とこしえ)に春の如く,百花(ひゃっか)爛漫(らんまん)と咲き乱れ、馥郁(ふくいく)の香り天地に満(み)ち、小鳥の歌、楽しげに聞こえ、果物累々(るいるい)と実(みの)り、すべて快(こころよ)き上に不自由というものを知らず、死も病(やまい)もなく、凡(およ)そ人の世の幸福は悉(ことごと)く此処(ここ)に集まって、人(じん)祖(そ)のうけ楽しむに委(まか)せたのである。
しかし天主は園(その)の中央にある唯(ただ)一本の樹(き)の実(み)だけは食する事を禁じ給うた。それは人(じん)祖(そ)を始め、その子孫等の肉身の命と霊魂(れいこん)の命とを永遠に保(たも)つべき智慧(ちえ)の樹(き)の実(み)であった。
ところが人(じん)祖(そ)は或る日悪魔の誘惑(いざない)に乗って禁断(きんだん)の果(このみ)を犯(おか)し、遂に楽園から追放され、後に其の門は固く閉ざされて再び入るによしなく、子孫の代まで病(や)み且つ死する者となる悲運を招いたのであった。
けれども慈悲深い天主は、エデンの自然的、物質的楽園を失った人類に、妙(たえ)なる超自然的、霊的楽園を恵(めぐ)み給うた。それは聖マリアの麗(うるわ)しい霊魂(れいこん)である。
この楽園(らくえん)にも美しい花、見事な果実(くだもの)がえも云われぬ芳香(ほうこう)をはなっている。
例(たと)えば聖霊による歓喜(よろこび)や平安,無上の謙遜(けんそん)、比類なき忠実、完全な貞潔(ていけつ)などがそれである。そしてその中央には天主に対する熱愛が焔々(えんえん)と燃(も)えつつ不思議な智慧の樹(き)の如くに立ち、その梢(こずえ)に人に対する愛と救(すく)霊(い)の果(このみ)をつけている。
けれども最も感ずべきはこの園(その)が堅(かた)く閉じられている事である。それは勿論(もちろん)天主の深い思(おぼ)し召(め)しにもよるが、叉、聖マリア御自身それに忠実に従われなかったならば、こうまで堅(かた)く完全に閉(と)じられる事も出来なかったであろう!
全く聖マリアの聖心(みこころ)の園の扉は堅かった。汚(けがら)わしい世間に置かれても大敵なる悪魔はもとより、さまざまの誘惑(いざない)も罪も、唯(ただ)の一歩も中に入る事が出来なかった。叉、悪(あく)慾(よく)や肉の欲求、無益(むえき)な思いや感じなども、踏(ふ)み込む隙(すき)すらなかったのである。
それに較(くら)べると我等の心の園(その)は何という相違であろう!それはいつでも開(あ)け放(はな)しの状態で、世間の悪い快楽(かいらく)、悪い感化の踏(ふ)み入るに委(まか)せている。
されば悪魔は我が物(もの)顔に横行(おうこう)して悪の種子(たね)をまき、悪(あく)慾(よく)の雑草(ざっそう)ははびこり放題(ほうだい)、無益(むえき)な思考(しこう)や希望は野良犬の如く出入りし、周囲の垣(かき)は倒(たお)され、花は踏(ふ)みにじられ、泉(いずみ)は涸(か)れ、木陰(こかげ)涼しい大木は朽(く)ちて、園(その)というよりは荒野(あれの)になり果(は)てているではないか。もっと我等が注意して、心の扉を閉めておいたならば、天主の聖寵(せいちょう)によって、もう少し美しい花園(はなぞの)になっていた事であろう。
ああ、聖マリアよ、我等の心を御身の愛で給うに足(た)る、閉(と)じられたる花園(はなぞの)となし給え!
それでは心の園(その)を閉じる為にはどうしたらよいか。犠牲の垣根を結(ゆ)い廻(めぐ)らし、克己(こっき)の扉を堅く閉(し)めるのである。即ち五官,殊に目、耳を守り、耐(た)えず襲(おそ)い来る想像を抑(おさ)え、傲慢(ごうまん)、憤怒(ふんど)、復讐(ふくしゅう)等の悪慾をすべて退(しりぞ)け、堅い決心で自我に打ち克(か)つのである。なお善(ぜん)徳の花を培(つちか)う為に、痛悔(つうかい)や様々の償(つぐな)いの水を与え、祈祷(いのり)その他の信心の務(つと)めを以て天主の御祝福の光と御恵(おんめぐみ)の雨を願わなければならぬ。そうすれば我等の心の園(その)にも美しい徳の花が開き、やがては天国の倉(くら)に納(おさ)めらるべき見事な果実(くだもの)が実(みの)るに相違(そうい)ない。
祈 願
ああ、閉じられたる花園(はなぞの)なる聖マリアよ、我等の心も亦、閉じられたる花園とならん事を切に求め奉る。
しこうして我等が危険なる誘惑(いざない)に逢(あ)い、罪悪の淵(ふち)に沈まんとする時、常に御身の閉じられたる花園に隠(かく)れ憩(いこ)い、以て安全に救わるるをえせしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくじ)三度繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
============
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA
我が妹、我が花嫁よ、汝は閉じたる園(その)なり。 (雅歌四、一 一)
世の始め天主は人(じん)祖(そ)を最も完全にして聖なる者に創(つく)り、これをエデンという楽園に置き給うたが、この園は永久(とこしえ)に春の如く,百花(ひゃっか)爛漫(らんまん)と咲き乱れ、馥郁(ふくいく)の香り天地に満(み)ち、小鳥の歌、楽しげに聞こえ、果物累々(るいるい)と実(みの)り、すべて快(こころよ)き上に不自由というものを知らず、死も病(やまい)もなく、凡(およ)そ人の世の幸福は悉(ことごと)く此処(ここ)に集まって、人(じん)祖(そ)のうけ楽しむに委(まか)せたのである。
しかし天主は園(その)の中央にある唯(ただ)一本の樹(き)の実(み)だけは食する事を禁じ給うた。それは人(じん)祖(そ)を始め、その子孫等の肉身の命と霊魂(れいこん)の命とを永遠に保(たも)つべき智慧(ちえ)の樹(き)の実(み)であった。
ところが人(じん)祖(そ)は或る日悪魔の誘惑(いざない)に乗って禁断(きんだん)の果(このみ)を犯(おか)し、遂に楽園から追放され、後に其の門は固く閉ざされて再び入るによしなく、子孫の代まで病(や)み且つ死する者となる悲運を招いたのであった。
けれども慈悲深い天主は、エデンの自然的、物質的楽園を失った人類に、妙(たえ)なる超自然的、霊的楽園を恵(めぐ)み給うた。それは聖マリアの麗(うるわ)しい霊魂(れいこん)である。
この楽園(らくえん)にも美しい花、見事な果実(くだもの)がえも云われぬ芳香(ほうこう)をはなっている。
例(たと)えば聖霊による歓喜(よろこび)や平安,無上の謙遜(けんそん)、比類なき忠実、完全な貞潔(ていけつ)などがそれである。そしてその中央には天主に対する熱愛が焔々(えんえん)と燃(も)えつつ不思議な智慧の樹(き)の如くに立ち、その梢(こずえ)に人に対する愛と救(すく)霊(い)の果(このみ)をつけている。
けれども最も感ずべきはこの園(その)が堅(かた)く閉じられている事である。それは勿論(もちろん)天主の深い思(おぼ)し召(め)しにもよるが、叉、聖マリア御自身それに忠実に従われなかったならば、こうまで堅(かた)く完全に閉(と)じられる事も出来なかったであろう!
全く聖マリアの聖心(みこころ)の園の扉は堅かった。汚(けがら)わしい世間に置かれても大敵なる悪魔はもとより、さまざまの誘惑(いざない)も罪も、唯(ただ)の一歩も中に入る事が出来なかった。叉、悪(あく)慾(よく)や肉の欲求、無益(むえき)な思いや感じなども、踏(ふ)み込む隙(すき)すらなかったのである。
それに較(くら)べると我等の心の園(その)は何という相違であろう!それはいつでも開(あ)け放(はな)しの状態で、世間の悪い快楽(かいらく)、悪い感化の踏(ふ)み入るに委(まか)せている。
されば悪魔は我が物(もの)顔に横行(おうこう)して悪の種子(たね)をまき、悪(あく)慾(よく)の雑草(ざっそう)ははびこり放題(ほうだい)、無益(むえき)な思考(しこう)や希望は野良犬の如く出入りし、周囲の垣(かき)は倒(たお)され、花は踏(ふ)みにじられ、泉(いずみ)は涸(か)れ、木陰(こかげ)涼しい大木は朽(く)ちて、園(その)というよりは荒野(あれの)になり果(は)てているではないか。もっと我等が注意して、心の扉を閉めておいたならば、天主の聖寵(せいちょう)によって、もう少し美しい花園(はなぞの)になっていた事であろう。
ああ、聖マリアよ、我等の心を御身の愛で給うに足(た)る、閉(と)じられたる花園(はなぞの)となし給え!
それでは心の園(その)を閉じる為にはどうしたらよいか。犠牲の垣根を結(ゆ)い廻(めぐ)らし、克己(こっき)の扉を堅く閉(し)めるのである。即ち五官,殊に目、耳を守り、耐(た)えず襲(おそ)い来る想像を抑(おさ)え、傲慢(ごうまん)、憤怒(ふんど)、復讐(ふくしゅう)等の悪慾をすべて退(しりぞ)け、堅い決心で自我に打ち克(か)つのである。なお善(ぜん)徳の花を培(つちか)う為に、痛悔(つうかい)や様々の償(つぐな)いの水を与え、祈祷(いのり)その他の信心の務(つと)めを以て天主の御祝福の光と御恵(おんめぐみ)の雨を願わなければならぬ。そうすれば我等の心の園(その)にも美しい徳の花が開き、やがては天国の倉(くら)に納(おさ)めらるべき見事な果実(くだもの)が実(みの)るに相違(そうい)ない。
祈 願
ああ、閉じられたる花園(はなぞの)なる聖マリアよ、我等の心も亦、閉じられたる花園とならん事を切に求め奉る。
しこうして我等が危険なる誘惑(いざない)に逢(あ)い、罪悪の淵(ふち)に沈まんとする時、常に御身の閉じられたる花園に隠(かく)れ憩(いこ)い、以て安全に救わるるをえせしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくじ)三度繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
============
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
============
사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
임시 웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA