2019年5月18日(土)殉教者聖ヴェナンチオのミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年5月18日、聖ヴェナンチオ殉教者のミサをしています。
今日このミサの後に、ミサの後の感謝の祈りの後に、聖体降福式があります。
この聖体降福式は特に、今世界中でテロリズムで罪のない人たちが攻撃されていますが、特に日本の国が守られますように、そして日本で、日本に聖ピオ十世会の修道院が、司祭が常駐しますように、一刻も早くそれが実現しますように、特にお願いしたいと思っています。どうぞ御聖体降福式に与って下さい。
とても良いニュースがあります。明日、主日のミサが10時半からここであります。
そして私たちの御恵みを日本中にマリア様を通してお願いする為に、聖母行列もあります。たくさんの方が聖母行列に参加するように祈っています。マリア様がますます愛されますように、そしてマリア様を通してイエズス様が、多くの日本の人々の心に行きますように、世界中の人々の心に行きますように、お祈りしましょう。
明日主日のミサがあります、朝10時半です。聖母行列にお友達を連れて来て下さい。
更にもっと良いニュースがあります。5月は、4月28日から1ヶ月間、ほぼ毎日のようにここでミサがあるようになりました。来週もまた、明日の主日から毎日、次の月曜日まで毎日ミサがあるようになりました。
キンボル神父様という聖ピオ十世会の神父様が、「大阪で毎日ミサを捧げる」と仰って下さって、「休暇で来る」と仰っています。ですからどうぞ皆さん与って行って下さい。
「私に留まれ。そうすれば私は、お前たちに留まる。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖ヴェナンチオ殉教者のミサをしています。
⑴簡単に聖ヴェナンチオがどのような殉教者であったのかを黙想して、
⑵今日この聖ヴェナンチオが私たちに何を訴えているのか、
⑶私たちは何をしたら良いのか、
を黙想致しましょう。
⑴聖ヴェナンチオをというのは、イタリアのカメリーノという、イタリア半島があるとすると、ローマの反対側のアドリア海の方にある小さな村に生きていた、3世紀に生きていた15歳の少年でした。
ちょうどその当時、ローマ皇帝デキウスという皇帝が残酷で、3年間ローマ皇帝として統治しましたが、その3年間の間に起こった出来事です。
聖ヴェナンチオはカトリック信者、キリスト教を信じているという事で、残酷な拷問を受けました。まず最初に鞭打たれました。ローマの鞭打ちは残酷で有名です。15歳の少年、「カトリックだ」、中学3年生、「カトリックだ」、残酷にローマの兵士たちから鞭打たれました。息絶え絶えに、血をダラダラと流しましたが、しかしヴェナンチオは死ぬ事はありませんでした。全てをイエズス様に捧げておりました。
それでも息の根が尽きなかったのを見て、今度は燃える松明を持って、ヴェナンチオを焼こうとします。しかし不思議な事にその火は、ヴェナンチオに火傷を与えませんでした。燃やそう燃やそうとしても、ヴェナンチオは苦しむばかりでしたが、息は絶えずに命はそのまま保たれています。
今度は、15歳のこの子供を逆さ吊りにして、下には火を焚いて、煙をボウボウと出させて、息もできないうちに逆さ吊りにしました、窒息死させようと。ゴホゴホとヴェナンチオは非常に苦しんでいましたが、それでもそれを耐え忍んでいました。それを耐え忍ぶどころか、今度はイエズス・キリスト様の事を、「真の救い主だ!皆はこれを信じるように!」と、イエズス様の御説教をし出したのです。
それを見て非常に怒ったローマ皇帝は、最終兵器を取り出しました。飢えたライオンたちでした。
ヴェナンチオがそこに横たわって、獰猛な唸り声を上げて腹を空かせたライオンたちをヴェナンチオの元にやります。本当ならばあっという間にこれを食い尽くして裂きちぎってしまうところでしたが、そのライオンはあたかも子猫のように、あるいは子羊のように、ヴェナンチオの前に座っておとなしくしているだけで、何の害も与えませんでした。
ヴェナンチオは更にこれを機会に、皆にイエズス・キリストの事を説教します、「イエズス・キリストこそ本当の救い主だ!十字架に付けられて復活した、私たちの罪の償いをして下さったイエズス・キリスト以外に救いはない!イエズス・キリストを信じるように!イエズス・キリストにこそ命がある!」
そしてとうとう怒った刑吏等は、そのライオン等を外して、そして彼の首を切り、殉教を果たしました。250年、聖ヴェナンチオは15歳の時でした。
そこからその時から、特にイタリアでは聖ヴェナンチオを尊敬して、記念して祝っていました。カメリーノの元司教であった教皇クレメンテ10世が、彼を正式にローマの世界中の典礼暦に入れます。今でもその墓は、カメリーノの聖ヴェナンチオの教会にあります。
⑵彼の勇敢な、拷問に耐え忍んでイエズス・キリストの愛に留まった、この彼の殉教は私たちに、一体何を教えているのでしょうか?
聖ヴェナンチオはもしかしたら、まだ若いから、15歳だから、「まだ人生を楽しみたい」と言う事もできたかもしれません。あるいは、「ちょっとだけ、今回はちょっとだけ妥協して、今度別の機会に、後で殉教すれば良い」あるいは、「今回はちょっとだけで妥協したふりをして、そして生き延びよう」あるいは、「何とかするように」という誘惑を受けたかもしれません。
しかし彼は、「いや、私はイエズス・キリストを信じる。イエズス・キリストの為に全てを捧げる。イエズス様の望みのままに。決してイエズス様を否定したくはない。イエズス様に従いたい」と、寛大な心でイエズス様に応えました、その御恵みに応えました。
そこでイエズス様は、いかなる害も彼に、苦しんだけれども、しかし命をそのまま保たせる事ができるようにしました。
イエズス様は言います、「私の愛に留まれ。私に留まれ。そうすれば私も留まる。もしも私に留まるならば、多くの実を結ぶだろう。私はぶどうの木であり、お前たちはその枝だ。私の聖父は農夫だ。私が、良く実を結ぶように伐採するだろう、剪定するだろう。そして苦しむかもしれないが、多くの実を結ぶだろう。ただ私に留まれ。」
聖ヴェナンチオは、イエズス様に留まりました。そして多くの実を結びました。
⑶では、私たちは何ができるでしょうか?聖ヴェナンチオのように15歳の若い子供ができたのならば、私たちに一体何ができるでしょうか?
イエズス様は私たちに、日々小さな殉教を送って下さいます。朝起きる時から、目覚まし時計が鳴った時から、あるいはご飯を食べる時から、おしゃべりをする、あるいはお祈りをする、あるいはインターネットのニュースを見る、あるいはその他仕事をする、友人との関係、あるいはその他日々の生活で、私たちは「イエズス様の御旨、イエズス様が御望みである」という事と、あるいは「イエズス様を否定して、自分の思い通りにやったらどうか」という誘惑、そして私たちは、どちらかを取らなければなりません。
イエズス様に「はい」と言って、殉教の精神で、「イエズス様を否定しろ」という誘いの声を、「いや、嫌だ!」と言うか、あるいはイエズス様を否定して「ちょっとこのぐらいなら。また後で。あぁ、少しぐらい」と言うか。
イエズス様は私たちに言います、「私はぶどうの木だ。お前たちは枝だ。私に留まれ。私の愛に留まれ。そうしたら私はお前たちと共にいる。私がいなければお前たちは何もできない。しかし私に留まるならば、何でも祈れ。私はお前たちがそれを受ける事ができるように、聖父に祈ろう。もしも私から離れてしまえば、お前たちは枯れて、集められて、燃やされてしまう。つまり地獄に落ちてしまう。私に留まれ。」
今日は聖ヴェナンチオの特別のその寛大な殉教の心を、その模範を見て私たちも、日々の小さな殉教をする寛大な心を乞い求めましょう。
マリア様にお願いしましょう、「マリア様、私たちがいつもイエズス様と共に留まっている事ができますように、マリア様の御取り次ぎによりて、マリア様に倣って、日々の殉教を達成する事ができるように、私たちに寛大な心を取り次いで下さい。」
イエズス様にいつも「はい」と言う事ができますように、マリア様に倣う事ができますように、お祈り致しましょう。
「私に留まれ。そうすれば私は、お前たちと共に留まる。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年5月18日、聖ヴェナンチオ殉教者のミサをしています。
今日このミサの後に、ミサの後の感謝の祈りの後に、聖体降福式があります。
この聖体降福式は特に、今世界中でテロリズムで罪のない人たちが攻撃されていますが、特に日本の国が守られますように、そして日本で、日本に聖ピオ十世会の修道院が、司祭が常駐しますように、一刻も早くそれが実現しますように、特にお願いしたいと思っています。どうぞ御聖体降福式に与って下さい。
とても良いニュースがあります。明日、主日のミサが10時半からここであります。
そして私たちの御恵みを日本中にマリア様を通してお願いする為に、聖母行列もあります。たくさんの方が聖母行列に参加するように祈っています。マリア様がますます愛されますように、そしてマリア様を通してイエズス様が、多くの日本の人々の心に行きますように、世界中の人々の心に行きますように、お祈りしましょう。
明日主日のミサがあります、朝10時半です。聖母行列にお友達を連れて来て下さい。
更にもっと良いニュースがあります。5月は、4月28日から1ヶ月間、ほぼ毎日のようにここでミサがあるようになりました。来週もまた、明日の主日から毎日、次の月曜日まで毎日ミサがあるようになりました。
キンボル神父様という聖ピオ十世会の神父様が、「大阪で毎日ミサを捧げる」と仰って下さって、「休暇で来る」と仰っています。ですからどうぞ皆さん与って行って下さい。
「私に留まれ。そうすれば私は、お前たちに留まる。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖ヴェナンチオ殉教者のミサをしています。
⑴簡単に聖ヴェナンチオがどのような殉教者であったのかを黙想して、
⑵今日この聖ヴェナンチオが私たちに何を訴えているのか、
⑶私たちは何をしたら良いのか、
を黙想致しましょう。
⑴聖ヴェナンチオをというのは、イタリアのカメリーノという、イタリア半島があるとすると、ローマの反対側のアドリア海の方にある小さな村に生きていた、3世紀に生きていた15歳の少年でした。
ちょうどその当時、ローマ皇帝デキウスという皇帝が残酷で、3年間ローマ皇帝として統治しましたが、その3年間の間に起こった出来事です。
聖ヴェナンチオはカトリック信者、キリスト教を信じているという事で、残酷な拷問を受けました。まず最初に鞭打たれました。ローマの鞭打ちは残酷で有名です。15歳の少年、「カトリックだ」、中学3年生、「カトリックだ」、残酷にローマの兵士たちから鞭打たれました。息絶え絶えに、血をダラダラと流しましたが、しかしヴェナンチオは死ぬ事はありませんでした。全てをイエズス様に捧げておりました。
それでも息の根が尽きなかったのを見て、今度は燃える松明を持って、ヴェナンチオを焼こうとします。しかし不思議な事にその火は、ヴェナンチオに火傷を与えませんでした。燃やそう燃やそうとしても、ヴェナンチオは苦しむばかりでしたが、息は絶えずに命はそのまま保たれています。
今度は、15歳のこの子供を逆さ吊りにして、下には火を焚いて、煙をボウボウと出させて、息もできないうちに逆さ吊りにしました、窒息死させようと。ゴホゴホとヴェナンチオは非常に苦しんでいましたが、それでもそれを耐え忍んでいました。それを耐え忍ぶどころか、今度はイエズス・キリスト様の事を、「真の救い主だ!皆はこれを信じるように!」と、イエズス様の御説教をし出したのです。
それを見て非常に怒ったローマ皇帝は、最終兵器を取り出しました。飢えたライオンたちでした。
ヴェナンチオがそこに横たわって、獰猛な唸り声を上げて腹を空かせたライオンたちをヴェナンチオの元にやります。本当ならばあっという間にこれを食い尽くして裂きちぎってしまうところでしたが、そのライオンはあたかも子猫のように、あるいは子羊のように、ヴェナンチオの前に座っておとなしくしているだけで、何の害も与えませんでした。
ヴェナンチオは更にこれを機会に、皆にイエズス・キリストの事を説教します、「イエズス・キリストこそ本当の救い主だ!十字架に付けられて復活した、私たちの罪の償いをして下さったイエズス・キリスト以外に救いはない!イエズス・キリストを信じるように!イエズス・キリストにこそ命がある!」
そしてとうとう怒った刑吏等は、そのライオン等を外して、そして彼の首を切り、殉教を果たしました。250年、聖ヴェナンチオは15歳の時でした。
そこからその時から、特にイタリアでは聖ヴェナンチオを尊敬して、記念して祝っていました。カメリーノの元司教であった教皇クレメンテ10世が、彼を正式にローマの世界中の典礼暦に入れます。今でもその墓は、カメリーノの聖ヴェナンチオの教会にあります。
⑵彼の勇敢な、拷問に耐え忍んでイエズス・キリストの愛に留まった、この彼の殉教は私たちに、一体何を教えているのでしょうか?
聖ヴェナンチオはもしかしたら、まだ若いから、15歳だから、「まだ人生を楽しみたい」と言う事もできたかもしれません。あるいは、「ちょっとだけ、今回はちょっとだけ妥協して、今度別の機会に、後で殉教すれば良い」あるいは、「今回はちょっとだけで妥協したふりをして、そして生き延びよう」あるいは、「何とかするように」という誘惑を受けたかもしれません。
しかし彼は、「いや、私はイエズス・キリストを信じる。イエズス・キリストの為に全てを捧げる。イエズス様の望みのままに。決してイエズス様を否定したくはない。イエズス様に従いたい」と、寛大な心でイエズス様に応えました、その御恵みに応えました。
そこでイエズス様は、いかなる害も彼に、苦しんだけれども、しかし命をそのまま保たせる事ができるようにしました。
イエズス様は言います、「私の愛に留まれ。私に留まれ。そうすれば私も留まる。もしも私に留まるならば、多くの実を結ぶだろう。私はぶどうの木であり、お前たちはその枝だ。私の聖父は農夫だ。私が、良く実を結ぶように伐採するだろう、剪定するだろう。そして苦しむかもしれないが、多くの実を結ぶだろう。ただ私に留まれ。」
聖ヴェナンチオは、イエズス様に留まりました。そして多くの実を結びました。
⑶では、私たちは何ができるでしょうか?聖ヴェナンチオのように15歳の若い子供ができたのならば、私たちに一体何ができるでしょうか?
イエズス様は私たちに、日々小さな殉教を送って下さいます。朝起きる時から、目覚まし時計が鳴った時から、あるいはご飯を食べる時から、おしゃべりをする、あるいはお祈りをする、あるいはインターネットのニュースを見る、あるいはその他仕事をする、友人との関係、あるいはその他日々の生活で、私たちは「イエズス様の御旨、イエズス様が御望みである」という事と、あるいは「イエズス様を否定して、自分の思い通りにやったらどうか」という誘惑、そして私たちは、どちらかを取らなければなりません。
イエズス様に「はい」と言って、殉教の精神で、「イエズス様を否定しろ」という誘いの声を、「いや、嫌だ!」と言うか、あるいはイエズス様を否定して「ちょっとこのぐらいなら。また後で。あぁ、少しぐらい」と言うか。
イエズス様は私たちに言います、「私はぶどうの木だ。お前たちは枝だ。私に留まれ。私の愛に留まれ。そうしたら私はお前たちと共にいる。私がいなければお前たちは何もできない。しかし私に留まるならば、何でも祈れ。私はお前たちがそれを受ける事ができるように、聖父に祈ろう。もしも私から離れてしまえば、お前たちは枯れて、集められて、燃やされてしまう。つまり地獄に落ちてしまう。私に留まれ。」
今日は聖ヴェナンチオの特別のその寛大な殉教の心を、その模範を見て私たちも、日々の小さな殉教をする寛大な心を乞い求めましょう。
マリア様にお願いしましょう、「マリア様、私たちがいつもイエズス様と共に留まっている事ができますように、マリア様の御取り次ぎによりて、マリア様に倣って、日々の殉教を達成する事ができるように、私たちに寛大な心を取り次いで下さい。」
イエズス様にいつも「はい」と言う事ができますように、マリア様に倣う事ができますように、お祈り致しましょう。
「私に留まれ。そうすれば私は、お前たちと共に留まる。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。