アヴェ・マリア・インマクラータ!
2019年6月2日(主日)御昇天後の主日のミサ
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年6月2日、主の御昇天の後の主日の御ミサを捧げております。
お知らせがあります。
このミサの後にいつもの通り、第一主日の聖体降福式があります。
それからその後、去年もそうしたように、マーチ・フォー・ライフの今年の為の招待の録画をしたいと思います。もしも皆さんもご参加して下されば嬉しくおります。特に小さなお友達が一緒にして下さると嬉しく思います。特に去年は多くのラテンアメリカの方々がたくさん参加されたので、その方々が参加する事ができるようにメッセージを呼びかけたいと思っています。
今日朝ミサの前に告解ができなかった方の為に告解もあります。
今日のお昼の後に、侍者の方の集いがあります。特に7月には荘厳ミサが予定されているので、それの準備の為の会合があります、よろしくお願いします。
16時頃からいつもの通り晩課があります。
6月と7月の予定については、皆さんこの配られたスケジュールをご覧下さい。
「私は、お前たちを孤児としては残さない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、
今日この御説教で、3つの点を申し上げたいと思います。
「この一週間をどのように過ごすべきか」という事が、私たちにとっての一番の関心事です。何故なら次の来たる主日は聖霊降臨だからです。
その為の遷善の決心を、その準備をどのようにしたら良いか、という事を一緒に黙想する事に致しましょう。
3点あります。
第1は、典礼の特別な恵みです。
有名なドン・マルミオンというベネディクト会修道院長は、色々な霊的な書物を書いています。その最も核心のメッセージは何かというと、「イエズス様は、その花嫁であるキリストの神秘体カトリック教会の典礼を通して、御自分の御恵みを、その典礼にふさわしい御恵みを与える。クリスマスならばクリスマスにふさわしい御恵みを、聖霊降臨ならば聖霊降臨の御恵みを、あたかも私たちが使徒たちがその時代に生きていたかのように、その御恵みを与える。だからその典礼暦に従って、典礼の精神に入って祈りと一致する事は非常にふさわしい事であって、イエズス様の御望みであって、教会が望む事である。」
では今日、一体、どのような典礼歴の時にあるのでしょうか?
先週の木曜日、私たちの主の御昇天でした。イエズス様が御自分の天主の力によって、天に上がられました。「使徒たちは」福音によると、「天をずっと見上げて、イエズス様の方を見上げていた」とあります。
ちょうどそれが主の昇天の精神でした。「私たちも心を天に上げて、私たちの遂に至るべき行くべき所は天にある。私たちの究極の家は、祖国は、帰る家は、天にある。天の永遠の幸せ、天のイエズス様との諸聖人との円居(まどい)をいつも憧れて、心を天に向けている。」これが御昇天の祝日の核心でした。
ところが福音の次を読むと、「天使たちがやって来て、『ガリレアの人たちは一体、天を見上げてポカンと何をしているのか。さぁ、主は今昇られたと同じように帰ってくる。さぁ、その準備をしなさい。』」と。
今日教会は天使の代わりに、天をずっと向いている私たちに、心が天に向けられた私たちに、「さぁ、主は帰ってくる。準備をしなさい、祈りなさい。“vigilate in orationibus.”」
聖パウロは言います、「祈りで警戒せよ。祈りにおいて、寝ずに番をしていろ」と、「常に目覚めて祈りをしていろ。」
“vigilate in orationibus.”
「祈れ」と私たちに招いています。
第2の点。では一体教会はどのように祈ろうと、何を祈ろうと勧めているのでしょうか?
それは、「聖霊が降臨する。イエズス様は私たちを一人では、孤児として親無しに残してはおかない。もう一度来る。」「私は行く、そしてまた来る。お前たちの元に来る」と言います。これがアレルヤ誦です。
福音を読むと、「私は聖霊を送る」とあります。聖霊はイエズス様の御名によって私たちに送られて、そしていわば言ってみれば、聖霊とイエズス様は一体です。同じ三位一体の天主でありますから。聖霊はイエズス様の御名によりて、目に見えない形で私たちの元にやって来ます。
イエズス様は私たちに御聖体の形でも留まります。そして目に見えない聖霊の形でも、私たちに与えられます。「洗礼を受けた者には、聖父と聖子と聖霊が住まわれる」という事です。
御聖体もそうですけれども、聖霊が私たちの元にやって来るという事も、一時的な事ではありません。私たちの元に常に留まり給うのです。私たちの元に三位一体は住まいを築くからです。聖霊といつも一緒になっている事ができるという事です。
第3の点は、私たちの決心です。
では私たちはその為にはどうしたら良いでしょうか?聖霊をどのようにしたら受ける事ができるでしょうか?
「祈り」をしなければなりません、「聖霊来たり給え。」そして、聖霊を受ける為の「心の準備」をしなければなりません。「祈り」による準備と、あと私たちの「愛」による準備です。
聖霊は天主は、罪と同居する事ができません、共存する事ができません。罪のある所には、聖霊は入る事はできません。私たち、「天主」ではなくて「私」がいる所には、聖霊は入る事ができません。謙遜が必要です。「私たちの力では何もできない。イエズス・キリストの御力と聖霊の導きが必要だ」という心が必要です。
一体どうしたらそのような心を持つ事ができるでしょうか?
秘密は「マリア様」です。マリア様は、聖霊に1度も「No」と言った事がない、イエズス様を御胎内に宿したそのマリア様は、聖霊にいつも100%、その御旨を果たしていました。聖霊の導きのままにいました。
古代から教父たちは、もちろんマリア様と聖霊は、マリア様は人間であって聖霊は天主でありますから、このような言い方は非常におかしいのですけれども、しかしマリア様と聖霊があまりにも一体化していて、あまりにも一致していたので、聖母は聖霊の浄配と呼びました。
マリア様が、聖霊があたかもそこに生き写って住んでいるかのように、「聖霊の見えるイコンである」と呼ばれたり、あるいは「聖霊の聖なる配偶者、浄配である。聖霊の妻である」とよばれました。
「なぜかというと、マリア様のなさる事はつまり、聖霊のなさる事だから。それほどまで一つとなっている」と教父たちは言っています。
私たちが聖霊を受ける準備をする為に、祈りと、特にマリア様に対する祈りが必要です。謙遜なマリア様に。今日残る10日、この聖霊降臨の準備をする事に致しましょう。マリア様の御取次ぎによって準備を致しましょう。
「私は、あなたたちを孤児としては残さない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
2019年6月2日(主日)御昇天後の主日のミサ
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年6月2日、主の御昇天の後の主日の御ミサを捧げております。
お知らせがあります。
このミサの後にいつもの通り、第一主日の聖体降福式があります。
それからその後、去年もそうしたように、マーチ・フォー・ライフの今年の為の招待の録画をしたいと思います。もしも皆さんもご参加して下されば嬉しくおります。特に小さなお友達が一緒にして下さると嬉しく思います。特に去年は多くのラテンアメリカの方々がたくさん参加されたので、その方々が参加する事ができるようにメッセージを呼びかけたいと思っています。
今日朝ミサの前に告解ができなかった方の為に告解もあります。
今日のお昼の後に、侍者の方の集いがあります。特に7月には荘厳ミサが予定されているので、それの準備の為の会合があります、よろしくお願いします。
16時頃からいつもの通り晩課があります。
6月と7月の予定については、皆さんこの配られたスケジュールをご覧下さい。
「私は、お前たちを孤児としては残さない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、
今日この御説教で、3つの点を申し上げたいと思います。
「この一週間をどのように過ごすべきか」という事が、私たちにとっての一番の関心事です。何故なら次の来たる主日は聖霊降臨だからです。
その為の遷善の決心を、その準備をどのようにしたら良いか、という事を一緒に黙想する事に致しましょう。
3点あります。
第1は、典礼の特別な恵みです。
有名なドン・マルミオンというベネディクト会修道院長は、色々な霊的な書物を書いています。その最も核心のメッセージは何かというと、「イエズス様は、その花嫁であるキリストの神秘体カトリック教会の典礼を通して、御自分の御恵みを、その典礼にふさわしい御恵みを与える。クリスマスならばクリスマスにふさわしい御恵みを、聖霊降臨ならば聖霊降臨の御恵みを、あたかも私たちが使徒たちがその時代に生きていたかのように、その御恵みを与える。だからその典礼暦に従って、典礼の精神に入って祈りと一致する事は非常にふさわしい事であって、イエズス様の御望みであって、教会が望む事である。」
では今日、一体、どのような典礼歴の時にあるのでしょうか?
先週の木曜日、私たちの主の御昇天でした。イエズス様が御自分の天主の力によって、天に上がられました。「使徒たちは」福音によると、「天をずっと見上げて、イエズス様の方を見上げていた」とあります。
ちょうどそれが主の昇天の精神でした。「私たちも心を天に上げて、私たちの遂に至るべき行くべき所は天にある。私たちの究極の家は、祖国は、帰る家は、天にある。天の永遠の幸せ、天のイエズス様との諸聖人との円居(まどい)をいつも憧れて、心を天に向けている。」これが御昇天の祝日の核心でした。
ところが福音の次を読むと、「天使たちがやって来て、『ガリレアの人たちは一体、天を見上げてポカンと何をしているのか。さぁ、主は今昇られたと同じように帰ってくる。さぁ、その準備をしなさい。』」と。
今日教会は天使の代わりに、天をずっと向いている私たちに、心が天に向けられた私たちに、「さぁ、主は帰ってくる。準備をしなさい、祈りなさい。“vigilate in orationibus.”」
聖パウロは言います、「祈りで警戒せよ。祈りにおいて、寝ずに番をしていろ」と、「常に目覚めて祈りをしていろ。」
“vigilate in orationibus.”
「祈れ」と私たちに招いています。
第2の点。では一体教会はどのように祈ろうと、何を祈ろうと勧めているのでしょうか?
それは、「聖霊が降臨する。イエズス様は私たちを一人では、孤児として親無しに残してはおかない。もう一度来る。」「私は行く、そしてまた来る。お前たちの元に来る」と言います。これがアレルヤ誦です。
福音を読むと、「私は聖霊を送る」とあります。聖霊はイエズス様の御名によって私たちに送られて、そしていわば言ってみれば、聖霊とイエズス様は一体です。同じ三位一体の天主でありますから。聖霊はイエズス様の御名によりて、目に見えない形で私たちの元にやって来ます。
イエズス様は私たちに御聖体の形でも留まります。そして目に見えない聖霊の形でも、私たちに与えられます。「洗礼を受けた者には、聖父と聖子と聖霊が住まわれる」という事です。
御聖体もそうですけれども、聖霊が私たちの元にやって来るという事も、一時的な事ではありません。私たちの元に常に留まり給うのです。私たちの元に三位一体は住まいを築くからです。聖霊といつも一緒になっている事ができるという事です。
第3の点は、私たちの決心です。
では私たちはその為にはどうしたら良いでしょうか?聖霊をどのようにしたら受ける事ができるでしょうか?
「祈り」をしなければなりません、「聖霊来たり給え。」そして、聖霊を受ける為の「心の準備」をしなければなりません。「祈り」による準備と、あと私たちの「愛」による準備です。
聖霊は天主は、罪と同居する事ができません、共存する事ができません。罪のある所には、聖霊は入る事はできません。私たち、「天主」ではなくて「私」がいる所には、聖霊は入る事ができません。謙遜が必要です。「私たちの力では何もできない。イエズス・キリストの御力と聖霊の導きが必要だ」という心が必要です。
一体どうしたらそのような心を持つ事ができるでしょうか?
秘密は「マリア様」です。マリア様は、聖霊に1度も「No」と言った事がない、イエズス様を御胎内に宿したそのマリア様は、聖霊にいつも100%、その御旨を果たしていました。聖霊の導きのままにいました。
古代から教父たちは、もちろんマリア様と聖霊は、マリア様は人間であって聖霊は天主でありますから、このような言い方は非常におかしいのですけれども、しかしマリア様と聖霊があまりにも一体化していて、あまりにも一致していたので、聖母は聖霊の浄配と呼びました。
マリア様が、聖霊があたかもそこに生き写って住んでいるかのように、「聖霊の見えるイコンである」と呼ばれたり、あるいは「聖霊の聖なる配偶者、浄配である。聖霊の妻である」とよばれました。
「なぜかというと、マリア様のなさる事はつまり、聖霊のなさる事だから。それほどまで一つとなっている」と教父たちは言っています。
私たちが聖霊を受ける準備をする為に、祈りと、特にマリア様に対する祈りが必要です。謙遜なマリア様に。今日残る10日、この聖霊降臨の準備をする事に致しましょう。マリア様の御取次ぎによって準備を致しましょう。
「私は、あなたたちを孤児としては残さない。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。