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証聖者ゴンザガの聖アロイジオのミサ 説教 全世界の王であるよりも天主の子供であるほうがもっと良い。

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2019年6月21日(金)証聖者ゴンザガの聖アロイジオのミサ
小野田神父 説教


「ゴンザガの聖アロイジオ、我らの為に祈り給え。」


全世界の王であるよりも、天主の子供であるほうがもっと良い。
"It is better to be the child of God than king of the whole world." -- St. Aloysius Gonzaga
Photo Credit

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日はゴンザガの聖アロイジオの祝日です。昨日は御聖体の大祝日でしたが、御聖体によって養われた、天使のパンを食していたゴンザガの聖アロイジオは、天使のパンによって天使のような聖徳を身に付けて、そして天に上げられました。若くして、24歳で亡くなりました。

そこで今日は、
⑴聖アロイジオの生涯を黙想して、
⑵遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴ゴンザガの聖アロイジオは、1568年に高貴な家庭に生まれました。イタリアの高位貴族フェルディナンド・デ・ゴンザガ侯爵(侯爵は公爵の次の位)の長男で、マントヴァの近くのカスティリョーネ城主の跡取りで、フィレンツェでの宮廷で9歳の時から仕えていました。ルネッサンス期のイタリアの乱れた風紀に対して、聖アロイジオは、すでに12歳の時には、フィレンツェで聖母の祭壇の前で貞潔の誓願を立てました。

聖カロロ・ボロメオに出会い、聖人の指導によって、初聖体も受けました。

1582年、スペインの王皇帝フィリップ2世の宮廷に仕えるしもべとして、またゴンザガ家の跡取りとして、スペインのマドリッドに宮廷生活を送るために送られました。

しかしゴンザガの聖アロイジオは、幼い時から罪の無い、汚れの無い生活を送り、それと同時に犠牲の生活、罪の償いの生活も送っていました。

そこで、宮廷での生活はもちろん、誘惑や面白おかしい事もたくさんあったのでしょうが、それを全て避けました。特にフィリップ2世の王女である、オーストリアのマリア皇后の顔は、好奇心を抑えるために一度も見た事がなかったそうです。

祈りに熱心で、5時間続けてお祈りしても、決して雑念が入る事がなかったと言われています。

イエズス会の聴罪司祭の指導を受けるようになって、「自分もイエズス会に入りたい」と思いました。17歳でマドリッドから帰ると父親にイエズス会入会の許可を願います。父は猛反対します。3年間父親を説得します。非常に困難な説得でした。しかし、父は長男の揺るがない決心を見て遂に入会の許可を与え、聖アロイジオは1587年にイエズス会に入会します。

入会前の1585年7月に、マントヴァという所で聖イグナチオによる霊操の修行をしていました。

ちょうどその時に天正遣欧少年使節が、中浦ジュリアンたちがヨーロッパにやって来ていて、ローマでグレゴリオ13世と謁見した後、帰路につきロレットの聖母の家に巡礼し、その後ロンバルディア地方にやって来て、7月にマントヴァに来ました。公爵を始めマントヴァすべてがお祭りで遣欧少年使節を大歓迎しました。

同じイエズス会のこの彼らが歓迎を受けているのを知って、ちょうど同じ所にいたのです。しかしゴンザガの聖アロイジオは、好奇心を抑えるために、犠牲としてそれを、会う事はしなかったのだそうです。しかしすぐ近くにいました。暑い7月でしたが、部屋にこもって祈りに専念していました。(*)

イエズス会の会員として、特に天主に対する祈りと、そして罪の償いの為の犠牲、そして愛徳の業に励みました。癩病が流行した時に、その看護の為に身を尽くして、看護して、遂に癩病にうつり、そして命を落とします。1591年6月25日の事です。24歳でした。
死の床に着いた時に、やはりイエズス会の功名な霊性の深い聖ロベルト・ベラルミーノの指導を受けて亡くなっていきました。聖ベラルミーノは、このゴンザガの聖アロイジオに対して、「この子は、生まれた時から一度も大罪を犯した事がなかった」と、その天使的な聖徳について証言しています。

今でもそのお墓はローマに、聖イグナチオ教会にあります。


⑵聖アロイジオの生涯は私たちに、一体何を教えているでしょうか?2つの事を私は訴えていると思います。

1つは、「どんなに身分が高くても、どんなに高貴な生まれであったとしても、そしてどんなにお金を持ってこの世で力があったとしても、天国に行く為には、罪の無い、謙遜な天主への愛と、罪の償いの生活をしなければならない、貞潔を守らなければならない、そして隣人愛を尽くさなければならない。そしてそれは生まれが高貴であろうが、生まれが卑しいものであろうが、全く同じである。」

「ゴンザガの聖アロイジオは幼くして、そして自分が高貴であるにもかかわらず、このこれが備わっていた。そして私たちにその必要性を教えてくれる、『時代がどんなもので、どこであれ、どこの国であれ、どんな生まれであれ、私たちはそれを、この罪のない生活、罪の償いを、汚れの無い生活を送らなければならない』」という事です。

第2には、私たちは集祷文にも言うように、そして聖体拝領後の祈りにも言うように、また密誦でも祈るように、私たちは、その今日の模範で、私たちの模範となってくれるゴンザガの聖アロイジオのような罪の無い生活には従う事ができなかったけれども、しかし少なくとも償いには、その跡を従う事ができますように。

同じ御聖体を、天使のパンを食べ、食する事が許される私たちですけれども、聖アロイジオは御聖体によって、天使のような純潔と聖徳の道を歩みました。私たちはそれに遥か遠いものですけれども、少なくともそれを見て、感謝の内に留まる事ができますように。

聖アロイジオは自分の生活を通して、天主の婚姻の服を、真っ白な服を着ていた、純潔の服を着ていたけれども、それの純潔の服には宝石が、真珠がたくさん付いていた。この真珠は、罪の痛悔の涙であって、私たちも少なくとも、その罪の痛悔の真珠を付ける事ができるように。

聖アロイジオにとって、皇后様のお顔を見る事はとても簡単だったかもしれないけれども、しかしそれさえも、罪でなかったかもしれないけれども、それさえも犠牲として捧げた。私たちはこの目を毒する多くのものがこの周りにありますが、聖アロイジオの模範によって、私たちもそれを避ける事ができますように。

そして聖アロイジオは、日本の遣欧少年使節をその時には、500年前は会って話をする事がなかったけれども、今では是非私たちの方に眼差しを向けて下さって、私たちの方に助けの力をのべる為に近寄って下さって、私たちに励ましと、応援と、特別の御恵みを下さるように、お祈り致しましょう。

特に現代、カトリック教会では色々なスキャンダルが報道されています。私たちには是非聖アロイジオのような聖徳を持つ聖職者や、そして信徒の模範が必要です。聖伝のミサの実りとして、御聖体の実りとして、皆さんと私たちも、私の生活が、聖アロイジオに遠いものですけれども、より少なく遠くなりますように。

そうする事によって、御聖体の実りが、ちょうど山の上にある街のように輝き出ますように、多くの方々がよりますます御聖体の御恵みによって聖徳へと導かれますように、ぜひゴンザガの聖アロイジオにお願い、お祈り致しましょう。

特に聖アロイジオはマリア様を通して貞潔の誓願を立て、そしてイエズス会に入会を決心しました。私たちもマリア様の御取次ぎによって、聖アロイジオに倣う事ができますように、お祈り致しましょう。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


(*) "Vie de Saint Louis de Gonzague, de la Compagnie de Jésus" par Virgilio Cepari, P. 78.

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