2019年6月22日(土)証聖者司教聖パウリーノのミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年6月22日、ノラの聖パウリーノの司教証聖者のミサを捧げています。
このミサの後で御聖体降福式を行ないたいと思っています。特に日本から聖なる司祭、修道者がたくさん与えられますように、たくさん出てきますように、その二つの御恵みを乞い求めます。イエズス様の事を多くの方が知る事ができますように、イエズス様のブドウ畑で働く多くの人を送って下さいますように、御聖体降福式を、簡単ですけれども行ないます。
7月は御ミサが何回か増えるようになっています。それについては会長様から連絡が来てあると思います。インターネットでもお知らせします。
7月は外国から、特にフランスからビルコック神父様、それからイエズス会のトマス神父様(この神父様はフランスで唯一聖伝のミサを捧げておられる聖ピオ十世会のお友達の神父様です。)が来られて、日本でミサを挙げて下さいます、3人の司祭がミサを捧げる予定です。サマーズ神父様もいらっしゃいます。少しミサが増える事になります。ご招待致します。
「聖パウリーノ、我らの為に祈り給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日はサマーズ神父様の叙階の記念日です。サマース神父様の為にもお祈り下さい。
今日は聖パウリーノの祝日ですから、
⑴この聖パウリーノという方がどのような方であったのかという事を黙想して、
⑵そして私たちに一体何を教えているのか、という事を一緒に黙想致しましょう。
⑴ノラの聖パウリーノという司教様は、聖アンブロジオとか聖アウグスチノと同じ時代に生きた一人です。431年6月22日、今日、亡くなりました。聖パウリーノのお墓はローマにありますけれども、その聖遺物は聖ピオ十世によってノラに移動されました。
今日のミサで使われている集祷文は、特に聖ピオ十世教皇様がご自分でお作りになった集祷文です、「願わくは、聖パウリーノの跡を慕って、それを私たちが、地上のものを軽蔑して、天のものだけを愛する事ができますように」と。
では、聖パウリーノというのは一体どのような方だったのでしょうか?
聖パウリーノは元々の名前は、ポンティウス・メロピウス・アニチウス・パウリヌス Pontius Meropius Anicus Paulinus という名前で、昔はガリアと言われていましたが、そのボルドで353年に、とても高貴な家に生まれました。
若い時から天国を学ぶ機会が与えられて、特に有名だった会うそうですという詩人の、文才で高い有名な詩人アウソニウス Ausonius について勉強しました。若い時から非常に優秀で、とても良い人柄で、そして自分の出世とこの世での成功の為に、自分の故郷ボルドを離れて元老院の元老となって、最後にはコンサルトという死生観ともなって、ローマの高い地位に若い時から就いて、そして遂にはカンパニアという地方の地方総督となりました。
そして自分の家をノラというそのカンパニアの所に居を構えて、そして総督としてその地を治めていました。若い時から、まだ年が若かったにも関わらず、彼の賢明さと、統治の上手さ、そして学識、そして人の良さ、そしてその柔和さによって、多くの人々がパウリーノの事を非常に尊敬して、そして慕っていました。
ノラには殉教者聖フェリックスという人の聖地がありました。そしてその聖地に、フェリックスを慕って巡礼する多くのキリスト教徒たちがいました。パウリーノはキリスト教徒ではありませんでした、世俗の総督で、ただしかし巡礼者が一生懸命、貧しい人も色んな人々がその聖フェリックスの巡礼地に、お墓に巡礼に行くのを見て、心を打たれて、何とかしてその自分の公共の立場から、皆の善を考える事から、何とかして彼らの為に、安全に巡礼する事ができるように、危険から守ってあげたいと思いました。
そこで巡礼者が泊まる所ができるように、巡礼の宿を造ったり、あるいは巡礼者が安全に巡礼地に、聖フェリックスのお墓に辿り着く事ができるように道を整えたり、公共投資をしました。心を砕きました。
そのような事はもちろん多くのキリスト教信者の心を打ったのですけれども、イエズス様の心も打ったに違いありません。なぜかというと、パウリーノはそのような親切をすると同時に、自分が天国への巡礼の道を整える事になっていたという事になるからです。ますますキリスト教について関心を持って、「一体キリストとは誰なのか?なぜこの人たちは殉教したのか?何を信じているのか?」と自問します。深く知りたいと思うようになりました。
そして色々な政治的な状況もあって、その当時有名だった聖アンブロシウス、彼もやはり回心した、そして高貴な出身の司教様でしたけれども、聖アンブロシウスとも親しくなったり、そして遂には辿り着いた結果は、「キリストのいない人間というのは、キリストを持っていない人間というのは、ただの塵、ただの影にすぎない、価値がない。」
そして自分の持っていた地位を全て捨てて、ミラノに行きました。ミラノに行って、聖アンブロジオの元で、「キリストの事をもっと深く勉強したい」と来ました。その後には自分の故郷であったボルドーに帰って、ボルドーで洗礼を受けました。ボルドーで洗礼を受けた後に、実は「これからはキリスト教徒として生きよう」と「生活しよう」と思って、そしてキリスト教の女性と結婚します。そして子供ももうけます。しかし、子供は小さな内に亡くなってしまいます。「天主様の御旨は別のところにある」という事が分かりました。
「この世の幸せを求める事ではなく、天国の幸せを求める」という事を追求した聖パウリーノは、妻と同意の下で、「二人で、これからは結婚生活ではなく、貞潔を守って修道生活を送ろう」と決心します。そして「自分に信仰の芽生えを与えてくれた聖フェリックスのお墓の元で、修道者として生活しよう」と、ボルドーからノラに戻ってきます。
そして聖フィリックスの元で、そのお墓の番をしながら、修道生活、修道士として、清貧と祈りの生活をし始めます。その当時、やはり同時代の知識人であった聖アウグスチヌスとも友達になります。ところが聖パウリーノは目を失明してしまいます。そして失明をするのですけれども、しかし有名なトゥールの聖マルチーノによって、目がそれを癒されます。イエズス様のその特別のその御恵みを以て、聖パウリーノはスペインに行きます。そしてスペインで司祭に叙階されます。
実は司祭になるのは、「それの事は私にはふさわしくない」と拒んだのですけれども、「是非!」と言われて、そして司祭となり、そしてノラに戻ってきます。そしてノラの司教様に409年任命されます。
ノラの司教として、今度は総督ではなく司教として、ノラの人たちに霊的な善を施そうと一生懸命になります。その当時はヨーロッパは非常に不安定でした。ローマ帝国は違法の移民族から多くの侵略を受けていました。多くの蛮族がローマ帝国の中に侵略してきて、多くの破壊行為をしたり、侵略をしたり、略奪をしたり、その恐ろしさ、その残酷さ、その酷さは、歴史家もあまりにも酷かったので、あまりにも恐ろしい光景だったので、その詳しい事を私たちに残す事さえもできないほどでした。
ヴァンダル族が、野蛮な民族たちがやはりノラにもやって来て、そして破壊行為を繰り返して略奪をしていた時にも関わらず、ノラでは聖パウリーノは出来る限りの事をして、自分の持っている財産を使って、貧しい人たちを養う食べ物を与えたり、看護をして力を尽くしました。ある時には子供を失った、ヴァンダル族に捕らえられてしまった未亡人がやってきて、司教様に、「子供が捕まえられました。そしてその身代金を要求されています。助けて下さい」と言った時、ノラの聖パウリーノは、もはやその時には自分の持てるのものは自分の体しかありませんでした。そしてその子供に支払う身代金を払う事ができなかったので、自分が身代わりになったほどでした。
天主様の特別の奇跡的な助けによって、牢獄に入れられた、そして奴隷となってしまった司教様ですけれども、何とか逃れる事ができて、そしてまたノラに戻ってきました。
これを見ると、どれほど聖パウリーノが天主を愛するが為に、この地上のものを軽蔑して、そして天主を愛するが為に隣人を自分の事か愛していたか、何とかしようとして自分の持てるものを全て使っていたか、という事が分かります。まさにイエズス様のようでもありました。
こうして78歳の時に、431年今日、6月22日に、霊魂をイエズス様の元に返して、司教としてお亡くなりになりました。
⑵この司教様聖パウリーノは、私たちに何を教えているでしょうか?
「私たちに愛すべきものはたった一つしかない。イエズス・キリストであって、天の事であって、私たちの永遠の命であって、私たちの究極の目的であるその4つの事に集中しなければならない。そしてそれ以外の事は全く塵芥であって、天国に向かう為の手段にしか過ぎない。」
「もしもそれがなかったら、キリストがない人間というのは全く塵であって、影にしか過ぎない。あっという間に消えてしまう影法師に過ぎない。永久の変わらないものを追求しなければならない。それはイエズス・キリストであって、天国であって、永遠の命である。」それを私たちに教えています。
ノラの聖パウリーノの生涯は私たちに、「司祭とは、あるいは司教様とはどのようなものでなければならないか」と教えていると私には思いました。
「清貧の精神、イエズス・キリストを愛するその愛の精神、イエズス・キリストのみを追求する司祭、このような司祭こそが私たちに最も必要な司祭であって、イエズス様が求めておられる司祭である。」
「このような司祭こそが、この物質に囲まれた世界において、この世の快楽とこの世を愛する事だけしか考えないように宣伝されているこの世界において、若い人々もおろし付きつけて、『イエズス・キリストの為に自分の全てを捨てて従いたい』と思わせるそのような模範、そのような聖なる司祭がカトリック教会に必要だ」という事を教えていると思います。
後で6月は聖ピオ十世会では多くの神学校で、聖ピオ十世会の神学校では多くの司祭が叙階されます。スイス・ドイツ・アメリカ、この新司祭たちがノラの聖パウリーノのような司祭になりますように、そして多くの若者たちが、特に日本の若者たちが、そのような司祭を目指して惹きつけられますように、イエズス・キリストに惹きつけられますように、特にお祈り致しましょう。
「聖パウリーノ、我らの為に祈り給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年6月22日、ノラの聖パウリーノの司教証聖者のミサを捧げています。
このミサの後で御聖体降福式を行ないたいと思っています。特に日本から聖なる司祭、修道者がたくさん与えられますように、たくさん出てきますように、その二つの御恵みを乞い求めます。イエズス様の事を多くの方が知る事ができますように、イエズス様のブドウ畑で働く多くの人を送って下さいますように、御聖体降福式を、簡単ですけれども行ないます。
7月は御ミサが何回か増えるようになっています。それについては会長様から連絡が来てあると思います。インターネットでもお知らせします。
7月は外国から、特にフランスからビルコック神父様、それからイエズス会のトマス神父様(この神父様はフランスで唯一聖伝のミサを捧げておられる聖ピオ十世会のお友達の神父様です。)が来られて、日本でミサを挙げて下さいます、3人の司祭がミサを捧げる予定です。サマーズ神父様もいらっしゃいます。少しミサが増える事になります。ご招待致します。
「聖パウリーノ、我らの為に祈り給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日はサマーズ神父様の叙階の記念日です。サマース神父様の為にもお祈り下さい。
今日は聖パウリーノの祝日ですから、
⑴この聖パウリーノという方がどのような方であったのかという事を黙想して、
⑵そして私たちに一体何を教えているのか、という事を一緒に黙想致しましょう。
⑴ノラの聖パウリーノという司教様は、聖アンブロジオとか聖アウグスチノと同じ時代に生きた一人です。431年6月22日、今日、亡くなりました。聖パウリーノのお墓はローマにありますけれども、その聖遺物は聖ピオ十世によってノラに移動されました。
今日のミサで使われている集祷文は、特に聖ピオ十世教皇様がご自分でお作りになった集祷文です、「願わくは、聖パウリーノの跡を慕って、それを私たちが、地上のものを軽蔑して、天のものだけを愛する事ができますように」と。
では、聖パウリーノというのは一体どのような方だったのでしょうか?
聖パウリーノは元々の名前は、ポンティウス・メロピウス・アニチウス・パウリヌス Pontius Meropius Anicus Paulinus という名前で、昔はガリアと言われていましたが、そのボルドで353年に、とても高貴な家に生まれました。
若い時から天国を学ぶ機会が与えられて、特に有名だった会うそうですという詩人の、文才で高い有名な詩人アウソニウス Ausonius について勉強しました。若い時から非常に優秀で、とても良い人柄で、そして自分の出世とこの世での成功の為に、自分の故郷ボルドを離れて元老院の元老となって、最後にはコンサルトという死生観ともなって、ローマの高い地位に若い時から就いて、そして遂にはカンパニアという地方の地方総督となりました。
そして自分の家をノラというそのカンパニアの所に居を構えて、そして総督としてその地を治めていました。若い時から、まだ年が若かったにも関わらず、彼の賢明さと、統治の上手さ、そして学識、そして人の良さ、そしてその柔和さによって、多くの人々がパウリーノの事を非常に尊敬して、そして慕っていました。
ノラには殉教者聖フェリックスという人の聖地がありました。そしてその聖地に、フェリックスを慕って巡礼する多くのキリスト教徒たちがいました。パウリーノはキリスト教徒ではありませんでした、世俗の総督で、ただしかし巡礼者が一生懸命、貧しい人も色んな人々がその聖フェリックスの巡礼地に、お墓に巡礼に行くのを見て、心を打たれて、何とかしてその自分の公共の立場から、皆の善を考える事から、何とかして彼らの為に、安全に巡礼する事ができるように、危険から守ってあげたいと思いました。
そこで巡礼者が泊まる所ができるように、巡礼の宿を造ったり、あるいは巡礼者が安全に巡礼地に、聖フェリックスのお墓に辿り着く事ができるように道を整えたり、公共投資をしました。心を砕きました。
そのような事はもちろん多くのキリスト教信者の心を打ったのですけれども、イエズス様の心も打ったに違いありません。なぜかというと、パウリーノはそのような親切をすると同時に、自分が天国への巡礼の道を整える事になっていたという事になるからです。ますますキリスト教について関心を持って、「一体キリストとは誰なのか?なぜこの人たちは殉教したのか?何を信じているのか?」と自問します。深く知りたいと思うようになりました。
そして色々な政治的な状況もあって、その当時有名だった聖アンブロシウス、彼もやはり回心した、そして高貴な出身の司教様でしたけれども、聖アンブロシウスとも親しくなったり、そして遂には辿り着いた結果は、「キリストのいない人間というのは、キリストを持っていない人間というのは、ただの塵、ただの影にすぎない、価値がない。」
そして自分の持っていた地位を全て捨てて、ミラノに行きました。ミラノに行って、聖アンブロジオの元で、「キリストの事をもっと深く勉強したい」と来ました。その後には自分の故郷であったボルドーに帰って、ボルドーで洗礼を受けました。ボルドーで洗礼を受けた後に、実は「これからはキリスト教徒として生きよう」と「生活しよう」と思って、そしてキリスト教の女性と結婚します。そして子供ももうけます。しかし、子供は小さな内に亡くなってしまいます。「天主様の御旨は別のところにある」という事が分かりました。
「この世の幸せを求める事ではなく、天国の幸せを求める」という事を追求した聖パウリーノは、妻と同意の下で、「二人で、これからは結婚生活ではなく、貞潔を守って修道生活を送ろう」と決心します。そして「自分に信仰の芽生えを与えてくれた聖フェリックスのお墓の元で、修道者として生活しよう」と、ボルドーからノラに戻ってきます。
そして聖フィリックスの元で、そのお墓の番をしながら、修道生活、修道士として、清貧と祈りの生活をし始めます。その当時、やはり同時代の知識人であった聖アウグスチヌスとも友達になります。ところが聖パウリーノは目を失明してしまいます。そして失明をするのですけれども、しかし有名なトゥールの聖マルチーノによって、目がそれを癒されます。イエズス様のその特別のその御恵みを以て、聖パウリーノはスペインに行きます。そしてスペインで司祭に叙階されます。
実は司祭になるのは、「それの事は私にはふさわしくない」と拒んだのですけれども、「是非!」と言われて、そして司祭となり、そしてノラに戻ってきます。そしてノラの司教様に409年任命されます。
ノラの司教として、今度は総督ではなく司教として、ノラの人たちに霊的な善を施そうと一生懸命になります。その当時はヨーロッパは非常に不安定でした。ローマ帝国は違法の移民族から多くの侵略を受けていました。多くの蛮族がローマ帝国の中に侵略してきて、多くの破壊行為をしたり、侵略をしたり、略奪をしたり、その恐ろしさ、その残酷さ、その酷さは、歴史家もあまりにも酷かったので、あまりにも恐ろしい光景だったので、その詳しい事を私たちに残す事さえもできないほどでした。
ヴァンダル族が、野蛮な民族たちがやはりノラにもやって来て、そして破壊行為を繰り返して略奪をしていた時にも関わらず、ノラでは聖パウリーノは出来る限りの事をして、自分の持っている財産を使って、貧しい人たちを養う食べ物を与えたり、看護をして力を尽くしました。ある時には子供を失った、ヴァンダル族に捕らえられてしまった未亡人がやってきて、司教様に、「子供が捕まえられました。そしてその身代金を要求されています。助けて下さい」と言った時、ノラの聖パウリーノは、もはやその時には自分の持てるのものは自分の体しかありませんでした。そしてその子供に支払う身代金を払う事ができなかったので、自分が身代わりになったほどでした。
天主様の特別の奇跡的な助けによって、牢獄に入れられた、そして奴隷となってしまった司教様ですけれども、何とか逃れる事ができて、そしてまたノラに戻ってきました。
これを見ると、どれほど聖パウリーノが天主を愛するが為に、この地上のものを軽蔑して、そして天主を愛するが為に隣人を自分の事か愛していたか、何とかしようとして自分の持てるものを全て使っていたか、という事が分かります。まさにイエズス様のようでもありました。
こうして78歳の時に、431年今日、6月22日に、霊魂をイエズス様の元に返して、司教としてお亡くなりになりました。
⑵この司教様聖パウリーノは、私たちに何を教えているでしょうか?
「私たちに愛すべきものはたった一つしかない。イエズス・キリストであって、天の事であって、私たちの永遠の命であって、私たちの究極の目的であるその4つの事に集中しなければならない。そしてそれ以外の事は全く塵芥であって、天国に向かう為の手段にしか過ぎない。」
「もしもそれがなかったら、キリストがない人間というのは全く塵であって、影にしか過ぎない。あっという間に消えてしまう影法師に過ぎない。永久の変わらないものを追求しなければならない。それはイエズス・キリストであって、天国であって、永遠の命である。」それを私たちに教えています。
ノラの聖パウリーノの生涯は私たちに、「司祭とは、あるいは司教様とはどのようなものでなければならないか」と教えていると私には思いました。
「清貧の精神、イエズス・キリストを愛するその愛の精神、イエズス・キリストのみを追求する司祭、このような司祭こそが私たちに最も必要な司祭であって、イエズス様が求めておられる司祭である。」
「このような司祭こそが、この物質に囲まれた世界において、この世の快楽とこの世を愛する事だけしか考えないように宣伝されているこの世界において、若い人々もおろし付きつけて、『イエズス・キリストの為に自分の全てを捨てて従いたい』と思わせるそのような模範、そのような聖なる司祭がカトリック教会に必要だ」という事を教えていると思います。
後で6月は聖ピオ十世会では多くの神学校で、聖ピオ十世会の神学校では多くの司祭が叙階されます。スイス・ドイツ・アメリカ、この新司祭たちがノラの聖パウリーノのような司祭になりますように、そして多くの若者たちが、特に日本の若者たちが、そのような司祭を目指して惹きつけられますように、イエズス・キリストに惹きつけられますように、特にお祈り致しましょう。
「聖パウリーノ、我らの為に祈り給え。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。