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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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御聖体の荘厳祭が今、日本におけるカトリック教会においてどれほど重要で、必要か、御聖体を讃美し礼拝する事がどれほどイエズスの聖心に適う事か

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2019年6月23日(主日)聖霊降臨後第2主日のミサ 御聖体の荘厳祭
小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年6月23日、御聖体の荘厳祭を行なっております。

今日この御ミサの終わりから、御聖体降福式が始まります。

その後、いつもの通りに感謝の祈りをした後に、今日は生まれたばかりのペトロ君とパウロ君の洗礼式があります。どうぞお祈り下さい。それから代父の方が発起人となってここで小さなパーティーを開催したいという事ですので、皆さん時間がありましたらどうぞお出で下さい。

15時から晩課があります。

明日は、洗者聖ヨハネの祝日で朝7時からミサがあります。

次のミサは6月30日、来週です。シャゾ神父様がここでミサを捧げて下さるとの事です。来週は特にイエズス様の聖心の荘厳祭、御聖体降福式も兼ねて行なう予定です。
午後にはドゥ・シャゾ神父様からの霊的講話も、晩課も予定されています。いらして下さい。

来月はミサが3回あります。第1・第2・第3です。特に第2主日の場合には、ここで荘厳ミサが行なわれます。神父様がフランスから2名来て下さいます。

7月13日と14日には、フランス革命230周年をもう一度見直そうという事で、フランスからあるいはアメリカから有名な先生たちが日本にいらして、シンポジウムがあります。どうぞ皆さんいらして下さい。

サマース神父様もいらして下さいます。7月15日は海の日ですけれども、私たちは今年もこの海(産み)の日のマーチ・フォー・ライフに参加する予定です。マイケル・マットさんが、あるいはサマース神父様や、フランス人の神父様たちも参加する予定です。

鹿児島や、大阪からも司教様たちもいらして「一緒に歩く」という事になったそうです。皆さんもいらして下さい。


「私の肉は真の食べ物であり、私の血は真の飲み物である。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


愛する兄弟の皆さん、今日は御聖体の荘厳祭をしております。

この御聖体の荘厳祭が今、日本におけるカトリック教会においてどれほど重要で、どれほど必要とされているか、そして今日皆さんがこのミサに与って、御聖体を讃美して、礼拝している、という事がどれほどイエズス様の聖心に適う事か、という事を是非今日は知って頂きたいと思っています。

今日この黙想のテーマは、「天主様が一体、何を御聖体に対してする事を望んでおられるのか?」「御聖体とは一体何なのか?」「そして私たちは何をしなければならないのか?」という事を、皆さんが「あぁ、そうだったのか!」という事をはっきり目に見て下さる事です。

もしも御聖体に対して私たちがしなければならない事がますます分かれば分かるほど、この私の話は、その願ったものに到達する事になります。

御聖体に対しては色んな話があります。御聖体の奇跡。御聖体の制定。なぜ制定されたのか。また御聖体のこの祝日の制定がなぜなのか。しかし今回は、100年前の現代の話に絞らせて下さい。

皆さんもご存知の通り、私たちも何度も黙想した通り、1916年秋、ファチマで、御聖体の天使が3回目に、子供たちに現れました。超自然の雰囲気でした。

風の強い音が聞こえたかと思うと、子供たちは綺麗な、水晶のように綺麗な天使を、青年のような天使を、美しい姿を見ました。この天使は今度は、左手にカリスを持っていました。カリスの上には御聖体がありました。

天使はそうやって御聖体と御血を持って現れて、一体何をするかというと、それを空中に浮かせたまま、跪きました。跪いたばかりでありません、額ずきました。額を地面にスレスレに付けて押し付けて、御聖体を礼拝しました。

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中の全ての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズス・キリストの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

3回唱えました。

その後天使は立ち上がって、御血を取りカリスを取り、御聖体を右手で取って、子供たちに、「イエズス・キリストの御体と御血を礼拝しなさい、拝領しなさい。忘恩の人々によって、これほど恐ろしくも侮辱されている、御体と御血を礼拝し、拝領しなさい」と言って、聖体拝領させました。

ルチアには御聖体を。なぜかというと、初聖体をしていたから。

しかしまだ初聖体をしていなかったジャシンタとフランシスコには、御血を少し飲ませました。

「彼らの、忘恩の人々の罪を償い、そして汝らの天主を慰めなさい。」そう言うと、もう一度跪いて、額ずいて、額を地面に押し付けて、同じ祈りを3度繰り返します。超自然の雰囲気でした。

子供たちも天使と同じ事をしました。子供たちは天使がいなくなっても、同じ姿勢をずっと取り続けて、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も、繰り返して同じ祈りを捧げていました。

私たちが御聖体の荘厳祭に何をしなければならないか、という事はここにはっきりと分かります。

このファチマの天使は、カトリックの真理をはっきりと教えてくれます。模範を示してくれています。態度で、どうしなければならないかを教えています。

まずこのカトリックの印というのは、この真理というのは、今現代残念ながら、エキュメニズムとか、あるいは「心の問題で、自由だ」とか、「キリスト教の色んな意見がある。対話をしなければならない」という、「虹の、レインボーの意見があって良いんじゃないか」という態度によって、全くかき消されるか、あるいは迫害されている真理です。否定されている、暗黙の内に否定されて、それを信じ続けていると攻撃されて、罰せられる真理です。

どのような真理かというと、3つあります。

1つは、「御聖体に、私たちの主イエズス・キリストが真に現存している」という真理です。

私たちがどうしようと、賛成しようとしまいと、そう思おうと思わないが、現実に、客観的に、そうである真理です。イエズス・キリストは真に御聖体の内に在し、私たちの内に留まり給うのです。

ファチマの天使はその事を、トリエント公会議の表現を使って言いました。世界中の全ての御聖櫃の内に真に在し給う御体、御血、御霊魂、御神性、人間性、人間の本性を全て、天主性を全て備えたまま、イエズス・キリスト様は真に世界中の全てのカトリックの聖櫃の内に在し給うのです。

ここに在し給うのは、真の天主です。この全世界を支配して、この全世界に全自然界に命令を下す、最高の主権者です。

私たち人間と一位の天使とでも比べれば、もちろん天使の方がはるかに崇高で偉大で力があります。純粋の霊ですから。その天使が、自分は全く塵芥にすぎないかのように跪いたのみならず、額ずいて、その御聖体に在す天主を震えおののいて礼拝している。

教会には3つの段階があります。
「凱旋の教会」天国にいる全ての天使たちと聖人たちが集まっている教会。
「戦闘の教会」地上の教会。私たちの事です。
「苦しむ教会」煉獄で罪を償う為に今苦しんでいるその霊魂たち。

凱旋の教会、全ての天使と聖人たちは総に集まって、跪いて額ずいて、イエズス様を天主として、御聖体を礼拝しています。「これこそが正しい態度である」と私たちに見せています。

「跪け。礼拝せよ。感謝せよ。イエズス様はこれほども苦しんでおられるのだ。真の天主がここに在すのだ。控え控え!」と。


第2は、「御聖体とカリスが現れた」という事です。つまり「御体と御血が分離している」という事で、「イエズス様は屠られている」という事です。

つまり「ミサというのは、イエズス様の十字架のいけにえの再現であって、私たちのその目の前で、現実に、もう一度再現されている事である事」というカトリックの真理です。

ミサいうのは、面白おかしい食事会ではないのです。兄弟の、天主の民の集いではありません。集会ではありません。もちろん人々はそれに参与しますけれども、しかし本質は、「十字架のいけにえのその再現」にあります。罪の償いの為に、イエズス・キリストが御自分の命と、御体、御血を、天主聖父に捧げる事にあります。ここにミサの本質があって、それが御聖体によって表されています。

そこで天使はそれを礼拝します。その神秘を礼拝します。イエズス・キリストのその無限の愛、贖いの愛、私たちの為に御自分を全て与え尽くしたその愛、このイエズス様の苦しみに感謝して、礼拝します。

人間の為にこれほど血を流されて命を捧げられたイエズス様に、天使が、天使は自分の為にはそうされなかったにも関わらず、礼拝と感謝を捧げています。人間はどれほどそれをしなければならないでしょうか。

「御聖体が一体何であるか」、「ミサが一体何であるか」という事は、現代暗黙のうちに否定されています。

もしも御聖体を口で拝領しようとするなら、「もう来るな!」と言われます。跪こうとするものなら、「一致を乱す!」と言われます。それについては個人的な話もありますし、皆さんの中で署名運動をやった方々や、何とか教会に良くなってもらいたいと思って、色々尽くした方々がたくさんいらっしゃいます。私はよく知っています、皆さんの名前と顔とを。どれほどの事をなさったか。しかし何も変わりませんでした。ただ御聖体に対する態度は、ますます悪くなったばかりでした。何十年待っても、何も起こりませんでした。

50年前に聖ピオ十世会が創られた時に、やはり新しいミサがちょうど出来たそのような時でしたけれども、聖ピオ十世会がカトリック教会によって正式に認可された時に、その会則にはこうありました。

「聖ピオ十世会は、その会として、全ての司祭を、その司祭の存在理由、一体司祭が何の為に存在しているか、というそれを実現させる為に、心を配らなければならない。即ち司祭は何の為に存在するかというと、『ミサ聖祭』の為であって、『そのミサの意味するところその全て』『そのミサを補うその全て』『そのミサから流れ出る全て』の為に存在している。その為に聖ピオ十世会も存在している。聖ピオ十世会には特別なカリスマ、特別なものはない。ただカトリック教会が最も大切にしていたものを大切にするのだ。『カトリックの司祭』と『カトリックのミサ』だ。」

しかしそうすればそうするほど、創立者であるルフェーブル大司教様は罰せられ、迫害を受けて、罪に追われ、悪口と非難を受けておられました。

私たちは真理の主人ではなく、真理のしもべであるので、真理を変える事ができません。天使のように、その御聖体の神秘の前で、ただひたすら礼拝するのみです。それを信じ続けるのみです。


第3には、天使が教えてくれたのは、私たちに「償いをしなければならない」という事です。

私たちは単に、天主を信じ、礼拝し、希望し、愛するのみならず、信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々の為にそれに代わって、罪を償い、その罪の赦し乞い求めなければなりません。

子供たちは天使から言われました、「恩知らずの人々によって、恐ろしくも侮辱されている私たちの主イエズスの御体と御血を礼拝し、拝領しなさい。」

私たちもそれをしなければなりません。天使が言ったのはものすごい表現でした、「恐ろしくも冒辱されている、侮辱されている御体」“body and blood horribly outrage by ungrateful man” きっと天使たちはもう怒りで、どれほど自分の怒りを抑えなければならないか、とその口調から察する事ができます。

天国の天使団たちは、あるいは聖人団たちは、私たちの地上で行なわれている、イエズス様に対する恐るべき冒瀆と屈辱を見て、どれほど涙を流して悲しんで、天主に御憐れみを乞い求めている事でしょうか。

私たちは今日そこで、教会の精神に従って、天使たちの大群と天国の聖人たちと共に心を合わせて、ファチマの精神で、今日御聖体荘厳式を行なっています。


愛する兄弟の皆さん、どうぞ御聖体変化の時には、必ず跪いて下さい。もしも体の弱い方で跪けない方はもちろんそのままで結構です。できる方はそうなさって下さい。イエズス様の真に在すこの現存の前で礼拝なさって下さい。イエズス様の愛を感じて、イエズス様を愛し奉って下さい。

そして、ただ私たちは信じて礼拝するそれならず、その私たちの犠牲をも苦しみをも、イエズス様の苦しみに合わせてお捧げ下さい。

今日御聖体拝領する時には、あるいは天使の手から受けるかのように、イエズス様をお慰めする為に、御聖体拝領なさって下さい。御聖体降福式もその意向で御捧げ下さい。

今日おそらく天国では、私たちをご覧になる天使たち聖人たちは、三位一体は、イエズス様は、マリア様は、どれほど御喜びになり、御慰めを受ける事でしょうか。例え人数が少なかったとしても、私たちの愛はどれほどその天国を喜ばせて、私たちの上に、日本全国に、御恵みをもたらすものとなる事でしょうか。どうぞ、この皆さんが今なさっている事がどれほど素晴らしい事か、という事を理解なさって下さい。

マリア様にお願い致します、「マリア様、私たちの心にもファチマの天使を送って下さい。ファチマの天使のその精神に従って、今日この御聖体の荘厳式に与らせて下さい。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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