アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
Working Document for the Synod on the Amazon: In the Critics’ Spotlight (1)の日本語訳の続きをご紹介します。
アマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱
様々な批判を受けて(1)続き
アマゾン川がライン川を源泉として流れている
ミュラー枢機卿は、進歩主義的ドイツ人たちが、次のシノドスの討議要綱に書かれた内容に及ぼした影響を忘れませんでした。
「Rete Ecclesiale Panamazzonica (=REPAM)(汎アマゾン教会ネットワーク)という団体、これは討議要綱の準備を課され、まさにその理由のために2014年設立されたものですが、この団体と討議要綱の作者たちは、いわゆるTheologia india[インド神学]のグループに属している人々で、極めて頻繁に自分が書いた言葉を引用しています。」
「このグループは、まったく同じ世界観を持つ人々による閉ざされた組織です。ワシントンとローマで行われたシノドス準備会合にいた名前のリストに簡単に見られるように、不釣り合いなほど大勢のドイツ語圏のヨーロッパ人が含まれています。」
「[この閉ざされた組織には]真剣な反対意見が免除されています。なぜなら[彼らの世界観においては]反対意見は、一枚岩の教理主義と教条主義、あるいは儀式主義(IL 38; 110; 138)に基づくもの、さらに、対話をすることが不可能な聖職者主義(IL 110)や、ファリザイ人の堅苦しい考え方や、律法学士たちの側の理性の傲慢に基づくもの、でしかあり得ない[とされる]からです。そのような人々と議論をしたとしても、時間の無駄、徒労に過ぎないとされるからです。」
このドイツ人枢機卿は続けます。
「彼ら[シノドスを準備した人々]の全てが南米を経験した訳ではありません。彼らは、それ[自分の意見]が公式路線に一致していると思っているという理由で、またドイツ司教協議会とドイツ・カトリック中央委員会の"シノドスの道"において議論のテーマをコントロールしている(司祭独身性の廃止、女性司祭、女性を鍵となる権力のある地位につけて聖職者主義と原理主義に反対する、啓示された性道徳をジェンダー・イデオロギーやまた同性愛の実践に対する評価へ適用する)という理由でのみ、参加しているのです。そしてこのシノドスの道は、今現在、ドイツで行われています。」
前教理省長官は、この文書の根本において、ヨーロッパ的ニューエイジによって現代化されたアニミズム的汎神論を激しく非難しています。
「神話と、母なる"自然"の儀礼的魔術とのある世界観、また、私たちを深く怯えさせ、あるいは偽りの約束で私たちを誘うような、神々や霊へのいけにえのある世界観は、み言葉と聖霊における三位一体の天主が来られたことへの適切なアプローチにはなり得ません。
このアプローチは、道徳的価値と市民社会と宗教的儀礼の安逸な遺物しかキリスト教から受け入れないリベラルなブルジョワジーに固有の科学的・実証的な世界観にまとめられることもありえません。(…)宇宙(コスモス)は、天主として礼拝されてはなりません。創造主御自身だけが礼拝されるべきです。
私たちがひざをかがめるのは、自然の大きな力の前でもなく、『世のすべての国とその栄華』(マテオ4章8節)の前でもなく、天主の御前でのみです。何故なら、『汝の天主なる主を礼拝し、ただ天主にのみに仕えねばならぬ、と書かれている』(マテオ4章10節)からです。イエズスが砂漠で悪魔の誘惑を退けられたのは、このようにしてです。」
ミュラー枢機卿は、締めくくりに当たって、
「人間の完全性が自然生物との一致だけから成るのではなく、天主の子供であること聖なる三位一体との聖寵に満ちた一致において完全となる、さらには、永遠のいのちとは、天主への回心への報酬であり、天主との和解への報いであって、環境や私たちの分かち合う世界との和解ということだけではない、という聖寵の超自然的な性格」を再確認する必要があると言います。
「完全な(integral)発展ということを、単なる物質的な資源の分配に矮小化することはできません。なぜなら、人は、恩寵における完徳の道によってのみ、その新しい完全性を受けるからです。ここで、今、洗礼によって、私たちは天主の新しい被造物、天主の子となることによって、その完全性を受け、そしていつの日か、聖父と聖子と聖霊とのまどいにおいて、また天主の聖人たちとの通効において、至福直観おいてこの完全性を受けるのです(ヨハネ第一1章3節、3章1節以下参照)。」
「漠然とした宗教性を持つあいまいなアプローチを提示する代わりに、また、キリスト教を、宇宙と生物多様的自然とエコロジーを神聖化することによる救いの学問に変えようとする無駄な試みを提示する代わりに、私たちの信仰の中心と起源を見つめることが重要です。
天主の善と知恵において、天主はご自身を啓示し、天主の御旨の隠された目的を私たちに知らせることを選択されました(エフェゾ1章9節参照)。これによって、肉となられたみ言葉であるキリストを通して、人間は聖霊において、聖父へと近づくことが出来、天主の本性を共にすることができるようになるのです。」
(Sources : Tagespost/lifesitenews - FSSPX.Actualités - 12/08/2019)
愛する兄弟姉妹の皆様、
Working Document for the Synod on the Amazon: In the Critics’ Spotlight (1)の日本語訳の続きをご紹介します。
アマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱
様々な批判を受けて(1)続き
アマゾン川がライン川を源泉として流れている
ミュラー枢機卿は、進歩主義的ドイツ人たちが、次のシノドスの討議要綱に書かれた内容に及ぼした影響を忘れませんでした。
「Rete Ecclesiale Panamazzonica (=REPAM)(汎アマゾン教会ネットワーク)という団体、これは討議要綱の準備を課され、まさにその理由のために2014年設立されたものですが、この団体と討議要綱の作者たちは、いわゆるTheologia india[インド神学]のグループに属している人々で、極めて頻繁に自分が書いた言葉を引用しています。」
「このグループは、まったく同じ世界観を持つ人々による閉ざされた組織です。ワシントンとローマで行われたシノドス準備会合にいた名前のリストに簡単に見られるように、不釣り合いなほど大勢のドイツ語圏のヨーロッパ人が含まれています。」
「[この閉ざされた組織には]真剣な反対意見が免除されています。なぜなら[彼らの世界観においては]反対意見は、一枚岩の教理主義と教条主義、あるいは儀式主義(IL 38; 110; 138)に基づくもの、さらに、対話をすることが不可能な聖職者主義(IL 110)や、ファリザイ人の堅苦しい考え方や、律法学士たちの側の理性の傲慢に基づくもの、でしかあり得ない[とされる]からです。そのような人々と議論をしたとしても、時間の無駄、徒労に過ぎないとされるからです。」
このドイツ人枢機卿は続けます。
「彼ら[シノドスを準備した人々]の全てが南米を経験した訳ではありません。彼らは、それ[自分の意見]が公式路線に一致していると思っているという理由で、またドイツ司教協議会とドイツ・カトリック中央委員会の"シノドスの道"において議論のテーマをコントロールしている(司祭独身性の廃止、女性司祭、女性を鍵となる権力のある地位につけて聖職者主義と原理主義に反対する、啓示された性道徳をジェンダー・イデオロギーやまた同性愛の実践に対する評価へ適用する)という理由でのみ、参加しているのです。そしてこのシノドスの道は、今現在、ドイツで行われています。」
前教理省長官は、この文書の根本において、ヨーロッパ的ニューエイジによって現代化されたアニミズム的汎神論を激しく非難しています。
「神話と、母なる"自然"の儀礼的魔術とのある世界観、また、私たちを深く怯えさせ、あるいは偽りの約束で私たちを誘うような、神々や霊へのいけにえのある世界観は、み言葉と聖霊における三位一体の天主が来られたことへの適切なアプローチにはなり得ません。
このアプローチは、道徳的価値と市民社会と宗教的儀礼の安逸な遺物しかキリスト教から受け入れないリベラルなブルジョワジーに固有の科学的・実証的な世界観にまとめられることもありえません。(…)宇宙(コスモス)は、天主として礼拝されてはなりません。創造主御自身だけが礼拝されるべきです。
私たちがひざをかがめるのは、自然の大きな力の前でもなく、『世のすべての国とその栄華』(マテオ4章8節)の前でもなく、天主の御前でのみです。何故なら、『汝の天主なる主を礼拝し、ただ天主にのみに仕えねばならぬ、と書かれている』(マテオ4章10節)からです。イエズスが砂漠で悪魔の誘惑を退けられたのは、このようにしてです。」
ミュラー枢機卿は、締めくくりに当たって、
「人間の完全性が自然生物との一致だけから成るのではなく、天主の子供であること聖なる三位一体との聖寵に満ちた一致において完全となる、さらには、永遠のいのちとは、天主への回心への報酬であり、天主との和解への報いであって、環境や私たちの分かち合う世界との和解ということだけではない、という聖寵の超自然的な性格」を再確認する必要があると言います。
「完全な(integral)発展ということを、単なる物質的な資源の分配に矮小化することはできません。なぜなら、人は、恩寵における完徳の道によってのみ、その新しい完全性を受けるからです。ここで、今、洗礼によって、私たちは天主の新しい被造物、天主の子となることによって、その完全性を受け、そしていつの日か、聖父と聖子と聖霊とのまどいにおいて、また天主の聖人たちとの通効において、至福直観おいてこの完全性を受けるのです(ヨハネ第一1章3節、3章1節以下参照)。」
「漠然とした宗教性を持つあいまいなアプローチを提示する代わりに、また、キリスト教を、宇宙と生物多様的自然とエコロジーを神聖化することによる救いの学問に変えようとする無駄な試みを提示する代わりに、私たちの信仰の中心と起源を見つめることが重要です。
天主の善と知恵において、天主はご自身を啓示し、天主の御旨の隠された目的を私たちに知らせることを選択されました(エフェゾ1章9節参照)。これによって、肉となられたみ言葉であるキリストを通して、人間は聖霊において、聖父へと近づくことが出来、天主の本性を共にすることができるようになるのです。」
(Sources : Tagespost/lifesitenews - FSSPX.Actualités - 12/08/2019)