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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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聖ピオ十世会 聖伝のミサの報告 2019年10月20日 Traditional Latin Mass in Japan, SSPX

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

今回は、ワリエ神父様が日本にミッションに行かれました。私に代わって日本に言って下さった神父様には心から感謝します。ありがとうございます!

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、マニラでミサを司式しておりました。ミサの間、聖霊降臨後第19主日の集祷分を祈りつつ、ラテン語の祈りにいつもながら感動しておりました。

出てくる3つの動詞がすべて、前置詞 ex- で始まっている。
同じ音の言葉や同じ母音が繰り返される。versa とか、-te, -re, ter, とか、sunt, -bus, など。

Omnípotens et miséricors Deus,
univérsa nobis advérsantia propitiátus exclúde :
ut mente et córpore páriter expedíti,
quæ tua sunt, líberis méntibus exsequámur.
Per Dóminum.

全能の憐れみ深き天主よ、
御慈悲をもって、われらにとってすべての[=uni-versa]妨害を[=ad-versantia]排除し給え[=ex-clude]。
精神と身体とがともに、重荷を取り除かれ[=ex-pediti]、
御身のことに、我らが自由な心で従わん[=ex-sequamur]がためなり。
天主として、(…)。

お説教では「新しい人を着る」「婚姻の服」について、三位一体の霊魂に住まうことである成聖の聖寵の状態について黙想を提案しました。

日本でのミサの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日はシンガポールから、16年ぶり(?)にワリエ神父が東京にいらっしゃってミサを捧げて下さいました。

御説教ではうそをつくことにについて、天主の第8戒に反してしまう5つのパターンがあること、うそをつくことが禁じられている4つの理由があること、そして私たちはうそをつくことに逃げず、自分の天主と隣人に対する立場と義務を忘れないことが大事であることを教えて頂きました。

午後の霊的講話の第一部では、まず現在ローマで行われているアマゾンに関するシノドスの状況について説明して頂きました。いまこのシノドスでなされている議論、特に妻帯者を司祭に任ずる案を推しているグループがどのような目的を持ってそれを行っているか、そしてそれがいかにカトリック教会の伝統に反しており、そのような案が実行されることによってどのような悪影響が予想されるか等についてお話しくださいました。

第二部では福音史家聖ルカについて、彼の書いた福音書の特徴やその背景、特に彼の聖母に関する記述が恐らく聖母から直接聞いた話に基づいていることなど、「トリビア」のようなことも色々教えて頂きました。

霊的講話の後は聖霊降臨後第19主日の晩課を歌って終わりました。

今日の東京でのミサ・霊的講話・晩課の参列者数は下記の通りです。

ミサ
男: 28人(内、子供6人)
女: 32人(内、子供5人)
計: 60人(内、子供11人)

霊的講話
男: 15人(内、子供3人)
女: 10人(内、子供3人)
計: 25人(内、子供6人)

晩課
男: 4人
女: 2人
計: 6人


【報告】
今日のミサのお説教は第八戒のことを詳しくお話しいただきました。
自分は決して嘘をつかないというなら、それこそ大ウソつきだというブラックジョークもあったように思います。
正直でいることは霊魂を滅ぼさないためにも大切なことだと思いました。
お話しいただいたことはとても大切なことで、こういう話をきちんと聞く機会をいただけて、とてもよかったです。

霊的講話の前半では、アマゾン・シノドスのことに触れてくださいました。あまりに不気味でどう考えたらよいかわからず、できたら考えることすら避けたいと思うことでした。
お話を伺えて、だいたいどういうことかを少しわかるようになりました。これまで日本の教会で問題になっていたようなことを世界的規模でやりはじめたいとする人たちの行動の一つではと思いました。でも、単に日本の司教団で行うというのと、ローマで行うというのでは桁が違うことでしょう。

教会にいろいろな問題が起こっていて、そのために救われるべき人が教会に来られなくなるというのはとても悲しいです。でも、もしこの聖ピオ十世会のミサに与っていなかったら、私は、教会にいろいろな問題が起こっていることすら考えることを恐れたでしょう、正しく考える規範をどこに見つければよいかもわからないままにいたことでしょう。いつのまにかプロテスタント(近代主義・フリーメーソン)の考え方に汚染されていることすら自分でわからなくなっていたままだったことでしょう。それが現実に今起こっている恐ろしいことの一つだと思います。

「変わらないものがあるはずのところに、変わらせる動きが見えた。」でも、ワリエ神父様のお話は落ち着いていた内容で、これまでもカトリック教会はこのような動きの危機を乗り越えてきたこともわかりました。

また、教会というのは超自然のものなので、イエズス・キリストのものなので、ある日すべてをきれいになさる日が来るというお話が心強く思いました。

さらに、こういうことをよく知ることも大事だけれど、死んだ後にイエズス様にあったとき、教会にどういう問題があったかと聞かれるのではない、そうではなく自分がどうしたかを聞かれるというお話を心に留めました。イエズス様にお会いしたときにどれほどイエズス様をお愛ししたかを聞かれるのでしょう。

講話の後半は、ルカ福音書、聖ルカのことをおはなしくださいました。そのなかで善い盗賊の話に触れてくださいました。イエズス様と一緒に処刑された二人の盗賊のうち天国に行くことになった盗賊の方です。

このごろ、この善い盗賊のことを考えるときが時々ありました。
自分も罪を犯した人類のうちのひとりだということをわかるようになってきていて、それなら、目に見えないだけで本当はすでに十字架に架けられているようなものなのではないだろうかと、思ったことがありました。人間は、自分で自分が罪を犯していないと思っているかいないかにかかわらず、すでに生まれた時から罪を犯した者のうちの一人だというのが、カトリックでの人間観でそれが実際のところかもしれないととらえた時がありました。
そういう意味で、人間というのはすでに十字架に架かった者であり、最後の時イエズス様にむかってどのような思いをもつかが、その最後の息を吐いた後の運命になるのかなとおもいました。
私も今まさに十字架にかかっているようなものであるなら、この善い盗賊のようにイエズス様に向かって善い言葉を言えるような心を持ち続けていたいと思いました。

この善い盗賊は罪のゆるされる条件を満たしていたとのこと、ワリエ神父様はそれをお話しくださいました。ゆっくりそのことを黙想したいと思います。

ワリエ神父様、今日のミッションを本当にありがとうございます。




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