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2019年10月20日(主日)聖ピオ十世会司祭 ワリエ神父様霊的講話 第ニ部「聖ルカに関するクイズ」

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2019年10月20日(主日)聖ピオ十世会司祭 ワリエ神父様霊的講話
第ニ部「聖ルカに関するクイズ」
同時通訳:東京信徒会長

もっと霊的な、ちょっと違うお話を致します。

何日か前に、聖ルカの祝日を祝いました。ですからこれから、聖ルカに関してちょっとクイズをしますので、答えて下さい。

Q.四人の福音史家がいますけれども、そのうち使徒であった人は何人でしょうか?
A.二人です。

Q.その二人はどなたでしょうか?
A.マテオとヨハネです。

ですから考えてみますと、そのマルコという方とルカという方は、使徒ではなかったという事です。

この二人について面白いのは、そのマルコという方は、何かペトロの為に、聖ペトロに成り変わって書いている人で、聖ペトロの何か弟子のような感じで、ルカという方は、聖パウロの代わりに書いているのか、その聖パウロの弟子であったような感じがします。

聖マルコの福音を読んでみますと、これは一番短いのですけれども、自分で見たようには書いていません。何か「見た人から聞いた」という風に書いている、そしてその「見た人」というのは、「ペトロ」のようです。

この四つの福音は、特に受難の所に関しては、皆同じ関係のある、同じ事を書いています。

例えば奇跡に関しては、この三人の最初の福音史家は同じような事を書きますけれども、ヨハネはむしろ、そのイエズス様の仰った「御説教」を一生懸命詳しく書いています。

この「聖ペトロが主を否んだ」という話は、皆四つとも書いています。しかしこのマルコの福音書を見ると、その「否んだ時に、イエズス様が後ろを振り向かれた」と、「そしてその顔を見て、ペトロが泣き出した」という表現があります。ですからマルコという方は、聖ペトロからこの話を直接聞いたという事がよく分かります。

そして先ほど申しましたように、そのルカのお話をしたいのですが、

Q.この聖ルカという方はどういう人だったでしょうか?
A.お医者さんです。

アンティオキアという今のトルコですけれども、そこのお医者さんでした。ですから、どうやらこの聖パウロのお医者さん、担当したお医者さんだったみたいで、なぜかというと、聖パウロというのは何か体に問題があった方だったので、そのお医者さんとしてやっていたのが聖ルカだったようです。

Q.ところで、新約聖書というのは何語で書かれたかご存知でしょうか?
A.ギリシャ語です。

そうですね、ギリシャ語で書かれています。その頃のその中東の地域ですけれども、ギリシャ語というのは、今アジアでいう英語のような感じで、皆どこの国に行っても、まぁ知っていて、一応コミュニケーションには役に立つ、というのがギリシャ語でした。ですからこの聖書の出来事が起こったパレスチナという所では、アラマイ語というのを話していたのですけれども、皆少しそのギリシャ語ができて、ギリシャ語でコミュニケーションができたという場所です。

ですからこの聖ルカの書いた福音書というのは、彼の書いたギリシャ語というのは、彼はお医者さんですから、学のあった方ですので、他の三つの福音書のギリシャ語より、良いギリシャ語、より優雅な良いギリシャ語で書かれています。

聖ルカの福音書の特徴のひとつというのが、「聖母マリア様が、イエズス様をお生みになった、あるいはその前の話、これが非常に詳しい」というのも特徴です。ですから、「めでたしのお祈り」ですとか、私たちが言っている「喜びの玄義」というのは、これはみんなルカの福音書から来ています。

ですが考えてみますと、このルカという方は、直接見た人ではないので使徒ではなかったので、こんなに直接的な話をどうやって書けたのでしょうか?伝統的に考えられていますのは、聖パウロという方はチェザリアですか、そこで2年間幽閉されている事がありました。そしてその時に、おそらくマリア様から直接話を聞くチャンスがあって、そしてその話をその福音史家のルカに伝えたのだと思われます。

聖ルカという方は、「天主の憐れみの使徒」と言われる事があります。なぜかというと、その天主の憐れみに関する事で、他の福音には見つからない事がここに書かれているからです。

例えば、「放蕩息子の話」というのは、彼の福音書だけに書かれています。ご存知だと思いますけれども、この例え話というのは、天主様というのは、私たちの父親のような方で、私たちが父親を裏切ってしまうのですけれども、いつ帰ってくるか、いつ帰ってくるか、と見てて頂いて、そして私たちがそれを悔いて帰って来た時に、喜んで迎えて下さるような憐みのある方だ、というのを示す例え話です。

イエズス様が十字架に付けられている時に、七つの言葉を仰いました。これは何かお祈りの本を見たら出ていると思いますけれども、イエズス様の七つの言葉というのは、四つの福音書に全部きれいに並んでいるわけではありません。この中で聖ルカが伝えるのは、やはりイエズスの憐れみに関するお話です。そしてこの話というのは、私たちが知っている「良い盗賊」のお話です。

「良い盗賊」というのは、考えてみたら非常に変な表現です(^^;)。良い盗賊と悪い盗賊がいる、というので変な感じですが、聖アウグスティヌスも同じように言っています。ですからこの良い盗賊の話というのは、聖ルカのみが伝える話です。

そしてこの話が非常に良いのは、この良い盗賊と言われる方が、「いかにそれまでの人生を悔いたか」というのが非常によく分かる事です。それは「ごめんなさい」と言うだけではなくて、「自分のやってきた事がいかに悪い事であったか、という事を認めている」という事が明らかになっているところです。

ですから考えてみますと、私たちの主というのは、この十字架に付いていたのですが、単にその有罪になって死刑になったというだけではなくて、一緒に処刑された二人が泥棒であったと、そして泥棒と一緒に処刑された、という事で非常に名誉が傷付けられて、という状況で本来はありました。

そしてこのいわゆる悪い盗賊という方は、私たちの主を侮辱する方に行きました、「本当にメシアだったら、自分で降りてみろ」と、「私を助けてくれ」とそういう主張でした。そしてこの良い盗賊という方が言うのは、「私たちは、この死刑になって当たり前なのだ」と、まず言います。

ですからこの良い盗賊という人は、その「私が死刑になるのは当たり前だ」と、「それが正義だ」と、「私のやった事は悪い事だ」というのを認めて、「その為に自分が死刑になるというのも当然だ」という風に言っています。

この「正義」と言うのですけれども、彼は一体どういう事をしたのでしょうか?この人がした事を考えてみますと、まず「私たちの主を守ろうとした」それも「非常に勇気のある事だった」というのは、もちろんその主の傍には、聖母だとかヨハネだとか、マリア・マグダレナとか何人かはいましたけれども、ほとんど全員の方は、主を攻撃していたので、この横で、死刑になった人を守ろうとしたというのは、大変な勇気のあった事です。

そしてこの人が言ったのは、「主よ、あなたが王国に行く時は、私の事を思い出して下さい」と言いました。

この盗賊の言った事を考えると、非常に驚くべき事が分かります。この盗賊というのは、おそらく死刑になる前は牢屋に入っていたでしょうし、イエズス様の御説教を聞いた事がないかもしれません。しかし、「御自分の王国に行く時には、思い出して下さい」という事は、単なるそのどこかの王かというだけではなくて、「この方が、天主である」という事も分かっていたようです。

この条件を見ますと、罪が赦される条件が全て綺麗に整っています。彼は悪いと思っていますし、主の事を守ろうとしますので、そこで主はこの人の罪を全て赦されます。

あとルカという方はお医者さんだと言いましたが、それが分かるのは、彼の聖ルカの福音を読んでいますと、何か奇跡のような事を書く時に、お医者さんらしい事を書くので分かります。
Q.こういう表現をご存知でしょうか?
A.ゲッセマニです。

はい。ゲッセマニで主が苦しまれた時に、「血の汗を流された」というのは、聖ルカだけに書いてあります。他には書かれてありません。ある人が、その何か悪魔に憑かれているようなという表現で書いてあるのですが、その人の症状を見ると、何かてんかんの症状のように説明がされています。

Q.ルカという方は、他の何か福音書以外も書かれたでしょうか?
A.使徒行録です。

福音書の後にある使徒行録も彼の筆によるものです。ですからこの使徒のやった事を書く所で、一章一節を見て頂きますと、「私は前の本では、主の行なわれた事を書いたが…」という風に言っていますので、同じ方が2冊目を書いたというのがよく分かります。

「この使徒が為した事はこうである」という事を書いているのですけども、よく読んでみますと、ルカが書いてるのは、「聖ペトロと聖パウロが何をしたか」という事を主に書いています。まず最初は、「聖ペトロが何をしたか」と書いてあります。しかしその後、聖ペトロはローマに移る事になります。それは迫害があったからです。そしてその後ルカが書きますのは、「聖パウロがどこに行って、何をしたか」そしてそれはその頃のアジア、今のトルコですけれども、そこですとか、ヨーロッパ、それから牢屋に捕まっていた時の事も書きます。それは彼が聖パウロとずっと一緒にいたからです。

この使徒行録での一番最後のところは、聖パウロがローマで牢屋に捕まっているところまで書いてあります。

何かご質問はありますでしょうか。

ありがとうございました。


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