2018年11月7日(初水) 全ての死せる信徒の為の随意ミサ
ミサの前のお話
聖ピオ十世会司祭小野田神父
今日は、死せる信者の為の随意ミサを行ないます。
4世紀にはカトリック教会への迫害が終わって、5世紀頃には既に、この死者の為のミサを捧げていた、という事が記録に残っています。
修道院では、よく毎月1回、1日のそのミサを特に、亡くなった修道士や、修道会の為に寄付してくださったり、お手伝いをして下さる恩人や友人や、その他の多くの支援者の為に、この方々の為にお祈りをしていた、ミサを捧げていた、死者の為のミサを捧げていた、とあります。
その特に修道院で発達したのが、毎年1回、全ての死者の為に祈る、という事でした。
決定的だったのが、フランスのクリュニーの大修道院長オディロンが、「毎年1回、全ての死せる信者の為に祈る」ということでした。その日付さえも、11月2日に決めたのです。
そしてこれが全世界に広がりました。
ですから、この「死者の為にミサを捧げる」というのは、どれほどカトリック的で、どれほど伝統のある事か、という事が分かります。
残念ながら新しいミサでは、死者のミサを、こういうミサで捧げるというのは、新しい信仰の為に、「全ての人はもう救われているのだから、別に必要がない」と、死者の為のミサがあまり重要視されなくなってしまいました。
けれども、私たちはこのミサを捧げる事によって、煉獄の霊魂の為にお祈り致しましょう。
ミサの前のお話
聖ピオ十世会司祭小野田神父
今日は、死せる信者の為の随意ミサを行ないます。
4世紀にはカトリック教会への迫害が終わって、5世紀頃には既に、この死者の為のミサを捧げていた、という事が記録に残っています。
修道院では、よく毎月1回、1日のそのミサを特に、亡くなった修道士や、修道会の為に寄付してくださったり、お手伝いをして下さる恩人や友人や、その他の多くの支援者の為に、この方々の為にお祈りをしていた、ミサを捧げていた、死者の為のミサを捧げていた、とあります。
その特に修道院で発達したのが、毎年1回、全ての死者の為に祈る、という事でした。
決定的だったのが、フランスのクリュニーの大修道院長オディロンが、「毎年1回、全ての死せる信者の為に祈る」ということでした。その日付さえも、11月2日に決めたのです。
そしてこれが全世界に広がりました。
ですから、この「死者の為にミサを捧げる」というのは、どれほどカトリック的で、どれほど伝統のある事か、という事が分かります。
残念ながら新しいミサでは、死者のミサを、こういうミサで捧げるというのは、新しい信仰の為に、「全ての人はもう救われているのだから、別に必要がない」と、死者の為のミサがあまり重要視されなくなってしまいました。
けれども、私たちはこのミサを捧げる事によって、煉獄の霊魂の為にお祈り致しましょう。