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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2019年11月17日:聖霊降臨後第二十三の主日の聖伝のミサのラテン語・日本語の対訳テキストをご紹介いたします

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ミサ聖祭 : 天主がわれらに対して行い給うたことを見れば、天主の御旨こそ、平和と愛以外の何ものでもないことを知るであろう。典礼暦年の終りは近い、キリストの再臨とその審判の日も近い。われらは、十字架によって、復活をうける。

主は言い給う。「私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」主は、まだ、裁き主ではない。平和を与える方、救い主だ。本当の平和、永遠の至福を与える方だ。

私たちは祖国(天国)に戻らねばならない。「私たちの国籍は天にあり、そこからこられる救い主イエズス・キリストを待っている。」私たちのこの地上での囚われの身から主は解放してくださる。逐謫の身である私たちは、聖父と聖母とに見えることが出来る!逐謫の時はもうすぐ終わる!天のエルサレムに戻る日は近い!「主よ、願わくは、御民の罪をゆるし給え。われらの弱さにより得た数々の罪の鎖より、御身の優しさを持って解放し給え。」「我は、肉身のよみがえり、終わりなき命を信じ奉る!」

聖パウロに倣おう。聖パウロがしばしば話し、また涙とともに訴えることを聞こう。多くの人は、キリストの十字架の敵として生活している。かれらの行先は亡びである。かれらの天主は自分の腹であり、自分の恥に誇りをおいている。かれらは、この世のことだけにしか興味をもたない。ヒューマニストたちだ。

しかし、私たちは、天主の御憐れみと御恵みにより、十字架に付けられたイエズス・キリストを愛するキリスト教信者だ、私たちは、天からこられる救い主イエズス・キリストを待っている。イエズス・キリストは、私たちの卑しい体を、光栄の体のかたどりに変えられるであろう。「我は、肉身のよみがえり、終わりなき命を信じ奉る!」

聖パウロは、私たちに呼びかけている。「私の慕い愛する兄弟たちよ!私のよろこび!私の冠よ!愛するものよ!」と。本日、書簡において、聖パウロが、キリストの十字架を愛せよとわれらにすすめるのは、キリストへの愛を増せということに他ならない。天国に至ったその時、私たちはこう歌うだろう。「主よ、御身は私たちを苦しめる人々から私たちを解放し給うた。御身は私たちを憎む人々を恥ずかしめ給うた。私たちは代々に御身の聖名に賛美するだろう!」

そうだ。キリスト教信者にとって、死は、復活への待望における眠りだ。キリストの言うとおり「ねむっているのだ」。人々はあざ笑うだろう。しかし、最後の日、イエズスがこの地上にもう一度来られて、私たちは起きあがらせる、永遠の命の為に復活させる。「我は、肉身のよみがえり、終わりなき命を信じ奉る!」



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II Classis 二級祝日 Ant. ad Introitum. Ier. 29,11,12 et 14. 入祭文  エレミア書、29ノ11、12、14 Dicit Dóminus : Ego cógito cogitatiónes pacis, et non afflictiónis : invocábitis me, et ego exáudiam vos : et redúcam captivitátem vestram de cunctis locis. 主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。 Ps. 84, 2. 詩篇、84ノ2 Benedixísti, Dómine, terram tuam : avertísti captivitátem Iacob. 主よ、御身は、御身の地(主の民)を祝福し給うた。御身はヤコブから捕囚を避けさせ給うた。 V/.Glória Patri. ℣. 願わくは、聖父と・・・・(栄誦) Dicit Dóminus : Ego cógito cogitatiónes pacis, et non afflictiónis : invocábitis me, et ego exáudiam vos : et redúcam captivitátem vestram de cunctis locis. 主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。 Oratio. 集祷文 Absólve, quǽsumus, Dómine, tuórum delícta populórum : ut a peccatórum néxibus, quæ pro nostra fragilitáte contráximus, tua benignitáte liberémur. Per Dóminum nostrum. 主よ、願わくは、御民の罪をゆるし給え。われらの弱さにより得た数々の罪の鎖より、御身の優しさを持って解放し給え。天主として・・・・。 Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Philippénses. 使徒聖パウロの、フィリッピ人への書簡の朗読 Philipp. 3, 17-21 : 4, 1-3. 3ノ17-21。4ノ1-3 Fratres : Imitatóres mei estóte, et observáte eos, qui ita ámbulant, sicut habétis formam nostram. Multi enim ámbulant, quos sæpe dicébam vobis (nunc autem et flens dico) inimícos Crucis Christi : quorum finis intéritus : quorum Deus venter est : et glória in confusióne ipsórum, qui terréna sápiunt. Nostra autem conversátio in cælis est : unde etiam Salvatórem exspectámus, Dóminum nostrum Iesum Christum, qui reformábit corpus humilitátis nostræ, configurátum córpori claritátis suæ, secúndum operatiónem, qua étiam possit subícere sibi ómnia. Itaque, fratres mei caríssimi et desideratíssimi, gáudium meum et coróna mea : sic state in Dómino, caríssimi. Evódiam rogo et Sýntychen déprecor idípsum sápere in Dómino. Etiam rogo et te, germáne compar, ádiuva illas, quæ mecum laboravérunt in Evangélio cum Cleménte et céteris adiutóribus meis, quorum nómina sunt in libro vitæ. 兄弟たちよ、私に倣え。あなたたちの模範である私たちにしたがって生活している人々を見よ。私がしばしばはなし、いままた涙とともに訴えることであるが、多くの人は、キリストの十字架の敵として生活している。かれらの行先は亡びである。かれらの天主は自分の腹であり、自分の恥に誇りをおいている。かれらは、この世のことだけにしか興味をもたない。しかし、私たちの国籍は天にあり、そこからこられる救い主イエズス・キリストを待っている。かれは、万物を支配下に置く力によって、私たちの卑しい体を、光栄の体のかたどりに変えられるであろう。そこで、私の慕い愛する兄弟たちよ、私のよろこびと冠なる者よ、愛するものよ、主において固く立て。私は、エヴォディアに勧め、シンティケに勧める。主において仲よく生きよ。私のまことの仲間であるシジゴスに頼む。かの女たちを助けよ。いのちの書に名をしるされているクレメンス、その他の協力者と同様に、かの女たちも、福音のために私とともに戦った人々だからである。 Graduale. Ps. 43, 8-9. 昇階誦 詩篇、43ノ8-9 Liberásti nos, Dómine, ex affligéntibus nos : et eos, qui nos odérunt, confudísti. 主よ、御身は私たちを苦しめる人々から私たちを解放し給うた。御身は私たちを憎む人々を恥ずかしめ給うた。 V/. In Deo laudábimur tota die, et in nómine tuo confitébimur in sǽcula. 私たちは天主において一日中賛美されるだろう。そして私たちは代々に御身の聖名に賛美するだろう。 Allelúia, allelúia. V/.Ps, 129, 1-2. アレルヤ、アレルヤ、 ℣.詩篇、129ノ1-2 De profúndis clamávi ad te, Dómine : Dómine, exáudi oratiónem meam. Allelúia. 深い淵から、主よ、私は御身に向かって叫んだ。主よ、私の声を聞き入れ給え。 + Sequéntia sancti Evangélii secúndum Matthǽum. マテオによる聖福音の続誦 Matth. 9, 18-26. 9ノ18-26 In illo témpore : Loquénte Iesu ad turbas, ecce, princeps unus accéssit et adorábat eum, dicens : Dómine, fília mea modo defúncta est : sed veni, impóne manum tuam super eam, et vivet. Et surgens Iesus sequebátur eum et discípuli eius. Et ecce múlier, quæ sánguinis fluxum patiebátur duódecim annis, accéssit retro et tétigit fímbriam vestiménti eius. Dicébat enim intra se : Si tetígero tantum vestiméntum eius, salva ero. At Iesus convérsus et videns eam, dixit : Confíde, fília, fides tua te salvam fecit. Et salva facta est múlier ex illa hora. Et cum venísset Iesus in domum príncipis, et vidísset tibícines et turbam tumultuántem, dicebat : Recédite : non est enim mórtua puélla, sed dormit. Et deridébant eum. Et cum eiécta esset turba, intrávit et ténuit manum eius. Et surréxit puella. Et éxiit fama hæc in univérsam terram illam. その時、こう話しておいでになると、一人の司が近よってひれ伏し、「私の娘が、いま死にました。ですが、あの子のうえに、あなたの手をのべにおいでくだされば、あの子は、生きかえりましょう」といった。イエズスは立ちあがって、弟子たちをつれて司についていかれた。すると、十二年前から出血症をわずらっていた女が、イエズスのうしろから近づいて、そのお服の房にふれた。そのお服にふれただけで、私はなおるにちがいない、と心にいいきかせていたからである。イエズスは、ふりかえって、かの女を見て、「娘よ、信頼せよ。あなたの信仰があなたを救った」とおおせられた。女は、このときいやされた。さて、司の家についたイエズスが、笛吹きと、さわぐ人々とをみて、「みなさがれ。娘は死んではいない、ねむっているのだ」と、おおせられると、人々はあざ笑った。群衆を追い出してから、イエズスがはいって、娘の手をおとりになると、娘は起きあがった。この噂は、その地方一帯にひろまった。 Credo 信経 Ant. ad Offertorium. Ps. 129, 1-2. 奉献文 詩篇、129ノ1-2 De profúndis clamávi ad te, Dómine : Dómine, exáudi oratiónem meam : de profúndis clamávi ad te. Dómine. 深い淵から、主よ、私は御身に向かって叫んだ。主よ、私の声を聞き入れ給え。深い淵から、主よ、私は御身に向かって叫んだ。 Secreta. 密誦 Pro nostræ servitútis augménto sacrifícium tibi, Dómine, laudis offérimus : ut, quod imméritis contulísti, propítius exsequáris. Per Dóminum nostrum. 主よ、我らの服従の増加ために、われらは御身に讃美のいけにえをささげ奉る。そは、御身が功徳無き我らになさり給いしことを、御身が憐れみ深く完うし給わんためなり。天主として・・・・。 Præfatio de sanctissima Trinitate 序誦  三位一体の序誦 Ant. ad Communionem. Marc. 11, 24. 聖体拝領誦  マルコ、11ノ24 Amen, dico vobis, quidquid orántes pétitis, crédite, quia accipiétis, et fiet vobis. 真に私はあなたたちに言う。あなたたちが祈って願うことは何であれ、あなたたちはそれを受けるだろうと信じよ。そうすればあなたたちにそのようになるだろう。 Postcommunio. 聖体拝領後の祈 Quǽsumus, omnípotens Deus : ut, quos divína tríbuis participatióne gaudére, humánis non sinas subiacére perículis. Per Dóminum. 全能の天主よ、御身は、天主の玄義への参与によりよろこぶを与え給う、願わくは、人間的な危険に陥ることを許し給うなからんことを。天主として・・・・。

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