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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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無原罪の御孕りというのは一体、どんな御恵みだったのか?無原罪の御孕りは一体何の為であったのか?私たちに一体どんな意味があるのか?

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2019年12月7日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ(大阪)
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教


聖母の聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年12月7日、聖アンブロジオの祝日です。また12月の最初の土曜日、つまり初土曜で、マリア様の汚れなき御心の随意ミサを行なっています。

今日は初土(はつど)ですので、このミサが終わりましたら初土の信心を致しましょう。特にマリア様と共に、御聖体の前で、15分の黙想を致します。聖ピオ十世会と日本をマリア様の汚れなき御心に奉献を更新致しましょう。また、明日の大祝日の準備の為のノベナも致しましょう。

明日は夕方の18時から、フォルティン神父様がミサをして下さいます。

12月は、22日の主日から29日まで、1週間ミサがあります。
フォルティン神父様がなさって下さいます。クリスマスにもミサがあります。

2つ目のお知らせです。私たちの御聖堂に数年間、一生懸命通って公教要理を勉強してきた私たちの姉妹が、クリスマスに「マリア・フィロメナ」という洗礼名を受けて、天主様の娘となるという予定です。この姉妹が良い準備を続けて、立派なマリア様の良い、ますます良い娘となりますように、特別の熱いお祈りをお願いします。

そしてまたここにいらっしゃる、今洗礼の準備をされている兄弟の為にも、皆さんのお祈りをお願いします。マリア・フィロメナが洗礼を受けると、日本では今年、15名が洗礼を受ける事になります。たくさんのお祈りをお願い致します。


“Ecce mater tua.”
「汝の母を見よ。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日福音でイエズス様が、聖ヨハネを通して私たちに、荘厳に宣言されました、マリア様を指して、「汝の母を見よ。」

今日、無原罪の御孕りの大祝日というその前に、ぜひ「無原罪の御孕りというのは一体、どんな御恵みだったのか?」
明日、フォルティン神父様が素晴らしく説明して下さいますが、無原罪の御孕りを少し垣間見る事に致しましょう。

⑴無原罪の御孕りは一体何の為であったのか?

⑵私たちに一体どんな意味があるのか?

⑶最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴愛する兄弟の皆さん、「天主が人となった」、「私たちが天主の高みに上げられた」というのは、私たちの想像を絶するほどの、ものすごい高貴なものです。

私たちがたとえ、もしも「日本の天皇家の皇族になった」と言っても、それは「私たちが天主の命に参与するようになった・与るようになった」という事に比べれば、何でもない事です。

なぜかというと、私たちが上げられた天主の本性とは、無限の高みにまで上げられたことだからです。

このすべての被造物の、最も高貴な、最も素晴らしい善、最も価値のあるものであったとしても、天主のその永遠の善、無限の富、命、その泉、根源と比べれば、何でもありません。なぜならば、全てのこの地上の、この全宇宙の善・美・真理は、天主から由来するからです。この地上の全てを超越する御方であるからです。制限のない善であるからです。その天主の本性を、私たちが、私たちのものとする事ができるのです。天主の本性を私たちが受けました。

ただ私たちにとっての悲劇は、最初の先祖が、私たちの人類の頭が、そのとてつもない御恵みを、ドブに捨ててしまった事です。それを拒否してしまった事です。

しかし天主はイエズス・キリストは、私たちにそれを、「もう一度回復させよう」と望まれました。その為にこそ、私たちの人間の本性をとって、クリスマスに御生まれになります。その為にイエズス様は、特別の母親を準備しました。マリア様です。

使徒信経で言われるように、「聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ」る為に、聖霊によりて人となり、童貞マリアから生まれる為に、マリア様を特別に準備されました。これは使徒の時代から、私たちに伝えられた真理であって、教皇ピオ九世が今から約150年前、1854年に荘厳に宣言した事です。

アダムとエヴァが、ものすごいとてつもない贈り物を、高貴な身分を足蹴にして捨ててしまった時に、天主はアダムとエヴァに約束しました。「救い主を送る」と。

そして「私は、この女の子孫とお前の子孫(蛇)との間に、敵対を置く。彼女はお前の頭を踏み砕くだろう。」

教会の古代からの聖人や教父や、聖書を深く研究していた人は、声を揃えて言います、「この約束された女性というのは、マリア様の事である。マリア様と蛇の間には、絶対的な敵対関係がある。」

これはどういう事かというと、マリア様と蛇は一度も、その一部になった事がないという事です。

つまり「マリア様は一度も、悪魔と罪の支配下に置かれた事がない、一瞬たりとも無い」という事です。

旧約聖書の色々なところには、マリア様を預言するような記事がたくさんあります。例えば有名なソロモンの雅歌には、「谷間に咲く綺麗な、棘の中に咲くけれども、決して傷付けられない百合」、あるいは「全く浄い鳩」、あるいは「お前は全く美しい」と、花婿が花嫁に対して言っているその言葉、などがあります。

あるいはゲデオンの毛衣。ある時にはその毛衣だけが濡れて、大地は全く乾いていた、その翌日には、その毛衣だけが露で濡れずに、大地が露に濡れた。これはマリア様の無原罪の御孕りを預言していたものでした。

その他、数え切れないほどの旧約聖書の預言が、マリア様と悪魔との敵対関係の成就に繋がっています。「マリア様が悪魔との支配下に落ちなかった」という事はつまり、「一度も罪の汚れを知らなかった」という事です。

ちょうど全人類の歴史がこの祭壇のカーペットだとすると、それを遥かに超越する永遠の天主は、来たるべきイエズス様の、無限の十字架のいけにえの功徳を見通して、それを既に先取りして、マリア様に、マリア様がそのお母様聖アンナの胎内に孕るその瞬間に、マリア様がこの地上に存在し始めるその瞬間に、それを適用させました。

そこでマリア様の霊魂は、その存在の瞬間から、その最初から、聖寵の充満を受けていました。

天使たちが、あるいは天国で私たちが、その事実を知れば知るほど、その霊魂の美しさに、その太陽の燦然と輝くようなその美しさに、その霊魂の清さに、きっと恍惚としてしまって、えも言われないその美しさに、全天国は讃美と喜びの讃歌を歌うに違いありません。

もしも大自然の、私たちが大自然の山に登って、あるいは紅葉を見て、あるいは雪の美しさを見て、あるいは綺麗な澄み通った海を見て、あるいは太陽、あるいは星を見て、「あぁ、どれほどこの自然は美しいのか!」と思うのならば、感嘆して詩人は俳句を書き、あるいは歌を歌うとしたら、マリア様のその最初の瞬間の美しさは、大自然のどのような美しさも比較にならないほど、更に美しく、更に神々しく、更に輝いているものです。

それを見て、天主聖父は、このような霊魂を創造した事をどれほど御喜びになった事か。
天主聖子は、この美しい霊魂を自分の母とするという事をどれほど御喜びになった事か。
天主聖霊は、この美しいマリア様の霊魂に於いて、聖子の御託身というものすごい大奇跡を、天地を驚かせるようなこの御託身の奇跡を起こすという事を、どれほど嬉しく思った事か。
そしてこの三位一体の大傑作を、天国ではものすごい讃美を以て祝っている事かを、私たちは想像するに難くありません。


⑵一体、これが私たちの少し垣間見るマリア様の霊魂の浄さ、罪の汚れの無さ、その美しさですけれども、言葉をいくら尽くしても足りません。しかし、もしもそのような口で言い尽くす事ができない、永遠があってもそれを讃美し尽くす事ができない、そのマリア様の霊魂の美しさ、無原罪の御孕りは一体、何の為にあったのでしょうか?

まずそれは、イエズス様が、マリア様を御自分の母とする為です。汚れの無い御方を御自分の母とし、そして自分の神殿とする為です。御聖櫃とする為です。

それだけではありませんでした。マリア様を第2のエヴァとして、私たちの優しい、私たちの為にいつも心を砕いて執り成しをして下さる、そして私たちの為に何でもする準備がある、全く良い、憐れみの母を、私たちに下さる為でした。

日本では有名なフォークソングや歌があります。
「お母さんが夜なべをして、冬は寒いだろうからと言って、毛糸で何かを編んでくれた。あぁ、そのお母さんの庵の匂いがして、これはお母さんの心が伝わって、ありがたい。あぁ、お母さんの事が思い出される」等々。

いろいろな歌がありますけれども、しかしマリア様の母心は、その世界中の全ての良い母親と比べれば、それを全て合わせても、足りないほどです。

決して悪魔に負けた事がない、悪魔の支配下に落ちた事がない、悪魔の恐れであるマリア様が、またイエズス様に対して命令を下す事ができる母であるマリア様が、実は私たちの母として、しかも優しい、憐みの、私たちの事を弱さをよく理解して下さる母として、私たちを助ける為に与えられた。その無原罪の御孕りとはまさに、その「私たちの母」の準備でもあったのです。

その天主様の憐れみとその心遣いに、私たちは感謝をどのようにしてよいか分かりません。たとえこの世で一番力のある王様や、あるいは天皇陛下、あるいは大統領のお母さんが、私たちの実は母だ、このお母さんが言えば何でも聞く、だとしても、マリア様には及びません。

「天主の母が、私たちの母となる」これほどのプレゼントがあるでしょうか。


⑶この無原罪の御孕りを、マリア様の、私たちの母の、その汚れの無さを、私たちは讃美しつつ、明日の大祝日を準備致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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