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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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なぜ人間の命は大切で尊重しなければならないのか?その深い理由は?私たちに与えられたその命は何の為にあるのか?

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2019年12月7日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ(東京) 
聖ピオ十世会司祭 小野田神父様御説教


聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2019年12月7日、12月の初土曜日です。
ここで初土の信心のミサを行なう事ができて嬉しく思います。

今日このミサにいらした方には、そのマリア様を愛する心の滲み出るのを感じております。今日来た方には特別に、新しく出来たばかりのカレンダーをどうぞ無料で取って行って下さい。
本当に皆さんがミサにたくさんいらっしゃって下さって、感謝致しております。
マリア様がどれほどお喜びになっている事か、その天国でのマリア様の微笑みを感じるようになさって下さい。

明日はマリア様の特別の御恵みの大祝日です。聖母の無原罪の御孕りです。10時半からミサがあります。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日私たちは、生まれつつある子供たちの為の、特別の命のミサを行なっています。

それでぜひ今日は、
⑴一体なぜ、人間の命がそれほど大切なのか?なぜ、人間の命をこうやって尊重しなければならないのか?その深い理由をぜひ知って下さい。

⑵そして人間の、私たちの命を守る為に、私たちは何をしなければならないのか?そして私たちに与えられたその命は何の為にあるのか?その目的を深く知って下さい。

⑶そして最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴第1に、では一体なぜ、命はそれほど大切なのでしょうか?

それは深い意味があります。カトリック信者であるからこそ、答える事ができる理由があります。

なぜかと言うと、私たち人間は、他の動物とは違って、天主の像と似姿に似せて、創造されてあるからです。

創世記によると、「天主は最初に、男と女を創った。そしてこれを御自分の『像』“image”と、『似姿』“similitudo”に従って、御創りになった」とあります。

神学者は、この2つの単語が使われている事を見てこう指摘します。

「天主の像」と言われた時には、自然の状態のことだ、と。天主のイメージ(像)に従って、つまり知性を持ち、自由意志を持って、真理が何であるかをはっきりと知り、そして善と悪を区別し、自由に真理を認めて、そして善を自由に選ぶ、そして天主を愛する者として創りました。これは自然の段階です。

更にこれを使って、超自然の段階に行くことができるように、天主の似姿に、天主の命を受ける事が、天主の本性に与る事ができるように、この自然を高めました。

ですから、私たちは生まれた時から、たとえ天主の聖寵の御恵みが無かったとしても、「天主の像である」という事には変わりがありません。知性とそして自由意志を持って、自由決定能力を持って、善を選ぶ事ができる、その天主の像が私たちの中にあるのです。

ちょうどこのマリア様のお写真、あるいはイエズス様のお写真、あるいは誰かの愛するお母様のお写真、あるいは写真を、もしもこの児童会館の会長のお写真を、誰かが破ったり、踏みにじったりしたり、壊したりしたら、私たちは非常な憤りを感じます。

天主も、私たちの中に御自分の像を見ているので、「これを大切にするように」と命じました。

命は、天主だけが私たちに与える事ができて、天主だけが取る事ができます。

特に、罪の無い人々の命は、私たちは絶対に守らなければなりません。たとえその方が病気を持っていたとしても、あるいはその方は不自由だった、その方が自分一人では歩く事ができない、目が見えない、耳が聞こえない、あるいはその他の苦しみを持っていたとしても、罪の無い人の命を奪う事はできません。天主から与えられた、神聖な命であるからです。

もちろん、お母さんのお腹の中に宿る命は、既に人間の命です。受精の瞬間から人間です。たとえ生まれていなくても、人間として生きています。ですからその命を守らなければなりません。

「あぁ、その赤ちゃんはいらない」などと誰も言う事ができません。天主が与えた命であるからです。天主の像であるからです。貴重なかけがえのない命であるからです。

もちろん、その「天主の命を守る」という事は、殺害してはいけないのみならず、傷付けてもいけません。害を与えてもいけません。大切にしなければなりません。健康を守るように、私たちは心を配らなければなりません。ですから、理由もなく体に傷を付けたり、あるいは刺青を入れたりとか、あるいは体を改造したりとかというのは、カトリックの教えではありません、それは許されてはいません。なぜならば、天主の神聖な像であるからです。

ただ唯一、例外として認められてあるのは、もしも癌があったり、あるいは破傷風だったり、「自分の命を守る為に、命の維持の為に、どうしても手術をしなければ命が失われてしまう」という時には、全体を守る為に、一部の腐った部分を切り取る、切断してしまう、という事が許されています。

あるいは命を守る為に、「誰か他の人から襲われた」という時には、私たちは正当防衛をする事ができます。しかし目的は、「命を守る為」であって、殺害する為では傷付ける為ではありません。

同じように、もしも悪意のある、不正な侵略を受けた場合には、正当な戦争もする事ができます。正当防衛です。

さらに、もしも社会の中に腐った部分があって、罪の無い人々を殺害する、殺してしまう、あるいは傷付けるという時には、仕方がなく、正当な審判の裁判の後には、死刑も認められています。社会全体を守るためです。

しかし決して、罪の無い人を殺す事はできません。なぜかと言うと、天主の像であるからです。


⑵では一体第2に、何で、なぜ天主は、これほど私たちの命を大切にしようとして、その命の目的は何なのでしょうか?

それは、天主の像として創られた私たちが、これを良く使って、この人生、この自然の命を良く使って、天主の似姿になるように、天主の命を受ける事ができるためです。

今までの天主の像という、自然のレベルから無限の高みにまで上げられる事ができるように、超自然の天主の本性に与る事ができるように、その為です。

つい最近私たちは、天皇陛下の玉座の着座の式があったり、色々な、遂には今までその皇太子であられた方が陛下となられたという儀式を見ました。

ところで「私たちが、ただのこの自然の段階から、天主の高みに上げられる」、これこそ人間にとって最も高貴で、最も尊厳のある、高い御恵みです。「天主の似姿に、天主の本性に与る事ができるようになった。天主の玉座に着く事ができるようになる」という事ですから。

その為にこそ、私たちのこの命が与えられています。限られた命が与えられています。殉教者はこの命を守る為に、超自然の命を守る為に、この自然の命さえも放棄してしまったほどです。

愛する兄弟の皆さん、どうぞ今私たちが命を守る、その「なぜ命を守るのか」という事をよく深く知って下さい。

天主の姿で、像であって、そして天主の永遠の命を生きる者となる為です。それほどの高みを、高い高貴な使命を受けた、高い命まで高められる事ができる人間の生命であるからこそ、私たちは更に守らなければなりません。

もしも、罪のある人間の命が守られますように、と色々な人々が運動しているのであれば、更に私たちは、超自然の命が守られるように、と奮発しなければなりません。

その為にこそ、「罪の無い命が、特に母親の胎内にいる命が守らなければならない」と主張しなければなりません。


⑶では最後に、マリア様の汚れなき御心にお祈り致しましょう。

私たちには特に、今日のミサに集う私たちには、今生きている、というその命の恵みが与えられて、更に超自然の御恵みさえ与えられている、特別の高みまで上げられている、その最高の価値が与えられている、という事を感謝致しましょう。

私たちが今、私たちのこの天主の子供という高い身分は、マリア様とイエズス様が二人で、十字架の苦しみを受けて、そしてその御血の無限の功徳によって、勝ち得た身分です。その高貴さです。第二のアダムとエワであるイエズス様とマリア様のお陰で天主の永遠の本性に与る事ができています。その事を感謝致しましょう。

そして願わくは、この地上に生まれてくる子供たち、そして今生きている多くの方々が、特に日本にいらっしゃる方々が、この命の大切さに目覚めますように。

特に、罪の無い、お母さんの胎内にいる赤ちゃんたちの大切さに、かけがえのなさに、天主様から望まれた命である、という事に気が付きますように。

この命を守るように、全力を尽くしますように。

そしてその霊魂、赤ちゃんたちが、今生きている人たちが、更に天主の命の高みまで上げられますように、マリア様に是非お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


Photo Credit


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