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ヨゼフ・ファデル(Joseph Fadelle)著 『支払うべき値』 The Price to Pay

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 マニラの修道院では、昼食の最初の15分間、沈黙がありその間に本の朗読があります。最近では『支払うべき値』(The Price to Pay)という本を朗読して皆で効きながら昼食を摂っています。


The Price to Pay


 ヨゼフ・ファデル(Joseph Fadelle)という元イスラム教徒がカトリックに改心した実話です。





 ヨゼフ・ファデルは、もともと裕福なイラクの貴族の生まれで、有力な父親の財産を相続するべく特に寵愛を受けていました。1987年に兵役の義務を果たす間、カトリックのイラク人マスッドと同じ部屋で過ごします。ファデルはマスッドをイスラムに改宗させようとし、キリスト教にはコーラン(クルアン)のような本があるのかと尋ねると、聖書がある、と言われます。そして同僚のマスッドから君は本当にコーランを理解して読んだことがあるのか、と問われ、コーランを理解するために読みます。しかし、ファデルは、コーランを読めば読むほど、イスラム教のおかしさに疑問がわいてきます。(たとえば、アンニサと呼ばれる女性に関する章(スラ)の34節、何故男性は必要なら女性を殴っていいのか? クルアンの学者(アヤトラー)である家族の友人のシェイク・アリ・アヤトラ師に疑問(何故女性が男性の所有物になるのかスラ2:223)を打ち明けると、その答(男性は女性にどのようなこともして良い、ただしモスクの中と、ラマダンの時を除く)に失望します。また、預言者(モハムマッド)の行動にも失望します。

 ますますイエズス・キリストを知りたいと思い、カトリック教会に改宗を求めるのですが、ことごとく拒否されます(!)。司教様から「出て行け!」と叫ばれたこともあります。しかし「命のパン」を求めて、すべてを堪え忍んでいきます。

 まだ、この本は途中ですが、朗読を聞きながら、あまりにもドラマに、食べることも忘れてしまいそうです。愛する兄弟姉妹の皆様も是非、お読みください。







さて、今回は、ネリー神父様の大阪でのお説教の書き起こしをご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2014年11月14日 司教殉教者聖ヨザファト 
ネリ神父様御説教

聖父と聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。

親愛なる兄弟の皆さん、信徒の皆さん、今日は聖ヨザファトの祝日を祝う為に集っています。
聖ヨザファトは、東欧の国に生まれて司教になり、信仰の為に十七世紀に殉教しました。

ミサを捧げる時には、もちろんミサの実りである生贄を捧げますが、それのみならず、私達に信仰の模範をも与えたい、と教会は考えています。
私達各々が、特別の天主様からの使命が、ミッションが与えられているので、その聖徳について、全く皆が同じであるとは限りませんが、しかし教会は私達に聖徳を黙想するように、観想するように招いています。
聖人達は私達に非常に近い存在であります。何故かというと、諸聖人の通功によって、またキリストの神秘体の、私達もその一部であるからです。私達はこの戦闘の教会、この地上にいる教会のみならず、凱旋の教会、天国の教会、煉獄での苦しむ教会、その三つの教会が愛徳の絆によって、一つとなっている、一つである、という事を信仰によって知っています。
天国での凱旋の教会のある諸聖人達と、煉獄の苦しむ教会の聖なる霊魂達と、私達この地上で悪と闘っている戦闘の教会は、ダイナミズムの大きな力動によって結ばれています。

聖ヨザファトは東欧のリトアニアに生まれたのですけれども、リトアニアには離教の教会に属している人々が多くいました。ところが、この聖ヨザファト自身は、カトリックの両親から生まれ、自分はカトリックとして育てられていました。子供の頃母親からイエズス様の御受難の話をよく聞いていて、幼い頃から既に、心に、心臓に、イエズス様の御受難の傷を受けていました。これは愛の傷でした。聖ヨザファトは子供の頃から、教会から離れている離教の人々について心配していました。救霊を心配していました。
二十歳になると聖バジリオ修道会に入会し、後には大司教となって、離教のキリスト教徒らを、カトリックの懐へと戻そうと努力をしました。
聖ヨザファトの説教と、良い模範と犠牲と祈りによって、多くの霊魂達は教会に戻りました。
しかし、離教徒達はこのような活動におもしろく思っていませんでした。そこで、彼らは陰謀を企み、聖ヨザファトについて色々な事について告発しました、非難しました。
聖ヨザファトは既に殉教の時が来ていると知っていました。ある時、聖ヨザファトであるかと聞かれた時に、ちょうど私達の主のように、「そうだ、私がここにいる。」と、それをその通りに言って、逮捕されました。
生きたまま聖ヨザファトは袋の中に入れられて、川の中に投げ捨てられました。

この模範の大切なポイントは、忠実であるという事と、もう一つは私達の主が仰ったような愛徳です。つまり「兄弟の為に自分の命を与えるほど大きな愛はない。」と、言ったその愛徳です。
聖ヨザファトは私達に、信仰の問題である時にはいかなる妥協もない、という事で私達に模範を示しています。

現代、本当の意味の離教者や、本当の意味の異端者は、全く別の見方で、エキュメニズムという見方によって、全く別のように考えられています。
この間違ったエキュメニズムは、離教徒や異端者である人達が、そのまま離教や異端である考えをもったまま、同じグループであるかのように信じさせてしまって、これは、偽りの愛徳である、と言わなければなりません。
何故かというと、本当の信仰を伝えようとしていないからです。
何故かというと、救霊に至る為の唯一の道は、カトリックの信仰を告白する事であり、カトリックのクレドを告白する事であるからです。

私達もこの聖ヨザファトの模範と、この本当の意味のエキュメニズムに協力する事ができます。それは、私達の祈りと犠牲と模範によって、離教或いは異端者をカトリックの信仰に導く、という事です。

もちろん、私達がこの命を捨てるこの殉教まではできないまでも、しかし私達の命をイエズス様にお捧げして、カトリック信仰をもたない方々が、カトリック信仰をもつ事ができるように、私達が力を尽くす、という事こそ、私達にできる信仰と愛の業であります。
これはまたマリア様の御要求に応える事でもあります。マリア様は、色々な認可を受けた御出現の所で、罪人の回心の為に祈るように、私達にお願いされているからです。

この同じ事を、私達はミサの集祷文の中でお祈りしています。
≪主よ、願わくは、主の司教殉教者聖ヨザファトを充たし、自分の羊の為に命を与えさせたその霊を、公教会に与え給え。彼の取り次ぎにより、我らにもその霊を与え、我らを動かし、強め、兄弟の為に命を甘んじて与えさせ給え。その同じ聖霊との一致において、神として、御身と共に世々に生き且つ治め給う我らの主、聖子イエズス・キリストによりて、アーメン。≫
この祈りの中で最も偉大な祈りはミサでありますから、このミサの中で皆さんのご意向の為に、カトリック信仰を知らない、カトリック信仰の一致にいない人々の為に、彼らが信仰に導かれるように、信仰の一致に導かれるように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。



聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




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