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グレゴリオ聖歌の Alma Redemptoris Mater を巡って

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 11月15日には、皆さんとグレゴリオ聖歌の Alma Redemptoris Mater を歌いました。歌詞は次の通りです。

Alma Redemptoris Mater, quae pervia caeli
Porta manes, et stella maris, sucurre cadenti,
Surgere qui curat populo: tu quae genuisti,
Natura mirante, tuum sanctum Genitorem,
Virgo prius ac posterius, Gabrielis ab ore
Sumens illud Ave, peccatorum miserere.

【最初の3行が、-aeli, -enti, -isti で韻を踏み、最後の3行で -rem, -re, -reで韻を踏んでいます。】




Alma Redemptoris Mater は、Herman Contractus が11世紀に作詞しました。
14世紀のイングランドのチョーサーが書いた『カンタベリー物語』の中にも、この聖歌のことが出てきます。

ところで、この歌詞は、文法的にはちょっと複雑です。そこで、愛する兄弟姉妹の皆様にここで、解説を申し上げます。

Alma Redemptoris Mater というのは、正確には「贖い主の養母」という意味です。正確に言うと「救い主のうるわしき母」ではありません。何故なら、Alma Mater というのは「養い育てる母」という意味で、英語では、出身の「母校」のことを Alma Mater とも言います。Redemptoris というのは、Redemptor(贖い主)の格変化したもので、「贖い主の」と言う意味です。

pervia というのは、通り抜ける、道がつながっている、アクセス可能な、と言う意味です。

ですから、quae pervia caeli Porta manes, et stella maris, は、(あなたは)天国の門につながりつつ、また海の星として、留まっている、という意味です。【注1】

問題は次の sucurre cadenti, Surgere qui curat populo です。
Sucurre は、「助けに走ってきてください」
cadenti は、「倒れつつある者のため」で、populo に掛かって「倒れつつある民のため」です。
qui curat は、cadenti populo に掛かっています。何を curat するのかと言うと、surgere に掛かって、立ち上がるのを curat するです。

ですから、もしもこれが、Sucurre cadenti populo qui curat surgere となっていれば、もっとわかりやすくなります。

あと、tu quae genuisti, Natura mirante, tuum sanctum Genitorem,
に出てくる Genitorem ですが、これは Genitor 「生み出す者」という意味で、通常は、聖父のことを指すのによく使われます。しかしここでは被造物を生み出した「創造主」という意味で、御子のことを指しています。ご注意ください。

 ところで、この Alma Redemptoris Mater を歌いながら、Ave Maris Stella の歌詞とそっくりなことに気がつきました。今まで、何気なく歌ってきたのですが、同じような言い回しがたくさん出てきます。そこで、調べてみると、Ave Maris Stella の方が、より古く、スイスのザンクトガレンの9世紀の写本にはこの歌があります。ということは、すでに8世紀にはこの歌が存在していたことが想像されます。
Alma Redemptoris Mater
Alma Redemptoris Mater, quae pervia caeli
Porta manes, et stella maris, sucurre cadenti,
Surgere qui curat populo: tu quae genuisti,
Natura mirante, tuum sanctum Genitorem,
Virgo prius ac posterius, Gabrielis ab ore
Sumens illud Ave, peccatorum miserere.

Ave Maris Stella
AVE maris stella,
Dei Mater alma,
atque semper Virgo,
felix caeli porta.

Sumens illud Ave
Gabrielis ore,
funda nos in pace,
mutans Hevae nomen.

Solve vincula reis,
profer lumen caecis
mala nostra pelle,
bona cuncta posce.

Monstra te esse matrem:
sumat per te preces,
qui pro nobis natus,
tulit esse tuus.

Virgo singularis,
inter omnes mites,
nos culpis solutos,
mites fac et castos.

Vitam praesta puram,
iter para tutum:
ut videntes Iesum
semper collaetemur.

Sit laus Deo Patri,
summo Christo decus,
Spiritui Sancto,
tribus honor unus. Amen.


【注1】Pervia という単語は、次の賛歌にも出てきます。

Fit porta Christi pérvia
omni reférta grátia,
transítque rex, et pérmanet
clausa, ut fuit, per sæcula.

Summi Paréntis Fílius
procéssit aula Vírginis,
sponsus, redémptor, cónditor,
suæ gigas Ecclésiæ:

Honor matris et gáudium,
imménsa spes credéntium,
lapis de monte véniens
mundúmque replens grátia.

Exsúltet omnis ánima,
quod nunc salvátor géntium
advénit mundi Dóminus
redímere quos cóndidit.

Christo sit omnis glória,
quem Pater Deum génuit,
quem Virgo mater édidit
fecúnda Sancto Spíritu. Amen.

 さて、前置きが長くなりましたが、今回は、ネリー神父様の大阪でのお説教11月15日の分の書き起こしをご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2014年11月15日 教会博士司教証聖者大聖アルベルト
ネリ神父様御説教

聖父と聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。

兄弟の皆さん、昨日は聖ヨザファト、司教であり、殉教者であった聖人を祝いましたが、今日は大聖アルベルト司教、証聖者、教会博士の祝日を祝っています。
「大聖」と付く、この「聖」の前に「大」が付く方は、典礼歴の暦の中では四名いますが、その内の一人です。これは、大聖アルベルトがその聖徳がより優れていた、という事を意味しています。

この四名「大」が付く聖人がいると言いましたが、その残る三人は、大聖レオ教皇様、もう一人は大聖グレゴリオ、やはり教皇様、残る最後の方は女性で、修道女で、聖ジェルトルードで、この方は、この聖人は特にビジョンと、イエズス様の聖心に対する信心によって有名な方です。

大聖アルベルトは、ドミニコ会の修道士であり、ケルンの大学で教えていました。特にその弟子の中には、聖トマス・アクィナスがいます。
大聖アルベルトの持っていた偉大な徳とは、特に知性に関わるものであり、まさに今日福音で読まれた「この世を照らす光」であり、「この世の地の塩」でありました。
大聖アルベルトの著作は、三十八巻もの巨大なものになっており、その論じた内容は、形而上学、或いは天文学、或いは化学、その他の多くの世俗の学問、もちろん、神学についても沢山の著作を残しています。

大聖アルベルトは特に、聖トマス・アクィナスの以前に、アリストテレスの、キリスト教ではないアリストテレスの哲学を純化させて、その内の有効な真理だけを浄化させて、聖トマス・アクィナスに伝えた役割があります。

この知的な、知性における特別な御恵みについては、大聖アルベルトは若い時から、イエズス様によって与えられている事を知っていました。何故かというと、まだ若い時に、マリア様からのビジョンを受けて、それによれば、「この莫大な博学の恵みを受けるだろう。」と言われていたからです。「しかし、その死の前にはそれらを全て、特に記憶が無くなってしまうだろう。」という事をも、あらかじめ知らされていました。

人生の終わり、老年になってある日、生徒達の前にいつもの様に講義をしていたのですけれども、突然、話をする事ができなくなりました。この突然の事は、千二百七十八年、大聖アルベルトが亡くなる二年前に起こりました。二年間の間、大聖アルベルトは、この屈辱と、この全く無能となってしまった事を苦しまなければなりませんでした。おそらくこれは、まだもしかしたら残っていたかもしれない自己愛や、或いはちょっとしたプライド等を浄める為に、完全に主のものとなる為の浄めの時期であったかもしれません。

これは私達に何を示しているかというと、聖人という事は、つまり聖人になるとは、罪が全くないという事ではない、ということです。そういう事ではなくて、聖人になるという事は、私達の持っている欠点や、或いは私達が受けるかもしれない誘惑や、或いは困難な事に対して立ち向かって、それに打ち勝って、徳を身につける、という事にあります。つまり私達は人生において、その誘惑と戦い、徳を身につける為の闘いをしなければならない、ということです。

ですから、聖人というのはすなわち、欠点がないとか、誘惑がないとか、闘いがないのではなくて、闘ってその徳を勝ち取った、という事にあります。
そこで、私達も生涯終わりまで、聖徳を身につけるように努力をしなければなりません。

聖トマス・アクィナスの著作をフランス語に訳した、解説した神学者たちの意見によれば、「大聖アルベルトも聖トマス・アクィナスもこの偉大な神学者たちは、その中世の自分の時代の人達だけに著作をしたのではなく、今生きている現代の二十一世紀の私達の為にも書いたのだ。」と、言っています。

現代、カトリック教会は今、信仰の危機を、この嵐の中を進んでいますけれども、何故、大聖アルベルトと聖トマス・アクィナスが現代の為に著作をしたか、というその理由は、この信仰について私達を助ける為、信仰というのはつまり対神徳の一つですから、つまりこの信仰は私達の知性に宿っているものであるので、この聖人達の著作を通して、私達の信仰を高める為にも、確固とする為にも、私達の知性をきれいに整えて秩序を立てて、信仰をふさわしく受ける準備を、この著作たちが助けてくれるからです。

もちろん私達は一般の信徒の方々は、大聖アルベルトの神学についての深い本は、或いは聖トマス・アクィナスの深い著作を読んで、それを解読して、それを深める、味わうという事は、必ずしも全てできるとは限りませんが、しかし、少なくとも私達は、この大聖アルベルトやトマス・アクィナスの著作の要点であり、このまとめである公教要理を勉強して、それを深める義務があります。
何故こう申し上げるか、なぜ公教要理を勉強しなければならないかというと、公教要理の中には論理があって、私達の信仰を構築する、立てるものであるからです。
徳の中には、「宗教の徳」というものと、「信仰の徳」があります。これらの二つは同じではありません。
宗教の徳は、意志の上に、意志に存して意志の内にあります。しかし意志は、真理の為にあるというよりは、善の為にありますから、宗教の徳は、信仰の徳に寄りかからなければなりません。

信仰の徳は先程申しましたように、知性に存在しています。知性は真理を認める事にあるので、信仰の徳が宗教の徳を照らさなければなりません。信仰の徳が照らす事によって初めて、真の宗教の徳を実践する事ができるのです。
ですから、公教要理を学ぶ事によって信仰の徳を高めなければなりません。

この公教要理の他に別の手段があります。これは、私達のマリア様が与えてくださった、ロザリオです。ロザリオには信仰に関する全ての玄義が含まれていて、ロザリオはいわば、観想を学ぶ為の学校である、と言う事ができます。
知性は自然の能力です。しかし、この自然の能力ですが、天主様の御恵みによって、超自然の光である信仰の徳を受ける事ができます。それのみならず、聖霊の賜物である知識、それから賢慮、それから知恵、この三つの知性に関わる聖霊の賜物を受ける事ができるので、ロザリオによって私達の主の玄義を黙想すれば、例え私達が、聖トマス・アクィナスや大聖アルベルトの著作を読む事ができなかったとしても、もしかしたら、私達の知性があまりにも足りなくて、公教要理さえもよく理解出来なかったとしても、ロザリオを唱える事によって、超自然の御恵みによって、玄義を黙想する事ができます。そうする事によって、ロザリオを通して、私達の先祖が、キリシタンたちが信仰を守ったように、洗礼と婚姻の秘跡によって信仰を守り続けたように、ロザリオを通して、私達も信仰を守り続ける事ができます。

ですから皆さん、大聖アルベルトの御取り次ぎと、マリア様の御取り次ぎによって、私達も日々のロザリオの玄義を黙想する事によって、信仰を守り、信仰を増やしていく事ができるように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。


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