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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2014年11月ネリー神父様の大阪での講話をご紹介します

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ピオ十二世が主祷文「天にまします」(Pater Noster)をラテン語で唱えている録音です。なんか、とてもゆっくりですね。




PATER NOSTER, qui es in caelis, sanctificetur nomen tuum. Adveniat regnum tuum. Fiat voluntas tua, sicut in caelo et in terra. Panem nostrum quotidianum da nobis hodie, et dimitte nobis debita nostra sicut et nos dimittimus debitoribus nostris. Et ne nos inducas in tentationem, sed libera nos a malo. Amen.

クチュール神父様が『支払うべき値』(The Price to Pay) などの本の推薦をしているビデオです。





では、今回は、ネリー神父様の大阪での講話の書き起こしを愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2014年11月15日(土) ネリ神父様霊的講話(大阪)

皆さんの温かい歓迎をとても感謝します。今日、今回大阪に来るのは初めてです。
皆さんが聖伝のミサを望んでおられる、という事をはっきりと分かる事ができて、とても幸福に思います。それがどこで分かるかというと、この、どれほどミサを準備する為の皆さんが心を使っているか、使い尽しているかという事を見れば、このミサのこの祭壇や、祭服や、その他聖歌をみれば、よく分かります。唯無いのが、教会と、修道院と、常駐の司祭だけで、他のものは全て揃っています。
ここには、二十名から二十五名の共同体があって、この共同体が皆、秘跡を受けたい、聖伝のミサを求めている、その事を見て本当に嬉しく思います。皆さんのその熱心と信仰に、祝福をおくります。

ミサの時も少し申し上げましたが、皆さんの先祖のキリシタンたちが、司祭がないにもかかわらず長い間信仰を保ち続けた、という事はちょうど現代にも通じる事で、私達のそれと似通った所があると思います。

現代の問題は、聖伝のカトリックの信仰が今、重大な問題となっています。過去、私達の先祖達の時代には、神父様や信仰を伝えて下さる方がいませんでした。そこで、信徒達に信仰が委ねられて、信仰を二百五十年間守ってきました、世代に渡って守ってきました。今回、現代においては今日においては、確かに司教様や神父様達は周りにいらっしゃる事はいらっしゃるんですけれども、しかし残念な事に、その方々の多くが、聖伝のカトリックの信仰を説教し、それを伝える、という義務を果たす事に成功していません。

今年、聖ピオ十世教皇様の帰天百周年を私達は祝いました。聖ピオ十世教皇様の亡くなった年は一九一四年、それでその時まで、教皇様になってから亡くなる時までその時まで、聖ピオ十世教皇様の一番の仕事は、一番の関心事は、信仰を守る、という事でした。信仰を守る、という為に主に二つの事をなさいました。一つは否定的な、第二には肯定的な手段を取りました。

否定的な手段というのは、聖ピオ十世教皇様は、近代主義者達を神学校や或いは重要なポストから排除して、当時この近代主義者というのは信仰を脅かすペストだったので、それらを述べているような人々を排除しました、取り除きました。
肯定的な手段としては、信仰を強く深める為に、ミサの時も申し上げましたが、公教要理を学ぶように、公教要理を教えるように、という事を強調しました。
否定的な部分と肯定的な部分、二つのやり方をしました。

第一バチカン公会議は、戦争が当時あった為に途中で中断されました。準備はされたのですけれども、中断されました。そこで、準備がされてあって、まだ議論が尽くされていない質問などについて、残っていました。しかし、ピオ九世教皇様は、中断されたままそれを再開しようとされませんでした。何故でしょうか。何故かというと、教皇様は危険を察知していたからです。というのは、既に教会の中に、色んな種類の近代主義の思想が入っていて、近代主義者達が存在していたからです。聖ピオ十世教皇様が既に警告していたように、既に近代主義者達は、教会の中に潜り込んでいたのです。

そこで、ベネディクト十五世教皇様、或いはピオ十一世教皇様、或いはピオ十二世教皇様も、「公会議は再開するのでしょうか?まだ残っている問題があります。それはどうしましょうか?」と、言われた時に、「公会議は開かない。」と、決断されていました。

しかし、ヨハネ二十三世教皇様は、そのような近代主義者達が教会の中にいる、という事は信じませんでした。教会に善をしたい、という良い意向はあったと思いますが、しかし、尊敬を欠く表現をする事が許されるならば、ヨハネ二十三世教皇様は夢想家でした。
ヨハネ二十三世教皇様の手記によると、公会議を開く、という事についての何か特別な啓示、というかビジョンがあった事を記しています。それを聞いた時に多くの人々は喜びました。問題を解決する事ができる、と。ルフェーブル大司教様自身もローマに来て、その事を希望して喜びました。

しかし、第二バチカン公会議で最初から起こった事は何かというと、近代主義者達が既にこの公会議という機会を、自分達の考えを広めるための道具として利用してしまったという事です。それが、最初から乗っ取りが起こってしまったという事です。これは謂わば、言ってみれば、天主様の教会の中に入り込んだトロイの木馬のようであって、これは歴史的な事実で、誰も否定する事ができません。
ヨハネ二十三世は、公会議を開いて亡くなります。パウロ六世が選ばれて、公会議を続けますが、しばらくすると、その重大な危険に気が付きます。何故、気が付いたという事が分かるかというと、パウロ六世は、「天主の神殿の中にサタンの煙が入った。」と、言っているからです。しかし、気が付いた時には時すでに遅く、この機械を止める事ができませんでした。

既に公会議が終わる前から、悪い実りがもう目に見えていました。教皇様達によって排斥された新しい考えが、教会の中に広まり、いくつかの点において教義が変わっていきました。そのいくつかの点というのは、例えばエキュメニズム、間違ったエキュメニズムであって、これが公会議のキーワードでした。また、信教の自由、それから団体主義という考えが入ってきました。これらによって教会の本性が、教会が何か、という事が変わっていきました。

これについては二つの告白があります。一つは、パウロ六世が一九七八年、死ぬ数カ月前に親友であったジョン・ギトンという人に告白した内容ですけれども、パウロ六世の告白によれば、ジョン・ギトンがそれを伝えるところによれば、「公会議は最悪だった。公会議は全く酷いものであった。」と言い、「disaster」と言って、「カトリック信仰は、地上から消えつつある。」と、言っていました。これは、『秘密のパウロ六世』という本の中に書かれている事で、公会議に問題があったというのは、これは神話ではなくて、私達が考え付いた事ではなくて、私達だけが言っている事ではなくて、事実として、他の人達も言っています。例えば、つまりパウロ六世が。もう一つの告白は、ヨハネ・パウロ二世で、これは一九八八年、ローマでの講話の中で言った事ですが、もちろんこれは単なる例の一つとして挙げるのですけれども、「今、教会の中に混乱がある。特に、典礼と教義について混乱がある。」と、指摘しています。つまり、この教会に危機がある、という事は、聖ピオ十世会が言いだした事でも発見した事でもなく、これは、教皇様達が既に認めて、皆に言っている事であるのです。神話ではありません。

ルフェーブル大司教様自身も、公会議の最中に、公会議の中で特別な運動をして、この信仰の腐敗というものを何とかして防ごうと、ストップさせようとしていました。このルフェーブル大司教様たちのグループは、二百名ぐらいメンバーがいましたが、公会議の他の二千名と比べれば、力が弱いものでした。皆がサインをするので、例えその考えに同意していなかったとしても、サインをしてしまう司教様達もいました。

そこで、この信仰を守る為に、その当時公会議が終わって、数名の神学生達が何故か、助けて下さい、とルフェーブル大司教様のもとにやってきたので、ルフェーブル大司教様は、聖ピオ十世会を創ります。もちろん聖ピオ十世会は、ローマと闘う為に、ローマに反対する為に創られたのではなく、ローマを助ける為に、教会を助ける為に、信仰を守る為に、創られました。

皆さんが今日、この御ミサに与っていらっしゃるのも、やはりこの神学生達と同じ理由だと思います。つまり、信仰を守る為であり、教会を守る為であり、私達に委ねられた信仰を守る為であります。

ですから、私達はカトリック教会の一部であって、カトリック教会の為に存在しています。ですから、もちろんローマと繋がりがあるのは当然でありますし、私達が今やっている、つまり信仰を守り、聖伝のミサを守り、聖伝の教義を守り、聖伝の信仰を守るというのは、その権利があります。今の教皇様でさえも、さえもと言うのはちょっとあれですけれども、教皇様も、今、問題があるという事を見ています。つまり、地上から信仰が消えつつある、という事を見ています。つまり、私達の今の一番の問題は、このカトリック信仰を多くの人々が今失いつつある、それを、私達が何とか守らなければならない、という事です。
ですから、カトリック教会は私達の母でありますから、その教会の為に私達は、祈り続けなければなりません。私達の生贄、犠牲を捧げなければなりません。それは教会が癒される為です。もちろん教会は汚れのない、イエズス様が立てたものですから汚れのないものです。しかし、教会の中で働いている聖職者達、教会の指導に立っている方の多くが、その信仰を守るという義務に成功していないので、これは例えば最近のシノドでも分かります。シノドでは多くの司教様達が、道徳を、今まで守ってきた道徳を変える準備が出来ていました。それで、少数の司教様達や枢機卿様達が立ち上がって、それを防ごうと今、闘いが起こっています。私達は祈り続け、犠牲を捧げなければなりません。

ですから私達は、私達の聖化の事業を続けなければなりません。続けて、私達が聖人となるように、し続けなければなりません。その為の手段が与えられています。確かに、毎主日のミサがあれば良いのですけれども、それができないので、どうぞ、秘跡に与ることができなくても、秘跡の御恵みが受ける事ができるように、世界中で捧げられているミサに一致して、祈りと犠牲を捧げて下さい。この秘跡の恵みを、聖寵を受けるようになさって下さい。

以上です。ご静聴ありがとうございます。



聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




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