アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
ルフェーブル大司教様が創立したのは、聖ピオ十世会という司祭兄弟会だけではありませんでした。「聖ピオ十世修道女会」というシスター達のための女子修道会も創立しました。
愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。英語の原文を日本語に翻訳して下さった方に心から感謝します。
12月の聖伝のミサの日付は変則的になっています。どうぞお間違えのないようにお願いいたします。もしも、お知り合いの方で連絡先をご存じの方々がいらっしゃいましたら、お手数ですが、念のためにスケジュールの確認をお知らせ下されば幸いに思います。
善い待降節をお過ごし下さい。天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
女子修道会 第十八章
THE SISTERS OF SAINT PIUS X
聖ピオ十世修道女会
み摂理が植えたもう一つの花
一人の少女が修道召命について考える時、たいへんよくあることですが、彼女のまなざしは、何世紀にも渡って受け継がれたいくつもの修道会へ、聖会が列聖した修道会の創立者たちへと自然と引きつけられます。アヴィラの聖テレジア、十字架の聖ヨハネ、聖ドミニコ、聖ベネディクト、アシジの聖フランシスコなどの聖人たちは、自分たちの霊的息子、娘たちに、聖性に達するための独特の教えを残しています。それは、各々の番が来た時に多くの列聖された聖人たちを輩出した特別の教えです。聖ピオ十世修道女会のような、見たところ無名で、ごく慎ましい、ちっぽけな使徒職の新しい修道会に対し、そのような一瞥が向けられることはほとんどないでしょう。
教会にはなぜ、このような多様性に富んださまざまな修道会が存在するのでしょうか? 教会は、すべての花が固有の居場所と必要性を持つ、広大な花園であるからです。すみれは決してばらにはなり得ず、ばらは決して水仙にはなれません。なぜでしょうか? それぞれの花はみな違っているからです。天主の花園がこれほど美しいのはこのためです。ある修道会を別の修道会と区別するものは何でしょうか? その霊性です。霊性こそは、会員たちに命を吹き込む原動力であり、個々の修道会が、修道生活と会憲や会則に準じて宣誓される誓願をどのようにして保つかを決定する影響因子なのです。会員たちの人生にかぐわしい香水のように染み込むものは、創立者の霊性です。しかしながら、修道会の霊性を理解するためには、まず初めに、その創立の起源にまで遡らねばなりません。偉大な修道会のそれぞれの起源を辿ってみるなら、天主がご自分の教会にいくつかの教訓やカトリック信仰の教義的論点──教会の敵が信仰を弱らせ、教会全体を破壊しようとして、彼らによっておざなりにされ、疑問を投げかけられた信仰の教義──に光をもたらすという使命を持った霊魂たちを常に興してきたという、何世紀にも渡る事実に気づきます。
創立者たち
マルセル・ルフェーブル大司教
教会は、特に第二バチカン公会議以来、史上かつてないほどの危機を経験していますが、天主は「善き司祭たちを養成し、司祭職を保持することで、この背教と不信の波に断固として立ちはだかる一人の高位聖職者」(十六世紀のキトの聖母のメッセージを参照)を起こしてくださいました。この高位聖職者とは、ほぼ間違いなく、聖ピオ十世修道女会の、そして聖ピオ十世司祭兄弟会の創立者でもあるマルセル・ルフェーブル大司教様のことです。
ローマの神学生、教区司祭、修道者、ガボンの宣教師、神学生たちの校長、ダカールの大司教、教皇使節、聖霊修道会総長……。「ルフェーブル大司教が、自分の意志ではなく、み摂理によって成し遂げることのできた尺度での経験と情報を獲得することができた人々は、教会内には数えるほどしかいなかった」このような豊かな、あらゆる経験によって、天主は教会内に、教会のために、国際的司祭兄弟会と修道会を創立するために大司教様を準備なさったのです。
み摂理に従って、事態はあるべき場所へと少しずつ落ち着き、一九七〇年十一月一日、聖ピオ十世会は正式に創立されました。それから四年も経たないうちに、修道女会の小さなグループも結成されました。
その創立から、そして一九九一年の大司教様の死去まで、聖ピオ十世修道女会は、私たちの本部修道院への訪問をとても好まれた大司教様と頻繁にコンタクトを取っていました。本部修道院で、大司教様は霊的生活にある私たちを指導し、教会を愛することを教えてくださいました。大司教様のいくつもの徳の基盤であった謙遜と、最も頂点に掲げられていた愛徳の模範は、すべてが飾り気のない単純さ、堅固な信仰と穏やかな剛毅と一体化しており、大司教様のキリストに対する愛と擁護の精神を内側から放ち、私たちの奉献を完全に生きることで、お愛し申し上げる救い主のまねびへと私たちを駆り立てたのです。
マリー・ガブリエル修母
マリー・ガブリエル修母様はルフェーブル一家の四番目の子どもで、ルフェーブル大司教様より一才半年下でした。聖霊修道女会への入会ののち、マリー・ガブリエル修母様は一九三〇年三月二十日に誓願を立てました。五十六年後、亡くなるわずか六ヶ月前、修母様はとても愛していた宣教女としての生活をなおも思い出しては懐かしみ、もう一度再開したがっておられました。彼女は世界一多様性に富んだ国、すなわち、西インド諸島のマルティニーク島やグアドループ島、カメルーン、セネガル、そして中央アフリカ共和国へと旅をされ、そこで百人以上の黒人の子どもたちに「in extremis 臨終の」洗礼を授け、彼らは今や天国での彼女の栄光の冠の飾りとなっています。疲れを知らぬ義務への献身とともに、修母様の天主と隣人への愛は、特に看護婦としての役目でバンギでのハンセン病患者たち世話をする時に表されました。謙遜が深く根を下ろしていたため、修道会内での重い責任について一切語りませんでした。彼女は総長補佐で、Visitorでした。ご自分にできるすべてのことにみずからを完全に捧げておられました。このようにして、修母様は美辞麗句によってではなく、祈りと同様に、行動における単純さによってご自分を天主への完全な捧げものとされ、それを生きたのでした。
ルフェーブル大司教様が、聖ピオ十世修道女会の創立にあたって、修母様に助けに来てくれるかどうかお願いされた時、彼女はためらいましたが、変わらぬ熱意と生き生きとした情熱を武器にそれに応え、もう一度自分自身を完全な捧げものとしたのでした。修母様は、霊魂の救いと天主のより大いなる栄光のため、天主がお望みになったこの偉大なみわざの共同創立者である聖母のひな形でありました。
マリー・ガブリエル修母様は私たち全員にとって修道生活の模範です。修母様は愛徳の徳について深い認識を持っておられ、その愛徳は彼女を気品のある礼儀正しい者としました。彼女にはいつも霊魂を慰め、両親たちや、問題や悩みを打ち明けることを必要とした人々の話に耳を傾ける時間がありました。あらゆる状況下で彼女は天主の愛に導かれ、彼女の第一の目的は霊魂のうちに天主の愛を広げていくことでした。
そして修母様は、謙遜と日常の雑務と単純さへの愛、義務への愛を、修練女たちのうちに、どれほど叩き込んでくださったことか! 天主に自分自身を奉献することに限界をつけるなどと、修母様にはまったく理解不可能なことでした──修母様にとっては、すべてか無か、でしたから。高齢になってからも、庭仕事のやり方、限られたスペースを充分に生かして、わずかの労力で、皆のために充分な作物を生み出す方法を教えて下さいました。彼女は常に知恵に富み、強靭で、障害をものともしない熱意を持っておられました。裁縫室から庭仕事まで、鶏小屋からスクリュードライバー、ハンマーやのこぎりの扱い方まで、オルガン弾きから病室の仕事まで、修母様は熟練した腕を持っておられました。
修母様の清貧への愛も深いものでした。宣教師として、清貧の徳を私たちに教えてくださいました。必要なものは要求し、それ以外のものは余計だと考えておられました。私たちに不平を呟くことなく仕事をするべきだと教えてくださいました。亡くなる時まで修母様の床頭台(ナイトテーブル)はトランクでした! 落胆や病、さまざまな試練に苦しみながら……修母様はそれらを非常に敏感に感じ取りながらも、決して不満をこぼさず、刺々しくなることもありませんでした。信仰の大いなる精神に活力を与えられて、まことにすべてを天主様にお捧げになりました。彼女の仕事は絶え間ない祈りでした。身分上の義務は修道生活において重要な位置を占めていたからです。これは天主のご意志の表明であり、天主のご意志を行うこと以上によりよく祈ることは彼女にはできませんでした。彼女の務めは、両親から受け継いだ深い信心により照らされ、その信心は一日一日、実りをもたらしていました。修母様は常にこう言っておられました。「ひとたび修道服をまとったなら、あなたの時間はもはやあなたのものではなく、教会のものなのです」と。
修母様はとても明るくほがらかでした。彼女の善い心根、他者への気遣い、優しい繊細な性質は、生ける信仰から来ていました。修道生活についての講話で、好んで口にしていたことは「喜びと聖性──これは一体なのです」でした。
ルフェーブル大司教様の妹、私たちの修道会の共同創立者であるマリー・ガブリエル修母様とは、このような方でした。
聖ピオ十世修道女会の霊性を理解するためには、聖主が十字架にかけられたまさにその日のカルワリオに立ち戻らなければなりません。イエズスは残酷なまでに苦しまれました。ときおり、彼が眼を開けて下を見ると、最愛のおん母と、数名の聖なる婦人たち、そして忠実な司祭、聖ヨハネが十字架の下に立っているのをごらんになりました。彼らにまなざしを向けつつ、イエズスの臨終が近づきます。イエズスは最期のまなざしを聖母にお向けになり「婦人よ、これはあなたの子だ」と言われ、また聖ヨハネに向けて「子よ、これがあなたの母だ」と仰せになりました。こうして、聖主は、ご自分の聖心にとって最も大切な宝──カトリック司祭職をご自分のおん母に委ねられたのです。聖母は聖主から新しい使命を受け取りました。聖母の謙遜な隠れた生活によって、聖ヨハネと最初の司祭たちである他の使徒たちのために、聖母にはなすべき義務がありました。それは聖母が常におん子のためにしてきたことでした。そうです、聖母の祈りは彼らを助けたことでしょう。しかし、聖母には彼らの物質的苦労と使徒職における彼らの心配を取り除く義務もありました。聖母はおん子の司祭たちのうちにあるキリストにお仕えしなければならなかったのです。
聖ピオ十世修道女会は、自分たちの居場所を十字架の足元に見いだします。その霊性は完全にミサ聖祭と、共贖者なる聖母という美しい称号のもとにある童貞マリアの霊魂を中心にしています。
「イエズスのおん血とおん母のおん涙はともに流れ出し、人類の贖いのため、ゴルゴタにおいて混ぜ合わされた」と、ドン・ゲランジェは言っています。
聖主がゲッセマニの苦しみとご受難を耐え忍び、私たちの罪のための生贄をついに完成させた最初の聖金曜日以来、何世紀もの月日が過ぎ去りました。今日では、聖主はご受難とはりつけを、ご自分の神秘体において苦しまれています。そして司祭職とミサの聖なる生贄が攻撃されているが故に、聖主はもう一つの「花」を教会の花園にお植えになりました。この花は聖ピオ十世修道女会と呼ばれています。この花は実際のところまだまだ未熟ですが、しっかりと根を下ろしてから二十五年という年月が立ち、天主の恩寵を武器に、より大いなる天主の栄光に対して、いまなお満開の花を咲かせているのです。
聖ピオ十世会の修道女は、時のある間、マリアの共同受難とけがれなき御心から来るあわれみの時を引き延ばしています。そして、イエズスが現代の霊魂たちのために耐え忍んでおられる苦悩に、よりいっそう特別に自分自身を一致させ──天主なる生贄と童貞マリアとともに自分自身を捧げることで、司祭たちのために祈ることで、司祭たちのうちにおられる聖主にお仕えすることで、一致させるのです。
「観想と活動の結合した生活」の修道会
聖ピオ十世修道女会は「混合生活」、つまり、活動的と観想的生活の溶け込んだ修道会と呼ばれています。この修道女会は、教育修道会のような完全な活動会でもなく、カルメル会のような禁域生活を送る会でもありません。聖主ご自身が、説教をなさり奇跡を起こし、その後、祈りに多くの時間を割ける孤独な場所へと退かれた、混合生活を送られました。
六ヶ月の志願期の終わりの次には、二年間の修練女としての生活が、着衣式とともに始まります。この二つのテスト段階を終えてからようやく、修道女たちは清貧、貞潔、従順による生活の誓いを立てるのです。これらを順守すると約束するのです。このような二年半の養成期間はただ祈りによるだけでは足りません。修練女たちは、霊的講話と同じく、教会史、聖書などのさまざまな科目の授業に出席します。また物質面での仕事、庭作りや家事などの雑務、食材を提供してくれる家畜や鶏の世話をします。
誓願を立てたのち、修道女たちは聖ピオ十世会のさまざまな修道院に派遣されます。そこで、公教要理、病者の訪問、香部屋、小学校などのさまざまな司祭たちの使徒職を助け、達成させるのです。修練中に得た知識のおかげで、もっと多くのこと、すなわち、料理や掃除、洗濯などと同じく、祭壇のホスチア作り、司祭の祭服の修繕、オルガン演奏、聖歌を歌うこと、庭作りなどができるようになるでしょう。
修道女たちは毎日、さまざまな意向で祈るため、一時間の聖体礼拝をします。例えば、教皇様のため、司教様たち、司祭たちのため、奉献された霊魂たちのため、そして特にご聖体のうちにまします聖主に対して犯される侮辱を償うためにです。事実、十字架上のキリストを観想し、まねることで、まことのキリスト者になり、修道生活にそのすべての価値と気高さを添えるのです。
すべてのまことのキリスト者は、洗礼によって宣教師です。が、修道者的奉献によって、修道女たちは、王たるキリストの統治を広げるために働きつつ、一人一人の聖化を通して、使徒職を通して、完全に教会に捧げられます。祈りと霊的成長が洗礼を受けた霊魂たちの生活の中で最も重要な側面ならば、まして修道者にとってはそれ以上であり、外的活動によるよりも、聖主との一致した生活によって、それ以上にはるかに司祭たちの助け手である聖ピオ十世修道女会にとっては、特にそうであります。修道女の生活全体は、あらゆる恩寵の源であるミサ聖祭を中心にしたものです。従って、修道女の内的生活──さらに進んで、使徒的生活──は、まさしく主イエズス・キリストの生贄と、共購者なる聖母との一致から流れ出しています。
修道会の歴史と発展
一九七〇年十一月一日は、スイスのフリブールにおける聖ピオ十世司祭兄弟会の教会法上の創立記念日です。教会の宣教のぶどう畑における重要人物、信仰の優れた守り手であるマルセル・ルフェーブル大司教様は、第二バチカン公会議の最中と終了ののち、主イエズス・キリストの司祭職へと召された青年たちを養成し、若い司祭たちがまことのミサ聖祭を続けるための神学校を作りました。
これらの司祭たちのために祈り、犠牲を捧げるのは誰でしょうか? 司祭たちが彼らの義務にさらに自由に自らを与えられるよう、日常の雑事を引き受けるのは誰でしょうか? お聖堂や祭壇布や祭服を整えるのは誰でしょうか? 子どもたちに、天国へと導く信仰の真理と信仰への愛を植えつけながら公教要理を教えるのは誰でしょうか? 老人たちや病人たちを見舞うのは誰でしょうか?
ルフェーブル大司教様はこのように説明されています。「男性のための共同体を創立するにあたってはまったく当たり前のことですが、司祭の仕事を容易にするために、また祈りによって彼らを支えるために、修道女による使徒職の助けを得られる可能性を探していました」
「けれども、私の妹、マリー・ガブリエル修母の存在がなかったなら、私は何事も引き受けるつもりはまったくありませんでした。というのは、修道女たちを養成しようとは思っていませんでしたから。神学生たちの養成には安心して取り組めると思っているのと同じくらい、修道女たちの養成は私の力量を超えることだと感じていました! 記憶の中にあるいくつものいろいろな状況の時のように、これは天主のみ摂理が舗装された道でした。これは志願者たちが名乗り出し始めた時になってようやくのことです。特にオーストラリア出身の志願者は多くの人々を驚かせましたが、これはまったくの事実なのです。私は最初に神学生たちと一緒にやったように、ほんのわずかのことをしただけでした。志願者たちを養成のためにPontcalecに派遣しました。妹の方はというと、ますます困難に直面するばかりでした。近代主義が妹の修道会にもゆっくりと忍び寄っていたからです。妹にとっては、自分で語っていたように、修道会を離れた人たちのように一歩を踏み出すことは困難でした。私は強く主張しなければなりませんでした。四十年に渡る修道者の共同体から去って、決別することは簡単なことではありません! 幸いなことに、妹は来てくれました。集まって来た志願者たちを彼女に委ねることができ、こうして聖ピオ十世修道女会が創立されたのです……」
一九七四年九月、ルフェーブル大司教様は聖ピオ十世修道女会の最初の修道女に、聖なる修道服を与えました。修道女会の修練院は、三年に渡って永遠の都ローマの近くにありました。その後、一九七七年の秋に、フランス中央部の小さな村、Saint-Michel-en-Brenneに移されました。さらに志願者が増えるにつれ、小さな共同体は大きくなっていき、他の場所に修道院を建て始めることになりました。
一九七七年六月 ジュネーブ、スイス
一九七九年九月 Le Pointet, フランス(黙想の家)
一九八〇年六月 Unieux, フランス
一九八一年十月 ヨーロッバ以外の土地で最初の創立──セントメリー、カンザス(アメリカ)一九八二年八月 ディジョン、フランス
一九八二年十月 ブリュッセル、ベルギー
一九八四年九月 フランス語での手紙のやりとりによる公教要理の最初の年
一九八六年五月 アルゼンチン、ラ・レハにおいてスペイン語圏の修練院
一九八六年八月 ミシガン州アルマダ(アメリカ)において英語圏の修練院
一九八七年一月二十七日 私たちの愛するマリー・ガブリエル修母が本部修道院で娘たちに囲まれつつ帰天
一九八八年七月 一九八八年六月三十日の歴史的な四司教聖別の数日後、オーストラリア、シドニーにてキリスト信者の助けなるマリア修道院創設
一九八九年二月 スペイン語圏修練院がアルゼンチンのピラルに移転し、神学校の援助のためラ・レハの小さな共同体から退去
一九八九年八月 フランス、ディジョンの共同体がマルセイユに移転
一九八九年九月 フランス語圏修練院がリュフェックに移転するが、本部修道院と手紙による公教要理はSt.Michaelに留まる
一九九〇年十二月 英語圏修練院が(アメリカ)ミシガン州Browervilleに移転
一九九一年七月 フランス、Le Brémien──最初の老人介護施設
一九九二年八月 ドイツ、Göffingenにドイツ語圏修練院
一九九二年九月 フランス、Châteauroux近郊に聖ミカエル学校
一九九三年九月 ガボン、リーブルヴィルに最初のアフリカの巡回教会
一九九五年九月 アメリカとオーストラリアでの女の子のためのキャンプと同じく、フランスでの聖体十字軍と女の子のためのキャンプの責任を任される
一九九六年九月 フランス、ボルドー近郊ブルージュ
一九九七年六月 ローマ近郊アルバノに戻る
一九九八年九月 パリ近郊シュレンヌに、フランス管区修道院付き共同体
手紙のやりとりによる公教要理がBrowervilleの修道女たちによって英訳され、配布された最初の年
一九九九年十一月、創立より二十五年を経た後、修道女会は、世界のさまざまな国々からの、一〇八名の立誓願修道女と十五名の修練女、十七名の志願者で構成されています。こうして、ちょうど聖ピオ十世司祭兄弟会のように、まことの国際的な会の性質を見せています。修道女たちは、四つの修練院を含む十九の修道院、七つの学校、八つの教会付属の修道院、一つの神学校、黙想の家、老人介護施設、宣教地、本部修道院に散らばっており、それぞれの場所で、天主なる聖主が使徒たちに委ねられた使命に協力しながら、祈り、働いています。「行け、諸国の民に教えよ……私は常におまえたちとともにいる」(マテオ28:19~20)
Rev. Mother Superior
Noviciat Notre-Dame de Compassion
F-36300 Ruffec le Château
France
Tel: [33] 2 54 37 83 49
Rev. Mother Superior
Sacred Heart Noviciate
540 W. 8th Street
Browerville, MN 56438
U.S.A.
Tel: [1] (320) 594 2944
Noviciado Santa-Teresita-del-Niño-Jesus
Los Robles del Monarca y Alem LA LONJA - Quinta La Margarita
Ruta 8, km 47,5
(1629) PILAR (Provincia de Buenos Aires)
次の記事も参考にして下さい。
聖ピオ十世の修道女会1
聖ピオ十世の修道女会2
聖ピオ十世の修道女会3
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。
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사랑하올 형제 자매 여러분,
한국성비오10세회(SSPX)
웹 사이트를 소개합니다.
SSPX KOREA
毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。
先日、シュテーリン神父様から日本語の良い公教要理のウェブ・サイトのリンク先を尋ねられましたので、次をご紹介しました。愛する兄弟姉妹の皆様にもご紹介します。
公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】
序文 教会における司牧者の必要性と権威および役務について またキリスト教のおもな教義について
信仰と信経について
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます(続き)
第二条 われらの主、イエズス・キリストを信じます
第三条 聖霊によりて宿り、おとめマリアから生まれた
第四条 ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け十字架に付けられ、死んで葬られる
第五条 古聖所 ( Inferi ) に下り、三日目に死者の中から復活された
第六条 天に昇り全能の父なる神の右に座し
第七条 主は生ける人と死せる人とを裁くために来られる
第八条 聖霊を信じます
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます(その2)
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます(その3)
第十条 罪のゆるし
第十一条 体の復活
愛する兄弟姉妹の皆様、
ルフェーブル大司教様が創立したのは、聖ピオ十世会という司祭兄弟会だけではありませんでした。「聖ピオ十世修道女会」というシスター達のための女子修道会も創立しました。
愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。英語の原文を日本語に翻訳して下さった方に心から感謝します。
12月の聖伝のミサの日付は変則的になっています。どうぞお間違えのないようにお願いいたします。もしも、お知り合いの方で連絡先をご存じの方々がいらっしゃいましたら、お手数ですが、念のためにスケジュールの確認をお知らせ下されば幸いに思います。
善い待降節をお過ごし下さい。天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
女子修道会 第十八章
THE SISTERS OF SAINT PIUS X
聖ピオ十世修道女会
み摂理が植えたもう一つの花
一人の少女が修道召命について考える時、たいへんよくあることですが、彼女のまなざしは、何世紀にも渡って受け継がれたいくつもの修道会へ、聖会が列聖した修道会の創立者たちへと自然と引きつけられます。アヴィラの聖テレジア、十字架の聖ヨハネ、聖ドミニコ、聖ベネディクト、アシジの聖フランシスコなどの聖人たちは、自分たちの霊的息子、娘たちに、聖性に達するための独特の教えを残しています。それは、各々の番が来た時に多くの列聖された聖人たちを輩出した特別の教えです。聖ピオ十世修道女会のような、見たところ無名で、ごく慎ましい、ちっぽけな使徒職の新しい修道会に対し、そのような一瞥が向けられることはほとんどないでしょう。
教会にはなぜ、このような多様性に富んださまざまな修道会が存在するのでしょうか? 教会は、すべての花が固有の居場所と必要性を持つ、広大な花園であるからです。すみれは決してばらにはなり得ず、ばらは決して水仙にはなれません。なぜでしょうか? それぞれの花はみな違っているからです。天主の花園がこれほど美しいのはこのためです。ある修道会を別の修道会と区別するものは何でしょうか? その霊性です。霊性こそは、会員たちに命を吹き込む原動力であり、個々の修道会が、修道生活と会憲や会則に準じて宣誓される誓願をどのようにして保つかを決定する影響因子なのです。会員たちの人生にかぐわしい香水のように染み込むものは、創立者の霊性です。しかしながら、修道会の霊性を理解するためには、まず初めに、その創立の起源にまで遡らねばなりません。偉大な修道会のそれぞれの起源を辿ってみるなら、天主がご自分の教会にいくつかの教訓やカトリック信仰の教義的論点──教会の敵が信仰を弱らせ、教会全体を破壊しようとして、彼らによっておざなりにされ、疑問を投げかけられた信仰の教義──に光をもたらすという使命を持った霊魂たちを常に興してきたという、何世紀にも渡る事実に気づきます。
創立者たち
マルセル・ルフェーブル大司教
教会は、特に第二バチカン公会議以来、史上かつてないほどの危機を経験していますが、天主は「善き司祭たちを養成し、司祭職を保持することで、この背教と不信の波に断固として立ちはだかる一人の高位聖職者」(十六世紀のキトの聖母のメッセージを参照)を起こしてくださいました。この高位聖職者とは、ほぼ間違いなく、聖ピオ十世修道女会の、そして聖ピオ十世司祭兄弟会の創立者でもあるマルセル・ルフェーブル大司教様のことです。
ローマの神学生、教区司祭、修道者、ガボンの宣教師、神学生たちの校長、ダカールの大司教、教皇使節、聖霊修道会総長……。「ルフェーブル大司教が、自分の意志ではなく、み摂理によって成し遂げることのできた尺度での経験と情報を獲得することができた人々は、教会内には数えるほどしかいなかった」このような豊かな、あらゆる経験によって、天主は教会内に、教会のために、国際的司祭兄弟会と修道会を創立するために大司教様を準備なさったのです。
み摂理に従って、事態はあるべき場所へと少しずつ落ち着き、一九七〇年十一月一日、聖ピオ十世会は正式に創立されました。それから四年も経たないうちに、修道女会の小さなグループも結成されました。
その創立から、そして一九九一年の大司教様の死去まで、聖ピオ十世修道女会は、私たちの本部修道院への訪問をとても好まれた大司教様と頻繁にコンタクトを取っていました。本部修道院で、大司教様は霊的生活にある私たちを指導し、教会を愛することを教えてくださいました。大司教様のいくつもの徳の基盤であった謙遜と、最も頂点に掲げられていた愛徳の模範は、すべてが飾り気のない単純さ、堅固な信仰と穏やかな剛毅と一体化しており、大司教様のキリストに対する愛と擁護の精神を内側から放ち、私たちの奉献を完全に生きることで、お愛し申し上げる救い主のまねびへと私たちを駆り立てたのです。
マリー・ガブリエル修母
マリー・ガブリエル修母様はルフェーブル一家の四番目の子どもで、ルフェーブル大司教様より一才半年下でした。聖霊修道女会への入会ののち、マリー・ガブリエル修母様は一九三〇年三月二十日に誓願を立てました。五十六年後、亡くなるわずか六ヶ月前、修母様はとても愛していた宣教女としての生活をなおも思い出しては懐かしみ、もう一度再開したがっておられました。彼女は世界一多様性に富んだ国、すなわち、西インド諸島のマルティニーク島やグアドループ島、カメルーン、セネガル、そして中央アフリカ共和国へと旅をされ、そこで百人以上の黒人の子どもたちに「in extremis 臨終の」洗礼を授け、彼らは今や天国での彼女の栄光の冠の飾りとなっています。疲れを知らぬ義務への献身とともに、修母様の天主と隣人への愛は、特に看護婦としての役目でバンギでのハンセン病患者たち世話をする時に表されました。謙遜が深く根を下ろしていたため、修道会内での重い責任について一切語りませんでした。彼女は総長補佐で、Visitorでした。ご自分にできるすべてのことにみずからを完全に捧げておられました。このようにして、修母様は美辞麗句によってではなく、祈りと同様に、行動における単純さによってご自分を天主への完全な捧げものとされ、それを生きたのでした。
ルフェーブル大司教様が、聖ピオ十世修道女会の創立にあたって、修母様に助けに来てくれるかどうかお願いされた時、彼女はためらいましたが、変わらぬ熱意と生き生きとした情熱を武器にそれに応え、もう一度自分自身を完全な捧げものとしたのでした。修母様は、霊魂の救いと天主のより大いなる栄光のため、天主がお望みになったこの偉大なみわざの共同創立者である聖母のひな形でありました。
マリー・ガブリエル修母様は私たち全員にとって修道生活の模範です。修母様は愛徳の徳について深い認識を持っておられ、その愛徳は彼女を気品のある礼儀正しい者としました。彼女にはいつも霊魂を慰め、両親たちや、問題や悩みを打ち明けることを必要とした人々の話に耳を傾ける時間がありました。あらゆる状況下で彼女は天主の愛に導かれ、彼女の第一の目的は霊魂のうちに天主の愛を広げていくことでした。
そして修母様は、謙遜と日常の雑務と単純さへの愛、義務への愛を、修練女たちのうちに、どれほど叩き込んでくださったことか! 天主に自分自身を奉献することに限界をつけるなどと、修母様にはまったく理解不可能なことでした──修母様にとっては、すべてか無か、でしたから。高齢になってからも、庭仕事のやり方、限られたスペースを充分に生かして、わずかの労力で、皆のために充分な作物を生み出す方法を教えて下さいました。彼女は常に知恵に富み、強靭で、障害をものともしない熱意を持っておられました。裁縫室から庭仕事まで、鶏小屋からスクリュードライバー、ハンマーやのこぎりの扱い方まで、オルガン弾きから病室の仕事まで、修母様は熟練した腕を持っておられました。
修母様の清貧への愛も深いものでした。宣教師として、清貧の徳を私たちに教えてくださいました。必要なものは要求し、それ以外のものは余計だと考えておられました。私たちに不平を呟くことなく仕事をするべきだと教えてくださいました。亡くなる時まで修母様の床頭台(ナイトテーブル)はトランクでした! 落胆や病、さまざまな試練に苦しみながら……修母様はそれらを非常に敏感に感じ取りながらも、決して不満をこぼさず、刺々しくなることもありませんでした。信仰の大いなる精神に活力を与えられて、まことにすべてを天主様にお捧げになりました。彼女の仕事は絶え間ない祈りでした。身分上の義務は修道生活において重要な位置を占めていたからです。これは天主のご意志の表明であり、天主のご意志を行うこと以上によりよく祈ることは彼女にはできませんでした。彼女の務めは、両親から受け継いだ深い信心により照らされ、その信心は一日一日、実りをもたらしていました。修母様は常にこう言っておられました。「ひとたび修道服をまとったなら、あなたの時間はもはやあなたのものではなく、教会のものなのです」と。
修母様はとても明るくほがらかでした。彼女の善い心根、他者への気遣い、優しい繊細な性質は、生ける信仰から来ていました。修道生活についての講話で、好んで口にしていたことは「喜びと聖性──これは一体なのです」でした。
ルフェーブル大司教様の妹、私たちの修道会の共同創立者であるマリー・ガブリエル修母様とは、このような方でした。
聖ピオ十世修道女会の霊性を理解するためには、聖主が十字架にかけられたまさにその日のカルワリオに立ち戻らなければなりません。イエズスは残酷なまでに苦しまれました。ときおり、彼が眼を開けて下を見ると、最愛のおん母と、数名の聖なる婦人たち、そして忠実な司祭、聖ヨハネが十字架の下に立っているのをごらんになりました。彼らにまなざしを向けつつ、イエズスの臨終が近づきます。イエズスは最期のまなざしを聖母にお向けになり「婦人よ、これはあなたの子だ」と言われ、また聖ヨハネに向けて「子よ、これがあなたの母だ」と仰せになりました。こうして、聖主は、ご自分の聖心にとって最も大切な宝──カトリック司祭職をご自分のおん母に委ねられたのです。聖母は聖主から新しい使命を受け取りました。聖母の謙遜な隠れた生活によって、聖ヨハネと最初の司祭たちである他の使徒たちのために、聖母にはなすべき義務がありました。それは聖母が常におん子のためにしてきたことでした。そうです、聖母の祈りは彼らを助けたことでしょう。しかし、聖母には彼らの物質的苦労と使徒職における彼らの心配を取り除く義務もありました。聖母はおん子の司祭たちのうちにあるキリストにお仕えしなければならなかったのです。
聖ピオ十世修道女会は、自分たちの居場所を十字架の足元に見いだします。その霊性は完全にミサ聖祭と、共贖者なる聖母という美しい称号のもとにある童貞マリアの霊魂を中心にしています。
「イエズスのおん血とおん母のおん涙はともに流れ出し、人類の贖いのため、ゴルゴタにおいて混ぜ合わされた」と、ドン・ゲランジェは言っています。
聖主がゲッセマニの苦しみとご受難を耐え忍び、私たちの罪のための生贄をついに完成させた最初の聖金曜日以来、何世紀もの月日が過ぎ去りました。今日では、聖主はご受難とはりつけを、ご自分の神秘体において苦しまれています。そして司祭職とミサの聖なる生贄が攻撃されているが故に、聖主はもう一つの「花」を教会の花園にお植えになりました。この花は聖ピオ十世修道女会と呼ばれています。この花は実際のところまだまだ未熟ですが、しっかりと根を下ろしてから二十五年という年月が立ち、天主の恩寵を武器に、より大いなる天主の栄光に対して、いまなお満開の花を咲かせているのです。
聖ピオ十世会の修道女は、時のある間、マリアの共同受難とけがれなき御心から来るあわれみの時を引き延ばしています。そして、イエズスが現代の霊魂たちのために耐え忍んでおられる苦悩に、よりいっそう特別に自分自身を一致させ──天主なる生贄と童貞マリアとともに自分自身を捧げることで、司祭たちのために祈ることで、司祭たちのうちにおられる聖主にお仕えすることで、一致させるのです。
「観想と活動の結合した生活」の修道会
聖ピオ十世修道女会は「混合生活」、つまり、活動的と観想的生活の溶け込んだ修道会と呼ばれています。この修道女会は、教育修道会のような完全な活動会でもなく、カルメル会のような禁域生活を送る会でもありません。聖主ご自身が、説教をなさり奇跡を起こし、その後、祈りに多くの時間を割ける孤独な場所へと退かれた、混合生活を送られました。
六ヶ月の志願期の終わりの次には、二年間の修練女としての生活が、着衣式とともに始まります。この二つのテスト段階を終えてからようやく、修道女たちは清貧、貞潔、従順による生活の誓いを立てるのです。これらを順守すると約束するのです。このような二年半の養成期間はただ祈りによるだけでは足りません。修練女たちは、霊的講話と同じく、教会史、聖書などのさまざまな科目の授業に出席します。また物質面での仕事、庭作りや家事などの雑務、食材を提供してくれる家畜や鶏の世話をします。
誓願を立てたのち、修道女たちは聖ピオ十世会のさまざまな修道院に派遣されます。そこで、公教要理、病者の訪問、香部屋、小学校などのさまざまな司祭たちの使徒職を助け、達成させるのです。修練中に得た知識のおかげで、もっと多くのこと、すなわち、料理や掃除、洗濯などと同じく、祭壇のホスチア作り、司祭の祭服の修繕、オルガン演奏、聖歌を歌うこと、庭作りなどができるようになるでしょう。
修道女たちは毎日、さまざまな意向で祈るため、一時間の聖体礼拝をします。例えば、教皇様のため、司教様たち、司祭たちのため、奉献された霊魂たちのため、そして特にご聖体のうちにまします聖主に対して犯される侮辱を償うためにです。事実、十字架上のキリストを観想し、まねることで、まことのキリスト者になり、修道生活にそのすべての価値と気高さを添えるのです。
すべてのまことのキリスト者は、洗礼によって宣教師です。が、修道者的奉献によって、修道女たちは、王たるキリストの統治を広げるために働きつつ、一人一人の聖化を通して、使徒職を通して、完全に教会に捧げられます。祈りと霊的成長が洗礼を受けた霊魂たちの生活の中で最も重要な側面ならば、まして修道者にとってはそれ以上であり、外的活動によるよりも、聖主との一致した生活によって、それ以上にはるかに司祭たちの助け手である聖ピオ十世修道女会にとっては、特にそうであります。修道女の生活全体は、あらゆる恩寵の源であるミサ聖祭を中心にしたものです。従って、修道女の内的生活──さらに進んで、使徒的生活──は、まさしく主イエズス・キリストの生贄と、共購者なる聖母との一致から流れ出しています。
修道会の歴史と発展
一九七〇年十一月一日は、スイスのフリブールにおける聖ピオ十世司祭兄弟会の教会法上の創立記念日です。教会の宣教のぶどう畑における重要人物、信仰の優れた守り手であるマルセル・ルフェーブル大司教様は、第二バチカン公会議の最中と終了ののち、主イエズス・キリストの司祭職へと召された青年たちを養成し、若い司祭たちがまことのミサ聖祭を続けるための神学校を作りました。
これらの司祭たちのために祈り、犠牲を捧げるのは誰でしょうか? 司祭たちが彼らの義務にさらに自由に自らを与えられるよう、日常の雑事を引き受けるのは誰でしょうか? お聖堂や祭壇布や祭服を整えるのは誰でしょうか? 子どもたちに、天国へと導く信仰の真理と信仰への愛を植えつけながら公教要理を教えるのは誰でしょうか? 老人たちや病人たちを見舞うのは誰でしょうか?
ルフェーブル大司教様はこのように説明されています。「男性のための共同体を創立するにあたってはまったく当たり前のことですが、司祭の仕事を容易にするために、また祈りによって彼らを支えるために、修道女による使徒職の助けを得られる可能性を探していました」
「けれども、私の妹、マリー・ガブリエル修母の存在がなかったなら、私は何事も引き受けるつもりはまったくありませんでした。というのは、修道女たちを養成しようとは思っていませんでしたから。神学生たちの養成には安心して取り組めると思っているのと同じくらい、修道女たちの養成は私の力量を超えることだと感じていました! 記憶の中にあるいくつものいろいろな状況の時のように、これは天主のみ摂理が舗装された道でした。これは志願者たちが名乗り出し始めた時になってようやくのことです。特にオーストラリア出身の志願者は多くの人々を驚かせましたが、これはまったくの事実なのです。私は最初に神学生たちと一緒にやったように、ほんのわずかのことをしただけでした。志願者たちを養成のためにPontcalecに派遣しました。妹の方はというと、ますます困難に直面するばかりでした。近代主義が妹の修道会にもゆっくりと忍び寄っていたからです。妹にとっては、自分で語っていたように、修道会を離れた人たちのように一歩を踏み出すことは困難でした。私は強く主張しなければなりませんでした。四十年に渡る修道者の共同体から去って、決別することは簡単なことではありません! 幸いなことに、妹は来てくれました。集まって来た志願者たちを彼女に委ねることができ、こうして聖ピオ十世修道女会が創立されたのです……」
一九七四年九月、ルフェーブル大司教様は聖ピオ十世修道女会の最初の修道女に、聖なる修道服を与えました。修道女会の修練院は、三年に渡って永遠の都ローマの近くにありました。その後、一九七七年の秋に、フランス中央部の小さな村、Saint-Michel-en-Brenneに移されました。さらに志願者が増えるにつれ、小さな共同体は大きくなっていき、他の場所に修道院を建て始めることになりました。
一九七七年六月 ジュネーブ、スイス
一九七九年九月 Le Pointet, フランス(黙想の家)
一九八〇年六月 Unieux, フランス
一九八一年十月 ヨーロッバ以外の土地で最初の創立──セントメリー、カンザス(アメリカ)一九八二年八月 ディジョン、フランス
一九八二年十月 ブリュッセル、ベルギー
一九八四年九月 フランス語での手紙のやりとりによる公教要理の最初の年
一九八六年五月 アルゼンチン、ラ・レハにおいてスペイン語圏の修練院
一九八六年八月 ミシガン州アルマダ(アメリカ)において英語圏の修練院
一九八七年一月二十七日 私たちの愛するマリー・ガブリエル修母が本部修道院で娘たちに囲まれつつ帰天
一九八八年七月 一九八八年六月三十日の歴史的な四司教聖別の数日後、オーストラリア、シドニーにてキリスト信者の助けなるマリア修道院創設
一九八九年二月 スペイン語圏修練院がアルゼンチンのピラルに移転し、神学校の援助のためラ・レハの小さな共同体から退去
一九八九年八月 フランス、ディジョンの共同体がマルセイユに移転
一九八九年九月 フランス語圏修練院がリュフェックに移転するが、本部修道院と手紙による公教要理はSt.Michaelに留まる
一九九〇年十二月 英語圏修練院が(アメリカ)ミシガン州Browervilleに移転
一九九一年七月 フランス、Le Brémien──最初の老人介護施設
一九九二年八月 ドイツ、Göffingenにドイツ語圏修練院
一九九二年九月 フランス、Châteauroux近郊に聖ミカエル学校
一九九三年九月 ガボン、リーブルヴィルに最初のアフリカの巡回教会
一九九五年九月 アメリカとオーストラリアでの女の子のためのキャンプと同じく、フランスでの聖体十字軍と女の子のためのキャンプの責任を任される
一九九六年九月 フランス、ボルドー近郊ブルージュ
一九九七年六月 ローマ近郊アルバノに戻る
一九九八年九月 パリ近郊シュレンヌに、フランス管区修道院付き共同体
手紙のやりとりによる公教要理がBrowervilleの修道女たちによって英訳され、配布された最初の年
一九九九年十一月、創立より二十五年を経た後、修道女会は、世界のさまざまな国々からの、一〇八名の立誓願修道女と十五名の修練女、十七名の志願者で構成されています。こうして、ちょうど聖ピオ十世司祭兄弟会のように、まことの国際的な会の性質を見せています。修道女たちは、四つの修練院を含む十九の修道院、七つの学校、八つの教会付属の修道院、一つの神学校、黙想の家、老人介護施設、宣教地、本部修道院に散らばっており、それぞれの場所で、天主なる聖主が使徒たちに委ねられた使命に協力しながら、祈り、働いています。「行け、諸国の民に教えよ……私は常におまえたちとともにいる」(マテオ28:19~20)
Rev. Mother Superior
Noviciat Notre-Dame de Compassion
F-36300 Ruffec le Château
France
Tel: [33] 2 54 37 83 49
Rev. Mother Superior
Sacred Heart Noviciate
540 W. 8th Street
Browerville, MN 56438
U.S.A.
Tel: [1] (320) 594 2944
Noviciado Santa-Teresita-del-Niño-Jesus
Los Robles del Monarca y Alem LA LONJA - Quinta La Margarita
Ruta 8, km 47,5
(1629) PILAR (Provincia de Buenos Aires)
次の記事も参考にして下さい。
聖ピオ十世の修道女会1
聖ピオ十世の修道女会2
聖ピオ十世の修道女会3
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。
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사랑하올 형제 자매 여러분,
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毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。
先日、シュテーリン神父様から日本語の良い公教要理のウェブ・サイトのリンク先を尋ねられましたので、次をご紹介しました。愛する兄弟姉妹の皆様にもご紹介します。
公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】
序文 教会における司牧者の必要性と権威および役務について またキリスト教のおもな教義について
信仰と信経について
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます(続き)
第二条 われらの主、イエズス・キリストを信じます
第三条 聖霊によりて宿り、おとめマリアから生まれた
第四条 ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け十字架に付けられ、死んで葬られる
第五条 古聖所 ( Inferi ) に下り、三日目に死者の中から復活された
第六条 天に昇り全能の父なる神の右に座し
第七条 主は生ける人と死せる人とを裁くために来られる
第八条 聖霊を信じます
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます(その2)
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます(その3)
第十条 罪のゆるし
第十一条 体の復活