2020年1月5日(主日)聖ピオ十世会司祭 小野田神父様霊的講話
「聖なる3日間 "Triduum Sacrum" の中の「聖木曜日」の典礼について」
今日は、お忙しいのに時間をありがとうございます。
今年の4月は日本で初めて聖週間を行なう事ができる予定ですので、ぜひそれに、「一体どんな事が起こるのか」という事を皆さんにあらかじめ知って頂きたいと思っています。
特に、聖週間の一番重要なのは、「聖なる3日間」と言われている、ラテン語で“Triduum Sacrum“と言われている、「聖木曜日」「聖金曜日」「聖土曜日」です。
そこで今回は、
⑴その「聖なる3日間」というのはどういうものなのか?という事をまず見て、
⑵次に今日は特に、「聖木曜日」にはどういう事が行なわれるか?という事を第2に見て、
⑶第3に、では私たちは、その今年の聖木曜日はどうすれば良いか?という事を簡単に見て、
それから皆さんからの質問があれば、それをお伺いしたいと思っています。
⑴では第1に、「聖週間」。もちろんこの聖週間は、枝の主日から始まって、そして聖月曜日・聖火曜日…と続きます。
特にこの聖木曜日から聖金曜日・聖土曜日の3日間を、「聖なる3日間」と“Triduum Sacrum”と言います。“Triduum”のTriは、「3」という意味です。
なぜこの3日間が重要かというと、イエズス様が最後の晩餐をした、それから弟子たちの足を洗って、そしてイエズス様の御受難が始まったのが聖木曜日で、そして十字架に付けられたのが聖金曜日です、そして死去されたのが聖土曜日、と、イエズス様の御受難のそのそれが、聖木曜日から金曜日、土曜日に記念されるからです。
ところで、この英語では 'Maundy Thursday'(聖木曜日)と言うのですけれども、これの語源が何か知っていますか?
これは弟子たちの足を洗う時にイエズス様が、「私は、新しい掟をお前たちに与える。互いに愛し合いなさい」と言った時に、「新しい掟を」と言ったのは、ラテン語では “Mandatum novum” と言われていて、そしてこの洗足式の事を、よく“Mandatum”と言われていました。英語のこの 'Maundy'は、“Mandatum”から来た、と言われています。
ところで、聖なる3日間はこういう事で、イエズス様の御受難の記念をする典礼という事で、そのそれを、典礼によってそれを、特別にそれが実現するように、私たちの目の前に起きるかのようにさせる御恵みを与える、という意味があります。
⑵では第2の点に行きますが、その前に簡単に、どんな儀式があるかという事を見ます。聖木曜日です。
もう一つちょっとした点があって、1955年にピオ十二世教皇様が聖週間を改革しました。そして私たちはこのピオ十二世の聖週間の改革に従って、その典礼を行なっているのですけれども、でもこれが、1970年の新しいミサが出来たので、ほんの少ししか歴史が長くする事ができなくて、その為に、もっとそれの為の研究書とかたくさん出るはずだったのが、今これをやっているのは非常に限られた、聖ピオ十世会と、他の聖伝の修道院だけなので、資料の少なさというのも少し、私たちにとってのちょっとチャレンジでもあります。
では、ピオ十二世の行なったこれはどうなるかというと、この3日間、午前中には、「朝課」と「讃課」という聖務日課を、グレゴリオ聖歌で歌います、午前中に。
元々この「朝課」というのは、朝4時とか3時とか、修道院では早く歌うのですけれども、特に聖週間では、他の多くの信徒の方も与る事ができるように午前中に歌います。エコンの新学校では朝の9時頃から歌いました。2時間半とか3時間ぐらいかかります。
聖木曜日の午後には、「最後の晩餐のミサ」があります。これが夕方の17時頃からあります。
聖金曜日には、ミサはないのですけれども、その代わりに15時頃から、イエズス様の御受難の朗読、あるいはお祈り、9つのお祈り、それから十字架の礼拝、また御聖体拝領などがあります。
でもその御聖体拝領は、聖木曜日に聖別された聖体を使います。この聖金曜日の色々な事については、来月詳しくお話します。
聖土曜日には、復活徹夜祭は、日が沈んだ時間から司式が許可されていますが、大体は20時頃から始まります。なぜ20時かというと、この儀式がこの徹夜祭が終わった直後に、復活のミサがあるのですけれども、それがちょうど真夜中に始まるように設定されています。
徹夜祭は、大体火の祝別、それから復活のローソクの祝別、それから教会に行列での入場、旧約聖書の四つの朗読、洗礼用水の祝別、諸聖人の連祷、洗礼の約束の更新などがあって、そのそれらが全て終わると、復活の主日のミサに、復活のミサになります。
もしも復活のミサが午前0時よりも早めに済めば、御聖体拝領を、聖土曜日にも拝領して、そしてそれよりももしも遅れれば、聖土曜日には御聖体拝領が無くなってしまいます。
これがピオ十二世の典礼改革だったのですけれども、でもそれより前はどうだったのか、それを今から申し上げます。
ではピオ十二世教皇様の前は、この朝課とかは、その前日の午後に先取りして歌っていました。それでこの晩餐のミサは、午前中にあったのです。この十字架の礼拝も午前中にありました。
復活の徹夜祭も午前中にあったのです。なぜかというと、昔々は夕方だったのですけれども、しかしやはり復活を待ちきれないと言うか、「復活のミサをもうちょっと早くした方が良いんじゃないか」と言って、2000年の長い内に少しずつ早くなって、そして既に午前中に始まるのが習慣になってしまいました。
ですから例えば公教会祈祷文を見ると、「アレルヤの祈り」はいつ唱えるかというと、聖土曜日のお昼からもう唱える事になってます。なぜかというと、その時にはもう復活の徹夜祭が終わった事になっていたからです。
このようなものの名残は、四季の斎日という中にも残っています。「四季の斎日の土曜日のミサ」というのは、本来ならば夜中に、“Easter vigil”復活の徹夜祭のように、夜始まったのですけれども、そして夜明け頃終わったのですが、それがだんだん早くなって、今では土曜日の朝からやるようになっています。
歴史上、夜中にやっていたものが「だんだん早くやるようになった」という動きがありました。
ですからもう聖土曜日の間に、「主は復活しました!アレルヤ!」と言うのは、典礼上間違いではなかったのです。
もう一つ、これは私たちには今年は特に関係ないのですが、でもエコンの神学生たちには関係のある事で、司教様がいるようなカテドラル、あるいは司教様がいるような所では、この聖木曜日の朝は、「聖香油のミサ」というのが行なわれました。
「聖香油のミサ」というのは何かというと、その聖木曜日の朝に司教様が聖香油を、1年に1度だけですけれども、特別なやり方で祝別します。そこの教区の司祭、助祭、副助祭、あるいは聖職者が全て集まって、このミサを行ないます。そして特別なやり方で儀式で聖香油を作ります。それがあります。エコンではいつもありますが、そのような時にはこの朝課は、昔のように水曜日に先取りしてします。
もう1つの特徴は、この「最後の晩餐のミサ」というのは、ミサがたった1つしかできません。ですから、いつもこの教会の脇祭壇とかにあって、こうたくさんミサがあったという所でも、この日には1回しかミサができなくなります。でもそこの教会の中で一番偉い神父様がミサをして、他の神父様たちはミサに与ります。
では聖木曜日にはどういう事があるか、2つの事を今から見ます。
午前中の「聖務日課」と、午後の「最後の晩餐の御ミサ」です。
【聖務日課】
4月9日聖木曜日、では午前中どのような事があるかというと、できれば私たちも、この御聖堂で東京では、お香を使って聖週間を過ごしたいと思いますけれども、できる限り、エコンでの神学校と同じような感じでできる限りミサを行ないたいと思っています。
午前中の聖務日課では、この「朝課」と「讃課」というのを一緒に唱えます。
大体2時間半ぐらいかかります。3時間ぐらいかかるかもしれません。特に聖金曜日などは、朝からご飯も食べていないし、暖房はないし、お腹は減っているし。それでその聖務日課がありますが、これを特に、“tenebrae”と言われています、『暗闇』と。
なぜかというと、祭壇にはローソクが灯されます。それであと祭壇の前に、三角形の台があって、正確な言い方ではないのですけれども、ハンガーの物掛けに縦棒が付いているような感じのものがあって、その上にローソクがあるのです。全部で15本のローソクがあって、このローソクを点けて、そして聖職者たちは向かい合わせに座って、信徒の方とこの聖務日課を唱えます。
それで「朝課」とか、あるいは「讃課」が、どのような事かとちょっとだけ説明します。
また別の機会で、クリスマスにも、クリスマスの朝課をミサの前に先取りして唱えるのが教会の習慣です。例年、大阪では、このクリスマスの朝課をミサの前にやっています。私たちも今年是非やりたいと思います。
【朝課】
この朝課では、特にこの聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日の朝課というものには、日本語で「夜課」という風に訳されているもの(Nocturna)が3つあります。第1夜課・第2夜課・第3夜課。そしてその一つ一つには、詩篇が3つずつあります。
それから、1つの夜課には詩篇が3つあって、答唱というものがあって、天にましますのお祈りがあります。それを3回繰り返します。という事は、詩篇が9回、1つの朝課にはあります。
詩篇を唱えるには、前と後に「アンティフォナ」“Antiphona”というものが付きます。
第1アンティフォナ・第1詩篇・第1アンティフォナ。
第2アンティフォナ・第2詩篇・第2アンティフォナ。
第3アンティフォナ・第3詩篇・第3アンティフォナ。
答唱。
天にまします。
というパターンで、3回それがあります。
それから、朝課の詩篇を一つ唱えるごとに、式長が、このローソクを一つ一つ消していきます。9つの詩篇があるので、9つのローソクが、朝課が終わる前には消えます。
【讃課】
讃課というのは、詩篇が5つあるのです。
それから特別な有名な歌があります。“Christus factus est.”「キリストは従順になられた。しかも、十字架の死に至るまで従順になられた」という歌があるので、それを歌います。
その次に、Pater noster。
それで、讃課で5つの詩篇があるのですけれども、その詩篇が歌い終わるごとに、式長がここのローソクを一本一本消して、最後には、頂上頂点にだけ1つだけ残ります。
そしてその次に、“Benedictus”というこのザカリアの、洗者聖ヨハネが生まれた時に、「イスラエルの天主は祝せられ給え」という歌があるのですけれども、それを歌います。
それを歌っている間、式長はローソクを、6本のローソクを次々と消して行きます。このイエズス様の御受難の予言が皆成就していって、一つ一つ成就して、「さぁ、もう御受難の時が来た。」「さぁ、イエズス様のこの時間が、もうその時がやって来た。」「さぁ、今もう受難の時だ」という事を示します。
そして残ったこの1つは、イエズス様を意味しています。
それで、「イエズス様は、死に至るまで従順であった。しかも十字架の死に至るまで。」
聖木曜日では、「イエズス様は従順であった」という最初の部分だけを歌います。
聖金曜日には、「イエズス様は従順であった。しかも十字架の死に至るまで、従順であった。」その次の節まで歌います。
聖土曜日になると、その最後の節があって、「だから、聖父は彼に、全てに勝る名を与えた」と、少しずつ、聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日と、同じ歌ですけれども、少しずつ歌い出します。
天にましますを唱えます。
そして司祭がお祈りをします。後で式長には正確な時を申し上げますが、式長はこの一番上のローソクを取って、火を点けたまま、祭壇の裏に隠します。そして「イエズス様が取られてしまった。」これは、「イエズス様が取られて、古聖所に行った」という事を、「受難を受けた」という事を意味します。
そしてお祈りが終わった後、そこにいた会衆たちは皆、持っていたお祈りの本とかリベルウズアリスとかを持って、バンバンバンバンバンとこの教会の跪き台を叩いて音を出すのですが、それは、イエズス様が亡くなった時に地震が起こった、という事を記念します。
その地震が終わると、今まで隠していたローソクを式長が取り出して、そしてもう一度ここに戻します。「イエズス様が復活した」という事なのですけれども、それを、ローソクを消して、これでこの『暗闇』と言われる式が終わります。
こういう儀式が午前中にあります。特に、このグレゴリオ聖歌の練習を少ししなければなりませんが、とても美しい典礼です。日本でこういう事をやるのはもしかしたら、どれほどあるかちょっと分かりません。
【最後の晩餐のミサ】
では、本当はもう時間が過ぎてしまったのですけれども、5分ほど、「最後の晩餐のミサ」について、少しだけ違ったところがあるからです。
まず聖木曜日には、白を使います。本当は聖週間の間は紫なのですけれども。聖木曜日には花も飾ります。御聖櫃は空になります。それから聖水台も空になっています。それから十字架とか御像は紫の布で包まれているのですけれども、祭壇の上の十字架だけは白になります。祭壇もみんな白です。
4つの点で、普通のミサと違う点があります。
まず「グロリア」。この時に侍者はベルを鳴らします、鈴を鳴らします。
もしもこの教会の鐘があれば、その鐘もボーンボーンボーンと鳴らします。
そしてこの後は、立ったり座ったりする時に合図するクラッパーを使います。この後は復活祭の時まで、鐘・鈴は鳴らさなくなります。
第2の点は、福音の後に「洗足式」というものをする事ができます。必ずしなければならないという事ではないですけれども、する事ができます。十二人の男性の足を、司祭が洗う事ができます。
昔ピオ十二世教皇様の前では、ミサの時にはそれはなくて、ミサが終わってから、別個にこのような儀式がありました。ところがピオ十二世の典礼改革では、それがミサの途中に入る事になりました。
第3のポイントは、ミサの後で、御聖体が「仮祭壇」に運ばれます。
それは、「イエズス様が最後の晩餐が終わった後に、弟子たちと一緒にゲッセマニに行って、そしてお祈りをした」という、それで信徒の方も一緒に、御聖体と一緒に仮祭壇の方に行って、夜中の12時頃まで、典礼の12時まで御聖体の前で、聖体を礼拝するお祈りする事があります。
最後の点は、この御聖体を移動した司祭は、香部屋に戻ってきて、祭服を脱いで、黒いストラをつけて、そして祭壇の布を剥ぎ取ります。
裸にするというか、祭壇の飾りを取る。これは、「イエズス様が捕らえられて、ゲッセマニの園にて捕らえられて、そしてなぶり者にされた」という事を象徴します。
ですから、祭壇の布 “Antependium”、ローソク、十字架、お花、全て真っ裸に、祭壇がむき出しになってしまいます。
そして聖木曜日の儀式が終わります。とても感動的で、何とかして教会は、イエズス様の身に何が起こったのかを私たちに見せて、理解させようとする事を望んでいます。
「聖なる3日間 "Triduum Sacrum" の中の「聖木曜日」の典礼について」
今日は、お忙しいのに時間をありがとうございます。
今年の4月は日本で初めて聖週間を行なう事ができる予定ですので、ぜひそれに、「一体どんな事が起こるのか」という事を皆さんにあらかじめ知って頂きたいと思っています。
特に、聖週間の一番重要なのは、「聖なる3日間」と言われている、ラテン語で“Triduum Sacrum“と言われている、「聖木曜日」「聖金曜日」「聖土曜日」です。
そこで今回は、
⑴その「聖なる3日間」というのはどういうものなのか?という事をまず見て、
⑵次に今日は特に、「聖木曜日」にはどういう事が行なわれるか?という事を第2に見て、
⑶第3に、では私たちは、その今年の聖木曜日はどうすれば良いか?という事を簡単に見て、
それから皆さんからの質問があれば、それをお伺いしたいと思っています。
⑴では第1に、「聖週間」。もちろんこの聖週間は、枝の主日から始まって、そして聖月曜日・聖火曜日…と続きます。
特にこの聖木曜日から聖金曜日・聖土曜日の3日間を、「聖なる3日間」と“Triduum Sacrum”と言います。“Triduum”のTriは、「3」という意味です。
なぜこの3日間が重要かというと、イエズス様が最後の晩餐をした、それから弟子たちの足を洗って、そしてイエズス様の御受難が始まったのが聖木曜日で、そして十字架に付けられたのが聖金曜日です、そして死去されたのが聖土曜日、と、イエズス様の御受難のそのそれが、聖木曜日から金曜日、土曜日に記念されるからです。
ところで、この英語では 'Maundy Thursday'(聖木曜日)と言うのですけれども、これの語源が何か知っていますか?
これは弟子たちの足を洗う時にイエズス様が、「私は、新しい掟をお前たちに与える。互いに愛し合いなさい」と言った時に、「新しい掟を」と言ったのは、ラテン語では “Mandatum novum” と言われていて、そしてこの洗足式の事を、よく“Mandatum”と言われていました。英語のこの 'Maundy'は、“Mandatum”から来た、と言われています。
ところで、聖なる3日間はこういう事で、イエズス様の御受難の記念をする典礼という事で、そのそれを、典礼によってそれを、特別にそれが実現するように、私たちの目の前に起きるかのようにさせる御恵みを与える、という意味があります。
⑵では第2の点に行きますが、その前に簡単に、どんな儀式があるかという事を見ます。聖木曜日です。
もう一つちょっとした点があって、1955年にピオ十二世教皇様が聖週間を改革しました。そして私たちはこのピオ十二世の聖週間の改革に従って、その典礼を行なっているのですけれども、でもこれが、1970年の新しいミサが出来たので、ほんの少ししか歴史が長くする事ができなくて、その為に、もっとそれの為の研究書とかたくさん出るはずだったのが、今これをやっているのは非常に限られた、聖ピオ十世会と、他の聖伝の修道院だけなので、資料の少なさというのも少し、私たちにとってのちょっとチャレンジでもあります。
では、ピオ十二世の行なったこれはどうなるかというと、この3日間、午前中には、「朝課」と「讃課」という聖務日課を、グレゴリオ聖歌で歌います、午前中に。
元々この「朝課」というのは、朝4時とか3時とか、修道院では早く歌うのですけれども、特に聖週間では、他の多くの信徒の方も与る事ができるように午前中に歌います。エコンの新学校では朝の9時頃から歌いました。2時間半とか3時間ぐらいかかります。
聖木曜日の午後には、「最後の晩餐のミサ」があります。これが夕方の17時頃からあります。
聖金曜日には、ミサはないのですけれども、その代わりに15時頃から、イエズス様の御受難の朗読、あるいはお祈り、9つのお祈り、それから十字架の礼拝、また御聖体拝領などがあります。
でもその御聖体拝領は、聖木曜日に聖別された聖体を使います。この聖金曜日の色々な事については、来月詳しくお話します。
聖土曜日には、復活徹夜祭は、日が沈んだ時間から司式が許可されていますが、大体は20時頃から始まります。なぜ20時かというと、この儀式がこの徹夜祭が終わった直後に、復活のミサがあるのですけれども、それがちょうど真夜中に始まるように設定されています。
徹夜祭は、大体火の祝別、それから復活のローソクの祝別、それから教会に行列での入場、旧約聖書の四つの朗読、洗礼用水の祝別、諸聖人の連祷、洗礼の約束の更新などがあって、そのそれらが全て終わると、復活の主日のミサに、復活のミサになります。
もしも復活のミサが午前0時よりも早めに済めば、御聖体拝領を、聖土曜日にも拝領して、そしてそれよりももしも遅れれば、聖土曜日には御聖体拝領が無くなってしまいます。
これがピオ十二世の典礼改革だったのですけれども、でもそれより前はどうだったのか、それを今から申し上げます。
ではピオ十二世教皇様の前は、この朝課とかは、その前日の午後に先取りして歌っていました。それでこの晩餐のミサは、午前中にあったのです。この十字架の礼拝も午前中にありました。
復活の徹夜祭も午前中にあったのです。なぜかというと、昔々は夕方だったのですけれども、しかしやはり復活を待ちきれないと言うか、「復活のミサをもうちょっと早くした方が良いんじゃないか」と言って、2000年の長い内に少しずつ早くなって、そして既に午前中に始まるのが習慣になってしまいました。
ですから例えば公教会祈祷文を見ると、「アレルヤの祈り」はいつ唱えるかというと、聖土曜日のお昼からもう唱える事になってます。なぜかというと、その時にはもう復活の徹夜祭が終わった事になっていたからです。
このようなものの名残は、四季の斎日という中にも残っています。「四季の斎日の土曜日のミサ」というのは、本来ならば夜中に、“Easter vigil”復活の徹夜祭のように、夜始まったのですけれども、そして夜明け頃終わったのですが、それがだんだん早くなって、今では土曜日の朝からやるようになっています。
歴史上、夜中にやっていたものが「だんだん早くやるようになった」という動きがありました。
ですからもう聖土曜日の間に、「主は復活しました!アレルヤ!」と言うのは、典礼上間違いではなかったのです。
もう一つ、これは私たちには今年は特に関係ないのですが、でもエコンの神学生たちには関係のある事で、司教様がいるようなカテドラル、あるいは司教様がいるような所では、この聖木曜日の朝は、「聖香油のミサ」というのが行なわれました。
「聖香油のミサ」というのは何かというと、その聖木曜日の朝に司教様が聖香油を、1年に1度だけですけれども、特別なやり方で祝別します。そこの教区の司祭、助祭、副助祭、あるいは聖職者が全て集まって、このミサを行ないます。そして特別なやり方で儀式で聖香油を作ります。それがあります。エコンではいつもありますが、そのような時にはこの朝課は、昔のように水曜日に先取りしてします。
もう1つの特徴は、この「最後の晩餐のミサ」というのは、ミサがたった1つしかできません。ですから、いつもこの教会の脇祭壇とかにあって、こうたくさんミサがあったという所でも、この日には1回しかミサができなくなります。でもそこの教会の中で一番偉い神父様がミサをして、他の神父様たちはミサに与ります。
では聖木曜日にはどういう事があるか、2つの事を今から見ます。
午前中の「聖務日課」と、午後の「最後の晩餐の御ミサ」です。
【聖務日課】
4月9日聖木曜日、では午前中どのような事があるかというと、できれば私たちも、この御聖堂で東京では、お香を使って聖週間を過ごしたいと思いますけれども、できる限り、エコンでの神学校と同じような感じでできる限りミサを行ないたいと思っています。
午前中の聖務日課では、この「朝課」と「讃課」というのを一緒に唱えます。
大体2時間半ぐらいかかります。3時間ぐらいかかるかもしれません。特に聖金曜日などは、朝からご飯も食べていないし、暖房はないし、お腹は減っているし。それでその聖務日課がありますが、これを特に、“tenebrae”と言われています、『暗闇』と。
なぜかというと、祭壇にはローソクが灯されます。それであと祭壇の前に、三角形の台があって、正確な言い方ではないのですけれども、ハンガーの物掛けに縦棒が付いているような感じのものがあって、その上にローソクがあるのです。全部で15本のローソクがあって、このローソクを点けて、そして聖職者たちは向かい合わせに座って、信徒の方とこの聖務日課を唱えます。
それで「朝課」とか、あるいは「讃課」が、どのような事かとちょっとだけ説明します。
また別の機会で、クリスマスにも、クリスマスの朝課をミサの前に先取りして唱えるのが教会の習慣です。例年、大阪では、このクリスマスの朝課をミサの前にやっています。私たちも今年是非やりたいと思います。
【朝課】
この朝課では、特にこの聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日の朝課というものには、日本語で「夜課」という風に訳されているもの(Nocturna)が3つあります。第1夜課・第2夜課・第3夜課。そしてその一つ一つには、詩篇が3つずつあります。
それから、1つの夜課には詩篇が3つあって、答唱というものがあって、天にましますのお祈りがあります。それを3回繰り返します。という事は、詩篇が9回、1つの朝課にはあります。
詩篇を唱えるには、前と後に「アンティフォナ」“Antiphona”というものが付きます。
第1アンティフォナ・第1詩篇・第1アンティフォナ。
第2アンティフォナ・第2詩篇・第2アンティフォナ。
第3アンティフォナ・第3詩篇・第3アンティフォナ。
答唱。
天にまします。
というパターンで、3回それがあります。
それから、朝課の詩篇を一つ唱えるごとに、式長が、このローソクを一つ一つ消していきます。9つの詩篇があるので、9つのローソクが、朝課が終わる前には消えます。
【讃課】
讃課というのは、詩篇が5つあるのです。
それから特別な有名な歌があります。“Christus factus est.”「キリストは従順になられた。しかも、十字架の死に至るまで従順になられた」という歌があるので、それを歌います。
その次に、Pater noster。
それで、讃課で5つの詩篇があるのですけれども、その詩篇が歌い終わるごとに、式長がここのローソクを一本一本消して、最後には、頂上頂点にだけ1つだけ残ります。
そしてその次に、“Benedictus”というこのザカリアの、洗者聖ヨハネが生まれた時に、「イスラエルの天主は祝せられ給え」という歌があるのですけれども、それを歌います。
それを歌っている間、式長はローソクを、6本のローソクを次々と消して行きます。このイエズス様の御受難の予言が皆成就していって、一つ一つ成就して、「さぁ、もう御受難の時が来た。」「さぁ、イエズス様のこの時間が、もうその時がやって来た。」「さぁ、今もう受難の時だ」という事を示します。
そして残ったこの1つは、イエズス様を意味しています。
それで、「イエズス様は、死に至るまで従順であった。しかも十字架の死に至るまで。」
聖木曜日では、「イエズス様は従順であった」という最初の部分だけを歌います。
聖金曜日には、「イエズス様は従順であった。しかも十字架の死に至るまで、従順であった。」その次の節まで歌います。
聖土曜日になると、その最後の節があって、「だから、聖父は彼に、全てに勝る名を与えた」と、少しずつ、聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日と、同じ歌ですけれども、少しずつ歌い出します。
天にましますを唱えます。
そして司祭がお祈りをします。後で式長には正確な時を申し上げますが、式長はこの一番上のローソクを取って、火を点けたまま、祭壇の裏に隠します。そして「イエズス様が取られてしまった。」これは、「イエズス様が取られて、古聖所に行った」という事を、「受難を受けた」という事を意味します。
そしてお祈りが終わった後、そこにいた会衆たちは皆、持っていたお祈りの本とかリベルウズアリスとかを持って、バンバンバンバンバンとこの教会の跪き台を叩いて音を出すのですが、それは、イエズス様が亡くなった時に地震が起こった、という事を記念します。
その地震が終わると、今まで隠していたローソクを式長が取り出して、そしてもう一度ここに戻します。「イエズス様が復活した」という事なのですけれども、それを、ローソクを消して、これでこの『暗闇』と言われる式が終わります。
こういう儀式が午前中にあります。特に、このグレゴリオ聖歌の練習を少ししなければなりませんが、とても美しい典礼です。日本でこういう事をやるのはもしかしたら、どれほどあるかちょっと分かりません。
【最後の晩餐のミサ】
では、本当はもう時間が過ぎてしまったのですけれども、5分ほど、「最後の晩餐のミサ」について、少しだけ違ったところがあるからです。
まず聖木曜日には、白を使います。本当は聖週間の間は紫なのですけれども。聖木曜日には花も飾ります。御聖櫃は空になります。それから聖水台も空になっています。それから十字架とか御像は紫の布で包まれているのですけれども、祭壇の上の十字架だけは白になります。祭壇もみんな白です。
4つの点で、普通のミサと違う点があります。
まず「グロリア」。この時に侍者はベルを鳴らします、鈴を鳴らします。
もしもこの教会の鐘があれば、その鐘もボーンボーンボーンと鳴らします。
そしてこの後は、立ったり座ったりする時に合図するクラッパーを使います。この後は復活祭の時まで、鐘・鈴は鳴らさなくなります。
第2の点は、福音の後に「洗足式」というものをする事ができます。必ずしなければならないという事ではないですけれども、する事ができます。十二人の男性の足を、司祭が洗う事ができます。
昔ピオ十二世教皇様の前では、ミサの時にはそれはなくて、ミサが終わってから、別個にこのような儀式がありました。ところがピオ十二世の典礼改革では、それがミサの途中に入る事になりました。
第3のポイントは、ミサの後で、御聖体が「仮祭壇」に運ばれます。
それは、「イエズス様が最後の晩餐が終わった後に、弟子たちと一緒にゲッセマニに行って、そしてお祈りをした」という、それで信徒の方も一緒に、御聖体と一緒に仮祭壇の方に行って、夜中の12時頃まで、典礼の12時まで御聖体の前で、聖体を礼拝するお祈りする事があります。
最後の点は、この御聖体を移動した司祭は、香部屋に戻ってきて、祭服を脱いで、黒いストラをつけて、そして祭壇の布を剥ぎ取ります。
裸にするというか、祭壇の飾りを取る。これは、「イエズス様が捕らえられて、ゲッセマニの園にて捕らえられて、そしてなぶり者にされた」という事を象徴します。
ですから、祭壇の布 “Antependium”、ローソク、十字架、お花、全て真っ裸に、祭壇がむき出しになってしまいます。
そして聖木曜日の儀式が終わります。とても感動的で、何とかして教会は、イエズス様の身に何が起こったのかを私たちに見せて、理解させようとする事を望んでいます。