「聖なる修道者の召命について」
2020年4月19日(主日)白衣の主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は白衣の主日で、フランスのルフェックという修練院で、またアメリカのブラワーヴィルという所にある聖ピオ十世会の修練院で、ある女性は着衣式を、そしてまた同時にある修道女は初誓願を立てます。またある修道女は終生誓願を今日立てます。
皆さんどうぞ、この修道女たちの為にお祈り下さい。コロナウィルスで色々混乱がありますけれども、もしも何もなければ全てがうまくいくならば、彼女たちはそのような儀式をするはずです。
ところで、今年の白衣の主日は、とても日本にとっては歴史的な日です。
なぜかというと、岩手県出身の私たちの姉妹の一人が、今日フランスのルフェックという所で着衣式をするからです。
着衣式というのは、修道女になる為に、誓願を立てる為に、その準備として、修練女として、ベールをかぶり、そして修道女としての服を、黒い、「この世に死んだ」という黒い服を着て、そしてスカプラリオをかぶり、また修道女としての特別な衣装を服を着ます。
でも一体、修道女というのは何でしょうか?
修道女というのは、天主様に身を捧げられた特別な方です。どうやって身を捧げるかというと、三つの誓願を立てます。この三つの誓願を立てる事によって、正式な修道女になります。
一つは「清貧」の誓願。第二は「貞潔」の誓願。第三は「従順」の誓願です。
「清貧」というのは、お金や、この地上の物事が与える快楽から離脱して、それを放棄する事です。
「貞潔」の誓願というのは、この肉体の喜び、あるいは快楽、あるいは家庭を築く、というものを放棄して、それをイエズス様の為に捧げる、という事です。
「従順」の誓願というのは、私たちの自由意志を、私たちの思いも捧げて、イエズス様の代理者である長上に従順に従う、という事です。
この三つの誓願を以って初めて、修道女となります。
一体、でもこの「修道女になる」というのは、あぁこれもダメ、あれもダメ、あれもダメ、という否定的なものだけなのでしょうか?
この世が嫌いで、この世から逃げるのでしょうか?違います。全く違います。全くそういうものではありません。
そうではなくて、「修道女になる」というのは、「イエズス様の愛に惹かれて、イエズス様の近くに行きたい」と思って、「イエズス様が私たちの為に、私たちの救いの為に、御自分の尊い命を与えて下さって、御自分の尊き御血を全て流されて、十字架の下で苦しまれて、そして私たちを天国に導いて下さった、その愛を、愛で応えよう」と思っている方々です。
この世で、私たちにたった1つの名前しか与えられていません。私たちが救いを得る為には、この1つの名前しか、天上天下与えられていません。それは、『イエズス・キリスト』です。私たちの主イエズス・キリスト。
このイエズス・キリストにこそ、天と地の全ての権力が与えられています。この「イエズス・キリストに、愛で従いたい、愛で仕えたい」と思っている方々が、修道女です。修道士です。そして司祭です。
そして歴史上、どれほど多くの童貞女たちが、自分の身分は高貴であったにも関わらず、皇帝の娘であったにも関わらず、王様の娘でもあったにも関わらず、高貴な貴人から求婚されたにも関わらず、どれほど多くの方々が、それを拒否して、イエズス・キリスト様の為に、自分の一生を捧げた方がいるでしょうか。
どれほど多くの殉教者たちが、自分の命を全くイエズス・キリストに捧げて、そして全てを捧げて、その信仰によって信じ、死を以って、命を捧げた事でしょうか。
そればかりでありません。歴史上多くの、数多くの若い命たちが、若い方々が、イエズス様の愛に応えようと、イエズス様に奉仕しようと、自分の一生を捧げていきました。
このような方々は、病院で一生懸命、貧しい人に、あるいは病気の人、あるいは癩病の人、あるいは苦しんでいる人の為に奉仕して、あるいは一生をかけて公教要理を教えたり、イエズス・キリストの愛を教えたりした方々、あるいは宣教師のように自分の故郷を離れて、そしてイエズス・キリストの教えを、福音を教えようと、はるばる海を越えて、危険を冒して、命がけで宣教した方、数万、数え切れられないほどの霊魂たちがいます。
その人たちは一体なぜ、人生をかけてそうしたのでしょうか?ただその隣人を助けたい、という社会福祉の為だけだったのでしょうか?
いえ、唯一その方々が持っていたのは、「イエズス・キリストを愛する為」です。イエズス・キリストに従う為でした。イエズス・キリストだけを求めて、彼らは命を捧げました。
なぜかというと、イエズス・キリストだけが、私たちが全てを捧げる価値があるからです。
そして今日、シスターたちが、聖ピオ十世会のシスターたちが、そのイエズス様の愛に、愛で応えようと、着衣式をして、誓願を立てて、一生を捧げようとされます。
もしもイエズス様への愛がなければ、もしもイエズス・キリストの為でなければ、どれほど美しいベールも、どれほど美しいシスターの修道服も、あるいは指輪も、あるいはその他も、全く意味をなしません。
願わくは、今日着衣式を受けるシスターたち、そして誓願を立てる、あるいは終生誓願を立てるシスターたちが、ますますイエズス様の愛に燃え立ちますように、イエズス様に終わりまで付き従いますように、忠実に従いますように、そして日本からも、世界中からも、このような霊魂たちがたくさん生み出されますように、お祈り致しましょう。
なぜかというと、このような霊魂がたくさんいればいるほど、生まれれば生まれるほど、イエズス様の栄光はますます輝きますし、そして公教会はますます発展するからです。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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