アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様!
2020年5月31日(主日) 聖霊降臨の主日の聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教を文字で御紹介いたします。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は聖霊降臨の主日です。カトリック教会は、使徒たちに対する聖霊の働きを賛美しています。
【1:聖霊降臨で起こった事とその結果】
旧約の過ぎ越しの50日後、モーゼはシナイ山の上で、天主の十戒の二枚の石板を受けましたが、これは来たるべき現実の前兆でした。
私たちの主イエズス・キリストの御復活の50日後、つまり今日、聖霊が使徒たちに舌の形をした炎で下り、与えられました。これは「信仰の光」と「愛徳の炎」を意味しています。私たちの人間の心に、天主への信仰と愛とが深く刻まれました。聖霊はこの世を新たにする為に与えられました。使徒たちも全く生まれ変わったようになりました。
聖ペトロは言います。「悔い改めなさい、各々、罪の赦しを受ける為に、イエズス・キリストの聖名によって洗礼を受けなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたたちの為、あなたたちの子孫の為、そしてまた、私たちの天主である主の招きに応じる遠くにいる全ての人々の為のものであります。」(使徒行録2:38-39)
聖霊降臨後、使徒たちには、そして私たちには、ただ一つの名前しかありません。「イエズス・キリスト」です。
「救いは、主以外の者によっては与えられません。全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は、人間に与えられませんでした。」(使徒行録4:12)
ファリサイ派や律法学士らは使徒たちに、イエズス・キリストの聖名によって話す事を脅して、一切禁じました。
しかしペトロとヨハネとは、「それはできない」と答えます。「天主をおいて、あなたたちに従う事が、天主のみ前に正しいかどうかは、あなたたちが判断しなさい。私たちとしては、見た事聞いた事を黙っているわけにはいきません。」(使徒行録4:19-20)
使徒たちは、イエズス・キリストの聖名によって天主の御国を宣教しました。彼らの全生涯は、そして初代教会の歴史は、イエズス・キリストへの信仰の宣教と、恐るべき迫害でした。キリスト者はキリスト者であるが為に、イエズス・キリストを愛するが為に、天主の御国を望んでいたが為に、迫害を受けました。教会は、数百年の迫害を耐え忍びました。
遂に、この世の王や君主たちに、キリストへの信仰と愛を教え、民族、そして国々がこぞって、主の教えに従って生活しました。天主の御旨を日々、毎瞬間、果たす事に努めました。キリスト教世界です。そこでは、天主への愛を、掟を守る事によって証明しようと務めていました。
王から臣下に至るまで、多くの家族が、天主を罪によって悲しませる事がないように、それを恐れ、信仰と愛徳によって幸せな生活を送り、天主はこのような国々を、そして家族を、特別の祝福で恵まれました。
深くキリスト教的な多くの家庭は、イエズス・キリストと聖母と聖ヨゼフの聖家族を見習って生活していました。信仰を深く生きる家庭から、多くの聖なる召命が生まれました。修道院を修道者らで満たしました。この家庭から出た多くの召命が、世界を宣教師で満たしました。
こうして世界は、聖霊の御恵みを受けて、信仰と愛に生き、永遠の幸せを遂に得る事ができる為でした。
【2:聖霊は私たちを天主の御国へと導く】
聖霊は、イエズス・キリストの御国をこの地上で確立する為に与えられました。聖霊降臨の日に起こった事です。
では、天主の御国とは何でしょうか?
それは、主の御旨が天に行われるように地にも行われる事です。天主の御旨とは、天主の掟が守られる事です。天主の掟というのは、私たちが天主への愛と隣人への愛を実践する事にあります。特に天主の十戒は、二つの掟にまとめられます。天主への愛、そして隣人への愛です。
イエズス・キリストの公生活の間に、つまりカナの婚宴の時に、聖母が言われた言葉も、この愛をこだましています。「主の御旨を果たす」という愛に満ちています。「この方、つまりイエズスが言う事を全て、何でもしなさい」(ヨハネ2:5-6)と、聖母は言われました。聖母は私たちにも同じ事を仰っています。
私たちには天主の御旨を果たす、「天主を愛して、隣人を愛する」という非常に尊い義務が与えられました。真の天主を信じ、礼拝し、真の天主を愛する、そして天主を愛するがゆえに、隣人を我が身の如く愛する、というとても高貴な、崇高な義務です。
天主の御旨であり、私たちの崇高な義務であるこの愛の掟は、私たちが、真の天主が創立した真の宗教を信じる事によって教えられます。つまり、一、聖、公、使徒継承の教会、ローマ・カトリック教会を信じる事によって教えられます。そしてこの信仰は、私たちの聖なる義務です。
人権というのは、私たちが義務を果たす事ができる為にあります。天主の御旨を果たす為に、ローマ・カトリック教会に従って天主を礼拝する義務を果たすが為に、権利があります。
私たちがどれほどの権利を持っているか、という事は、私たちの義務によっています。私たちが権利を持っているのは、それは私たちに義務があるからです。
私たちは、被造物として、どれほど多くの恵みを天主から、創造主から、日々、毎瞬毎瞬受けている事でしょうか。そしてこの私たちが受けている全ての御恵みを感謝して、それを、その御旨を果たしたい、と思うのは、私たちにとってとても喜ばしい義務でなくて何でしょうか。この義務をもって生まれた事は、何と喜ばしい事でしょうか。私たちには、義務と関わりのない絶対的な権利というものはあり得ません。
イエズス・キリストは、私たちを裁きにもう一度来臨されます。その時イエズス・キリストは、真の最後の審判者は、「私たちが主の御旨をいかに果たしたか」を裁きに来られます。「天主をどのように愛したか」によって私たちは裁かれます。私たちが自分のやりたい放題生活したかどうかを褒める為に来るのではありません。
私たちを本当に幸せにするのは、「愛徳の掟」です。私たちの家族、私たちの社会を本当に幸せにするのは、「天主への愛と隣人への愛」です。なぜかというと、天主は愛だからです。
これがカトリック教会が常に私たちに教えてきた教えです。教会の聖伝の教えです。
【3:聖霊に対立する原理】
ところで、現代では残念ながら、イエズス・キリストの教えた愛ではない原理によって、世界を作ろうとしています。天主の十戒や天主への義務から切り離された、絶対的な独立した原理です。
つまり、絶対的な人権という原理です。この世の愛着と、自分の権利だけの主張です。天主を無視した、天主から独立した、やりたい放題したい、したい放題やる、という自由という名前の権利です。天主の望み、天主の御旨を行う自由ではなく、自分のしたい事をする自由です。道徳も、宗教も、自分の信じたいように信じて、やりたい放題行うという自由です。絶対的な自由の上に、この世を建設しようとしています。イエズス・キリストの御国、天主の御国ではなく、天主が不在で、やりたい放題する世界です。
このような絶対的な自由の権利は、私たちを幸せにはしません。何故なら、これは利己主義であって、傲慢だからです。
悪魔は私たちを騙す為に、新しいスローガンを発明しました。曖昧なスローガンを発明しました。「自由、平等、博愛」です。また、「人権」、あるいは「人間の尊厳」というスローガンです。
カトリック教会が教えてきた事はそうではなくて、天主の十戒、人間の天主に対する愛の義務です。私たちにとって大切なのは、主の御国が来る事です、主の御旨が果たされる事です。イエズス・キリストの御国がこの地上で成立して、そして私たちが天で永遠の御国に、幸せの御国、キリストの神秘体に到達する事です。つまり、人類の究極の目的に到達する事です。
その為に、この創造の究極の目的の為に、人間が永遠に幸せになる為に、天主の御言葉が人となりました。もしイエズス・キリストと一致していないのならば、つまり罪の状態にあるのならば、私たちは地獄に落ちてしまいます。
つまり、イエズス・キリストと一致していないのならば、人間には尊厳がありません。尊厳というのは、キリストと一致してこそあるのです。天主から独立した人間の尊厳というものはあり得ないのです。
教皇大聖レオもこう言っています。「キリスト者たちよ、お前たちの尊厳をよく考えよ、今や天主の本性に与る者となったのだから!」と。
私たちはイエズス・キリストの御国を求めています。イエズス・キリストが、真の天主が、信じられ、礼拝され、愛され、その御旨が果たされる事を求めています。
洗礼の時に、教会からこう尋ねられました。「あなたは天主の教会に何を求めますか?」私たちはこう答えました。「信仰を。」
「信仰はあなたに何を与えますか?」「永遠の命を。」
私たちは、これを最後まで求めています。教会に信仰を求めています。聖霊に満たされて殉教していった日本の百万、数百万の尊い殉教者たちも全く同じでした。世界中の無数の過去のカトリック信者たちが、2000年間これを求めて生活し、死んでいきました。このカトリック信者たちは過去2000年間、信仰の義務を果たしていました。
そして地上の全ての権威は、この信仰の義務を守る為に、天主によって権威を与えられました、存在しています。親の権威であれ、政府であれ、教会の権威であれ、私たちが永遠の命を得る事ができる為に、信仰の義務を守り、これを促進する義務があります。何故かというと、私たちは永遠の生命の為にこの世に生まれてきて、生活しているからです。
私たちは、洗礼を受けた時、堅振の秘跡を受けた時、御聖体を拝領する時、つまり秘蹟を受ける時、聖霊の御恵みを受けます。いわば聖霊降臨を受けます。そして聖霊は私たちに真理を教えます。そして真理こそが私たちを救ってくれます。嘘や誤謬によって救われるのではありません。
【4:遷善の決心】
では、最後に私たちは遷善の決心を立てましょう。
もしも、嘘のような話ですけれども、教会当局が、私たちからカトリック信仰を消し去ろうとするならば、もしも御聖体に対する信仰や、聖母に対する信心を嘲笑ったり、これを否定したり、これを非難するような時には、私たちはこれに従う事ができません。
もしも当局が、「あぁ、聖霊は、イエズス・キリストの創立したカトリック以外の宗教でも、それを使って、その諸宗教の教えによって、私たちの霊魂を天国に導く事ができる」などと主張するのならば、私たちはそれを信じる事ができません、それに従う事はできません。
なぜかというと、そのような教えは、カトリック教会の聖伝の、2000年間の教えに対立する、矛盾した考えだからです。
私たちは、天主様の憐みと御助けと、また聖母の御取次ぎによって、信仰の義務を守り続ける事を望みます、そしてそれを願っています。
兄弟姉妹の皆さん、何も恐れないで下さい。イエズス・キリストを礼拝なさって下さい。御聖体に真にましまし給うイエズス・キリストを礼拝し、その御前で跪いて下さい。イエズス・キリストの真の御体を、跪いて、口で拝領して下さい。イエズス・キリストを礼拝する為に、愛する為に、教会が2000年間そうし続けてきたように、聖伝のミサに、ラテン語のミサに、与って下さい。
私たちが救われるには、ただ一つの名前しかありません。イエズス・キリストです。天上天下「私たちが救われるこれ以外の名前は、人間に与えられませんでした。」聖ペトロ、初代教皇様は私たちにはっきり教えています。
天主の聖母、聖マリアにロザリオを祈って下さい。天地の元后であるマリア様にお祈りをなさって下さい。
2000年間、カトリック教会が教え続けてきた事をそのままやり続け、そのまま信じ続けましょう。聖伝のミサ、聖伝の秘跡、聖伝の信仰、聖伝の教えを守っていきましょう。私たちはこれを発明したのではありません、私たちはただ使徒たちから、先祖たちからそのまま伝えられたものを、受けているだけです。この大切な信仰を、私たちが別なものに変える事は決してできません。
今日、この聖霊降臨の聖なる日に、聖霊の浄配であるマリア様にお祈り致しましょう。私たちが真理の霊である聖霊、そして天主の愛である聖霊が与えられて、聖霊に満たされますように、マリア様に御取次ぎを願いましょう。聖母のように聖霊に満たされますように、御助けを乞い願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。