アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
来る2020年6月11日は、御聖体の祝日(一級大祝日 白)です。大阪では聖伝のミサが捧げられます。
2020年6月14日(主日)は、日本(東京と大阪)では御聖体の祝日の荘厳祭を行います。
【東京】
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
【大阪】
18:00 ミサ聖祭 歌ミサ
御聖体の祝日(一級大祝日 白)
聖木曜日において、拝すべき聖体制定の記念を祝った。しかし、その時はご受難中であり、充分盛大に喜びを表すことができなかった。この祝日が定められたのは、十三世紀、ベルギーのリエージュの、聖ユリアナ・ド・コルニヨン修道女によってである。後にウルバノ四世教皇と、クレメンテ五世教皇とによって、全教会の祝日と定められた。この日のミサと聖務日課とは、アクィノの聖トマの作である。
【ミサ聖祭】
〈書簡〉において聖パウロは、救主のご受難と御死去の記念である聖体制定を語り、清い心をもってこれをうけるべきであるといましめている。アクィノの聖トマによる美しい〈続誦〉は、聖体に関する神学の要略であるといってよい。
IN FESTO SANCTISSIMI CORPORIS CHRISTI
ご聖体の祝日
耶稣圣体
I Classis
一級大祝日
一等复式【白】
Ant. ad Introitum. Ps. 80, 17.
入祭文 詩篇、80ノ17
进台咏 咏80:17
Cibávit eos ex ádipe fruménti, allelúia : et de petra, melle saturávit eos, allelúia, allelúia, allelúia.
天主は、かれらを肥えた小麦で養い給い、アレルヤ、そして岩から出た蜜にかれらを飽かせ給うた、アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
主用麦子的精华,养育了祂的子民。阿肋路亚。祂用盘石流出的蜜,使他们果腹,阿肋路亚,阿肋路亚,阿肋路亚。
Ps. ib., 2.
詩篇、80ノ2
咏80:2
Exsultáte Deo, adiutóri nostro : iubiláte Deo Iacob.
私たちの救いなる天主に喜び踊れ、ヤコブの天主に喜びうたえ。
你们当向天主——我们的力量,高声颂扬,向雅各布伯的天主要欢呼欣乐。
V/.Glória Patri.
V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦)
光荣归于父……。
Cibávit eos ex ádipe fruménti, allelúia : et de petra, melle saturávit eos, allelúia, allelúia, allelúia.
天主は、かれらを肥えた小麦で養い給い、アレルヤ、そして岩から出た蜜にかれらを飽かせ給うた、アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
主用麦子的精华,养育了祂的子民。阿肋路亚。祂用盘石流出的蜜,使他们果腹,阿肋路亚,阿肋路亚,阿肋路亚。
Oratio.
集祷文
集祷经
Deus, qui nobis sub Sacraménto mirábili passiónis tuæ memóriam reliquísti : tríbue, quǽsumus, ita nos Córporis et Sánguinis tui sacra mystéria venerári ; ut redemptiónis tuæ fructum in nobis iúgiter sentiámus : Qui vivis et regnas.
驚くべき秘蹟のもとに、御受難の記念をわれらにのこし給うた天主よ、願わくは、我らをして御身の御体と御血の玄義をかくも崇敬し、御身の贖いの実りをわれらにおいて常に感ずるをえんことを。聖父なる天主とともに・・・。
天主,祢藉着这个奇妙的圣事,将对祢受难的纪念留给了我们,求祢恩赐我们能如此虔敬祢体血的神圣奥迹,以致我们常常感受祢救赎的恩效。祢和天主父……。
Léctio Epistolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corinthios.
使徒聖パウロの、コリント人への書簡の朗読
书信
1. Cor. 11, 23-29.
コリント前書、11ノ23-29
格前11:23-29
Fratres : Ego enim accépi a Dómino quod et trádidí vobis, quóniam Dóminus Iesus, in qua nocte tradebátur, accépit panem, et grátias agens fregit, et dixit : Accípite, et manducáte : hoc est corpus meum, quod pro vobis tradétur : hoc fácite in meam commemoratiónem. Simíliter ei cálicem, postquam cenávit, dicens : Hic calix novum Testaméntum est in meo sánguine. Hoc fácite, quotiescúmque bibétis, in meam commemoratiónem. Quotiescúmque enim manducábitis panem hunc et cálicem bibétis, mortem Dómini annuntiábitis, donec véniat. Itaque quicúmque manducáverit panem hunc vel bíberit cálicem Dómini indígne, reus erit córporis et sánguinis Dómini. Probet autem seípsum homo : et sic de pane illo e dat et de calice bibat. Qui enim mánducat et bibit indígne, iudícium sibi mánducat et bibit : non diiúdicans corpus Dómini.
兄弟たちよ、実に私があなたたちに伝えたことは、主から授かったことである。すなわち、主イエズスは裏切られた夜、パンをとり、そして感謝してのちそれをさき、「これは、あなたたちのための私の体である。私の記念としてこれをおこなえ」とおおせられた。食事を終えてから、同じように杯をとり、「この杯は私の血における新しい契約である。これを飲むごとに、私の記念としてこれをおこなえ」とおおせられた。まことに、あなたたちはこのパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られるまで、主のご死去を告げるのである。だから、ふさわしい心を持たずに、主のパンを食べ、その杯を飲む者は、主のおん体とおん血とを犯す。だから、そのパンを食べ、その杯を飲むごとに、おのおの自分をしらべなければならない。主のおん体をわきまえずに飲食する者は、自分自身への裁きを飲食することである。
弟兄们:我所传授给你们的,是主告诉了我的,那就是:主耶稣在被出卖的那一夜,拿着饼,祝福了分开说:“你们拿去吃吧,这是我的身体,将为你们而舍于人的,为了纪念我、你们要这样作。”同样、吃了晚餐以后,祂拿了爵说:“这爵是由我的血而缔结的新盟约。你们每次喝它时,你们为了纪念我、要这样作。”你们每次吃这饼,喝这爵,就是宣告主的死亡。直到祂来临为止。所以谁不正当地吃饼,或喝主的爵,对于主的体血有罪。人要先自省,然后吃饼喝爵。对于不辨别主的体而不正当地吃喝的人,便在吃喝着自己处罚的判断。
Graduale. Ps. 144, 15-16.
昇階誦 詩篇、144ノ15-16
台阶咏(咏144:15-16)
Oculi ómnium in te sperant, Dómine : et tu das illis escam in témpore opportúno.
主よ、すべての目は、御身に希望する。御身はかれらに、適宜の時に食べ物を与え給う。
上主啊!一切人都举目瞻仰祢,祢赐给他们,应时的食粮。
V/. Aperis tu manum tuam : et imples omne animal benedictióne.
V/.御身は御手を開き、すべての生けるものを祝福で満し給う。
祢伸开祢的手,使一切有生气的,都随意饱食。
Allelúia, allelúia. V/. Ioann. 6, 56-57. Caro mea vere est cibus, et sanguis meus vere est potus : qui mandúcat meam carnem et bibit meum sánguinem, in me manet et ego in eo.
アレルヤ、アレルヤ、V/. ヨハネ、6ノ56-57 私の肉はまことの食物、私の血はまことの飲物である、私の肉を食し、私の血を飲む者は、私に留まり、私もまた彼に留まる。
阿肋路亚,阿肋路亚。(若6:56-57)我的肉真是食粮,我的血真是饮料。谁吃我的肉,喝我的血,他在我内,我在他内。
Sequéntia.
続誦 (ラウダ・シオン)
继抒咏
Lauda, Sion, Salvatórem,
シオンよ、救い主を讃えよ、
1. 熙雍啊,你该颂扬你的救主吧!
lauda ducem et pastórem
指導者を、牧者を讃えよ、
并以各种的诗章和赞歌,
in hymnis et cánticis.
賛歌と頌歌によって。
称颂你的领袖和你的善牧!
Quantum potes, tantum aude :
おまえが出来るかぎり、それだけ大胆になれ、
2. 你该尽你所能,殚心竭力的向祂颂赞:
quia maior omni laude,
全ての賛美に優る方であるが故に、
因祂是赞不胜赞而
nec laudáre súffícis.
単なる賞賛では足りぬ。
你总不能充分足量称颂祂的。
Laudis thema speciális,
賛美の特別のテーマは、
3. 我们今天所应讴歌颂扬的
panis vivus et vitális
命を与える生けるパン、
原本主题,
hódie propónitur.
これが、今日、提示される。
便是施与生命栩栩的活粮。
Quem in sacræ mensa cenæ
聖なる晩餐の食卓で、
4. 这个活粮,是在最后的晚餐席上,
turbæ fratrum duodénæ
十二の兄弟たちの群れに
由基督亲自分授
datum non ambígitur.
明らかに与えられたそれだ。
十二位宗徒的。
Sit laus plena, sit sonóra,
賛美は満ちあふれ、響きわたれよ、
5. 愿你的颂赞成为美满的,又响亮而又踊跃的,
sit iucúnda, sit decóra
喜びにあふれ、歓喜の精神の
愿你内心的愉快成为不胜欣喜
mentis iubilátio.
美しさよあれ。
而溢于分外的。
Dies enim sollémnis agitur,
実に、それは荘厳な日のこと、
6. 因我们今天所庆祝的节日,
in qua mensæ prima recólitur
その日に、この制定が
便是追忆耶稣
huius institútio.
食卓の最初の実り【聖体】を収穫した
当初建立者圣宴的盛典。
In hac mensa novi Regis,
新しい王のこの食卓で
7. 在新王的筵席上,
novum Pascha novæ legis
新しい法の新しい過ぎ越しは、
被呈献的是新的巴斯卦羔羊,
Phase vetus términat.
古い過ぎ越しを終わらせた
从此旧的巴斯卦便告结束。
Vetustátem nóvitas,
新しきは古きを
8. 新的祭礼祛逐旧的仪式;
umbram fugat véritas,
真理は影を追い払い
事实取消预像;
noctem lux elíminat.
光は夜を除去した。
光明消除黑暗。
Quod in cœna Christus gessit,
キリストが晩餐で行われたことを、
9. 基督在最后晚餐中所履行的,
faciéndum hoc expréssit
御自分の記念として
正是祂命了宗徒为纪念祂
in sui memóriam.
これを行うよう命じられた。
而应重行的事。
Docti sacris institútis,
聖なる制定により教えられ
10. 我们祝圣饼酒
panem, vinum in salútis
パンとぶどう酒とを
作为救赎我们的牺牲,
consecrámus hóstiam.
私たちは救いのホスチアと聖別する。
是由于基督圣训所指示的。
Dogma datur Christiánis,
キリスト者たちに、ドグマが与えられた、
11. 麦面饼成为基督的身,
quod in carnem transit panis
パンが肉となり、
葡萄酒变作祂的血,
et vinum in sánguinem.
ぶどう酒が血と変化する、と。
这是基督徒当信的道理。
Quod non capis, quod non vides,
あなたが理解せず見えないことを、
12. 用悟司而不能明了,用眼目而不能见到,
animosa fírmat fides,
ものごとの秩序の外にあることを
这是超乎物外的常态,只有活泼的信仰,
præter rerum órdinem.
生き生きとした信仰は堅固にする。
提供我们确实的肯定。
Sub divérsis speciébus,
いろいろな外見のもとに
13. 肉眼所见到的是饼是酒,
signis tantum, et non rebus,
しるしだけのもとに、現実のもとではなく、
然而这些都是外表的形式罢了,
latent res exímiæ.
貴重な現実が隠れ給う。
内中所隐藏的,却是奥妙的事实。
Caro cibus, sanguis potus :
肉は食べ物、血は飲物に、
14. 饼形内基督的身充为食粮,酒形内祂的血作为饮料,
manet tamen Christus totus
しかし、全キリストは
然而整个的基督,
sub utráque spécie.
両形色のもとましまし給う。
却在饼或酒的形内。
A suménte non concísus,
拝領者によって、切断されず、
15. 领圣体的人是领整个的基督,
non confráctus, non divísus :
裂かれず、分かたれず、
祂是不得损割,
ínteger accípitur.
完璧に領受される
不得破碎而又不得分裂的。
Sumit unus, sumunt mille :
一人が拝領しても、千人が拝領しても、
16. 无论一人或千人领之,
quantum isti, tantum ille :
この人が受けたように、あの人も同じく、
各人所领到的全属均等,
nec sumptus consúmitur.
尽き果てることがない。
基督决不因被人领食而遭受消耗的。
Sumunt boni, sumunt mali
善人が拝領するのと、悪人が拝領するのとでは、
17. 善人领主与恶人领主完全相同,
sorte tamen inæquáli,
しかし、命の或いは内的な
然而结果却大相差别:
vitæ vel intéritus.
結果は異る。
一则是生活,一则是死亡。
Mors est malis, vita bonis :
悪人には死が、善人には命が
18. 善人因而得生,恶人因而死亡,
vide, paris sumptiónis
同じ受領が、どれ程の異なる結末と
你当注意,他们同样领食
quam sit dispar éxitus.
なるかを見よ。
而结果有如此的不同。
Fracto demum sacraménto,
ついに秘跡がさかれても、
19. 当饼形剖分之时,
ne vacílles, sed meménto,
ゆるがされずに、思い出せ、
你该记着,切勿怀疑,
tantum esse sub fragménto,
一片のもとにも、
整个的基督怎样存在于全的饼形内,
quantum toto tégitur.
全体のもとと同じように、包まれている。
同样的存在于饼形的各分内。
Nulla rei fit scissúra :
現実はさかれない、
20. 的确,圣体是不得分裂的,
signi tantum fit fractúra :
しるしだけが砕かれる、
所分的只是形像。
qua nec status nec statúra
それによって意味された方の
形像的大小与式样可能更改或变动,
signáti minúitur.
状態も背丈も小さくならない。
而基督的圣体,却绝对不得增损。
Ecce panis Angelórum,
見よ、天使達のパンを、
21. 这是天神的食粮,
factus cibus viatórum :
旅人の糧となったこれを、
成为旅世的人之养料,
vere panis filiórum,
正に子らのパンであり、
真是天主子女的食物,
non mitténdus cánibus.
犬へ投げやってはならない。
不得投给狗群的。
In figúris præsignátur,
前表において、既に予告されていた。
22. 关于这奥迹,古时有了象征的史迹,
cum Isaac immolátur :
イザクが屠られるとき、
有依撒格的被作祭品,
agnus paschæ deputátur :
過越の子羊が食されるとき、
有巴斯卦羔羊的被宰,
datur manna pátribus.
太祖らにマンナが与えられるとき。
有赐给我们祖先(依民)的玛纳。
Bone pastor, panis vere,
よい牧者よ、まことのパンよ、
23. 身为善牧和真粮的耶稣,
Iesu, nostri miserére :
イエズスよ、われらをあわれみたまえ。
求祢矜怜我们吧!
tu nos pasce, nos tuére :
われらを牧し、われらを守り、
请祢养育我们,保护我们,
tu nos bona fac vidére
生きる人々の地において、
并使我们在永生者的
in terra vivéntium.
我らをして善を見させ給え。
天乡获享真福。
Tu, qui cuncta scis et vales :
御身は、すべてを知り、おできになり給う、
24. 祢是全知又是全能的,
qui nos pascis hic mortáles :
ここで死すべき我らを牧し給う。
祢是养育在世为人之我们的,
tuos ibi commensáles,
あそこで御身と共に食卓に着く者として
求祢使我们在天作祢的同席者和祢的同继承者,
coherédes et sodáles
共に天の遺産の相続者としてまた友人として、
并使我们偕同祢的诸圣同
fac sanctórum cívium.
諸聖人の市民として我らをなさしめ給え。
为天国的公民。
Amen. Allelúia
アメン、アレルヤ。
阿们。阿肋路亚。
+ Sequéntia sancti Evangéli secúndum Ioánnem.
ヨハネによる聖福音の続誦
福音
1. Ioann. 6, 56-59.
ヨハネ 6ノ56-59
(若6:56-59)
In illo témpore : Dixit Iesus turbis Iudæórum : Caro mea vere est cibus et sanguis meus vere est potus. Qui mandúcat meam carnem et bibit meum sánguinem, in me manet et ego in illo. Sicu misit me vivens Pater, et ego vivo propter Patrem : et qui mandúcat me, et ipse vivet propter me. Hic est panis, qui de cælo descéndit. Non sicut manducavérunt patres vestri manna, et mórtui sunt. Qui manducat hunc panem, vivet in ætérnum.
そのとき、イエズスは、ユダヤ人たちにおおせられた。「私の肉はまことの食物であり、私の血はまことの飲み物であるから、私の肉を食べ、私の血をのむ人は、私におり、私もまたその人のうちにいる。生きておられるおん父が私をつかわし、そのおん父によって私が生きているように、私を食べる人も、私によって生きる。天からくだったパン、これは、先祖が食べてもなお死んだそのようなものではない。このパンを食べる人は永遠に生きる」と。
那时候,耶稣向犹太人群众说:“我的肉真是食粮,我的血真是饮料。谁吃我的肉,喝我的血,他在我内,我在他内。如同生活的父遣我来,如同我因父而生活;照样,吃我的,也将因我而生活。这是自天而降的粮食,不像你们祖先所吃过的——他们死了。谁吃这粮食,将永远活着。”
Credo
信経
Ant. ad Offertorium. Levit. 21, 6.
奉献文 レヴィ記、21ノ6
奉献咏(肋21:6)
Sacerdótes Dómini incénsum et panes ófferunt Deo : et deo sancti erunt Deo suo, et non pólluent nomen eius, allelúia.
主の司祭は、天主に香とパンとをささげ奉る、これがために、かれらは天主に対して聖なるものとなるだろう、彼らは天主の御名を汚さぬ、アレルヤ。
上主的司祭奉献天主馨香和食品,所以他们对于他们的天主,应是圣洁的,不应污辱祂的名号,阿肋路亚。
Secreta.
密誦
密祷经
Ecclésiæ tuæ, quǽsumus, Dómine, unitátis et pacis propítius dona concéde : quæ sub oblátis munéribus mýstice designántur. Per Dóminum nostrum.
主よ、願わくは、御身の教会に一致と平和の賜を憐れみ深く与え給え、その賜物は捧げられたいけにえのもとに神秘的に意味されるなり。天主として、(…)。
主,我们所献上的礼品(饼、酒),便是统一与和平的玄妙象征,求祢将此两恩,赐给祢的教会。因我们主……。
Præfatio de Ssma Trinitate (in Dominica in solemnitate)
主日の荘厳祭では 三位一体の序誦
天主圣三的颂谢引
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes :
主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、…
主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属于我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣……
Ant. ad Communionem. 1. Cor. 11, 26-27.
聖体拝領誦 コリント前、11ノ26-27
领主咏(格前11:26-27)
Quotiescúmque manducábitis panem hunc et cálicem bibétis, mortem Dómini annuntiábitis, donec véniat : itaque quicúmque manducáverit panem vel bíberit calicem Dómini indígne, reus erit córporis et sánguinis Dómini, allelúia.
あなたたちがこのパンを食し、この杯を飲む毎に、主のご死去を告げる、彼が来給うまで。それ故、ふさわしからず、主のパンを食し、その杯を飲む者は、主の御体と御血とを冒涜する被告となる、アレルヤ。
你们每次吃这饼,喝这爵,就是宣布主的死亡,直到祂来临为止。所以谁不正当地吃主的饼或喝主的爵,对于主的体血有罪,阿肋路亚。
Postcommunio.
聖体拝領後の祈
领后经
Fac nos, quǽsumus, Dómine, divinitátis tuæ sempitérna fruitióne repléri : quam pretiósi Corporis et Sanguinis tui temporalis percéptio præfigúrat : Qui vivis.
主よ、願わくは、我らをして御身の天主性を永遠に味わわせ給え、この世における御身の尊き御体と御血との拝領はその味わいを前兆するなり。聖父なる天主と・・・。
主,求祢恩使我们永远饱享祢的天主性:如今领受祢的圣体圣血,即此享受的预像。祢和天主父……。