アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
有名な「トリエント公会議の公教要理(ローマ公教要理)」の最後にある、第4部 「祈り」についての部分の日本語訳(本邦初)をご紹介します。
私たちは東京でのミサの後に「祈り」について学んだのですが、良い祈りとなるための説明が、トリエント公会議の公教要理(ローマ公教要理)では、より詳しくあります。とてもためになります。是非、お読み下さい。今回は、祈りについて、また、祈りの必要性についてです。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
第4部 祈り
第1章 祈りについての一般論
1.司牧上のもっとも聖にして、かつ人々の救霊に最も必要不可欠な職務の一つが、キリスト信者の唱えるべき祈りの教授に存することは、疑いの余地がありません。経験で熱意に満ちた司牧者が、この点について教え導くよう配慮を尽くさなければ、多くの信徒は祈りの本質および重要さについて知らないままでいるでしょう。それゆえ、司祭の名に値する者は、全力を傾注して聴衆に、何を天主に願い求めるべきかを、またどのように願い求めるべきかをよく理解させるよう務めねばなりません。
2.完全な祈りが有すべき全ての特質が、我らの主イエズス・キリストが、使徒たちならびにその後継者をとおして、キリスト教を受け容れる全ての人にお教えになることを望まれたこの神的な祈りの文句に集約されています。この祈りが含む言葉と思想を、私たちの知性と心情に深く刻みつけ、たゆまずこれに思いをはせなければなりません。そしてこの祈りについて信徒に為すべき教導の労を軽減するために、この点に関連すると思われた主立ったことがらを、当公教要理の最後の部分にまとめることとしました。このために、当の主題における最も学識に秀で、かつ最も高名な著者に大いに依拠しました。もし必要であれば、司牧者自身、同じ文献から要理に役立つことがらを、さらにほり下げて、くみ取ることができます。
§1 祈りの必要性
3.この主題に関して、まず第1に教えるべきことは、祈りの必要性です。なぜなら、祈ることについては、単なる勧めではなく、厳格かつ明確な戒律が私たちに与えられているからです。主イエズス・キリストは、はっきりと仰せになりました。「たえず祈りなさい1」と。
4.かかる祈りの必要性は、教会が[ミサ聖祭において]主祷文の前に唱えさせる短い序唱からも明らかです。「この上なく有益なる戒律にしたがい、また天主の教え給うたところにのっとって、我らはあえてかくの如く唱えん。」したがって、天主の御子が使徒らに定まった祈りの文句をお授けになったのは、祈りが必要なものであるため、また他方、使徒ら自身が「主よ、どのように祈るべきかをお教えください。2」と主に願ったためです。
そして主は使徒たちに祈りの言葉と共に、彼らが願うところのものをかち得る希望をお与えになりました。それだけでなく、主は、ご自分の「たえず祈れ」という戒律を自らの模範によって、すなわち、飽くことなく祈りをささげるのみならず、しばしば夜を徹して祈ることをとおして裏付けられました。
使徒たちは、イエズス・キリストが残されたこの掟を、キリスト教の信仰を受け容れる人々に伝えることを怠りませんでした。事実、聖ペトロ3と聖ヨハネ4は、祈る義務について入念に信徒を教え諭しています。また使徒パウロは前者の模範に倣い、祈りを命じるこの上なく有益な掟をしかるべく果たすよう信徒を激励しています。
これに加えて、私たちは霊魂と身体のために数多くの事物と助けとを必要とするため、これらを得るために祈ることが絶体不可欠となります。実際、何にもまして、祈りをとおして私たちは自らの困窮を天主にあるがままに示すことができるのであり、また私たちの欠くものをかち得ることができるのです。
天主は誰にも借りがないということを忘れてはなりません。したがって、もし私たちに必要なものを天主がお与えになることを望むならば、私たちは必然的に、祈りをとおして、これを天主に願い求めなければなりません。
祈りは、いわば天主が私たちに与えてくださった道具であり、これを用いることによって私たちは望むところのものを得ることができるのです。
反対に、祈りなしには―――これは全く確実なことですが――― 決して得ることができないものがあります。例えば、祈りの持つ最も並外れた効果の一つは、これが悪魔を追い払うのに抜きん出た力を有しているという事実です。なぜなら、聖マタイによる福音書において主が仰せになっているとおり、「断食と祈りによってしか追い払うことのできない類の悪魔がいる5」からです。
したがって、敬虔に注意をこめて祈るという信心の業ないしは習慣をなおざりにすることは、数多くの恵みを失うことにつながります。実際、求めるものを得るためには、ただ祈り求めるものが適当なものであることだけでは不充分で、当の祈りを忍耐強く為すことが必要となります。聖ヒェロニモがいみじくも述べているように、「『誰でも求める者には与えられる。6』と書かれています。したがって、もしあなたたちに[あなたたちが望むところのものが]与えられないならば、つまるところ、それはあなたたちが求めないからに他なりません。したがって、『求めなさい。そうすれば与えられます』。7」
脚注
1 ルカによる福音書 18章1節
2 ルカによる福音書 11章1節
3 ペトロの第1の手紙 5章7節
4 ヨハネの第1の手紙 3章21-22節
5 マテオによる福音書 17章21節
6 マテオによる福音書 7章8節
7 聖ヒェロニモ マテオによる福音書注解 第7章
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公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】
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私たちは東京でのミサの後に「祈り」について学んだのですが、良い祈りとなるための説明が、トリエント公会議の公教要理(ローマ公教要理)では、より詳しくあります。とてもためになります。是非、お読み下さい。今回は、祈りについて、また、祈りの必要性についてです。
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第1章 祈りについての一般論
1.司牧上のもっとも聖にして、かつ人々の救霊に最も必要不可欠な職務の一つが、キリスト信者の唱えるべき祈りの教授に存することは、疑いの余地がありません。経験で熱意に満ちた司牧者が、この点について教え導くよう配慮を尽くさなければ、多くの信徒は祈りの本質および重要さについて知らないままでいるでしょう。それゆえ、司祭の名に値する者は、全力を傾注して聴衆に、何を天主に願い求めるべきかを、またどのように願い求めるべきかをよく理解させるよう務めねばなりません。
2.完全な祈りが有すべき全ての特質が、我らの主イエズス・キリストが、使徒たちならびにその後継者をとおして、キリスト教を受け容れる全ての人にお教えになることを望まれたこの神的な祈りの文句に集約されています。この祈りが含む言葉と思想を、私たちの知性と心情に深く刻みつけ、たゆまずこれに思いをはせなければなりません。そしてこの祈りについて信徒に為すべき教導の労を軽減するために、この点に関連すると思われた主立ったことがらを、当公教要理の最後の部分にまとめることとしました。このために、当の主題における最も学識に秀で、かつ最も高名な著者に大いに依拠しました。もし必要であれば、司牧者自身、同じ文献から要理に役立つことがらを、さらにほり下げて、くみ取ることができます。
§1 祈りの必要性
3.この主題に関して、まず第1に教えるべきことは、祈りの必要性です。なぜなら、祈ることについては、単なる勧めではなく、厳格かつ明確な戒律が私たちに与えられているからです。主イエズス・キリストは、はっきりと仰せになりました。「たえず祈りなさい1」と。
4.かかる祈りの必要性は、教会が[ミサ聖祭において]主祷文の前に唱えさせる短い序唱からも明らかです。「この上なく有益なる戒律にしたがい、また天主の教え給うたところにのっとって、我らはあえてかくの如く唱えん。」したがって、天主の御子が使徒らに定まった祈りの文句をお授けになったのは、祈りが必要なものであるため、また他方、使徒ら自身が「主よ、どのように祈るべきかをお教えください。2」と主に願ったためです。
そして主は使徒たちに祈りの言葉と共に、彼らが願うところのものをかち得る希望をお与えになりました。それだけでなく、主は、ご自分の「たえず祈れ」という戒律を自らの模範によって、すなわち、飽くことなく祈りをささげるのみならず、しばしば夜を徹して祈ることをとおして裏付けられました。
使徒たちは、イエズス・キリストが残されたこの掟を、キリスト教の信仰を受け容れる人々に伝えることを怠りませんでした。事実、聖ペトロ3と聖ヨハネ4は、祈る義務について入念に信徒を教え諭しています。また使徒パウロは前者の模範に倣い、祈りを命じるこの上なく有益な掟をしかるべく果たすよう信徒を激励しています。
これに加えて、私たちは霊魂と身体のために数多くの事物と助けとを必要とするため、これらを得るために祈ることが絶体不可欠となります。実際、何にもまして、祈りをとおして私たちは自らの困窮を天主にあるがままに示すことができるのであり、また私たちの欠くものをかち得ることができるのです。
天主は誰にも借りがないということを忘れてはなりません。したがって、もし私たちに必要なものを天主がお与えになることを望むならば、私たちは必然的に、祈りをとおして、これを天主に願い求めなければなりません。
祈りは、いわば天主が私たちに与えてくださった道具であり、これを用いることによって私たちは望むところのものを得ることができるのです。
反対に、祈りなしには―――これは全く確実なことですが――― 決して得ることができないものがあります。例えば、祈りの持つ最も並外れた効果の一つは、これが悪魔を追い払うのに抜きん出た力を有しているという事実です。なぜなら、聖マタイによる福音書において主が仰せになっているとおり、「断食と祈りによってしか追い払うことのできない類の悪魔がいる5」からです。
したがって、敬虔に注意をこめて祈るという信心の業ないしは習慣をなおざりにすることは、数多くの恵みを失うことにつながります。実際、求めるものを得るためには、ただ祈り求めるものが適当なものであることだけでは不充分で、当の祈りを忍耐強く為すことが必要となります。聖ヒェロニモがいみじくも述べているように、「『誰でも求める者には与えられる。6』と書かれています。したがって、もしあなたたちに[あなたたちが望むところのものが]与えられないならば、つまるところ、それはあなたたちが求めないからに他なりません。したがって、『求めなさい。そうすれば与えられます』。7」
脚注
1 ルカによる福音書 18章1節
2 ルカによる福音書 11章1節
3 ペトロの第1の手紙 5章7節
4 ヨハネの第1の手紙 3章21-22節
5 マテオによる福音書 17章21節
6 マテオによる福音書 7章8節
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