「助産婦の手記」
15章
ステンゲル奥さんは、きょうは大へん奇妙だ。ここ数日間の彼女とは様子が全く変わっている。彼女は、四日前に女の子を生んだ。いつでも機嫌のよい人だったのに、きょうは非常に気が沈んでいる、まるで泣いたかのように見える。夫婦喧嘩でもしたのだろうか?
産後の病気中に、夫婦喧嘩をするのは、非常に忌わしいことだ。こんなときには、夫はほんとに理性的になって、種々の問題の起きないようにし、そして、もし妻が譲歩する気がないならば、議論は止めてしまうようでなければならない。喧嘩の起る原因は、洗礼のことである場合が珍しくない。招待するのは、この人か、あの人か? 誰が代父になるのかについて、誕生前に意見が一致していないため、今またもや喧嘩する。それからまた、男の子については意見が一致していたが、いま女の子が生れて来た。そこで、争いが新たに始まる。名前のことについても、しばく同様なことが起る。夫はミハエルと名づけようとするが、妻はペーテルと名づけたがる。また富豪の叔父さんに挨拶せねばならないし、また金持の叔母さんに敬意を表せねばならぬ。すべてこれらのことは、最後には深刻な『しこり』となることがしばしばある。しかし、始めには、単なる喧嘩に過ぎない。そんな場合には、いかにたびたび助産婦は、慰め、かつ和解させねばならないことか!また、子供の信仰に関する争いも、残念ながら、近来いかにしばしば戦わされていることか! 結婚する前には、子供がどの宗教の信条に基づいて、教育されるべきかについては、考慮されなかったし、またしばしば考えようとはされなかった。或いはまた、一方の者が軽々しく承諾して置きながら、子供が生れた今となっては、そのことを後悔し、そして子供を自分の信仰の中へ引き入れようとする。そこで両親が違った宗教に属する場合には、幸福そうに見える結婚生活の中にも、夫婦が角つき合わす時と日とがしばしばあるのである。こうなると、人は始めて、宗教または世界観の相違に基づく非常な悲劇を経験する。そして、多くの見かけ上の婚姻の幸福が、この断崖において打ち砕かれるのである。
しかし、右に述べたような不和を招く事柄は、ステンゲル奥さんの場合には当てはまらない。その上、彼女の体温は上っている、殆んど熱がある。それゆえ洗礼のお客とか、その他それに類する事柄について興奮したからではあり得ない。軽い出血も起った、分量を増し血の流出が続いた――奇妙だ、きょうまではすべて非常に正常だったのに。医者が小さな縫目を施こさねばならなかった外は、円滑な正常な分娩だった。それゆえ、このような容態の変化は偶然起こったものではない。何かがその背後にひそんでいるのだ……『ステンゲルさん、とうとうきのう、謀反を起しましたね?』『いえいえ、確かに違います』彼女は狼狽した。『それじゃ、何があったのですか? きょうは、あなたは、少し具合が悪いんですよ。でも、きのうは大へん調子がよかったのでしょう?』『そんなに悪くなることはないでしょう……』『もし原因が判らないのなら、医者を呼ばねばなりません。私は、そんな具合の悪くなった責任を負うわけには行きませんよ。』『いえいえ飛んでもない。――直きに、それはまたよくなるでしょう……』『では、何かあったんですか? どうか理性的になって下さい、ステンゲル奥さん。産褥で、熱の徵候があれば、冗談ごとではありませんよ。ですから 私はほんとに医者を呼びにやるよりほか、仕方がないんですよ。』『でも、それはただ……主人が私のそばにいたんです……』『何という馬鹿、何というあさましい人でしょう!』 するとそのとき、主人がはいって来た。悪霊のように、こっそりと。いつもなら、私がそこに居るときは、彼は決して姿を現わさなかった。彼は私が怒って叫んだ声を聞いたに違いない。奥さんは、びっくり仰天した。『今、あんたは何と言ったんですか?』『あなたが、恥を知らないってことです! 奥さんが産褥を離れるまで待っていることもできないで。』『では、人は妻を何のために持っているんですかね?』『あなたは一度、家畜小屋へ行って、家畜のただの一つでも、あなたの通りにやっているかどうか御覧なさいよ! 今、あなたのやった結果が出て来ているんです。奥さんは、熱があります。私は、お医者さんに報告せねばなりません。お医者さんが、奥さんのよくなるまで病院に入れて下さればよいですが。』『ハハハ、そんな大騒ぎをする必要はありませんよ。』『そうですか、そしてもし奥さんが産褥熱にかかって死なれたら、それは助産婦の責任だ、助産婦が注意しなかったからだと言われるんです。いくらあなたのためだからといって、私は自分の仕事を正しくやらないと人から見られたくはないんです。絶対にそうです。』『だが、全く何も起る筈はないんですがねえ。こんな事は当たり前のことなんだが……』 彼は、不機嫌になりはじめた。『そうですか、でもそのことは、お医者さんから言ってもらったらいいでしょう。あなたは、どうも私を信用なさらないんです。まるであなたは、奥さんの体内の器官がいま傷づき痛んでいるということ、その箇所へ何か外部から触れると感染を起させ――死を招くことがあり得るということを御存知ないかのようですね。そうです、そしてその次は何でしよう? そのときは、あなたは過失致死の責任を負うかも知れませんよ。』ウイレ先生は、その後、その夫に対して、一体何が起ったかということを、も一度非常にはっきりと話された。もし、人が医者と協力できれば、それは結構なことである。実に医者は、男たちにとっては、私たちとは違った権威を持っておられる。ところが、私たちの言うことが、男たちの気にくわなければ、私たちは、どうせ『愚鈍な女』と見なされるに過ぎないのである。何のために人は妻を持っているの・・・・
15章
ステンゲル奥さんは、きょうは大へん奇妙だ。ここ数日間の彼女とは様子が全く変わっている。彼女は、四日前に女の子を生んだ。いつでも機嫌のよい人だったのに、きょうは非常に気が沈んでいる、まるで泣いたかのように見える。夫婦喧嘩でもしたのだろうか?
産後の病気中に、夫婦喧嘩をするのは、非常に忌わしいことだ。こんなときには、夫はほんとに理性的になって、種々の問題の起きないようにし、そして、もし妻が譲歩する気がないならば、議論は止めてしまうようでなければならない。喧嘩の起る原因は、洗礼のことである場合が珍しくない。招待するのは、この人か、あの人か? 誰が代父になるのかについて、誕生前に意見が一致していないため、今またもや喧嘩する。それからまた、男の子については意見が一致していたが、いま女の子が生れて来た。そこで、争いが新たに始まる。名前のことについても、しばく同様なことが起る。夫はミハエルと名づけようとするが、妻はペーテルと名づけたがる。また富豪の叔父さんに挨拶せねばならないし、また金持の叔母さんに敬意を表せねばならぬ。すべてこれらのことは、最後には深刻な『しこり』となることがしばしばある。しかし、始めには、単なる喧嘩に過ぎない。そんな場合には、いかにたびたび助産婦は、慰め、かつ和解させねばならないことか!また、子供の信仰に関する争いも、残念ながら、近来いかにしばしば戦わされていることか! 結婚する前には、子供がどの宗教の信条に基づいて、教育されるべきかについては、考慮されなかったし、またしばしば考えようとはされなかった。或いはまた、一方の者が軽々しく承諾して置きながら、子供が生れた今となっては、そのことを後悔し、そして子供を自分の信仰の中へ引き入れようとする。そこで両親が違った宗教に属する場合には、幸福そうに見える結婚生活の中にも、夫婦が角つき合わす時と日とがしばしばあるのである。こうなると、人は始めて、宗教または世界観の相違に基づく非常な悲劇を経験する。そして、多くの見かけ上の婚姻の幸福が、この断崖において打ち砕かれるのである。
しかし、右に述べたような不和を招く事柄は、ステンゲル奥さんの場合には当てはまらない。その上、彼女の体温は上っている、殆んど熱がある。それゆえ洗礼のお客とか、その他それに類する事柄について興奮したからではあり得ない。軽い出血も起った、分量を増し血の流出が続いた――奇妙だ、きょうまではすべて非常に正常だったのに。医者が小さな縫目を施こさねばならなかった外は、円滑な正常な分娩だった。それゆえ、このような容態の変化は偶然起こったものではない。何かがその背後にひそんでいるのだ……『ステンゲルさん、とうとうきのう、謀反を起しましたね?』『いえいえ、確かに違います』彼女は狼狽した。『それじゃ、何があったのですか? きょうは、あなたは、少し具合が悪いんですよ。でも、きのうは大へん調子がよかったのでしょう?』『そんなに悪くなることはないでしょう……』『もし原因が判らないのなら、医者を呼ばねばなりません。私は、そんな具合の悪くなった責任を負うわけには行きませんよ。』『いえいえ飛んでもない。――直きに、それはまたよくなるでしょう……』『では、何かあったんですか? どうか理性的になって下さい、ステンゲル奥さん。産褥で、熱の徵候があれば、冗談ごとではありませんよ。ですから 私はほんとに医者を呼びにやるよりほか、仕方がないんですよ。』『でも、それはただ……主人が私のそばにいたんです……』『何という馬鹿、何というあさましい人でしょう!』 するとそのとき、主人がはいって来た。悪霊のように、こっそりと。いつもなら、私がそこに居るときは、彼は決して姿を現わさなかった。彼は私が怒って叫んだ声を聞いたに違いない。奥さんは、びっくり仰天した。『今、あんたは何と言ったんですか?』『あなたが、恥を知らないってことです! 奥さんが産褥を離れるまで待っていることもできないで。』『では、人は妻を何のために持っているんですかね?』『あなたは一度、家畜小屋へ行って、家畜のただの一つでも、あなたの通りにやっているかどうか御覧なさいよ! 今、あなたのやった結果が出て来ているんです。奥さんは、熱があります。私は、お医者さんに報告せねばなりません。お医者さんが、奥さんのよくなるまで病院に入れて下さればよいですが。』『ハハハ、そんな大騒ぎをする必要はありませんよ。』『そうですか、そしてもし奥さんが産褥熱にかかって死なれたら、それは助産婦の責任だ、助産婦が注意しなかったからだと言われるんです。いくらあなたのためだからといって、私は自分の仕事を正しくやらないと人から見られたくはないんです。絶対にそうです。』『だが、全く何も起る筈はないんですがねえ。こんな事は当たり前のことなんだが……』 彼は、不機嫌になりはじめた。『そうですか、でもそのことは、お医者さんから言ってもらったらいいでしょう。あなたは、どうも私を信用なさらないんです。まるであなたは、奥さんの体内の器官がいま傷づき痛んでいるということ、その箇所へ何か外部から触れると感染を起させ――死を招くことがあり得るということを御存知ないかのようですね。そうです、そしてその次は何でしよう? そのときは、あなたは過失致死の責任を負うかも知れませんよ。』ウイレ先生は、その後、その夫に対して、一体何が起ったかということを、も一度非常にはっきりと話された。もし、人が医者と協力できれば、それは結構なことである。実に医者は、男たちにとっては、私たちとは違った権威を持っておられる。ところが、私たちの言うことが、男たちの気にくわなければ、私たちは、どうせ『愚鈍な女』と見なされるに過ぎないのである。何のために人は妻を持っているの・・・・