アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年8月5日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。
アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、2017年8月5日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日聖母の汚れなき御心の随意ミサ小野田神父説教聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2017年8月5日、雪の聖母の祝日、8月の初土曜日のミサをしています。今日この御ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。この御ミサが終わった後で、聖書の続きのお話があります。今日は聖書の中に出てくるポンシオ・ピラトというのは一体どういう人なのかとか、あるいはファリサイ派とかサドカイ派という名前が出てくるけれども、一体どういう人たちで、何を主張していたのかという事をお話したいと思います。もしお時間のある方は与って下さい。それから8月には、夏休みでも...2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日「私のためにここに聖堂が欲しい」とおっしゃったのは何故か?
2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日 聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年8月5日、雪の聖母の祝日、8月の初土曜日のミサをしています。今日この御ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。
この御ミサが終わった後で、聖書の続きのお話があります。今日は聖書の中に出てくるポンシオ・ピラトというのは一体どういう人なのかとか、あるいはファリサイ派とかサドカイ派という名前が出てくるけれども、一体どういう人たちで、何を主張していたのかという事をお話したいと思います。もしお時間のある方は与って下さい。
それから8月には、夏休みでもあるので、8月15日の被昇天の大祝日を祝うために、特別の聖母小黙想会を開きたいと思っています。
その黙想会というのは8月11日から15日まで、毎日朝午前10時30分からミサがあって、午後にはお話がマリア様の事を黙想するお話があって、特にファチマのマリア様のお話があって、8月15日の午後には聖母行列をしたいと思っています。もしできたらいらして下さい。マリア様が多くの人々から愛されて、慕われて、讃美されますようにお祈り致しましょう。特にマリア様のお神輿を担ぐ男の子が必要ですので、男性の方々はたくさん来て下さい。
「『見よ、これが汝の母である。』そしてその時から弟子は、母を自分の家に受け入れた。」
聖父と聖霊との御名によりてアーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日雪の聖母の祝日を祝っています。そこで今日の初土曜日の信心をするにあたって、マリア様は一体この雪の聖母という事で、一体私たちに何をなさったのか?
そしてその雪の聖母というのと、初土の信心というのは一体どういう関係があるのか?マリア様はその雪の聖母という事をやっただけなのか?他にも何か似たような事をなさったのか?それを見ると、「あぁ、」マリア様は一体何を私たちがする事を望んでいるのか、という事が共通点が分かるので、理解できると思います。
そこで特に今日は小さなお友達によく理解してもらうためにも、雪の聖母について、この雪の聖母と同じような事をマリア様はたくさんなさったという事、日本でもなさったという事、じゃあ私たちは今日から何をしなければならないか、という事を黙想しましょう。
第1点は、まず雪の聖母というのは一体何なのか?
はい。これはローマで起こった、本当に起こった話しなのです。その証拠は、今でもローマに行くと、この「雪の聖母」というマリア様の教会が立っています。
どういう事かというと、ローマの貴族、特に貴族の中でも一流の貴族がいました。それはパトリシウスの階級の、特に皇帝のすぐ下の、一番身分の高い貴族のカトリックの夫婦がいたのです。大金持ちで、先祖代々からの名門の家系でした。その家系のヨハネという貴族は、奥さんと結婚したのですけれども、残念ながら子供に恵まれませんでした。莫大な財産をどうしたら良いかという事で、マリア様にお願いしました、「マリア様の一番お望みのようにするにはどうしたら良いでしょうか?」
それは4世紀の事です。「マリア様、マリア様がお望みになるように、私たちが持っている財産をマリア様のお望みのまま、貧しい人に捧げろと言えば貧しい人を養いますし、もしもこの財産を使って何か病院を建てろと言えばそうします。マリア様の一番お望みは何ですか?」という事を二人でお祈りをしていたのです。
するとマリア様はこの熱烈なお願いを聞いて、この二人に夢を見せました、「私は、私のための小さな教会が欲しい。それでその場所がどこに、どこに欲しいかという事は、そこの所に雪を降らせる」と夢で出られたのです。真夏の、8月5日の今日の事でした。
ローマの夏は日本の大阪の夏と同じです。摂氏30度以上になって、もうアイスクリームも冷たい水も、ちょっと外に置けばすぐにグダッてしまって、ドロドロに溶けてしまいますし、外に出ると太陽がカンカンに照るので、冷たい物はあり得ません。当時はクーラーもなかったし、冷蔵庫もなかったし、この真夏に雪が降るなどという事は考えられませんでした。もしも誰かがトリックでそんな事をしたいと思っても、できません。
そうしてマリア様は、エスクリーノという丘の上に雪をたくさん降らせて、雪を積もらせました。そして「そこに自分の聖堂が欲しい」と仰ったのです。そしてその事と同時に、教皇様にも教えました。その事を教皇様に言うと、確かに教皇様も同じ事を夢で見たのです。実際にエスクリーノという丘に行ってみると、雪が積もっていました。真夏の汗もだくだくのうだる真夏に、そこだけ雪がたくさん積もっていたのです。
こんな事ができるのは天主様しかいません。天主のお母様しかいません。そこで、「まさにここにこそ、マリア様が自分の教会を望んでいるのだ」と分かって、そして自分の財産を使って、そこに教会を建てました。
残念ながらその教会は時が経つにつれて、改築が必要だったり、もっと大きな教会にする事が必要になりました。そこで教皇シクストという教皇様が、5世紀に432年に、ちょうどその1年前にエフェゾ公会議ということで、「マリア様は本当に天主の御母である」という事を宣言したその記念に、まずこのマリア様に最初に捧げられた教会、雪の聖母の教会を改築して、もっと大きく素晴らしいものにしようとしました。
そして今、その時に改築された432年に建てられたそのままの物が、今でも残っています、ローマに行くと。大きな教会で、そして外は真っ白で、今では雪の聖母の大聖堂とか、あるいはサンタ・マリア・マッジョーレ、聖母大聖堂と言われていて、ローマにある教会の4大バジリカ、特別な教会の4つに数えられています。
1つはバチカンにある聖ペトロ大聖堂、もう1つは至聖救世主大聖堂あるいは聖ヨハネラテラノ大聖堂、あるいは門外の聖パウロ大聖堂と並んで、聖マリア大聖堂、この4つはローマの最も重要な御聖堂の1つになっています。
教会の中には、天井には、コロンブスがアメリカから持って来たといわれる、黄金で塗られた天井や、あるいはモザイクという、小さなきれいな色の付いた石を埋めて絵を描いたモザイク様式のマリア様の、天主の御母なるマリア様、その絵やモザイクや、あるいはマリア様が確かに私たちの女王様であって、私たちの御母である、天主の御母である、私たちの御母であるという事を表すような、多くのきれいな芸術作品がたくさん散りばめられています。
またコンスタンティノ皇帝のお母様が、聖ヘレナがエルサレムから大切に持ってきた、ベトレヘムのまぐさ桶の聖遺物も、聖マリア大聖堂に置かれています。ですから聖マリア大聖堂はローマにおいては、ベトレヘムと同じように考えられています。
ですから聖ヒエロニモという、聖書をラテン語に訳した大聖人がいますけれども、その大聖人は生涯べトレヘムの洞窟で聖書を訳していました。その遺骸は今では、ローマのベトレヘムである聖マリア大聖堂のそのまぐさ桶の聖遺物のすぐ下に、遺体が埋葬されています。
あるいはロヨラの聖イグナチオという方は、イエズス会という大きな修道会を創った方ですけれども、昔の若い時から、「エルサレムの聖地に行きたい」「行きたい」と思っていました。しかし、「そこに行って、一生をそこで過ごしたい」と思っていたのですけれども、それは叶いませんでした。でも司祭になった時に、初ミサ、最初のミサをたてる時には、「何よりも聖マリア大聖堂のそのまぐさ桶のある所に行ってミサを捧げたい。イエズス様がお生まれになったそのまぐさ桶の所で、私もミサをしてイエズス様に天から来て頂きたい」と思って、そこでミサを捧げた所なのです。
そして聖マリア大聖堂は、カトリックの歴史の深い色々な出来事が、歴史上大切な事がたくさん起こっている大聖堂となって、今でもきれいに私たちを歓迎して、手を広げて待っています。どうぞ小さなお友達も、大きくなったらローマに行って、聖マリア大聖堂に行ってみて下さい。大きな大聖堂で、そしてきれいに飾られていて、マリア様が私たちをいつも待っていられる、私たちの中にマリア様はいつもおられる、という事を表しています。
マリア様はこれと同じような事を何度かしました。
有名なのは、メキシコのグァダルーペの聖母です。これは16世紀に、まだアメリカ大陸にキリスト教が入ったばかりの頃でした。メキシコ人たちはとても野蛮で、間違った宗教を信じていました。その間違った宗教というのはどういうものだったかというと、アステカの神々が地球を滅ぼしてしまわないように、人間の心臓を生きたまま殺して、それを神々に捧げると、その血を吸ってそれで宥められて、それで地球が滅ぼされずに済むという恐ろしい教えでした。ですから多くの子供たちや大人が生きたまま殺されて、その心臓を偶像に捧げられていました。
そのような宗教を信じていたところにマリア様が現れて、ホワン・ディエゴという人に、「私はここに、私の御聖堂が欲しい」と仰ったのです。「なぜなら私は、この皆の母であるから。天主の母であり、皆を愛する母であるから。もしも辛い事があったら、悲しい事があったら、私の所にすぐ来て祈る事ができるように、御聖堂が欲しい」と。
そしてその後にメキシコの人々は、10年の間に何百万人と洗礼を受けてキリスト教になりました、大奇蹟が起こりました。
同じような事がルルドでもありました。ルルドのマリア様は、「ここに小さな御聖堂が欲しい。」
今では何百万人という人がルルドにお祈りに行きます。すると奇跡が起こったり、お恵みを頂いたりして、マリア様の祝福をたくさん頂いて家に帰ります。つい最近でも、もうお医者様から見放されて、「もう治らない」と言われたものが治ったとか、目の玉がなくて神経がないにもかかわらず、見えるようになったとか、信じられないような説明できないような奇蹟がたくさん起こっています。
ファチマでも今から100年前に起こりました。マリア様が3人の子供たちに現れた時に、マリア様に「あなたはどなたですか?何をお望みですか?」「私は、10月に私が誰か、また私が何を望んでいるかを言いましょう」と仰ったのです。
そしてその10月には、7万人からあるいは10万人が見るものすごい奇蹟が起こりました。太陽がダンスをしたのです。これはそこに居合わせた何万人もの人が見ているので、もうこれは新聞にも載りました。それを、昔は信じなかったような嘲笑ったような人たちもそれを見て、「本当に起こった」と記録に残しています。
そしてそのマリア様も仰っています、「ここに小さな御聖堂が欲しい。なぜならば、私が皆の間に居て、皆が私のもとにお祈りをする事ができるように。そして私の心の中に入る事が、御聖堂の中に入って、私の御心の中に入る事ができるように。そしていつもどんな事があっても、私が皆の間に居て、慰める為に愛する為に居る事ができる」という、見えるシンボルとして御聖堂を求めました。
聖フランシスコ・ザヴェリオは日本に到着した時に、それは8月15日で、聖母の被昇天でした。ですから聖フランシスコ・ザヴェリオは「これを特別な日だ」と考えていて、それを特に、「マリア様に捧げられた御聖堂を造りたい。特に日本の首都に造りたいと」思っていました。
長崎には東洋一といわれている、無原罪の御孕りの大聖堂が大浦に造られました。その大浦に造られた大聖堂は特に、「マリア様が私たちのために母としておられる」という事のシンボルでした。
この大浦の大聖堂は、8月9日に原爆であっという間に、ちょうど燔祭となって燃え尽きてしまったのですけれども、ちょうどその原爆がそのマリア様の無原罪の御孕り大聖堂に炸裂したその時、実は日本の首都の東京では、天皇陛下が御前会議というのを行っていて、これから「戦争を終わらせたい」という事を、他の反対する政府の首脳たちに説得していた時でした。反対論があって、なかなかその説得はうまくいかなかったのですけれども、結局その長い会議が、マリア様の大聖堂が燃え尽きた真夜中に、燃え尽きて無くなってしまったその時に、結局「戦争を終わらせよう」という事で決着がつきました。
あたかも、そのマリア様の大聖堂がいけにえとなる事によって、私たちの代わりに灰となる事によって、日本が救われたかのようです。
一体なぜマリア様は、ご自分の身代わりとなるような大聖堂を、私たちの間にこうやってお求めになるのでしょうか?
はい。それはマリア様が、イエズス様の御言葉を、天主の御言葉をその通り実践しているからです。十字架のもとでイエズス様は、まずマリア様にこう仰ったのです、「女よ、見よ。ここにお前の子がいる。」
マリア様にとっては、自分の本当の御子であるイエズス様の代わりに、罪人である私たちが子供として与えられたのです。でもマリア様は、私たちを自分の子供として、イエズス様を愛するがようにこれから愛しなさいという、「子供として愛しなさい」という命令を受けたのです。
ヨハネも同じでした。その次にヨハネの方に向かって、「汝の母、ここにあり」とイエズス様は言いました。ヨハネはそれ以後、マリア様を自分の母として自分の家に受け入れました。
マリア様はですから、イエズス様の仰った通り、私たちを本当の子供として愛しています。世話をしています。特別の愛情を注いでいます。ですからその母としての愛情を、「母として私たちの所に居たい」と、「目に見える形で居たい」と思っているからです。
私の長上には私の上司にはドイツ人の神父様がいます。シュテーリン神父様という方で、ドイツ人で、お父さんは動物を飼っていて、お母さんは料理がうまくてレストランを経営している、お父さんはその畑の肥やしを準備するために、動物の体から出る汚い汚物を肥やしのために準備していました。
私の上司のシュテーリン神父様はまだ子供の頃、ちょうどお友達くらいの小さな頃、お父さんの真似をして、「お父さんの手伝いをしたい」と思っていたのです。そこで肥やしを作ろうとその動物の汚物の中に入ろうとするのですけれども、「あ!」足を取られて汚物の中に、汚い臭い中にズブズブズブズブと潜ってしまったのです。底なしの沼のようにゴボゴボゴボゴボッと、小さな子供だったので男の子だったので、どんどんどんどん下がってしまいます。「あれ?」そしてもがけばもがくほど下の方に落ちていって、「もうこのままでは息もできなくなって、これで溺れて死んでしまうかもしれない。あぁどうしよう、このまま死んじゃう!」と思ったので、シュテーリン神父様はカール君は、「お母さーん!!」と叫びました。
するとお母さんは料理を、レストランの料理を作るために一生懸命台所で、きれいな服を着て、きれいに清潔にお料理を作っていたのですけれども、カール君の叫び声を聞いて、「あぁ大変だ!カールが溺れる!あそこにいる!」料理をほったらかしてダーッ!と走って行って、その汚物の中にドボン!と入ったのです。
もちろん全身汚くなって、泥だらけの汚物だらけになって、子供を抱いて、そして救って、きれいに洗ってくれたのだそうです。
マリア様も、もしもたとえ私たちが汚い泥のような罪にいたとしても、どんな苦しい中にいても、マリア様に、「マリア様!助けて!!」と言えば、すぐに走って来て、私たちを汚いところからも救ってくれます。
アメリカでちょっと前にニュースを見ました。本当にあった話です、新聞で読みました。「本当にあったかな?」と思って、インターネットで見たら、本当に出てきました。それは男の子が、やっぱり小さな4歳か5歳の男の子が家の前で遊んでいたら、ピューマという、チーターとかあるいは大きな猫の虎に似た、獰猛な動物が子供に襲って来たのです、食べようと。野生のピューマでした。
それを見て、お母さんは見ていたので気が付いたのです。子供が、「あー!!お母さーん!!」と言ったら、「子供がピューマに食べられてしまう!あんな獰猛な動物に食べられてしまう!」と思って、走って行って、ピューマと戦ったのです。
お母さんがその時にあまりにも一生懸命戦ったので、ピューマはそのまま逃げてしまいました。考えられません。お母さんは傷もなく、子供を救いました。
どんなに恐ろしい悪魔が私たちの霊魂を襲おうと来ても、「マリア様!!」と言えば、マリア様は悪魔をやっつけてくれます。
昔、日本はとても貧しかったので、例えば戦争が終わった時には、戦争で孤児で、お父さんが兵隊で、お父さんがいなくなってしまった、お母さんが一人で子供を、たくさんの子供を育てなければならないという時がありました。その時の思い出話を歌にした演歌があります。
その演歌によると、その男の子は学校でいじめられて辛い事があって、なんだかんだと言われた。すると「『何だ』とお母さんに文句を言おう」と思って、お母さんの所に行ったら、お母さんは土方をやっていたのです。土方というのは、力仕事をして、道路で工事をしたり、こうシャベルで男の人と一緒にこう鉢巻きを巻いて働いていたのです。お母さんがその時に、他の男の人と一緒に、「子供のためならエンヤコラ!」と一生懸命働いていたのです。「子供のためならエンヤコラ!もう1つおまけにエンヤコラ!」と一生懸命働いていたそうです。それでそれを見て、「あぁ、もう文句は言えない」と、子供は涙を流して帰ったのです。
マリア様も、私たちが「あぁ、マリア様、助けて下さい!」と言うと、マリア様は、「あぁ、この霊魂を救うためなら、どんな事でもしてあげる。エンヤコラ!」と、もしも日本のお母さんがそうであったら、天のお母さんはもっとです。
何でこんな話をしたかというと、マリア様は私たちに1つの願いがあるのです。それは、「マリア様がイエズス様を生んだ天主様の御母であり、同時に霊的な私たちの母である、という事を皆に知ってもらいたい」と思っているのです。
なぜかというと、私たちが天国に生まれるのを望んでいるからです。天国に皆を連れて行きたいと思っているお母様であるからです。
そのためにも、天国に行く事ができるためにも、いつも私たちがマリア様にお祈りをする事ができるような場所が欲しい、マリア様が私たちの真ん中に、いつも真ん中に居るという事を皆に知ってもらいたい、と思っているからなんです。ですから今日のような祝日があるのです。
それだけではないのです。マリア様はもう1つお望みがあって、実はマリア様の御聖堂というのは単なるシンボルでしかない、単なる物体的なものでしかない、その裏にはその心は、そのもっともっと奥には、マリア様は実は、私たちの霊魂の中に住んでいたいと思っているのです。私たちの霊魂は天主様の神殿であって、これを清くきれいなものとして聖なるものとして守りたい。そしてその中にマリア様はいつも居たいと思っているのです。なぜかというと、マリア様は私たちの霊的なお母様であるからです。
ヨハネは、使徒のヨハネはイエズス様から、マリア様が、「これはお前の母だ」と言われて何をしたか知っていますか?マリア様を自分の家に受け入れました。それと同じようにマリア様も、ヨハネからしてもらったように私たちの心の中に、私たちが、「マリア様が心の中に来てほしい」と、招いてもらいたいと思っているのです。
でも多くの人は何をするか知っていますか?マリア様が、「あなたの心に訪問したい。なぜかというと、たくさんのお土産と贈り物をあげたいから。プレゼントをしたいから。祝福をしたいから」と、「自分の子供として皆を愛したいから。」でも多くの人は、「あぁ来るな来るな、しっしっ。マリアいらない。」マリア様はですから、とても悲しく思っているのです。
ですから今日は、どうぞ特に小さなお友達には、マリア様に、「あぁマリア様、私の心に来て下さい。マリア様、私がマリア様を愛する事ができるように力を下さい」とお祈りして下さい。そしてマリア様を大歓迎して、「マリア様が私たちの心に来ても恥ずかしくないような、きれいな心を下さい」というようにお祈りして下さい。これがマリア様の汚れなき御心の信心の実践の1つなのです。
特に御聖体拝領ができるお友達は、御聖体拝領をマリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためにも、御聖体拝領をなさって下さい。
「『見よ、汝の母ここにあり。』この時から弟子は、彼女を自分の家に引き取った。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年8月5日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。
アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、2017年8月5日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。そのときの説教をご紹介いたします。2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日聖母の汚れなき御心の随意ミサ小野田神父説教聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2017年8月5日、雪の聖母の祝日、8月の初土曜日のミサをしています。今日この御ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。この御ミサが終わった後で、聖書の続きのお話があります。今日は聖書の中に出てくるポンシオ・ピラトというのは一体どういう人なのかとか、あるいはファリサイ派とかサドカイ派という名前が出てくるけれども、一体どういう人たちで、何を主張していたのかという事をお話したいと思います。もしお時間のある方は与って下さい。それから8月には、夏休みでも...2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日「私のためにここに聖堂が欲しい」とおっしゃったのは何故か?
2017年8月5日(初土)雪の聖母の祝日 聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年8月5日、雪の聖母の祝日、8月の初土曜日のミサをしています。今日この御ミサは、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。
この御ミサが終わった後で、聖書の続きのお話があります。今日は聖書の中に出てくるポンシオ・ピラトというのは一体どういう人なのかとか、あるいはファリサイ派とかサドカイ派という名前が出てくるけれども、一体どういう人たちで、何を主張していたのかという事をお話したいと思います。もしお時間のある方は与って下さい。
それから8月には、夏休みでもあるので、8月15日の被昇天の大祝日を祝うために、特別の聖母小黙想会を開きたいと思っています。
その黙想会というのは8月11日から15日まで、毎日朝午前10時30分からミサがあって、午後にはお話がマリア様の事を黙想するお話があって、特にファチマのマリア様のお話があって、8月15日の午後には聖母行列をしたいと思っています。もしできたらいらして下さい。マリア様が多くの人々から愛されて、慕われて、讃美されますようにお祈り致しましょう。特にマリア様のお神輿を担ぐ男の子が必要ですので、男性の方々はたくさん来て下さい。
「『見よ、これが汝の母である。』そしてその時から弟子は、母を自分の家に受け入れた。」
聖父と聖霊との御名によりてアーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日雪の聖母の祝日を祝っています。そこで今日の初土曜日の信心をするにあたって、マリア様は一体この雪の聖母という事で、一体私たちに何をなさったのか?
そしてその雪の聖母というのと、初土の信心というのは一体どういう関係があるのか?マリア様はその雪の聖母という事をやっただけなのか?他にも何か似たような事をなさったのか?それを見ると、「あぁ、」マリア様は一体何を私たちがする事を望んでいるのか、という事が共通点が分かるので、理解できると思います。
そこで特に今日は小さなお友達によく理解してもらうためにも、雪の聖母について、この雪の聖母と同じような事をマリア様はたくさんなさったという事、日本でもなさったという事、じゃあ私たちは今日から何をしなければならないか、という事を黙想しましょう。
第1点は、まず雪の聖母というのは一体何なのか?
はい。これはローマで起こった、本当に起こった話しなのです。その証拠は、今でもローマに行くと、この「雪の聖母」というマリア様の教会が立っています。
どういう事かというと、ローマの貴族、特に貴族の中でも一流の貴族がいました。それはパトリシウスの階級の、特に皇帝のすぐ下の、一番身分の高い貴族のカトリックの夫婦がいたのです。大金持ちで、先祖代々からの名門の家系でした。その家系のヨハネという貴族は、奥さんと結婚したのですけれども、残念ながら子供に恵まれませんでした。莫大な財産をどうしたら良いかという事で、マリア様にお願いしました、「マリア様の一番お望みのようにするにはどうしたら良いでしょうか?」
それは4世紀の事です。「マリア様、マリア様がお望みになるように、私たちが持っている財産をマリア様のお望みのまま、貧しい人に捧げろと言えば貧しい人を養いますし、もしもこの財産を使って何か病院を建てろと言えばそうします。マリア様の一番お望みは何ですか?」という事を二人でお祈りをしていたのです。
するとマリア様はこの熱烈なお願いを聞いて、この二人に夢を見せました、「私は、私のための小さな教会が欲しい。それでその場所がどこに、どこに欲しいかという事は、そこの所に雪を降らせる」と夢で出られたのです。真夏の、8月5日の今日の事でした。
ローマの夏は日本の大阪の夏と同じです。摂氏30度以上になって、もうアイスクリームも冷たい水も、ちょっと外に置けばすぐにグダッてしまって、ドロドロに溶けてしまいますし、外に出ると太陽がカンカンに照るので、冷たい物はあり得ません。当時はクーラーもなかったし、冷蔵庫もなかったし、この真夏に雪が降るなどという事は考えられませんでした。もしも誰かがトリックでそんな事をしたいと思っても、できません。
そうしてマリア様は、エスクリーノという丘の上に雪をたくさん降らせて、雪を積もらせました。そして「そこに自分の聖堂が欲しい」と仰ったのです。そしてその事と同時に、教皇様にも教えました。その事を教皇様に言うと、確かに教皇様も同じ事を夢で見たのです。実際にエスクリーノという丘に行ってみると、雪が積もっていました。真夏の汗もだくだくのうだる真夏に、そこだけ雪がたくさん積もっていたのです。
こんな事ができるのは天主様しかいません。天主のお母様しかいません。そこで、「まさにここにこそ、マリア様が自分の教会を望んでいるのだ」と分かって、そして自分の財産を使って、そこに教会を建てました。
残念ながらその教会は時が経つにつれて、改築が必要だったり、もっと大きな教会にする事が必要になりました。そこで教皇シクストという教皇様が、5世紀に432年に、ちょうどその1年前にエフェゾ公会議ということで、「マリア様は本当に天主の御母である」という事を宣言したその記念に、まずこのマリア様に最初に捧げられた教会、雪の聖母の教会を改築して、もっと大きく素晴らしいものにしようとしました。
そして今、その時に改築された432年に建てられたそのままの物が、今でも残っています、ローマに行くと。大きな教会で、そして外は真っ白で、今では雪の聖母の大聖堂とか、あるいはサンタ・マリア・マッジョーレ、聖母大聖堂と言われていて、ローマにある教会の4大バジリカ、特別な教会の4つに数えられています。
1つはバチカンにある聖ペトロ大聖堂、もう1つは至聖救世主大聖堂あるいは聖ヨハネラテラノ大聖堂、あるいは門外の聖パウロ大聖堂と並んで、聖マリア大聖堂、この4つはローマの最も重要な御聖堂の1つになっています。
教会の中には、天井には、コロンブスがアメリカから持って来たといわれる、黄金で塗られた天井や、あるいはモザイクという、小さなきれいな色の付いた石を埋めて絵を描いたモザイク様式のマリア様の、天主の御母なるマリア様、その絵やモザイクや、あるいはマリア様が確かに私たちの女王様であって、私たちの御母である、天主の御母である、私たちの御母であるという事を表すような、多くのきれいな芸術作品がたくさん散りばめられています。
またコンスタンティノ皇帝のお母様が、聖ヘレナがエルサレムから大切に持ってきた、ベトレヘムのまぐさ桶の聖遺物も、聖マリア大聖堂に置かれています。ですから聖マリア大聖堂はローマにおいては、ベトレヘムと同じように考えられています。
ですから聖ヒエロニモという、聖書をラテン語に訳した大聖人がいますけれども、その大聖人は生涯べトレヘムの洞窟で聖書を訳していました。その遺骸は今では、ローマのベトレヘムである聖マリア大聖堂のそのまぐさ桶の聖遺物のすぐ下に、遺体が埋葬されています。
あるいはロヨラの聖イグナチオという方は、イエズス会という大きな修道会を創った方ですけれども、昔の若い時から、「エルサレムの聖地に行きたい」「行きたい」と思っていました。しかし、「そこに行って、一生をそこで過ごしたい」と思っていたのですけれども、それは叶いませんでした。でも司祭になった時に、初ミサ、最初のミサをたてる時には、「何よりも聖マリア大聖堂のそのまぐさ桶のある所に行ってミサを捧げたい。イエズス様がお生まれになったそのまぐさ桶の所で、私もミサをしてイエズス様に天から来て頂きたい」と思って、そこでミサを捧げた所なのです。
そして聖マリア大聖堂は、カトリックの歴史の深い色々な出来事が、歴史上大切な事がたくさん起こっている大聖堂となって、今でもきれいに私たちを歓迎して、手を広げて待っています。どうぞ小さなお友達も、大きくなったらローマに行って、聖マリア大聖堂に行ってみて下さい。大きな大聖堂で、そしてきれいに飾られていて、マリア様が私たちをいつも待っていられる、私たちの中にマリア様はいつもおられる、という事を表しています。
マリア様はこれと同じような事を何度かしました。
有名なのは、メキシコのグァダルーペの聖母です。これは16世紀に、まだアメリカ大陸にキリスト教が入ったばかりの頃でした。メキシコ人たちはとても野蛮で、間違った宗教を信じていました。その間違った宗教というのはどういうものだったかというと、アステカの神々が地球を滅ぼしてしまわないように、人間の心臓を生きたまま殺して、それを神々に捧げると、その血を吸ってそれで宥められて、それで地球が滅ぼされずに済むという恐ろしい教えでした。ですから多くの子供たちや大人が生きたまま殺されて、その心臓を偶像に捧げられていました。
そのような宗教を信じていたところにマリア様が現れて、ホワン・ディエゴという人に、「私はここに、私の御聖堂が欲しい」と仰ったのです。「なぜなら私は、この皆の母であるから。天主の母であり、皆を愛する母であるから。もしも辛い事があったら、悲しい事があったら、私の所にすぐ来て祈る事ができるように、御聖堂が欲しい」と。
そしてその後にメキシコの人々は、10年の間に何百万人と洗礼を受けてキリスト教になりました、大奇蹟が起こりました。
同じような事がルルドでもありました。ルルドのマリア様は、「ここに小さな御聖堂が欲しい。」
今では何百万人という人がルルドにお祈りに行きます。すると奇跡が起こったり、お恵みを頂いたりして、マリア様の祝福をたくさん頂いて家に帰ります。つい最近でも、もうお医者様から見放されて、「もう治らない」と言われたものが治ったとか、目の玉がなくて神経がないにもかかわらず、見えるようになったとか、信じられないような説明できないような奇蹟がたくさん起こっています。
ファチマでも今から100年前に起こりました。マリア様が3人の子供たちに現れた時に、マリア様に「あなたはどなたですか?何をお望みですか?」「私は、10月に私が誰か、また私が何を望んでいるかを言いましょう」と仰ったのです。
そしてその10月には、7万人からあるいは10万人が見るものすごい奇蹟が起こりました。太陽がダンスをしたのです。これはそこに居合わせた何万人もの人が見ているので、もうこれは新聞にも載りました。それを、昔は信じなかったような嘲笑ったような人たちもそれを見て、「本当に起こった」と記録に残しています。
そしてそのマリア様も仰っています、「ここに小さな御聖堂が欲しい。なぜならば、私が皆の間に居て、皆が私のもとにお祈りをする事ができるように。そして私の心の中に入る事が、御聖堂の中に入って、私の御心の中に入る事ができるように。そしていつもどんな事があっても、私が皆の間に居て、慰める為に愛する為に居る事ができる」という、見えるシンボルとして御聖堂を求めました。
聖フランシスコ・ザヴェリオは日本に到着した時に、それは8月15日で、聖母の被昇天でした。ですから聖フランシスコ・ザヴェリオは「これを特別な日だ」と考えていて、それを特に、「マリア様に捧げられた御聖堂を造りたい。特に日本の首都に造りたいと」思っていました。
長崎には東洋一といわれている、無原罪の御孕りの大聖堂が大浦に造られました。その大浦に造られた大聖堂は特に、「マリア様が私たちのために母としておられる」という事のシンボルでした。
この大浦の大聖堂は、8月9日に原爆であっという間に、ちょうど燔祭となって燃え尽きてしまったのですけれども、ちょうどその原爆がそのマリア様の無原罪の御孕り大聖堂に炸裂したその時、実は日本の首都の東京では、天皇陛下が御前会議というのを行っていて、これから「戦争を終わらせたい」という事を、他の反対する政府の首脳たちに説得していた時でした。反対論があって、なかなかその説得はうまくいかなかったのですけれども、結局その長い会議が、マリア様の大聖堂が燃え尽きた真夜中に、燃え尽きて無くなってしまったその時に、結局「戦争を終わらせよう」という事で決着がつきました。
あたかも、そのマリア様の大聖堂がいけにえとなる事によって、私たちの代わりに灰となる事によって、日本が救われたかのようです。
一体なぜマリア様は、ご自分の身代わりとなるような大聖堂を、私たちの間にこうやってお求めになるのでしょうか?
はい。それはマリア様が、イエズス様の御言葉を、天主の御言葉をその通り実践しているからです。十字架のもとでイエズス様は、まずマリア様にこう仰ったのです、「女よ、見よ。ここにお前の子がいる。」
マリア様にとっては、自分の本当の御子であるイエズス様の代わりに、罪人である私たちが子供として与えられたのです。でもマリア様は、私たちを自分の子供として、イエズス様を愛するがようにこれから愛しなさいという、「子供として愛しなさい」という命令を受けたのです。
ヨハネも同じでした。その次にヨハネの方に向かって、「汝の母、ここにあり」とイエズス様は言いました。ヨハネはそれ以後、マリア様を自分の母として自分の家に受け入れました。
マリア様はですから、イエズス様の仰った通り、私たちを本当の子供として愛しています。世話をしています。特別の愛情を注いでいます。ですからその母としての愛情を、「母として私たちの所に居たい」と、「目に見える形で居たい」と思っているからです。
私の長上には私の上司にはドイツ人の神父様がいます。シュテーリン神父様という方で、ドイツ人で、お父さんは動物を飼っていて、お母さんは料理がうまくてレストランを経営している、お父さんはその畑の肥やしを準備するために、動物の体から出る汚い汚物を肥やしのために準備していました。
私の上司のシュテーリン神父様はまだ子供の頃、ちょうどお友達くらいの小さな頃、お父さんの真似をして、「お父さんの手伝いをしたい」と思っていたのです。そこで肥やしを作ろうとその動物の汚物の中に入ろうとするのですけれども、「あ!」足を取られて汚物の中に、汚い臭い中にズブズブズブズブと潜ってしまったのです。底なしの沼のようにゴボゴボゴボゴボッと、小さな子供だったので男の子だったので、どんどんどんどん下がってしまいます。「あれ?」そしてもがけばもがくほど下の方に落ちていって、「もうこのままでは息もできなくなって、これで溺れて死んでしまうかもしれない。あぁどうしよう、このまま死んじゃう!」と思ったので、シュテーリン神父様はカール君は、「お母さーん!!」と叫びました。
するとお母さんは料理を、レストランの料理を作るために一生懸命台所で、きれいな服を着て、きれいに清潔にお料理を作っていたのですけれども、カール君の叫び声を聞いて、「あぁ大変だ!カールが溺れる!あそこにいる!」料理をほったらかしてダーッ!と走って行って、その汚物の中にドボン!と入ったのです。
もちろん全身汚くなって、泥だらけの汚物だらけになって、子供を抱いて、そして救って、きれいに洗ってくれたのだそうです。
マリア様も、もしもたとえ私たちが汚い泥のような罪にいたとしても、どんな苦しい中にいても、マリア様に、「マリア様!助けて!!」と言えば、すぐに走って来て、私たちを汚いところからも救ってくれます。
アメリカでちょっと前にニュースを見ました。本当にあった話です、新聞で読みました。「本当にあったかな?」と思って、インターネットで見たら、本当に出てきました。それは男の子が、やっぱり小さな4歳か5歳の男の子が家の前で遊んでいたら、ピューマという、チーターとかあるいは大きな猫の虎に似た、獰猛な動物が子供に襲って来たのです、食べようと。野生のピューマでした。
それを見て、お母さんは見ていたので気が付いたのです。子供が、「あー!!お母さーん!!」と言ったら、「子供がピューマに食べられてしまう!あんな獰猛な動物に食べられてしまう!」と思って、走って行って、ピューマと戦ったのです。
お母さんがその時にあまりにも一生懸命戦ったので、ピューマはそのまま逃げてしまいました。考えられません。お母さんは傷もなく、子供を救いました。
どんなに恐ろしい悪魔が私たちの霊魂を襲おうと来ても、「マリア様!!」と言えば、マリア様は悪魔をやっつけてくれます。
昔、日本はとても貧しかったので、例えば戦争が終わった時には、戦争で孤児で、お父さんが兵隊で、お父さんがいなくなってしまった、お母さんが一人で子供を、たくさんの子供を育てなければならないという時がありました。その時の思い出話を歌にした演歌があります。
その演歌によると、その男の子は学校でいじめられて辛い事があって、なんだかんだと言われた。すると「『何だ』とお母さんに文句を言おう」と思って、お母さんの所に行ったら、お母さんは土方をやっていたのです。土方というのは、力仕事をして、道路で工事をしたり、こうシャベルで男の人と一緒にこう鉢巻きを巻いて働いていたのです。お母さんがその時に、他の男の人と一緒に、「子供のためならエンヤコラ!」と一生懸命働いていたのです。「子供のためならエンヤコラ!もう1つおまけにエンヤコラ!」と一生懸命働いていたそうです。それでそれを見て、「あぁ、もう文句は言えない」と、子供は涙を流して帰ったのです。
マリア様も、私たちが「あぁ、マリア様、助けて下さい!」と言うと、マリア様は、「あぁ、この霊魂を救うためなら、どんな事でもしてあげる。エンヤコラ!」と、もしも日本のお母さんがそうであったら、天のお母さんはもっとです。
何でこんな話をしたかというと、マリア様は私たちに1つの願いがあるのです。それは、「マリア様がイエズス様を生んだ天主様の御母であり、同時に霊的な私たちの母である、という事を皆に知ってもらいたい」と思っているのです。
なぜかというと、私たちが天国に生まれるのを望んでいるからです。天国に皆を連れて行きたいと思っているお母様であるからです。
そのためにも、天国に行く事ができるためにも、いつも私たちがマリア様にお祈りをする事ができるような場所が欲しい、マリア様が私たちの真ん中に、いつも真ん中に居るという事を皆に知ってもらいたい、と思っているからなんです。ですから今日のような祝日があるのです。
それだけではないのです。マリア様はもう1つお望みがあって、実はマリア様の御聖堂というのは単なるシンボルでしかない、単なる物体的なものでしかない、その裏にはその心は、そのもっともっと奥には、マリア様は実は、私たちの霊魂の中に住んでいたいと思っているのです。私たちの霊魂は天主様の神殿であって、これを清くきれいなものとして聖なるものとして守りたい。そしてその中にマリア様はいつも居たいと思っているのです。なぜかというと、マリア様は私たちの霊的なお母様であるからです。
ヨハネは、使徒のヨハネはイエズス様から、マリア様が、「これはお前の母だ」と言われて何をしたか知っていますか?マリア様を自分の家に受け入れました。それと同じようにマリア様も、ヨハネからしてもらったように私たちの心の中に、私たちが、「マリア様が心の中に来てほしい」と、招いてもらいたいと思っているのです。
でも多くの人は何をするか知っていますか?マリア様が、「あなたの心に訪問したい。なぜかというと、たくさんのお土産と贈り物をあげたいから。プレゼントをしたいから。祝福をしたいから」と、「自分の子供として皆を愛したいから。」でも多くの人は、「あぁ来るな来るな、しっしっ。マリアいらない。」マリア様はですから、とても悲しく思っているのです。
ですから今日は、どうぞ特に小さなお友達には、マリア様に、「あぁマリア様、私の心に来て下さい。マリア様、私がマリア様を愛する事ができるように力を下さい」とお祈りして下さい。そしてマリア様を大歓迎して、「マリア様が私たちの心に来ても恥ずかしくないような、きれいな心を下さい」というようにお祈りして下さい。これがマリア様の汚れなき御心の信心の実践の1つなのです。
特に御聖体拝領ができるお友達は、御聖体拝領をマリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためにも、御聖体拝領をなさって下さい。
「『見よ、汝の母ここにあり。』この時から弟子は、彼女を自分の家に引き取った。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。